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番外編

ノイ一族とミュラー伯爵家・1

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 創立祭の準備中に、教会で聖女候補に刺されそうになったという話を聞いたミュラー伯爵夫人はその場でぶっ倒れそうになったのだが、それをぐっと堪えて最後まで話を聞く。
 一緒に話を聞いていたミュラー伯爵の表情は険しく、それでも口を挟むのを控えて己の大事な跡取りであるヴァイス・ミュラーの話を聞き終えた。
 端的に言えばヴァイスが己の全部をつぎ込んだイリスへの嫉妬。
 しかしながら第二王子とイリスの婚約を破談に持ち込んだというのに何故ヴァイスとイリスの仲に嫉妬したのか意味がわからない。そんな事を考えながらミュラー伯爵は口を開いた。

「それで聖女候補は?」
「殿下の手配した騎士に拘束された。以降はわからねぇけど」

 学園内での刃傷沙汰。学園長もさぞ頭を抱えただろうし、聖女候補の後ろ盾である神殿側も今頃大騒ぎになっているかもしれない。
 そんなことをミュラー伯爵が考えていると、家令が部屋に入ってきて彼に耳打ちをする。それに小さく頷いたミュラー伯爵はヴァイスに言葉を放った。

「中央から医師が派遣されたようだ。後は簡単な事情聴取の依頼も来ている。どうする?」
「医師は別にいらねぇけど。寧ろ薬盛られたイリスの方にいるんじゃねぇの」
「そちらには別途派遣しているようだよ。一応診察も受けておきなさい。事情聴取は明日の朝にでも手配しておこうか」

 中央の派遣してきた医師の診察は例えかすり傷一つであろうと公的書類として後々役に立つこともあるだろうと判断したミュラー伯爵の言葉に従いヴァイスは小さく頷くと家令と一緒に部屋に入ってきた侍女長と部屋を出てゆく。医師を待たせている部屋に案内してくれるのだろう。
 そして残った家令に視線を送った伯爵は小さく言葉を放った。

「明日フレムデと一緒に学園と神殿へ行くことになると思う。先触れを頼む」
「かしこまりました」

 フレムデ・ノイ伯爵には既にヴァイスが帰宅する前にノイ伯爵家へ寄って事情を話していると行っていたのでもしかしたら向こうから催促が来るかもしれないと思いながらミュラー伯爵は指示を出した。
 ヴァイスの巻き込まれた刃傷沙汰もだが、イリスに至っては薬を盛られ監禁をされ、その上制服まで破られた。学園は学ぶ者に身分の差はないと謳っているが、法令を守らなくて良いという話ではない。
 第二王子の指示で聖女候補や監禁に関わった者は拘束されているようだが、こちらとしても黙って任せるつもりはないとミュラー伯爵は瞳を細めた。
 折角ヴァイスがフレムデ・ノイ伯爵を上手く宥めて、婚約破棄に関してはそれなりの着地ができたというのに台無しだと思わずミュラー伯爵は舌打ちをする。

「……大丈夫かしらイリスちゃん……」

 不安そうな夫人の声にミュラー伯爵は僅かに瞳を緩める。
 元々フレムデ・ノイ伯爵とアクセ・ミュラー伯爵が幼馴染であったのもあり、結婚前も結婚後も家族ぐるみの付き合いが両家にはあった。
 結婚はノイ家の方が遅かったのだが、風切姫との関係も良好で、ノイ姉弟は特に夫婦で可愛がっていたのもあり夫人が不安そうにするのも仕方がないだろう。
 ヴァイスを養子として迎える事が決まった後も、イリス等は王族教育の一環として他国の文化や言語を学ぶ必要があったので、ヴァイスにつけていた講師を紹介したり、共に学んだりする機会も多く、ヴァイス自身もノイ一族とは予想以上に上手くやっていた。

