錬金術師と銀髪の狂戦士

ろんど087

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第2章

旅の始まり(2)

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  ***

 悪夢だった。

 タイトにとってそれは、決して思い出したくない古い、古い、昔の傷痕。
 それを抉るような悪夢。 

 目覚めた時には全身に不愉快な汗を掻いていた。
 頭の上から不自然な紫色の光が降り注いでいるのに気づいて、タイトは顔をしかめた。

(なんだ、この光は?)

 そこで自分がラブ・イン〈月見草〉に宿泊していたことを思い出す。
 紫色のライトはこの部屋の室内灯だった。

 吐き気がする。
 べったりと汗で貼りついた髪が不愉快だった。
 タイトはかれには珍しく、不快感をあらわにした顔で起き上がった。

 時計を見ると、標準時七時を回っている。
 苛立たしげに髪を掻きむしると溜息をつき、それからのろのろとベッドから降りた。

(何て、夢だ)

 まだ、生々しく記憶に残っている夢。
 それは幼い頃の思い出、いや、トラウマであった。

 ――。

 あれはいつ頃だったのか? 
 研究所に行く前だったから十歳にはなっていなかった、と、タイトは思った。
 先の大戦が終わって数年。それでもまだ、反連邦ゲリラと連邦軍が小競り合いを続けていた頃だから、たぶん七、八歳の頃だったのだろう。

 その日、タイトは学校に行くために家を出た。
 もはや名前も顔も憶えていない近所の友人と小高い丘を越える故郷の田舎道を歩いていた時、突然、それは起こった。 

 爆発音。
 続いて兇々しい機械音。

 小高い丘の道から見下ろすと近くの農場で、反連邦ゲリラと思しき男たちが必死に走って行くのが見えた。
 手には武器らしきものを携え、ぼろぼろの迷彩服を身に着けている。
 どう贔屓目に見ても正式な軍属ではあり得ない男たちだ。

 タイトと友人は恐怖のあまりその場で凍りついた。
 反連邦ゲリラも連邦軍も、田舎町であるその周辺ではまったく身近なものではなく、それらは大都会にしか存在しないものだと、それまでそんなふうにしか思っていなかったのだ。

 だが、かれらはそこにいた。
 タイトたちが初めて見る武器を持った反連邦ゲリラの数人は、農場を走り抜けるとそのまま行き場を失いその母屋に走りこんだ。

 タイトは戦慄した。
 なぜならそこは……。

「おねえちゃん!」

 かれは思わず叫んでいた。
 おねえちゃん。
 トーコおねえちゃん。
 いつもかれと遊んでくれていた幼馴染の彼女。
 その農場は彼女の家だった。

「タイトくん!」

 背後で自分を呼ぶ声を聞いた。
 一緒に学校へ向かっていた名前も忘れてしまった友人。
 かれの声だったが、タイトはその声を無視した。タイトにとってはその友人よりもトーコおねえちゃんの方が大切だったのだ。

 小高い丘から農場に続く道をタイトは全速力で駆け下りた。
 まだ七、八歳の子供に出来る精一杯の力で走った。
 トーコおねえちゃんを助けなければ、と、幼いながらに使命感に燃えて。

 銃声がした。
 二発、三発。
 心臓を冷たい手でぎゅっと掴まれた、と、そんな気がしたが足は止まらなかった。

「おねえちゃん、トーコおねえちゃん!」

 我知らず叫んでいた。
 農場の母屋の扉が開いた。
 男が立っていた。後から数人の男がそれに続いて出てくる。
 最初の男は人形のようなものを抱えていた。
 それは。

 トーコおねえちゃん!

「来やがった! 連邦軍だ!」

 男たちの中のひとりが叫んだ。
 農場の緑の牧草地を数体の機動メカが進んで来るのが見えた。
 それが重機動メカだと云うことは、もっとずっと大きくなってから知ったことだが、そのときのタイトにはそれは不吉な怪物に見えた。

「おねえちゃん!」

 もう一度叫んだ。
 まだ距離があった。
 その声が聞こえていないであろうことはかれにも理解出来ていたが、叫ばずにはいられなかった。

 タイトが農場に辿り着くよりも前に、連邦軍の数台の重機動メカは農場の母屋と反連邦ゲリラの数人をとり囲んでいた。
 反連邦ゲリラは人質の娘、トーコおねえちゃんを連邦軍に示した。

