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第6章 《歪空回廊(トンネル)》抜けて、星海へ
(1)
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そこは……。
直線の何の変哲もないハイウエイであった。
道路の両側には無機質の滑らかな壁が続き、アーチ型の天井には柔らかな光を放つEL灯が規則正しく並んでいる。
ただそれだけの何の変哲もないハイウエイ・トンネルであった。
(これが《歪空回廊》? 何だか思っていたのと違う)
セロリはがっかりしたように唇を尖らせる。
それに気づいた羽衣が片手でセロリの頭を撫でた。
「がっかりしちゃった?」
「え? はあ、まあ。意外と普通ですね。と云うよりも、これでどうやって星海に出るのか、と……。もしかして私は、サンタに騙されて売り飛ばされる可哀想な仔牛なのではないか、と思い始めています」
「まだ通常回廊なのよ。もう少しで《歪空回廊》に出るからね。……ほら、あそこ。見えてきたよ」
セロリが羽衣の示す前方に目を凝らす。
ハイウエイの先に黒い点が見えていた。
それがぐんぐんと近づいてくる。どうやらこのハイウエイ・トンネルの出口らしい。
そして、その向こうは……。
「離脱まで10秒……、9……、8……」
羽衣が秒読みを始めた。
「……、3……、2……、1……、離脱!」
直後――。
コンボイ《赤鼻のトナカイ》は、星海の只中にいた。
「わ~っ!」
思わず、セロリが感嘆の声を上げる。
上も、下も、右も、左も、360度の星の海――。
「す、すごい。せ、星海です……」
いったい、いつの間に、どうやって、惑星上のハイウエイからこんな場所に出て来たのか皆目わからない。
しかしそこは確かに、星海――宇宙空間であった。
バック・モニターを見ると背後に今通って来たハイウエイ・トンネルの出口が口を開けているのが見えたが、その向こうにはもちろん道路などはない。
つまり空間にぽっかりと出口が浮かんでいるのである。
その向こうにはただ惑星マグダラの赤茶けた巨大な姿が浮かんでいるだけであり、彼方には双子の月を見ることができた。
前方を見ると巨大な光り輝くリングが等間隔に並んで続いており、その中をグレーの半透明の道路が通っている。
星海の中を続く見えないパイプ。
それが《歪空回廊》なのだ、と、セロリは思った。
思った、のだが……、もちろんそれがどう云うことなのかは理解できない。
(星海の中に道路があるの? いえ、そんなバカな話、聞いたことない。それにいくら私でも星海の広大さは知っている。まさかこんなふうに星と星の間をつなぐことなんて出来る訳はないし、そもそも光で何十年、何百年かかる距離をトンネルで行くなんてあり得るはずがない)
必死で考える。考えても仕方ないのでとりあえず笑ってごまかすことにした。
「へ、へへ、へへへへ……」
羽衣が、ぎょっとして、セロリを見た。
「セロリ、こ、壊れた?」
「壊れてません。ただ理解できないだけです」
それを聞いてサンタが運転席で笑い声を上げた。
「確かに初めてこの光景を見れば訳がわからないだろうけどな。まあ、あとで説明してやるからもう少し待ってろ。羽衣、出力を上げるからモニタをよくチェックしておいてくれ。マミのお手並み拝見だな」
サンタがアクセル・ペダルを踏み込むとHタービンの音が高くなり、同時に後ろから突き飛ばされるような加速感が襲う。
「おおお、は、速いです」
セロリは我知らず隣の羽衣の振袖を握り締めた。
窓の外に目をやると様子が変わっている。
今まで普通の星空だった景色は一変していた。
流れている。
星々が前方から後方に向かって流れ、尾を曳いている。
まるで星海のすべての星々が流れ星になったかのようだ。
星々は、点ではなく、線になって見えていた。
「き、きれい」
星々は進行方向の一点から放射状に尾を曳いた線となって広がっていた。
前方は青色に、後方は赤色に。
「これが《星虹現象》。きれいでしょ? でもあんまり見ていると酔うから注意してね」
「はい。すごいです。これは星船では見られません。……まあ、以前星船に乗ったのはずいぶん前のことなので記憶も曖昧ですが」
