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執行猶予編
人形は残酷な夢を見た-17 ◆
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ザックリと皮膚の切れる感触にウッと呻き声を漏らすが、不思議と痛みはない。
血が流れていく生暖かさも感じるが、意識が遠のく気配もない。
あれ?死ぬってこんなもんか?
あ、もしかして痛みを感じる間もなく絶命したのか?
と、ゆっくり目を開ける。
「・・・・ぇ?」
目の前の光景に恭華が目を疑った。
「お、お前何して・・・・なん、で?」
喉元に刺したはずのナイフは、先端だけがチクリと恭華の喉に刺さり、針で指を刺してしまったような血玉を浮かばせていた。
その勢いを止めたのは紛れもなくナイフが突き刺さり貫通しているキツネの手だ。
ボタボタ、いやダラダラと鮮血を流し、貫通してなお、その手は意志を持ち、ナイフの柄を止めていた。
驚いた恭華がナイフを手から放すと、キツネがスクッと立ち上がる。
掌にはナイフが貫通したままだ。
元々そういう作りなのではないかと疑うほどに常に口元には笑みが浮かんでいるが、今はそれがない。
まるで能面。
背中にゾクリと寒気を感じるどころではない。
おさまることのない悪寒は歯をガチガチと言わせ、恭華の顔色も表情も唇の色も動きも、言葉でさえ、あっさりと奪っていった。
声が出ない。瞬きができない。息が吸えない。廃墟で感じた恐怖の比ではない。
今ここに生きていることを全身で後悔させられる。
ハアハアと酸素は漏れていくが、吸い込めるものがない。
まるで密封され真空パックに詰め込まれた魚のようにパクパクと喘ぐ。
何か言わなくては・・・そんな思考さえも奪われ、どこまでもソファに沈み込んでいくように体が重い。
この状態に陥ってからまだたったの数秒。
だが永遠のように長く感じる。
立っているだけで威圧感のあるキツネから滴る血が、スローモーションで落ちていくように見える。
その水滴が織りなす波紋さえはっきり、ゆっくり目に見える。
「キ、」
多分キツネと声を掛けたかったのだ。
だが、すべての音が声となり言葉を形成する前に、腹部にトラックが激突したような激しい打撃を受けた。
『ドッ、メキッ』という音は辛うじて恭華の耳に入り、そして声を漏らすこともなくドサッと倒れていった。
「まったく・・・困りますよ、想定外の行動をされると。貴方の命は貴方の物ではないのですから。人の玩具に手を出すなんて、たとえ本人でも許しませんよ?」
危うく加減を忘れて力の限り殴り飛ばしそうになった。
そんなことをしたら顔面は粉々に粉砕し、原型を留めないどころか、一撃で殺してしまう。
反射で出そうだった拳をなんとか踏みとどめ、恭華の腹に一撃打ち込んだ。骨が数本折れた感覚がしたが、内臓までは破壊していないはずだ。
「悪い子です。結局足ではありませんが骨折れてしまいましたね」
やれやれと恭華を見下ろし、掌に刺さったナイフを無表情で抜く。一層流血を激しくさせるが、キツネの表情は変わらない。
「血なんて流したのはいつぶりでしょうか?やはり恭華さんは大物ですね」
ぐったりと横たわる恭華を抱えキツネが寝室へと姿を消した。
「痛っ!!」
恭華を覚醒させたのは朝日の光ではない。鶏の声でもない。
腹部に感じた強烈な痛みだった。
フカフカと心地よいベッドで、今日は誰の家だっただろうかと考えながら、隣の女を抱きしめようと寝返りを打とうとした時、そいつはやってきた。
寝覚めから涙を流せる、そんな痛みだった。
痛みに苦しんで唸っていると、恭華のすぐ脇でモゾモゾと何かが動いた。