「近づくな。こいつの命が惜しいなら撤退しろ!」

 そんなようなことを叫んでいた。

 重機動メカは動かなかった。
 代わりにそのハッチが開くと、ばらばらと十数人の銃を携えた兵士が降りてきて、ぴたり、とその銃口をゲリラたちに向けた。

「聞いてるのか? こいつの命が惜しければ……」

 繰り返す。
 しかし。

 連邦軍を指揮していると思われる男が、一歩進み出た。
 将校だった。眼帯をした隻眼の将校だった。

「きさまらは包囲されている。あきらめろ」

 凛とした声。
 その声は農場に向かって必死に駆けているタイトの耳にも届いていた。

「黙れ! 近寄るな。この連邦の犬め!」

「私が犬なら、きさまらはゴミ溜めに蠢くゴミ虫だろう?」

「云うな、犬め! 我らは連邦を否定する。弱い民衆のために今の連邦を倒して、民衆の手による新しい平和な世界を作るのだ!」

 眼帯の将校が、くっくっ、と、笑う。

「弱い民衆を人質にとって云う台詞か?」

 ゲリラの男が唇を噛んだ。

「所詮、血塗られた旅路なのだよ。きさまらも我々も――」

 将校がおかしそうに云う。

「やれ!」

 かれは部下に命じた。

「は? しかし、ランベール中尉、人質が……」

 部下は銃を構えたまま、驚いたように眼帯の将校、ランベール中尉、と呼ばれたかれに向かって云った。
 だが、中尉はそれにゆっくりと首を振った。

「大義は我々にある。大義のためには犠牲も必要だ」

「し、しかし……」

「それに現代の医療は進んでいる。数発の銃弾を受けたところで簡単には死なない。バイオ技術を使えばすぐに体は元に戻る」

 そう冷たく宣言した。

 タイトはその言葉に足を止めた。
 恐怖が全身を走り抜けた。
 現代の医療? 
 バイオ技術? 
 体が元に戻る? 
 だから……撃て、と?

 兵士は頷いた。
 その後のことは、よく憶えてはいない。
 次にタイトが憶えているのは、そこに転がっている数人のゲリラたちの骸と、血まみれで倒れていたトーコおねえちゃんの姿。
 そして、そのおねえちゃんをゆっくりと抱き上げる兵士のひとり。

 中尉と呼ばれた男は無感動な隻眼でおねえちゃんを見ていた。
 そこにはおねえちゃんに対するどんな感情も見て取れなかった。
 少なくとも幼かったタイト少年には――。



 次にかれがトーコおねえちゃんに会ったのはタイトが連邦科学局に向かう日だった。
 かれの天才ぶりが連邦政府に伝わり、科学局が白羽の矢を立ててかれをスカウトにやって来たのだった。

 あの事件から二年がたっていた。
 少し前に峠道の崖崩れの事故で両親を失い、そのままであればどこかの施設に入れられる予定であったかれにとっては、それは思わぬ僥倖であると云えた。

 その日、村中が歓喜に沸き立っていた。
 科学局に迎えられるタイトは村の誇りだった。
 不幸は続かない、と云う村人がよく使うその言葉を、かれらは何度も口にしてタイトの幸福を喜んだ。
 その壮行パレードを見送る人々の中にトーコおねえちゃんはいた。
 二年間の治療とリハビリを終えて、村に戻って来たのだった。

 彼女はかつて可愛がっていた弟のようなタイトに、おめでとう、と云った。

 車椅子に座って――。

 彼女の下半身は二年間の治療の甲斐もなく、二度と動くことはなかった。
 あの連邦軍の銃弾が彼女の背骨を粉砕し、結果として彼女の下半身は二度と動かなくなった。
 それはあの将校が口にした「現代の医療」でもどうにもならないことであった。
 彼女はその対価として一生生活出来るだけの保障を手にしていたが、それは彼女にとっては一生動かない下半身を、一生歩くことの出来ないと云う事実を、無慈悲に突きつけられたと云う以上のものではなかった。