「星船でも見えるんだけど、これって加速時の現象だからそのときには星船の乗客はシートベルトをしているし、窓はシールドされていて見ているのはブリッジ乗務員だけだと思うよ」
「と、云うことは貴重な体験ですね」
「ええ。でももう少し速度を上げると見えなくなるわよ。ほら、また少し変わって来たでしょ?」
確かに窓外の景色はまた変わっていた。
先ほどまで前方から後方に流れていた星々が今度はどんどん前方に収束しようとしている。
すでにコンボイの周辺は漆黒の闇となっている。
やがて。
「亜光速区間終了」
羽衣の声と同時にそれまであんなに美しかった光は、一点に収束して消滅した。
あとには漆黒の闇の中、規則正しく並ぶ輝くリングの連なりと無限に続くように見える無機質なグレーの道路だけが残されていた。
その道路をコンボイは高速で駆け抜けて行く。
セロリはその景色の変貌に少しだけ落胆した。
「よし、これで後はしばらく、のんびりだが……」と、サンタ。
「なんだ、セロリ、がっかりか? まあ、《星虹現象》は《歪空回廊》の出入り口やSAの進入路と云った亜高速区間だけの現象だからな。超光速区間ではこんな殺風景な景色がずっと続くんだ」
「と、云うことは、あの美しい景色ではなくこの殺風景な景色が旅のほとんどなんですね。今、あの景色を見た時には将来は『運び屋』になるのも満更ではない、などと本気で思っていたのですが」
「いや、おまえは普通に王女様とかどっかの貴族の嫁にでもなるんじゃないのか?」
「サンタったら夢がないですね」
「どっちかと云うとほとんどの女の子は王女様になる方が夢だと思うがな」
「まあ、人それぞれですから」
確かにその通りではあるが、それぞれ、と云うには特殊過ぎる感性である。
まあ、浮世離れしたお姫様なんてこんなものか、と、思って納得する。
「それよりも、サンタ、今の光景を見てどうやらやっとスペオペらしくなってきたと感じます。これで立派なSF作品です。で、SFのついでに訊きたいのですが……」
「そのスペオペとかSFとか云う枕詞についてはどうでもいいが……、訊きたいのはこの《歪空回廊》のことだろ?」
サンタはドライブ・モードをオートに設定しハンドルから手を離す。
羽衣も助手席を離れると、飲み物と軽い食べ物を用意するね、と云って運転席の後ろにある簡易ギャレーに入って行った。
「はい、そうです」と、セロリ。
それから、いったい何から訊けばいいのか、と云うふうに顎に手を当てて考える。
「まず、そもそも《歪空回廊》と云うのは何ですか? 私は星船でなければ星海を渡ることはできないと思っていました」
「まあ、説明するとすればそこからだろうな」
サンタは苦笑する。
「だいたい星船ってのがどこに停泊しているのか考えてみろよ。惑星上、つまり、港ではなく衛星軌道上の埠頭だろう? じゃ、星船まではどうやって行くんだ?」
「シャトル・トレインで埠頭まで行きますね」
「そう。つまりそのシャトル・トレインが通っているのも《歪空回廊》さ。規模は全然小さいけども基本的には同じものだ」
「そうなんですか? 知りませんでした」
「そもそも《歪空回廊》も星船の動力である《歪空機関》も原理的には同じなんだ。簡単に云えば莫大なエネルギーを使って空間を歪めて三次元的な距離を無効にする、って方法だ。まあ、ある意味、乱暴なやり方とも云えるけどな」
「はあ、よくわかりません」
「うん。理論をきちんと理解するのはややこしいし、おれもきっちり説明なんて出来ないが。そうだな、ひとつ次元を落として考えるとわかりやすい。つまりこの三次元世界を二次元世界に置き換える。ボールの表面がこの世界だ、と考えてみればいい」
「ボールの表面?」
「そうだ。ボールの天辺から反対側まで行くには表面をずっと回っていかなければならないだろ? それだと時間がかかる。星海は広いからそれが光の速度で何千年、何万年とかかったりする距離になる。当然、人間の一生を何度繰り返したって到達できない距離だ。そこでその距離を縮めるにはどうすればいいか? 簡単なことだ。ボールをつぶして二点の距離をゼロにすればいい」
「乱暴ですね」
「云ったろ? 乱暴なやり方だって」