「・・・っ!!」
声を上げようとしたが、その行為さえ、腹に激痛を呼び起こす。
「おはようございます、恭華さん。昨日はぐっすり、いえ、ぐったり眠れたみたいで何よりです」
脇からキツネが眠そう・・・いや、いつもと同じく細い眼をした顔を覗かせた。
「うわあぁっ、キツネ!?イタっ・・・。昨日拉致られたんだっけ?・・・そういえば料理食べて、酒飲んで・・・・どうしたんだっけ?あれ、何かあったような・・・んー?」
腹部が相当痛いらしく、抱えながらゆっくり静かに喋る。
「嫌ですねぇ、恭華さん覚えていらっしゃらないんですか?お酒を飲み過ぎて寝ちゃったんですよ?」
「あれ?そうだったか?・・・どうでもいいけど、何でこんな腹痛いんだ?」
いまひとつ思い出せない。そんなに酒を飲んだだろうか?だが疑いの眼差しをキツネに向けたところで、キツネの目からは何も読み取れない。それより細すぎて目が見えない。
「お酒を飲み過ぎて吐いて暴れて、手に負えなかったので、僕が強制的に黙らせた結果ですよ」
フフッとキツネが笑う。
「え?う、嘘!?・・・わりー、ホント何も覚えてない・・・にしても酷くないか?腹スゲー痛いんですけど・・・折れてんじゃないか?」
キツネから聞かされる事実に衝撃を受け、思わず声を荒げそうになるが、腹部の痛みから呻く結果となる。
「ああ、分かります?三本折れちゃいました。フフッ、腕と合わせたら四本ですね❤」
いつもの笑みを浮かべ悠長に嬉しそうに話すキツネからは恭華に対する罪の意識は全く感じられない。
「いや、『フフッ』じゃねーし・・・うっ・・・き、気持ち悪っ・・・」
興奮を抑えながらキツネと会話しているうちに、急に吐き気に襲われ、慌てて口元を押さえる。
「はいはい、今トイレにお連れしますから、我慢してくださいね」
ひょいっと恭華を抱え上げ、寝室内のトイレへと運ぶ。
ベッドから抱え上げられ、初めて気が付いたが、全裸だ。恭華もキツネも。
「な、なんで・・・裸?」
まさか、と恭華の顔が青ざめる。
「いえ、ヤってませんよ、昨日は」
本当はもちろん恭華で遊ぶ気でいた。たっぷりゆっくりじっくりといたぶるつもりでここまで連れてきたのだから。
だが自らの喉元を貫こうとした恭華を目の当たりにし、キツネは自分で思っていたよりも強い衝撃を受けていたようだ。
昨日は意識を失っている恭華を見て、手を出す気になれなかった。
トイレで恭華がゲロゲロと吐いている間、背中をさする。
「っかしいなー・・・俺酒強いハズなんだけど・・・うっ!」
発言おかしいだろうという苦言を吐く奴がいないのをいいことに平然と呟く。
吐き気が治まらず、吐瀉物が胃液しか出なくなってもなお、吐き続ける。
そうであろう。恭華のこの吐き気は決して二日酔いからくるものではなく、キツネに与えられた打撃により、消化器系が損傷した結果だ。
それと、脳だ。
「仕方ありませんよ、あれだけ飲めば。今日は一日寝ていてください」
もちろん二日酔いなどではない。だがキツネは何でもないことのように飄々と嘘を突き通す。
少し落ち着いた恭華を抱え上げ、ベッドへと運ぶ。
「あれ?キツネ、その手どうしたんだ?」
恭華を抱えているキツネの手に分厚く包帯が巻かれているのを、恭華が目敏く見つけた。
「おや、それも覚えていらっしゃらないのですか?」
「え?」
キツネの言葉に急に不安が募る。
「恭華さんが暴れてナイフを振り回したのですよ。それを止めた時に少々・・・」
布団を恭華にかけてやるが、その際も恭華の視線はキツネの手に釘付けだ。
「お、俺がやったのか?・・・・それ・・・」
キツネの言葉に何の疑いも持たない恭華の顔が、途端に泣きそうに歪んでいく。
