ハードモードすぎる聖女に転生しました。さっさと引退したいので戦争終わらせます。

ひゅっげ

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第一章 聖女爆誕

2.聖女が目覚めて

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 「しっろ」

 起き抜けの第一声である。右も左も上も下も、横たわっているベッド、目に映る全てが、寸分の汚れを許さないと言わんばかりに白い。
 起き上がって明るい部屋を見渡すと、奥の方に観音開きのいかにも重そうなドア、暖炉にソファ、机や花や彫刻などの装飾が当たり前のようにそこに配置されていた。全体的にロココ調なインテリアは、どう見ても私の住んでいた1DKではない。
 大きなアーチ状の窓の向こうで、薄い青空のなか、鳥がピチピチと鳴いている。

 ……なるほど。これは転生決定だな。何度もこの手の話を読んできたんだ。予備知識は十分なぐらいに持っている。まさか、本当にそんなことがあるなんて思っても見なかったし、自分の身に降りかかるなんぞ青天の霹靂もいいとこだ。
 
 頭を抱えて項垂れると、さらりとかけ布の上に白金の糸がいく本も束になって垂れた。それを摘んでよく観察すると、それは髪の毛だった。誰の??

 「……私のだ」

 かすれた声が、自分のものとは思えなかった。柔らかく、落ち着いた声。
 バサりとかけ布を抜け出て、薄衣のナイトガウンを手繰り寄せつつベットから降りると、裸足のまま冷たいタイル張りの床を早足で歩き回り、大理石の壁に掛けられた、大きな楕円形の姿見を両の手で鷲掴む。その鏡の中に映る人物を見て顎が外れそうになる。
 そこに映っていたのは――見知らぬ、息を呑むような美しい女だった。

 透き通るような白い肌、まるで絹糸をほぐしたようなプラチナブロンドの長い髪が肩から背中にかけて流れ落ちている。整いすぎた輪郭、しなやかで高貴な首筋。
 そして何より目が、金色に輝いていた。
 琥珀とも、炎とも違う、どこか神秘的な光を宿した黄金の瞳。まるで魔法にかけられたかのような、非現実的な色だった。

 「私じゃない……」

 手を伸ばして、鏡に触れてみる。冷たい感触が、夢ではないことを告げてくる。鏡の中の美女も、私の動きにぴたりと合わせて手を動かした。

 頭では理解していた。それでもこれは、あまりにもーー。
 どこか現実離れした美貌の“わたし”を、鏡の中に見つめたまま、しばらく動けずにいた。
 
 
 そのままふらふらと、部屋の端にある大きなアーチ窓ーーいや扉に手をかけた。ドアノブには繊細な装飾が施され、中央にはよく見ると花と鳥を組み合わせた紋章のような模様が刻まれている。

 それは軽い音とともに開き、その先は広いバルコニーだった。

 バルコニーにはまばゆい朝の光がふりそそぎ、広がる空は薄い金に染まりまるで祝福の光を降らせているかのようだった。風はやさしく香りを運んでくる。甘く、清らかで、どこか懐かしい匂い。
 そして目の前に広がっていたのは、まるで絵本の中の王宮庭園だった。滑らかな大理石の階段が何段にも渡って続き、見たことのない白い花が咲き乱れるテラスガーデンがいくつも連なっている。噴水の水は光を反射してきらめき、遠くの木立には白い大きな鳥たちが、まるで幻のように佇んでいた。

 花壇の間には小道が走り、その向こうには大理石のアーチがいくつも並ぶ回廊、さらにその奥には青と白の塔が空へ向かって伸びている。
 遠くの空には、浮かぶ……島?いや、浮遊しているのは、大きな船のようにも見える。空を飛ぶ舟? いや、飛行船か? ……いや待って、それすらもおかしい。

 「……すごい……….」

 見たこともない世界。けれど、何故だろう――この光、この風、この庭園の香りに、心のどこかが震えるほど懐かしさを覚える。

 「この体が、懐かしがってる?」

 それって一体どういう……。違和感に次ぐ違和感に、頭はパンク寸前だった。
 けれどそれよりもまず、現実の感触が強すぎて、目の前の光景から目を離せなかった。
 そして胸の奥からふつふつと湧き上がるのは、好奇心よりも絶望だった。

 夢じゃ、ないよね……。

 そう思いながら何度まばたきしても、目の前の庭園は消えなかった。

 綺麗だった。信じられないくらいに。朝の光に濡れた花々も、風にたゆたう噴水の音も。空には鳥が羽ばたき、遠くには白い塔が並んでいる。現実ではありえない光景。けれど、それが今の“現実”だとしたら。

 「勘弁してよ……。」

 呟いた声は、まるで誰か他人のものみたいだった。
 まだ慣れない、柔らかいこの声。白い指。絹のような髪。本当にわたしだなんて、まだ信じきれない。

 仕事……、どうなってるんだろう。

 小さな会社だけど、人手が足りなくてみんなギリギリで回してた。上司が急に抜けて、ようやく任されたプロジェクトだったのに。「やっと軌道に乗ってきましたね」って言ってくれた後輩。あの子、今ひとりで対応してるんだろうか。
 取引先に出す予定だった資料、私のローカルにしか入ってなかったはず。
 連絡がつかなくて、混乱して、迷惑かけて……。

 ああ、最悪、私のせいで契約、飛んでるかもしれない。

 考えたくなくて、でも止められなくて胸がきゅうっと苦しくなった。
 当たり前だ。ほんの昨日まで仕事のことで頭がいっぱいだったんだから。

 友達も、メッセージを未読のままで放ってしまっているはずだ。
 来月の旅行、楽しみにしてたのに。
 両親も……連絡がつかなくて、心配してるに決まってる。社会人になってからあまり帰れなくて、「今度はいつ帰ってくるの」って言ってたばっかりだったのに。