「……ヴァイスの話では命に関わる程ではないらしいが……さぞ恐ろしかったろう……可哀想に」

 魔物を狩るために風切姫と幼少の頃から狩り場を跳び回っていたイリスであるが、対人戦に関しては基本的に魔法の使用はしない。威力が強すぎるのだ。
 そんな中、彼女がわざと魔力を暴走させて身を守ったのなら命の危険も感じたのだろう。
 それを考えれば例えイリスやヴァイスが無傷であったとしてもぬるい処分で終わらせる訳にはいかないし、ノイ伯爵は絶対に許さない。また神殿や中央、そして今回は学園とも交渉かと些かミュラー伯爵はげんなりする。搾り取ろうと思えばいくらでも搾り取る自信はあるし、罪状も極限まで積める。けれど宰相である兄の立場を考えれば落とし所を上手く考えねばならない。国を傾かせるのは本意ではないが、舐められるのも腹立たしい所なのだ。

「まったく。コレではヴァイスもまだ落ち着かないな」
「……本当……そろそろイリスちゃんの婚約破棄から三ヶ月だし、いい時期だったのに」

 不服そうに夫人が零したのも仕方ないだろう。夫人としてはイリスの第二王子との婚約破棄が決まった時点で横槍が入らないうちにヴァイスとイリスの婚約を進めたかったのだ。
 けれど貴族間にある暗黙の了解を考慮しての三ヶ月。それとなくフレムデに打診をしてもよかったのだが、王族との婚約破棄の後というのもあり、どこで漏れるかわからないと控えていたのだ。下手に早く整いすぎると余計な憶測を産みかねないと言う配慮もあった。
 幸いノイ家はイリスの婚約に関しては本人に任せると公言していたし、イリスはイリスで数年ぶりの自由を満喫していたのもあり、今のところよそからの婚約の打診を受ける気配はなかった。それでもそれとなくお伺いなどは来ていたようで、お断りの返事を書くのが面倒臭くなったノイ伯爵が、サインだけでいいように手紙の断りの文章を印刷してくれとミュラー伯爵に言ってきた位である。伯爵家より高位貴族からの打診があったのにも関わらずだ。夫人の心情的な部分はともかく、実際は全く焦る必要もなかった。
 けれど、この三ヶ月……言ってしまえばヴァイスが養子になると決まった頃からずっと彼はイリスの為だけに時間も手間も費やしていた。養子になる条件としてイリスを守ることを優先させてほしいと言い放った彼が伴侶に望むのは彼女だけだろうと。
 彼女の立場を考えて決して表には出さなかったが。
 三ヶ月でさぞ仲も深まっただろう。そんな期待と早く形式的場部分を整えたいという焦りと共に待った期間だったのだ。



 しかしながら三ヶ月間で仲が深まったどころか、ノイ伯爵の急な辞職の後始末や聖女候補への対策で何一つ進展していなかったのが発覚したのは翌日の早朝。

「今日イリスに婚約申込みに行くつもりなんだけど」
「あらあらあら!今日はアクセがフレムデと一緒に学園と神殿行く予定だし、そこで書類を整えてしまいましょう!」
「……貴族間の婚約に家挟むのはわかってっけど、先にそっちで話通したらイリスが断りたくても断れなくなるから待って欲しい」
「……は?」

 早めの朝食の場。ヴァイスの言葉に夫人だけではなくミュラー伯爵も驚いたようにヴァイスの顔を眺める。

「……イリスに無理強いはしたくねぇし」
「待って!待ちなさいヴァイス」

 慌てたように口を開いたのは夫人の方で、その様子にヴァイスは小さく首を傾げた。

「やっぱバタバタしてるし日を改めた方が良いか?」

 ヴァイスとしては今日が最後の日かもしれない。それが彼の脳裏にこびりついているのでどうしても今日にと思ったのだが流石に唐突であったかと言葉を探す。
 しかしそんな様子に気が付かないのか夫人は食事の手を止めてグラスに入れられた水を一口飲んだ。