酒に溺れて暴力?まさかそんな・・・それもナイフを振り回して暴れるなど・・・。
そんなに酒癖が悪いなんて・・・まさか今までも?いや意識を失う程に、記憶を無くす程に飲んだことなどない。
だが人を傷つけてしまうなど・・・。
「キ、キツネ・・・ご、ごめんなさい。本当に。俺どうしたらいいか・・・」
包帯が巻かれているキツネの手を取り、少しでも痛みが和らぐようにと、さする。
「・・・いえ、嘘です。ターキーを切り損ねて切ってしまっただけですよ」
「ほ、本当かよ?本当に俺がやったんじゃないのかよ?」
本当に短い付き合いであるが、キツネの嗜虐性は決して嘘で見る相手の反応ではない。
ここで嘘を吐く理由がキツネにはないと訝しんでいるのだ。
「フフッ、まさか僕が恭華さんのことを庇っているなんて思っていますか?どうして僕が恭華さんなんかを庇わなきゃならないんですかね」
ニヤッとキツネが底意地の悪そうな顔で笑う。
「ああ、そうだなっ!!はいはい、そうですね!」
そうだった、こいつが恭華に気を遣って嘘を吐くなど、嘘で相手を暴虐することよりも有り得ないことだった。チッと軽く舌を打ち、プイッとそっぽを向く。
「それより恭華さん、頭痛はしますか?」
いつも浮かべている笑みを消し、真顔で恭華にズイッと迫る。
「え?いや、気持ち悪いだけ・・・あと腹が痛い!めちゃくちゃ痛い!スゲーあざになってただろ!」
恭華の訴え通り、恭華の鳩尾にはくっきり拳の痕が残っているのだ。五本指の形まで見える程にはっきりと。
キッと鋭くキツネを睨みつける。
「そうですか、では静かに寝ていてくださいね。僕は仕事に出かけます。その間、稲荷が家事をしに来ますから」
ニヤリと笑っただけで、恭華のねめつけをあっさりと流す。
「稲荷・・・」
そうか、稲荷が来てくれるのかと、ホッと胸をなで下ろす。
稲荷が相手なら何の気兼ねもなく会話ができる。
何の恐怖も感じない。
それどころか、逃げられるタイミングを計れるチャンスでもあるのではないだろうか。
恭華が目論んでいる間に、手際よく、ベッドメイクを終わらせ、キツネ自身服を身にまとっていく。
今日は通常のサラリーマンが身に付けるようなスーツのようだ。だがきっとそれも高級品なのだろう。どこか品が漂い、紳士的な匂いがする。
キツネ本人に全く紳士的要素はないのだが。
「ではイイコにしていてくださいね❤行ってきます」
キツネの言葉に一瞬面食らった恭華が、キョトンとするがすぐに笑みを浮かべる。
「ふふっ、行ってらっしゃい」
恭華が照れくさそうに軽く微笑んで、若干ではあるが嬉しそうに見送る。
意表を突かれたキツネは一瞬表情を止めたが、すぐににんまりと笑みを深くし、出ていった。
「行ってきます、行ってらっしゃい、だって・・・・」
思わずクスクスと笑いが漏れてしまう。
嬉しいのだ。それがたとえ極悪非道の殺人鬼だとしても我慢できるくらいに。誰かに行ってきますと言われることも、行ってらっしゃいと言える誰かがいることも久しぶりだ。
幸せな気分に包まれながらもフワッとした布団の軽さに現状を重ね、地に足がついていない状況に不安を残す。
仕事、すなわちそれは人を殺しに行くということだ。そんな決して日常ではない生活を生業とし、日常化している殺人鬼のサンクチュアリなのだ。
体全体を覆うこのベッドのようにどこまでもどこまでも染み込んでいってしまうのではないかと恐怖しながらも、恭華は目を瞑る。
「あーあ、これから俺どうなんだろ・・・」
シーンという静寂が耳に入ってくるほどに静かな部屋に響く恭華の溜息は、やがて寝息へと変わっていった。
血が流れていく生暖かさも感じるが、意識が遠のく気配もない。
あれ?死ぬってこんなもんか?