 そんな彼女の仇とも云える連邦に迎えられる自分。
 タイトはそれをどう解釈して良いか、理解することができなかった。

「トーコおねえちゃん」

 ぽつり、と、そう呟くタイトに、トーコおねえちゃんは優しく微笑した。

「タイト、がんばってね」

   ***

 安っぽい紫色の室内灯が照らし出すラブ・イン〈月見草〉の一室。
 そのベッドにぼんやりと腰掛けたタイトは額に手を当てて溜息をついた。

(何故、今頃、こんな夢を見たのか?)
 と、タイトは思った。

 ずっと忘れようとしていた悪夢を。
 悪夢の記憶を。

 かれはベッドに腰掛けたまま髪を掻きむしる。
 苛立っていた。
 これまでずっと感情を押し殺してその悪夢を忘れようとして来たと云うのに。

 この旅のせいだろう、と、かれは理解していた。
 この旅を決意したことで悪夢の記憶が蘇ってしまったのだ、と。
 それは思わず笑ってしまうほどに皮肉ではあったが――。

 汗に濡れた体が不快だった。
 とりあえずシャワーを浴びてさっぱりしよう、と、思った。
 タイトはバスルームに向かってのろのろと歩き出す。
 重苦しい身体を引きずるようにして――。
 バスルームまでの距離が妙に長く感じられた。
 ようやく辿り着いたところで洗面台に両手をついて、タイトは鏡に映る自分の顔を見た。
 相変わらずの無表情であったが、心なしかやつれているようにも見えた。

「今さら、だな」と、呟く。
 タイトは鏡から目を逸らすと無造作にバス・ルームの扉を開けた。

 湯気が流れ出す。

(ん? なぜ湯気が?)

 夕べシャワーを出しっ放しにして寝てしまったのか? 
 いや、そんな記憶はない。
 そもそも記憶力には自信があるのだ、と、怪訝そうに眉をひそめる。

(では、どうしたのだろう?)

 湯気がゆっくりと晴れて行く。
 そして湯気が晴れるとそこには――シャワーを浴び終わったツグミが目の前に立っていた。

 濡れた銀髪が室内灯にきらきらと輝いている。
 ちょうどバス・ルームから出ようとしていたところらしく右手がバス・ルームの扉に半分伸びていた。
 きょとん、とした顔をしている。
 何が起こったのか、よくわかっていない様子だ。

 タイトは凍りついた。

(まずい。忘れていた。夕べはこの娘と一緒に泊まったのだった)

 記憶力に対する自信がガラガラと音を立てて崩れて行った。

(と、云うよりも、なぜこのタイミングでシャワーを浴びている? ここでおれとこうして遭遇することは、あるいは天文学的な確率なのではないのか?)

 天才らしからぬ思考であった。やはり動揺しているのだ。

 どう行動して良いかわからない。
 奥歯をぎゅっと噛み締めてそのまま視線をツグミに向けているだけ。
 それが大変まずい状態である、と云うことにさえ思い至らない。

 そして、ツグミは――。

 きょとん、とした表情のまま、目の前のタイトをじっと見つめていた。
 かれの貧弱な細い身体を。
 自分の体を隠すことも忘れて茫然とただそこに立ちつくしていた。

 それから。
 じわっ、と目に涙を溜める。
 涙が頬を伝わった。

「あ、あれ? な、何で?」

 ツグミが呟く。
 まずい、と、タイトはさすがにそう思った。
 いかに世間知らずと云い張ろうが、これは云い訳出来ない状況である。

「す、すまない」

 そして今さらながらに目を逸らす。

「シャ、シャワー中とは知らなかった。は、早く服を着ろ」

「服……」

 ツグミが改めて自分の姿を確認する。

 あははは、と笑った。

 泣きながら。

「ぎゃああああああああ!」

 悲鳴。――と同時に彼女の右手の拳が、タイトに炸裂した。
 渾身の右ストレート。

 タイトの身体は宙を舞い、バス・ルームの壁に叩きつけられ、そのまま床に沈んだ。

 それが今朝の不幸な出来事だった――。

 宿のオヤジには、おい、兄ちゃん、あの娘に何をやらかしたんだい? 見事な青アザじゃないか? などと面白そうにからかわれて不愉快極まりなかったが、もともとが自分の失策でもあったので、タイトはそれには何も答えなかった。

 そしてふたりは「とても決まり悪い雰囲気」のままアンクローデ市を後にしたのだった。
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