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本編‐2
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鉄格子のゆりかごから放り出された少年は、血と硝煙の匂いだけを頼りに生きる獣へと成り果てた。
あの日、雨の中で引き裂かれた「アオ」という名は、もはや彼を縛る温かな鎖ではない。暗殺者として標的を仕留める際、相手が最後に目にする死神の瞳――その色の名として、裏社会に冷たく響くだけの記号となっていた。
次のターゲットは、新興組織『エデン』の若き幹部。
組織から渡された写真には、冷徹な美貌を持つ男が写っていた。しかし、写真に写る男を見ても何の感情も湧くことはない。アオにとって、他社の命を奪うことに微塵の抵抗もなくなっていた。過去の記憶は都合よく風化され、ただ「自分を捨てた世界」への憎しみだけを純化させていた。
土砂降りの廃港。錆びついたコンテナが並ぶ迷路のような一角で、アオは獲物を追い詰めた。
「動くな」
低く、抑揚のない声。アオの構えた銃口は、男の背中に寸分の狂いもなく向けられている。
男はゆっくりと両手を上げた。雨に濡れた黒いコートが、夜の闇に溶け込んでいる。
「……殺し屋か。どこの手の者だ」
男が振り返る。その瞬間、アオの指が凍りついた。
街の灯を反射して光る、鋭く、それでいて深い森のような静謐さを湛えた眼差し。写真で見るよりもずっと、その男の瞳はアオの記憶の底に眠る「神」と同じ光を宿していた。
「……エル?」
無意識に、喉の奥から絞り出した声。
男――エルの眉が、かすかに動いた。彼は銃口を向けられたまま、一歩、アオの方へ足を踏み出す。
「その呼び名……まさか、お前」
エルの声が震えている。アオは動揺を隠そうと銃を握り直すが、照準が定まらない。
「来るな! 撃つぞ!」
「撃てばいい。だが、その前にお前の目を見せてくれ。俺が名付けた、その色を」
エルは臆することなく距離を詰め、アオの銃口を自分の胸に押し当てた。そして、あの日と同じように、泥と火薬で汚れたアオの頬を、白く細い指先で強く掴んだ。
「……ああ、やっぱりそうだ。少しも変わっていない」
エルの顔が、雨に濡れたまま綻ぶ。それは、氷が解けるような、あまりにも悲しい微笑だった。
アオの心臓が、痛いほどの鼓動を刻む。再会の喜びよりも先に、自分たちが置かれた絶望的な状況が頭をよぎる。アオの所属する組織は、裏切りを許さない。そしてエルの組織は、今まさにアオの組織と血みどろの抗争を繰り広げているのだ。
「どうして……どうしてこんなところに」
「お前を探していたんだ、アオ。ずっと、この地獄からお前を連れ出すために」
ついにアオは手のひらの銃を手放す。そして、鉄の塊の代わりに自らの首元から何かを引き出した。雨に打たれて輝く、ボロボロの布に包まれた「石」。あの日、トラックの荷台から投げ渡されたお守りだった。
「片時も離さなかった。エルが生きていると信じるための、唯一の光だったから」
エルの唇が、アオの震える唇に重なった。
それは再会を祝すキスではなく、地獄の底で再び結ばれる「共犯者」の契約だった。鉄の味と雨の冷たさが混ざり合う中、アオは自分がもう、この男を殺すことも、この男なしで生きることもできないことを悟った。
互いのの胸の鼓動が、雨の音をかき消す。
二人は廃墟の影で、互いの体温を確かめ合うように貪り合った。組織の追っ手、抗争、迫りくる死――それらすべてを束の間だけ忘れるために。
「アオ、聞いてくれ」
行為の後、エルはアオの青い瞳をじっと見つめ、熱のこもった声で囁いた。
「一度は失敗したが、今度こそ約束を叶える。二人で普通の人間になろう。名前も、過去も、すべて捨てて」
エルの瞳に宿る決意は、あまりにも強固で、そして危うかった。
アオはただ、エルの背中に腕を回し、その細い体を壊しそうなほど強く抱きしめることしかできなかった。