あ、もしかして痛みを感じる間もなく絶命したのか?
と、ゆっくり目を開ける。
「・・・・ぇ?」
目の前の光景に恭華が目を疑った。
「お、お前何して・・・・なん、で?」
喉元に刺したはずのナイフは、先端だけがチクリと恭華の喉に刺さり、針で指を刺してしまったような血玉を浮かばせていた。
その勢いを止めたのは紛れもなくナイフが突き刺さり貫通しているキツネの手だ。
ボタボタ、いやダラダラと鮮血を流し、貫通してなお、その手は意志を持ち、ナイフの柄を止めていた。
驚いた恭華がナイフを手から放すと、キツネがスクッと立ち上がる。
掌にはナイフが貫通したままだ。
元々そういう作りなのではないかと疑うほどに常に口元には笑みが浮かんでいるが、今はそれがない。
まるで能面。
背中にゾクリと寒気を感じるどころではない。
おさまることのない悪寒は歯をガチガチと言わせ、恭華の顔色も表情も唇の色も動きも、言葉でさえ、あっさりと奪っていった。
声が出ない。瞬きができない。息が吸えない。廃墟で感じた恐怖の比ではない。
今ここに生きていることを全身で後悔させられる。
ハアハアと酸素は漏れていくが、吸い込めるものがない。
まるで密封され真空パックに詰め込まれた魚のようにパクパクと喘ぐ。
何か言わなくては・・・そんな思考さえも奪われ、どこまでもソファに沈み込んでいくように体が重い。
この状態に陥ってからまだたったの数秒。
だが永遠のように長く感じる。
立っているだけで威圧感のあるキツネから滴る血が、スローモーションで落ちていくように見える。
その水滴が織りなす波紋さえはっきり、ゆっくり目に見える。
「キ、」
多分キツネと声を掛けたかったのだ。
だが、すべての音が声となり言葉を形成する前に、腹部にトラックが激突したような激しい打撃を受けた。
『ドッ、メキッ』という音は辛うじて恭華の耳に入り、そして声を漏らすこともなくドサッと倒れていった。
「まったく・・・困りますよ、想定外の行動をされると。貴方の命は貴方の物ではないのですから。人の玩具に手を出すなんて、たとえ本人でも許しませんよ?」
危うく加減を忘れて力の限り殴り飛ばしそうになった。
そんなことをしたら顔面は粉々に粉砕し、原型を留めないどころか、一撃で殺してしまう。
反射で出そうだった拳をなんとか踏みとどめ、恭華の腹に一撃打ち込んだ。骨が数本折れた感覚がしたが、内臓までは破壊していないはずだ。
「悪い子です。結局足ではありませんが骨折れてしまいましたね」
やれやれと恭華を見下ろし、掌に刺さったナイフを無表情で抜く。一層流血を激しくさせるが、キツネの表情は変わらない。
「血なんて流したのはいつぶりでしょうか?やはり恭華さんは大物ですね」
ぐったりと横たわる恭華を抱えキツネが寝室へと姿を消した。
「痛っ!!」
恭華を覚醒させたのは朝日の光ではない。鶏の声でもない。
腹部に感じた強烈な痛みだった。
フカフカと心地よいベッドで、今日は誰の家だっただろうかと考えながら、隣の女を抱きしめようと寝返りを打とうとした時、そいつはやってきた。
寝覚めから涙を流せる、そんな痛みだった。
痛みに苦しんで唸っていると、恭華のすぐ脇でモゾモゾと何かが動いた。
「・・・っ!!」
声を上げようとしたが、その行為さえ、腹に激痛を呼び起こす。
「おはようございます、恭華さん。昨日はぐっすり、いえ、ぐったり眠れたみたいで何よりです」
脇からキツネが眠そう・・・いや、いつもと同じく細い眼をした顔を覗かせた。