「……婚約を申し込むというのは、イリスちゃんの意思確認ということかしら?」
「そうだけど」
「まだだったの!?今まで何をしてたの貴方は!!」
「ノイ伯爵の後始末と聖女候補対策」
「フレムデェェェェェ!!!ホントあの男は面倒臭いことを直ぐにアクセに投げればなんとかしてくれると思ってる悪い癖が抜けないどころかヴァイスにまで丸投げを覚えてェェェェ!!」

 大商会の会長夫人にあるまじき声に思わずヴァイスは目を丸くしたのだが、戸惑ったように言葉を放った。

「けど放っといたらイリスの不利益になるしよ……」
「ええ。ええ!!わかってるわ!!イリスちゃんのためよね!!仕方ないわ!!寧ろ貴方らしいし恥じることはないわ。フレムデが図々しいだけなのはわかってるけど……」

 そもそもアクセ・ミュラー伯爵と彼女も幼馴染であった。そのために自動的にフレムデ・ノイ伯爵との関係も腐れ縁になってしまったのだ。フレムデという天才・奇人をまともに制御できるのが夫だけであるのは昔から十分に理解しているのだが、だからといってフレムデと言う男が好きかと聞かれれば彼女は容赦なく顔を顰めるだろう。振り回された側なのだ。けれど嫌いにはなりきれないのがフレムデという男の厄介な魅力なのだ。

「……ヴァイス」
「はい」

 頭を抱える己の妻を眺め苦笑すると、ミュラー伯爵はヴァイスに声をかける。

「君が今までイリス嬢を支えるために全部を費やしてきたことはわかっている。だから……これから君は自分の幸せのため動きなさい。それは悪いことではない」
「叔父貴……」

 驚いたようにヴァイスは伯爵の顔を眺める。
 そもそも同じ伯爵家であるし、その上数ある伯爵家の中でも昔から魔具の始祖として寧ろもっと高い格でも良いのではないかと言われているノイ家と、大商会を抱えるミュラー家は伯爵位の中でも一、二位の扱いである。これ以上釣り合いが取れる事はない。
 その上奇人と呼ばれるノイ伯爵と上手くやり取りができるのも強みであるし、高位貴族からすれば取り込みたいのは山々だが扱いきれない一族をそれなりに制御しているミュラー家の存在は影響力が大きい。
 兄である宰相を立てる性格なのも幸いして、商会の会長として流通は牛耳っているが、中央の国政には必要以上に口出しもしない。

「貴族としての体裁は後から私がいくらでも整えるよ。得意分野だし、今まで散々フレムデ相手にやってきたからね。だから君は思うようにしなさい」

 背中を押す言葉をミュラー伯爵から貰ったヴァイスは、一瞬驚いたような表情を作ったが直ぐに口角を上げた。そして深々と頭を下げる。

「ありがとうございます」
「とりあえず私は朝イチで学園の方にフレムデと行ってから一旦戻る予定だから。君はじきに来る事情聴取の面々の相手が終わってからイリス嬢の所へ行きなさい。彼らを待たせるのも酷だからね」

 仕事とは言え早朝から他家へ行かねばならない彼らを労るようなミュラー伯爵の言葉にヴァイスは頷くと部屋を出てゆく。中央からの使者を迎えるとなればきちんとした格好の方が良いと思ったのだろう。
 それを見送ったミュラー伯爵は扉が閉じられたのを確認すると、家令をそばへ呼び寄せた。

「婚約書類は整っているか?」
「はい。神殿用も中央への提出用も記名だけの段階となっております。破談の誓約書については一般的なものを準備いたしましたが、修正の方はどうなされますか?」
「いやそのままで構わない。昼の一番……そうだな、大司教への面会前に婚約式をねじ込んでおいてくれ」
「よろしいのですか?坊ちゃまに待つよう頼まれたのでは?」
「イリス嬢の意思確認が終わったらそのまま手続きを済ませてしまおう。高位貴族からの打診もあるようだしね。ヴァイスとの約束だからフレムデにはとりあえず伏せておくし、どうせ私に任せるとフレムデも丸投げしてくる。準備しておいて構わないだろう」

