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番外編
ノイ一族とミュラー伯爵家・2
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「この度はおめでとうございます」
ピタリと揃えられた礼と声。練習したのだろうかと考えながらミュラー伯爵家の玄関ホールでロートスは頭を下げる使用人を眺める。
その言葉を向けられたイリスだけではなくヴァイスも驚いたような顔をしていたので、彼もそんな出迎えを受けるとは思っていなかったのだろう。
「ありがとう。これからもお世話になるわね」
とは言え勝手知ったるミュラー伯爵家。イリスはよく知る使用人たちの祝いの言葉に嬉しそうに表情を綻ばせた。家令や侍女長含め、子供の頃から世話になっている者も多いのだ。
「大袈裟だな」
「いえいえ。坊ちゃまのハレの日を使用人一同喜ばしく思っております」
家令が瞳を嬉しそうに緩めそう言い放てばヴァイスは少しだけ照れたように笑った。
そんな様子を微笑ましくミュラー伯爵夫人は眺めていたのだが、すすっと寄ってきた侍女長に耳打ちされる。
「奥様。お披露目の方はどうなりましたか?」
「ええ、そうだったわね。我が家でのお披露目会はしないことにしたわ。夜会の方でお披露目という形ね」
夫人の言葉に使用人一同少々残念そうな顔をしたのだが、急な婚約締結なので仕方がないとそこはきっぱりと割り切る。
「では、明後日の夜会で着るドレスの微調整を早速という事でよろしいですね。申し訳ありませんがイリスお嬢様のお部屋の方はまだ家具の運び込みが終わっておりませんので、勝手ながら奥様のお部屋で採寸をさせて頂きます」
「え!?私の部屋って何!?」
驚いて思わずイリスが声を上げると、侍女長は満面の笑顔を浮かべる。
「若奥様用のお部屋でございます。とりあえず現在進行系で客間の家具を運び込んで整えておりますので、ご成婚までにご自由に模様替え下さい」
「……え?え?」
余りの流れの速さについていけないイリスが思わず助けを求めるようにヴァイスに視線を送るが、彼もそんな話までは聞いていなかったようで呆れたような表情をしていた。
「ゆっくりでいいんじゃねぇのその辺は」
「若奥様を客間に留める等できません!!夜会に参加されるのでしたら明日からイリスお嬢様を磨き上げて送り出させて頂きます!!」
「……お、お手柔らかにお願いします……」
やる気満々である侍女長とそのそばにいる使用人。流石にこの空気の中断ることができなかったイリスは弱々しくそう返事をする。
「明日から?姉さん学園終わったらこっち来る感じ?」
「学園に行かれるのでしたらその様にして頂ければありがたいです。時間はいくらあっても足りませんので」
「そっか。そんじゃ僕は父さんと夜会に行く事になるのかぁ。あの人ちゃんと準備できるのかな?」
「そりゃノイ伯爵家使用人の腕の見せ所じゃねぇの?」
咽喉で笑いながら、心配そうなロートスにヴァイスは言葉を放つ。ノイ伯爵が公式の場に出るなど、それこそイリスと第二王子の婚約が成立した時以来である。基本必要な時は風切姫が当主代理として出席していたのだ。
「寧ろお父様の礼服ってあるの??」
「一応あるって侍女長言ってたよ。あんまあの人体型変わってないから大丈夫だと思うけど……今頃お針子の手配してるかもね」
そんな話をしていると、準備が整いましたとお針子が玄関ホールまで降りてくる。そしてそのままぞろぞろと夫人の部屋にある衣装室まで案内された。
採寸ならば邪魔かとロートスは遠慮しようとしたが、折角なのでドレスも見てはどうかと夫人に言われヴァイスと一緒について行く。