「うわあぁっ、キツネ!?イタっ・・・。昨日拉致られたんだっけ?・・・そういえば料理食べて、酒飲んで・・・・どうしたんだっけ?あれ、何かあったような・・・んー?」
腹部が相当痛いらしく、抱えながらゆっくり静かに喋る。
「嫌ですねぇ、恭華さん覚えていらっしゃらないんですか?お酒を飲み過ぎて寝ちゃったんですよ?」
「あれ?そうだったか?・・・どうでもいいけど、何でこんな腹痛いんだ?」
いまひとつ思い出せない。そんなに酒を飲んだだろうか?だが疑いの眼差しをキツネに向けたところで、キツネの目からは何も読み取れない。それより細すぎて目が見えない。
「お酒を飲み過ぎて吐いて暴れて、手に負えなかったので、僕が強制的に黙らせた結果ですよ」
フフッとキツネが笑う。
「え?う、嘘!?・・・わりー、ホント何も覚えてない・・・にしても酷くないか?腹スゲー痛いんですけど・・・折れてんじゃないか?」
キツネから聞かされる事実に衝撃を受け、思わず声を荒げそうになるが、腹部の痛みから呻く結果となる。
「ああ、分かります?三本折れちゃいました。フフッ、腕と合わせたら四本ですね❤」
いつもの笑みを浮かべ悠長に嬉しそうに話すキツネからは恭華に対する罪の意識は全く感じられない。
「いや、『フフッ』じゃねーし・・・うっ・・・き、気持ち悪っ・・・」
興奮を抑えながらキツネと会話しているうちに、急に吐き気に襲われ、慌てて口元を押さえる。
「はいはい、今トイレにお連れしますから、我慢してくださいね」
ひょいっと恭華を抱え上げ、寝室内のトイレへと運ぶ。
ベッドから抱え上げられ、初めて気が付いたが、全裸だ。恭華もキツネも。
「な、なんで・・・裸?」
まさか、と恭華の顔が青ざめる。
「いえ、ヤってませんよ、昨日は」
本当はもちろん恭華で遊ぶ気でいた。たっぷりゆっくりじっくりといたぶるつもりでここまで連れてきたのだから。
だが自らの喉元を貫こうとした恭華を目の当たりにし、キツネは自分で思っていたよりも強い衝撃を受けていたようだ。
昨日は意識を失っている恭華を見て、手を出す気になれなかった。
トイレで恭華がゲロゲロと吐いている間、背中をさする。
「っかしいなー・・・俺酒強いハズなんだけど・・・うっ!」
発言おかしいだろうという苦言を吐く奴がいないのをいいことに平然と呟く。
吐き気が治まらず、吐瀉物が胃液しか出なくなってもなお、吐き続ける。
そうであろう。恭華のこの吐き気は決して二日酔いからくるものではなく、キツネに与えられた打撃により、消化器系が損傷した結果だ。
それと、脳だ。
「仕方ありませんよ、あれだけ飲めば。今日は一日寝ていてください」
もちろん二日酔いなどではない。だがキツネは何でもないことのように飄々と嘘を突き通す。
少し落ち着いた恭華を抱え上げ、ベッドへと運ぶ。
「あれ?キツネ、その手どうしたんだ?」
恭華を抱えているキツネの手に分厚く包帯が巻かれているのを、恭華が目敏く見つけた。
「おや、それも覚えていらっしゃらないのですか?」
「え?」
キツネの言葉に急に不安が募る。
「恭華さんが暴れてナイフを振り回したのですよ。それを止めた時に少々・・・」
布団を恭華にかけてやるが、その際も恭華の視線はキツネの手に釘付けだ。
「お、俺がやったのか?・・・・それ・・・」
キツネの言葉に何の疑いも持たない恭華の顔が、途端に泣きそうに歪んでいく。
酒に溺れて暴力?まさかそんな・・・それもナイフを振り回して暴れるなど・・・。