 細かい書類仕事などしなくていのなら一生したくないと平気で言い放つノイ家当主である。間違いなく自分に清々しいほどの笑顔で丸投げしてくるのを予想してミュラー伯爵は笑ったが、夫人は慌てたように立ち上がった。

「婚約式も行うのね!?衣装はどうしましょう!?あぁでも私ばかり張り切るのも浮いてしまうかしら!!」
「神殿での婚約式に関しては余りかしこまらないようにしようか。急な話であるし、イリス嬢も萎縮してしまうだろう。とりあえず形式的なことをさっさと済ませて、今後のことはゆっくり相談すれば良い。今なら神殿側にも多少の無理は通るだろう」

 神殿での婚姻契約というのは基本貴族間で行う家と家との契約である。ノイ家やミュラー家の様に家の格が同等であれば行わない事も多いのだが、家の格差がある場合はほぼ行われる。
 それは契約が破談になった時に、家の格が低い方が圧倒的に不利であるからだ。
 神殿という第三者を立てる事で、締結及び破談の際の契約書がきちんと働くように監視がされる。これに関しては王家も同じであるがゆえに、イリスの賠償金放棄は交渉の大きな切り札となった。
 王家とて神殿を仲介した契約を踏み倒せないし、例えば家の格が高いからといって一方的に契約を破棄できない。破棄する場合は神殿の立会人が必要であるのだ。
 第二王子の場合は彼の準備した神殿の立会人が存在したので破棄が成立した。とは言え、普通であれば学園内ではなく神殿内で行われるべきものであるのだが。
 それ故に直ぐには受理されず、不当な圧力はなかったかなど個別の聞き取りなどを本来はせねばならなかったのだが、ノイ伯爵家の方が寧ろさっさと破棄しろと追い打ちをかけてきたので結局王家は止められず、神殿側も合意があるならと受理するしかなかったのだ。

「婚約のお披露目に関してはいかがなされますか旦那様」
「イリス嬢とヴァイスの意向を聞こう。今日に関しては今更だがノイ家との顔合わせを含めた食事会……というのを考えているが準備はできそうか?」
「お任せください」

 わざわざ家族同士の顔合わせなど今更と言えば今更なのが折角のハレの日である。ミュラー伯爵はそう考えたのだろう。
 既にミュラー伯爵と夫人の中では婚約が成立する前提であるのにあえて家令は突っ込まず仕事の確認を続けて行く中、思い出したように侍女長が口を開いた。

「奥様。次の夜会は予定通りでよろしいでしょうか。イリスお嬢様もご一緒にとなれば、坊ちゃまと衣装を合わせた方が……」

 目前に迫っている今期最後の夜会。イリスに関しては婚約破棄から今まで不参加であったが、婚約が成立したとなれば他貴族へのお披露目を兼ねて一緒に参加をするというのも割りとよくある流れである。
 家によっては自家主催でお披露目会を開くことも多いし、それをしない場合は王家主催の夜会でのお披露目が一般的なのだ。無論両方する事もある。

「ヴァイスの話ではイリスちゃんは今期はドレスを仕立てていないみたいなのよねぇ。まぁ、準備はヴァイスも私もしているけれど……。念のためにお針子を集めておいて頂戴」

 急な夜会参加や創立祭に備えて一応ヴァイスがイリスのドレスを準備はしていたようだが、何着かは夫人も流行りのものを準備していた。
 サイズも基本着るものはミュラー商会系列の店を贔屓にしているイリスなので問題なく作らせていたのだが、微調整などが必要かもしれないと夫人は考えたのだ。

「かしこまりました。ではその様に手配いたします」
「ええ。よろしくね」

 さぁ今日は慌ただしくなる。皆がそんな事を考えながらミュラー伯爵家の早い朝は過ぎて行った。
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