そして案内された部屋の中央に吊るされたドレス。
「どれが姉さんの分?」
「全部イリスちゃん用よ」
「全部なんですか!?」
思わずイリスが声を上げたのも仕方がないとロートスは思い、ちらりとヴァイスに視線を送る。するとヴァイスはヴァイスで半眼になっていたのでここまで数が多いとは思わなかったのだろう。
「ヴァイスが準備したやつどれ?」
「いつもイリスが着てるタイプのやつと、その隣のやつ」
ロートスが小声で確認すると彼は顎で小さくそちらを指す。伝統的な形のドレスは第二王子の婚約者であった時によく着ていたタイプのものであったが、その隣のものはどちらかと言えば流行りを取り入れたタイプであった。
創立祭の夜会には出ないとイリスは言っていたが、気が変わった時用に一応準備はしていると聞いていたロートスは、寧ろその倍以上のドレスをこっそり準備していた夫人の熱意に驚く。
「会長夫人が残りは全部準備したの?」
「今年準備したのはこの辺ね。こっちはどっちかと言えばお茶会用」
その辺の区別はロートスには余りつかないのだが、どうやら全部夜会で着れるドレスではないらしい。
「でもお茶会用のドレスでも、リメイクすれば夜会でも着ていけるわ。気に入ったのがあればそれでもいいのよイリスちゃん」
「いえいえ!!微調整だけでも手間ですから!!この中から選びます!!」
流石に日がないのにお針子に酷だと思ったのだろうイリスが慌てて首を振ると、夫人は、そう?と小さく首を傾げた後茶会用のドレスは一旦しまうように指示を出した。
「どれが気にいった?」
夫人に期待の眼差しを向けられたイリスは冷や汗をかいてドレスを凝視する。あ、これ完全に困ってるなとロートスは察したのだが、夫人や使用人には真剣に選んでいるように見えるのだろう、黙って彼女の様子を伺っている。
そもそもイリスはさほど着るものに頓着しないノイ一族に多いタイプなのだ。なので中央でドレスを作る時も基本デザイナーに丸投げであるし、出来上がったものに文句も言わない。
家でも多少お気に入りという服はあるのだが、侍女に選んでもらうことの方が多かった。ロートスなど端から順番に着ていくという横着振りである。
「……その赤いやつ」
「こちらですか?坊ちゃま」
沈黙の中口を開いたのはヴァイスで、イリスはぱっと顔を上げて彼の表情を眺めた。すると彼は少しだけ目元を緩めて侍女長からそのドレスを受け取る。
「折角のお披露目だからな。赤を着てくれ」
「……そうするわ」
赤はヴァイスの瞳の色である。婚約者の色を纏うのはよくある話であるし、ドレスのメインにその色を使わなくても差し色やアクセサリーに入れる事も多い。
「まぁまぁ!!そうよね!!やっぱりそれよね!!」
他のドレスも可愛らしいものから大人びたものまであるのだが、赤なのはそのドレスだけであった。それをヴァイスが選びイリスが了承した事に夫人が満面の笑みを浮かべた所を見ると、イチオシだったのだろう。
「そんじゃヴァイスは姉さんの色?黒?持ってるの?」
「黒は何着か持ってる。お前も見たことあんだろ」
「覚えてないや。赤と黒だと目立つね」
「お披露目ですもの!!」
ウキウキとした様子で夫人がロートスに言い放ったので彼は苦笑する。
「装飾品はいつも通りこっちで準備していいか?」
「ヴァイスに任せるわ。今期は全然ミュラー商会の広告塔やってなかったし。まぁ、前ほど役に立てるかわからないけど」
「うちの商品身につけてくれるだけでイイ」
いつもドレスが決まればミュラー商会が準備した装飾品をイリスは身につけていた。流行りのもの、これから流行らせたいもの、広告塔として第二王子の婚約者という立場は非常に都合が良かった。