そんなに酒癖が悪いなんて・・・まさか今までも?いや意識を失う程に、記憶を無くす程に飲んだことなどない。
だが人を傷つけてしまうなど・・・。
「キ、キツネ・・・ご、ごめんなさい。本当に。俺どうしたらいいか・・・」
包帯が巻かれているキツネの手を取り、少しでも痛みが和らぐようにと、さする。
「・・・いえ、嘘です。ターキーを切り損ねて切ってしまっただけですよ」
「ほ、本当かよ?本当に俺がやったんじゃないのかよ?」
本当に短い付き合いであるが、キツネの嗜虐性は決して嘘で見る相手の反応ではない。
ここで嘘を吐く理由がキツネにはないと訝しんでいるのだ。
「フフッ、まさか僕が恭華さんのことを庇っているなんて思っていますか?どうして僕が恭華さんなんかを庇わなきゃならないんですかね」
ニヤッとキツネが底意地の悪そうな顔で笑う。
「ああ、そうだなっ!!はいはい、そうですね!」
そうだった、こいつが恭華に気を遣って嘘を吐くなど、嘘で相手を暴虐することよりも有り得ないことだった。チッと軽く舌を打ち、プイッとそっぽを向く。
「それより恭華さん、頭痛はしますか?」
いつも浮かべている笑みを消し、真顔で恭華にズイッと迫る。
「え?いや、気持ち悪いだけ・・・あと腹が痛い!めちゃくちゃ痛い!スゲーあざになってただろ!」
恭華の訴え通り、恭華の鳩尾にはくっきり拳の痕が残っているのだ。五本指の形まで見える程にはっきりと。
キッと鋭くキツネを睨みつける。
「そうですか、では静かに寝ていてくださいね。僕は仕事に出かけます。その間、稲荷が家事をしに来ますから」
ニヤリと笑っただけで、恭華のねめつけをあっさりと流す。
「稲荷・・・」
そうか、稲荷が来てくれるのかと、ホッと胸をなで下ろす。
稲荷が相手なら何の気兼ねもなく会話ができる。
何の恐怖も感じない。
それどころか、逃げられるタイミングを計れるチャンスでもあるのではないだろうか。
恭華が目論んでいる間に、手際よく、ベッドメイクを終わらせ、キツネ自身服を身にまとっていく。
今日は通常のサラリーマンが身に付けるようなスーツのようだ。だがきっとそれも高級品なのだろう。どこか品が漂い、紳士的な匂いがする。
キツネ本人に全く紳士的要素はないのだが。
「ではイイコにしていてくださいね❤行ってきます」
キツネの言葉に一瞬面食らった恭華が、キョトンとするがすぐに笑みを浮かべる。
「ふふっ、行ってらっしゃい」
恭華が照れくさそうに軽く微笑んで、若干ではあるが嬉しそうに見送る。
意表を突かれたキツネは一瞬表情を止めたが、すぐににんまりと笑みを深くし、出ていった。
「行ってきます、行ってらっしゃい、だって・・・・」
思わずクスクスと笑いが漏れてしまう。
嬉しいのだ。それがたとえ極悪非道の殺人鬼だとしても我慢できるくらいに。誰かに行ってきますと言われることも、行ってらっしゃいと言える誰かがいることも久しぶりだ。
幸せな気分に包まれながらもフワッとした布団の軽さに現状を重ね、地に足がついていない状況に不安を残す。
仕事、すなわちそれは人を殺しに行くということだ。そんな決して日常ではない生活を生業とし、日常化している殺人鬼のサンクチュアリなのだ。
体全体を覆うこのベッドのようにどこまでもどこまでも染み込んでいってしまうのではないかと恐怖しながらも、恭華は目を瞑る。
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