 突然こんなところに連れてこられて、それだけでも十分、現実が崩れるような出来事なのに。
 何も伝えられずに、すべてを残してきてしまった。それが、どうしようもなく、つらい。

 この世界は美しくて、どこか心が落ち着くような空気をしているけれど。
 それでもわたしの“生活”は、向こうにあった。

 ここで何をすればいいのか、何を望まれているのかもわからない。
 ただ、残してきた日々のことだけが、じわじわと心にしみてくる。

 ――どうか、せめて誰かが私の不在を「行方不明」で片付けずに、
 「きっと、どこかで生きてる」って信じてくれていますように。そんなことを今さら願ったって、仕方ないのに。
 

 バルコニーに吹く風が少し冷たくなった気がして、私はそっと部屋の中へ戻った。心が落ち着いたわけじゃない。ただ、立っているのがつらくなっただけ。

 美しいレースのカーテンが揺れる室内には、まだ誰の気配もない。重厚な家具、飾り棚、ふわふわの絨毯、そして中央に置かれたベッド。すべてが整いすぎていて、逆に不安を煽る。

 ……こんな部屋に住む人間じゃなかったのに。

 ゆっくりとベッドの縁に腰を下ろしたそのときだった。
 コンコン……と、扉を軽く叩く音がした。

 私は反射的に振り返った。音は控えめだったけれど、確かにドアの向こうに誰かがいる。

 「……失礼いたします。朝の支度に参りました」

 澄んだ女性の声。すっと背筋の通った、訓練された響き。
 どう返事をすればいいのかわからず、思わず言葉に詰まっていると、返事を待たず扉が静かに開いた。

 現れたのは、生成りのゆったりとしたドレスーーインフィニティドレスというやつだろうかーーを着こなした、若い女性だった。まだ二十代半ばくらいだろうか。髪は栗色で、後ろでまとめられている。無駄のない動きで一礼し、わたしの目をしっかりと見て微笑んだ。

 「おはようございます聖女様。ご気分はいかがでしょうか」

 ――聖女様。

 まただ。この世界での私に対する呼び方。まるで私がこの部屋にふさわしい人物だと信じて疑わないような、自然で揺るがない口調。
 複雑な心情で黙っていると、彼女は少しだけ首を傾げてから、慎重な距離感で近づいてきた。まるで壊れものを扱うように静かに、けれど迷いなく。

 「体調が優れないようであれば、お薬をお持ちいたします。朝食は、先に湯浴みを済ませてからお運びするよう、厨房に手配済みでございます」

 完璧な段取り。迷いも戸惑いもない。彼女はこういう仕事に慣れているようだった。

 でも、私のにとっては何もかもが異常で、現実離れしていて、どう反応すればいいのかわからなかった。

 「……あなたは……その……」

 どう聞けばいい? 名前? 役割? この世界の常識?
 彼女は察したように、柔らかく微笑んだ。

 「わたくし、ノエルと申します。今後はお傍にて、身の回りの世話をさせていただきます」

 深い礼。儀式のように丁寧で、慎重な所作。

 「……あの……頭、上げてもらっていいですか」

 そう言うと、ノエルさんはきょとんと目を見開いた。少しの戸惑いのあと、表情を柔らかく整えて、ゆっくりと表を上げた。

 「申し訳ございません。まだ本調子ではないご様子と伺いましたので、無理のないよう、私がすべて支度を整えさせていただきます」

 「本調子」――それは、私が“本来の聖女として目覚めていない”という意味なのか、それとも“魂が入れ替わったせい”なのか。何も知らされていないのに、まわりの人間だけが暗黙の前提を共有しているようで、言いようのない不安が押し寄せる。

 ノエルさんはその不安を読み取ったのか、少しだけ声の調子を緩めた。

 「……ご不安でしょう。何もわからぬまま、突然このような場所にお連れされて」

 彼女の口ぶりは、“それが当然のこととして起きる世界”のものだった。つまり、私が「選ばれて来た存在」だという認識が、既に前提になっている。

 「この国は、聖女様のご加護を必要としております。ですが……どうか、急かされることなく、まずはお体をお労りください。お部屋も、お食事も、お召し物も、ご不安のないようすべて整えてございます」

 彼女の言葉は丁寧で、理知的で、威圧感はない。けれど、私の心の中では警報のようなものが鳴り響いていた。

 “聖女として扱われている”という現実。
 “ここで果たすべき役割がある”という期待。
 そして、“わたし自身がそれを否定できない状況”。

 「……ありがとうございます。色々と……助かります」

 そう口に出すと、ほんの少しだけ気が楽になった。ノエルさんは再び微笑んで、一歩、近づく。

 「それでは、まずはお湯の準備を。ご気分が優れないようでしたら、お香の種類を変えることも可能です。聖女様のお好みを、少しずつ教えていただければ」

 「……あの。ノエルさん」

 気づけば、呼び止めていた。

 「はい、聖女様」
 「私は……まだ、この状況を飲み込めていません。だから……」

 言葉が途中で詰まり、喉の奥が痛んだ。彼女は黙って私の言葉を待っていた。
 その沈黙が妙にあたたい。

 「……だから、ちゃんと考える時間をもらえると、ありがたいです」

 ノエルさんは、目を伏せ、深く頷いた。

 「もちろんでございます。聖女様のご意思が、すべての優先でございます。どうか……心安らかにお過ごしいただけますように」

 この世界で、最初に交わした本当の言葉。
彼女はふわりとした微笑みを浮かべて、深く一礼した。
 でも、私はその言葉の意味さえ、まだ十分に理解できていなかった。
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