とは言え、次期ミュラー伯爵夫人となれば国の流通を担うのは皆知っている。それを考えれば十分広告塔として機能するだろう。
「では坊ちゃま達は旦那様がお戻りになるまでお部屋でおくつろぎ下さい」
ミュラー伯爵とノイ伯爵は神殿に残って大司教との話し合いをしているので食事会まではまだ時間がある。
ドレスを選んでしまえば用済みだと言わんばかりに部屋から追い出された二人は苦笑しながらとりあえずヴァイスの部屋へと移動した。
本来なら応接室かサロンで客をもてなすべきなのだろうが、ロートス相手の場合は部屋へ招く事が多かった。
後で茶を運ぶという侍女の言葉に頷きぶらぶらと二人で屋敷を移動していると、ヴァイスの部屋付近が慌ただしい事に気がつく。
「何してんの?」
首を傾げたロートスであったが、ヴァイスは僅かに眉を上げて苦笑した。
「……イリスの部屋の準備だろうよ」
「あぁ。若奥様の部屋」
「その言い方ヤメロ」
茶化すようにロートスが言うとヴァイスは少しだけ恥ずかしそうに顔を背ける。照れくさいのだろう。
「おや、ロートス坊ちゃんも一緒ですか」
部屋に荷物を運んでいた男が声をかけると、ロートスは笑って仕事をねぎらう。
「急な話でバタバタしたね」
「いえいえ!!漸く空でしたヴァイス坊ちゃまの隣が埋まるんですから!!こんなに嬉しいことはありませんよ!!」
養子に入ったのは最近であるが、幼少の頃からミュラー伯爵家に出入りしていたヴァイスは使用人にとって坊ちゃまのままである。面倒臭いので否定はしないが、いい加減何とかしたほうがいいのかとぼんやりとヴァイスが考えていると、中から家令が顔を出した。
「ご一緒でしたか。家具の運び込みが終わりましたのでご確認頂けますか?」
「俺がか?」
「はい。とりあえずイリスお嬢様の使用していた客間からの運び込みですが、レイアウトなど今なら人手がありますので直せます。以降はゆっくり家具を吟味して入れ替えて頂ければと」
「え?姉さんの使ってた部屋って他と家具違うの?」
驚いたようにロートスが言うと、ヴァイスは小さく首を傾げた。
「俺はあんま客間入らねぇから知らねぇけど、化粧台とかは女性用の客間にしかねぇんじゃねぇの」
「あ、僕の使ってる部屋にない」
ヴァイスは養子に入るのが決まった時点で今の部屋を与えられていたので余り客間を使うことはなかった。ただノイ家の人間は泊まることもあったのでそれぞれ使う客間は大体決まっている。
家令に促されて部屋に入って見ると、ロートスは目を丸くした。
「あ、家具自体が違う。部屋の広さはヴァイスの部屋と同じぐらい?」
「そーだな。空の部屋しか見たことなかったから広すぎるとも思ったけど、家具置いたら丁度いいか」
「あっちは?」
「衣装室じゃねぇの」
家令に案内されて衣装室を覗き込めば、広々とした部屋に先程お茶会用だと言って先に片付けたドレスが吊られていた。恐らくあの後ここへ持ち込まれたのだろう。
「……姉さんこんな衣装部屋貰っても埋められないと思うけど」
「多分増えんだろ。ドレスも普段着も」
「会長夫人が増やしちゃう感じ?」
「俺も増やすけど」
ヴァイスの発言にロートスは驚いたように彼の顔を眺めたが、柔らかく瞳を細めた。きっとこれから姉に山程貢ぐのだろうと思うと少し可笑しかったし、嬉しかったのだ。
「そんじゃ反対の扉は寝室?」
「そーだな」
「風呂は部屋にないんだ。客間には付いてるのに」
「……」
不思議そうな顔をしたロートスにヴァイスが微妙な表情を浮かべた。それに気がついたロートスがどうしたのかと尋ねれば、家令が小さく咳払いをした後に口を開いた。
「個人の寝室の先は夫婦の寝室に繋がっております。浴室はそちらの方に設置されておりますので」