「エル……僕は、君のためなら何にでもなる」
それが、破滅への扉を開く言葉だとも知らずに。
あの日、雨の中で引き裂かれた「アオ」という名は、もはや彼を縛る温かな鎖ではない。暗殺者として標的を仕留める際、相手が最後に目にする死神の瞳――その色の名として、裏社会に冷たく響くだけの記号となっていた。
次のターゲットは、新興組織『エデン』の若き幹部。
組織から渡された写真には、冷徹な美貌を持つ男が写っていた。しかし、写真に写る男を見ても何の感情も湧くことはない。アオにとって、他社の命を奪うことに微塵の抵抗もなくなっていた。過去の記憶は都合よく風化され、ただ「自分を捨てた世界」への憎しみだけを純化させていた。
土砂降りの廃港。錆びついたコンテナが並ぶ迷路のような一角で、アオは獲物を追い詰めた。
「動くな」
低く、抑揚のない声。アオの構えた銃口は、男の背中に寸分の狂いもなく向けられている。
男はゆっくりと両手を上げた。雨に濡れた黒いコートが、夜の闇に溶け込んでいる。
「……殺し屋か。どこの手の者だ」
男が振り返る。その瞬間、アオの指が凍りついた。
街の灯を反射して光る、鋭く、それでいて深い森のような静謐さを湛えた眼差し。写真で見るよりもずっと、その男の瞳はアオの記憶の底に眠る「神」と同じ光を宿していた。
「……エル?」
無意識に、喉の奥から絞り出した声。
男――エルの眉が、かすかに動いた。彼は銃口を向けられたまま、一歩、アオの方へ足を踏み出す。
「その呼び名……まさか、お前」
エルの声が震えている。アオは動揺を隠そうと銃を握り直すが、照準が定まらない。
「来るな! 撃つぞ!」
「撃てばいい。だが、その前にお前の目を見せてくれ。俺が名付けた、その色を」
エルは臆することなく距離を詰め、アオの銃口を自分の胸に押し当てた。そして、あの日と同じように、泥と火薬で汚れたアオの頬を、白く細い指先で強く掴んだ。
「……ああ、やっぱりそうだ。少しも変わっていない」
エルの顔が、雨に濡れたまま綻ぶ。それは、氷が解けるような、あまりにも悲しい微笑だった。
アオの心臓が、痛いほどの鼓動を刻む。再会の喜びよりも先に、自分たちが置かれた絶望的な状況が頭をよぎる。アオの所属する組織は、裏切りを許さない。そしてエルの組織は、今まさにアオの組織と血みどろの抗争を繰り広げているのだ。
「どうして……どうしてこんなところに」
「お前を探していたんだ、アオ。ずっと、この地獄からお前を連れ出すために」
ついにアオは手のひらの銃を手放す。そして、鉄の塊の代わりに自らの首元から何かを引き出した。雨に打たれて輝く、ボロボロの布に包まれた「石」。あの日、トラックの荷台から投げ渡されたお守りだった。
「片時も離さなかった。エルが生きていると信じるための、唯一の光だったから」
エルの唇が、アオの震える唇に重なった。
それは再会を祝すキスではなく、地獄の底で再び結ばれる「共犯者」の契約だった。鉄の味と雨の冷たさが混ざり合う中、アオは自分がもう、この男を殺すことも、この男なしで生きることもできないことを悟った。
互いのの胸の鼓動が、雨の音をかき消す。
二人は廃墟の影で、互いの体温を確かめ合うように貪り合った。組織の追っ手、抗争、迫りくる死――それらすべてを束の間だけ忘れるために。
「アオ、聞いてくれ」
行為の後、エルはアオの青い瞳をじっと見つめ、熱のこもった声で囁いた。
「一度は失敗したが、今度こそ約束を叶える。二人で普通の人間になろう。名前も、過去も、すべて捨てて」
エルの瞳に宿る決意は、あまりにも強固で、そして危うかった。
アオはただ、エルの背中に腕を回し、その細い体を壊しそうなほど強く抱きしめることしかできなかった。
「エル……僕は、君のためなら何にでもなる」
それが、破滅への扉を開く言葉だとも知らずに。
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