「あ、そっか。うちも父さんと母さんの部屋そうなってる。一番広い浴室なんだよねあそこ」
「そうなのか?」
「うん。母さんが夜会に行く時にこう……侍女が一緒に入ってアレコレするから広めなんだって言ってた。うちは割りと一人で風呂入る人多いから、ホント必要な時だけだけど」
イリスも夜会の時は侍女に付き添われて風呂に入るが、基本は一人でゆっくり入るのを好んでいる。
「……そんであの風呂広いのか……」
今まで無駄に広いと思いながらヴァイスは一人でその浴室を使っていたのだろう。
「夫婦の寝室の方はまだ空でございます」
「流石に既に準備万端って言われたら吃驚するんだけど」
大真面目に家令が言い放ったので思わずロートスは呆れたような顔をする。それこそ二人で気に入ったものを選ぶ場所だろうと流石に自分でもわかると思ったのだ。
「……つーか、イリスに話持ってくっての今日報告したのに何でこんな手回し良いんだよ」
「皆心待ちにしておりました」
「聞くやつが聞けば不敬って言われっからな」
イリスを迎えるのを心待ちにしていたなど、第二王子との破談を望んていたように聞こえてしまう。ヴァイスは僅かに顔を顰めたが、ロートスは口元を緩める。
「グズグズしてたら外に出すの嫌だって父さんごねるかもね」
「そりゃ困るな」
笑ったロートスにつられてヴァイスも思わず笑った。
ピタリと揃えられた礼と声。練習したのだろうかと考えながらミュラー伯爵家の玄関ホールでロートスは頭を下げる使用人を眺める。
その言葉を向けられたイリスだけではなくヴァイスも驚いたような顔をしていたので、彼もそんな出迎えを受けるとは思っていなかったのだろう。
「ありがとう。これからもお世話になるわね」
とは言え勝手知ったるミュラー伯爵家。イリスはよく知る使用人たちの祝いの言葉に嬉しそうに表情を綻ばせた。家令や侍女長含め、子供の頃から世話になっている者も多いのだ。
「大袈裟だな」
「いえいえ。坊ちゃまのハレの日を使用人一同喜ばしく思っております」
家令が瞳を嬉しそうに緩めそう言い放てばヴァイスは少しだけ照れたように笑った。
そんな様子を微笑ましくミュラー伯爵夫人は眺めていたのだが、すすっと寄ってきた侍女長に耳打ちされる。
「奥様。お披露目の方はどうなりましたか?」
「ええ、そうだったわね。我が家でのお披露目会はしないことにしたわ。夜会の方でお披露目という形ね」
夫人の言葉に使用人一同少々残念そうな顔をしたのだが、急な婚約締結なので仕方がないとそこはきっぱりと割り切る。
「では、明後日の夜会で着るドレスの微調整を早速という事でよろしいですね。申し訳ありませんがイリスお嬢様のお部屋の方はまだ家具の運び込みが終わっておりませんので、勝手ながら奥様のお部屋で採寸をさせて頂きます」
「え!?私の部屋って何!?」
驚いて思わずイリスが声を上げると、侍女長は満面の笑顔を浮かべる。
「若奥様用のお部屋でございます。とりあえず現在進行系で客間の家具を運び込んで整えておりますので、ご成婚までにご自由に模様替え下さい」
「……え?え?」
余りの流れの速さについていけないイリスが思わず助けを求めるようにヴァイスに視線を送るが、彼もそんな話までは聞いていなかったようで呆れたような表情をしていた。
「ゆっくりでいいんじゃねぇのその辺は」
「若奥様を客間に留める等できません!!夜会に参加されるのでしたら明日からイリスお嬢様を磨き上げて送り出させて頂きます!!」
「……お、お手柔らかにお願いします……」
やる気満々である侍女長とそのそばにいる使用人。流石にこの空気の中断ることができなかったイリスは弱々しくそう返事をする。
「明日から?姉さん学園終わったらこっち来る感じ?」
「学園に行かれるのでしたらその様にして頂ければありがたいです。時間はいくらあっても足りませんので」
「そっか。そんじゃ僕は父さんと夜会に行く事になるのかぁ。あの人ちゃんと準備できるのかな?」
「そりゃノイ伯爵家使用人の腕の見せ所じゃねぇの?」
咽喉で笑いながら、心配そうなロートスにヴァイスは言葉を放つ。ノイ伯爵が公式の場に出るなど、それこそイリスと第二王子の婚約が成立した時以来である。基本必要な時は風切姫が当主代理として出席していたのだ。
「寧ろお父様の礼服ってあるの??」
「一応あるって侍女長言ってたよ。あんまあの人体型変わってないから大丈夫だと思うけど……今頃お針子の手配してるかもね」
そんな話をしていると、準備が整いましたとお針子が玄関ホールまで降りてくる。そしてそのままぞろぞろと夫人の部屋にある衣装室まで案内された。
採寸ならば邪魔かとロートスは遠慮しようとしたが、折角なのでドレスも見てはどうかと夫人に言われヴァイスと一緒について行く。
そして案内された部屋の中央に吊るされたドレス。
「どれが姉さんの分?」
「全部イリスちゃん用よ」
「全部なんですか!?」
思わずイリスが声を上げたのも仕方がないとロートスは思い、ちらりとヴァイスに視線を送る。するとヴァイスはヴァイスで半眼になっていたのでここまで数が多いとは思わなかったのだろう。
「ヴァイスが準備したやつどれ?」
「いつもイリスが着てるタイプのやつと、その隣のやつ」
ロートスが小声で確認すると彼は顎で小さくそちらを指す。伝統的な形のドレスは第二王子の婚約者であった時によく着ていたタイプのものであったが、その隣のものはどちらかと言えば流行りを取り入れたタイプであった。
創立祭の夜会には出ないとイリスは言っていたが、気が変わった時用に一応準備はしていると聞いていたロートスは、寧ろその倍以上のドレスをこっそり準備していた夫人の熱意に驚く。
「会長夫人が残りは全部準備したの?」
「今年準備したのはこの辺ね。こっちはどっちかと言えばお茶会用」
その辺の区別はロートスには余りつかないのだが、どうやら全部夜会で着れるドレスではないらしい。
「でもお茶会用のドレスでも、リメイクすれば夜会でも着ていけるわ。気に入ったのがあればそれでもいいのよイリスちゃん」
「いえいえ!!微調整だけでも手間ですから!!この中から選びます!!」
流石に日がないのにお針子に酷だと思ったのだろうイリスが慌てて首を振ると、夫人は、そう?と小さく首を傾げた後茶会用のドレスは一旦しまうように指示を出した。
「どれが気にいった?」
夫人に期待の眼差しを向けられたイリスは冷や汗をかいてドレスを凝視する。あ、これ完全に困ってるなとロートスは察したのだが、夫人や使用人には真剣に選んでいるように見えるのだろう、黙って彼女の様子を伺っている。
そもそもイリスはさほど着るものに頓着しないノイ一族に多いタイプなのだ。なので中央でドレスを作る時も基本デザイナーに丸投げであるし、出来上がったものに文句も言わない。
家でも多少お気に入りという服はあるのだが、侍女に選んでもらうことの方が多かった。ロートスなど端から順番に着ていくという横着振りである。
「……その赤いやつ」
「こちらですか?坊ちゃま」
沈黙の中口を開いたのはヴァイスで、イリスはぱっと顔を上げて彼の表情を眺めた。すると彼は少しだけ目元を緩めて侍女長からそのドレスを受け取る。
「折角のお披露目だからな。赤を着てくれ」
「……そうするわ」
赤はヴァイスの瞳の色である。婚約者の色を纏うのはよくある話であるし、ドレスのメインにその色を使わなくても差し色やアクセサリーに入れる事も多い。
「まぁまぁ!!そうよね!!やっぱりそれよね!!」
他のドレスも可愛らしいものから大人びたものまであるのだが、赤なのはそのドレスだけであった。それをヴァイスが選びイリスが了承した事に夫人が満面の笑みを浮かべた所を見ると、イチオシだったのだろう。
「そんじゃヴァイスは姉さんの色?黒?持ってるの?」
「黒は何着か持ってる。お前も見たことあんだろ」
「覚えてないや。赤と黒だと目立つね」
「お披露目ですもの!!」
ウキウキとした様子で夫人がロートスに言い放ったので彼は苦笑する。
「装飾品はいつも通りこっちで準備していいか?」
「ヴァイスに任せるわ。今期は全然ミュラー商会の広告塔やってなかったし。まぁ、前ほど役に立てるかわからないけど」
「うちの商品身につけてくれるだけでイイ」
いつもドレスが決まればミュラー商会が準備した装飾品をイリスは身につけていた。流行りのもの、これから流行らせたいもの、広告塔として第二王子の婚約者という立場は非常に都合が良かった。
とは言え、次期ミュラー伯爵夫人となれば国の流通を担うのは皆知っている。それを考えれば十分広告塔として機能するだろう。
「では坊ちゃま達は旦那様がお戻りになるまでお部屋でおくつろぎ下さい」
ミュラー伯爵とノイ伯爵は神殿に残って大司教との話し合いをしているので食事会まではまだ時間がある。
ドレスを選んでしまえば用済みだと言わんばかりに部屋から追い出された二人は苦笑しながらとりあえずヴァイスの部屋へと移動した。
本来なら応接室かサロンで客をもてなすべきなのだろうが、ロートス相手の場合は部屋へ招く事が多かった。
後で茶を運ぶという侍女の言葉に頷きぶらぶらと二人で屋敷を移動していると、ヴァイスの部屋付近が慌ただしい事に気がつく。
「何してんの?」
首を傾げたロートスであったが、ヴァイスは僅かに眉を上げて苦笑した。
「……イリスの部屋の準備だろうよ」
「あぁ。若奥様の部屋」
「その言い方ヤメロ」
茶化すようにロートスが言うとヴァイスは少しだけ恥ずかしそうに顔を背ける。照れくさいのだろう。
「おや、ロートス坊ちゃんも一緒ですか」
部屋に荷物を運んでいた男が声をかけると、ロートスは笑って仕事をねぎらう。
「急な話でバタバタしたね」
「いえいえ!!漸く空でしたヴァイス坊ちゃまの隣が埋まるんですから!!こんなに嬉しいことはありませんよ!!」
養子に入ったのは最近であるが、幼少の頃からミュラー伯爵家に出入りしていたヴァイスは使用人にとって坊ちゃまのままである。面倒臭いので否定はしないが、いい加減何とかしたほうがいいのかとぼんやりとヴァイスが考えていると、中から家令が顔を出した。
「ご一緒でしたか。家具の運び込みが終わりましたのでご確認頂けますか?」
「俺がか?」
「はい。とりあえずイリスお嬢様の使用していた客間からの運び込みですが、レイアウトなど今なら人手がありますので直せます。以降はゆっくり家具を吟味して入れ替えて頂ければと」
「え?姉さんの使ってた部屋って他と家具違うの?」
驚いたようにロートスが言うと、ヴァイスは小さく首を傾げた。
「俺はあんま客間入らねぇから知らねぇけど、化粧台とかは女性用の客間にしかねぇんじゃねぇの」
「あ、僕の使ってる部屋にない」
ヴァイスは養子に入るのが決まった時点で今の部屋を与えられていたので余り客間を使うことはなかった。ただノイ家の人間は泊まることもあったのでそれぞれ使う客間は大体決まっている。
家令に促されて部屋に入って見ると、ロートスは目を丸くした。
「あ、家具自体が違う。部屋の広さはヴァイスの部屋と同じぐらい?」
「そーだな。空の部屋しか見たことなかったから広すぎるとも思ったけど、家具置いたら丁度いいか」
「あっちは?」
「衣装室じゃねぇの」
家令に案内されて衣装室を覗き込めば、広々とした部屋に先程お茶会用だと言って先に片付けたドレスが吊られていた。恐らくあの後ここへ持ち込まれたのだろう。
「……姉さんこんな衣装部屋貰っても埋められないと思うけど」
「多分増えんだろ。ドレスも普段着も」
「会長夫人が増やしちゃう感じ?」
「俺も増やすけど」
ヴァイスの発言にロートスは驚いたように彼の顔を眺めたが、柔らかく瞳を細めた。きっとこれから姉に山程貢ぐのだろうと思うと少し可笑しかったし、嬉しかったのだ。
「そんじゃ反対の扉は寝室?」
「そーだな」
「風呂は部屋にないんだ。客間には付いてるのに」
「……」
不思議そうな顔をしたロートスにヴァイスが微妙な表情を浮かべた。それに気がついたロートスがどうしたのかと尋ねれば、家令が小さく咳払いをした後に口を開いた。
「個人の寝室の先は夫婦の寝室に繋がっております。浴室はそちらの方に設置されておりますので」
「あ、そっか。うちも父さんと母さんの部屋そうなってる。一番広い浴室なんだよねあそこ」
「そうなのか?」
「うん。母さんが夜会に行く時にこう……侍女が一緒に入ってアレコレするから広めなんだって言ってた。うちは割りと一人で風呂入る人多いから、ホント必要な時だけだけど」
イリスも夜会の時は侍女に付き添われて風呂に入るが、基本は一人でゆっくり入るのを好んでいる。
「……そんであの風呂広いのか……」
今まで無駄に広いと思いながらヴァイスは一人でその浴室を使っていたのだろう。
「夫婦の寝室の方はまだ空でございます」
「流石に既に準備万端って言われたら吃驚するんだけど」
大真面目に家令が言い放ったので思わずロートスは呆れたような顔をする。それこそ二人で気に入ったものを選ぶ場所だろうと流石に自分でもわかると思ったのだ。
「……つーか、イリスに話持ってくっての今日報告したのに何でこんな手回し良いんだよ」
「皆心待ちにしておりました」
「聞くやつが聞けば不敬って言われっからな」
イリスを迎えるのを心待ちにしていたなど、第二王子との破談を望んていたように聞こえてしまう。ヴァイスは僅かに顔を顰めたが、ロートスは口元を緩める。
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綾月百花
ファンタジー
リリーには幼い頃に決められた王子の婚約者がいたが、その婚約者の誕生日パーティーで婚約者はミーネと入場し挨拶して歩きファーストダンスまで踊る始末。国王と王妃に謝られ、贈り物も準備されていると宥められるが、その贈り物のドレスまでミーネが着ていた。リリーは怒ってワインボトルを持ち、美しいドレスをワイン色に染め上げるが、ミーネもリリーのドレスの裾を踏みつけ、ワインボトルからボトボトと頭から濡らされた。相手は子爵令嬢、リリーは伯爵令嬢、位の違いに国王も黙ってはいられない。婚約者はそれでも、リリーの肩を持たず、リリーは国王に婚約破棄をして欲しいと直訴する。それ受け入れられ、リリーは清々した。婚約破棄が完全に決まった後、リリーは深夜に家を飛び出し笛を吹く。会いたかったビエントに会えた。過ごすうちもっと好きになる。必死で練習した飛行魔法とささやかな攻撃魔法を身につけ、リリーは今度は自分からビエントに会いに行こうと家出をして旅を始めた。旅の途中の魔物の森で魔物に襲われ、リリーは自分の未熟さに気付き、国営の騎士団に入り、魔物狩りを始めた。最終目的はダンジョンの攻略。悪役令嬢と魔物退治、ダンジョン攻略等を混ぜてみました。メインはリリーが王妃になるまでのシンデレラストーリーです。
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