「でも、なるほどです。発想の転換ですね。初めて知りました。つまり空間をそんなふうに捻じ曲げてゼロ距離を作って移動するための通路が《歪空回廊》なのですね」
セロリが感心したように頷く。
「大雑把に云えばそうなんだが、でも実はそれだけじゃ不十分なんだ」
「え? どうしてですか?」
「二点の相対位置座標が不定だからだよ」
「どう云う意味ですか?」
「人が住めるのは基本的には惑星上だ。つまり出発地と目的地の二点はともに惑星上にある。それらは常にそれぞれの恒星の周囲を公転しながら移動しているから、距離も相対位置も日々刻々と変わっていく訳だ。それが不定と云うことだな」
「確かに、そうですね」
「だから原理はわかっても、固定的に二点を結ばなければならない《歪空回廊》は当初は実用化不可能と考えられていた。星海の旅は《歪空機関》を搭載した星船で座標を計算しながら手探りで航行するしかなかったんだ。だがその方法だと、もし座標計算を間違えれば、二度と目的地にも出発地にも戻れないことになる。つまり星海を旅するってことは、そんなリスクと背中合わせの冒険だったんだな」
「なるほど。今では当たり前のようですが星海を渡ると云うのは大変なことだったのですね。では、どうやって《歪空回廊》を実用化できたんですか?」
セロリが目を輝かせた。興味津々、と云ったところだ。こうした話が好きらしい。
「ここで登場するのが、《ベイツの虚数象限》と云う概念だ。いや、理論、なのかな?」
「《ベイツの虚数象限》?」
「そうだ。超物理学者ジム・ベイツが提唱し証明した概念なんだが、この《ベイツの虚数象限》で与えられた座標から見ると『質量のある物体同士の相対位置は三次元的、四次元的ないかなる条件に関わらず、常に一定である』と云うことになる。つまりその《虚数象限》の座標で見ると、ボールの表面に配置した点はいつも同じ場所にあり動かない。この概念によって『不定』が『固定』になるんだ」
「なるほど、です。そうすると、さっきのボールをつぶして距離を無効にする、と云う方法が可能になる訳ですね?」
「ああ。この《歪空理論》と《ベイツの虚数象限》を組み合わせることで星船での旅行も安全になり《歪空回廊》も実用化できたのさ」
セロリは腕を組んで、ほうほう、と云いながら、何度も頷いた。
「つまり《ベイツの虚数象限》的に考えれば、恋人たちが例え離れ離れになっても、その心の距離はずっと変わらない、とこう云う訳ですね。ロマンチックです」
「少し違うけどな」
違うけれども、少女らしい考えだと、サンタは微笑した。
(憎まれ口は叩くけどこう云うところは可愛いもんだな)
「あの、サンタ、それからもうひとつ。あのずっと並んでいるリングなんですが」
セロリは窓外の美しい輝きを放つ連続したリングを指差して見せる。
等間隔で並んだその中を道路がずっと彼方まで続いていた。
「あれはその理論とかと関係あるのですか? 星海に設置されているのですか? それはすごく不自然な気がするのですが」
「いや、リング自体は《歪空回廊》を通るコンボイやビークルにどこが『回廊』であるかを認識させるための視覚効果に過ぎない。地上のフリーウエイの白線とか、標識みたいなものさ」
「ああ、そう云うことなのですね。つまりはただの目印ですか。納得しました。人間と云うものは安心出来る道標が必要ですからね」
「そう云うことだ」
「しかしサンタは意外と物知りなんですね? 少し見直しました。少し尊敬しました。少し……、胸がキュンとなりました」
「それで今より少しは云うことを聞いておとなしくしてくれるとありがたいんだがな」
「考えておきます」
やや高飛車な台詞を口にしながらもセロリは少女らしいあどけない笑顔を見せたのだった。
直線の何の変哲もないハイウエイであった。
道路の両側には無機質の滑らかな壁が続き、アーチ型の天井には柔らかな光を放つEL灯が規則正しく並んでいる。
ただそれだけの何の変哲もないハイウエイ・トンネルであった。
(これが《歪空回廊》? 何だか思っていたのと違う)
セロリはがっかりしたように唇を尖らせる。
それに気づいた羽衣が片手でセロリの頭を撫でた。
「がっかりしちゃった?」
「え? はあ、まあ。意外と普通ですね。と云うよりも、これでどうやって星海に出るのか、と……。もしかして私は、サンタに騙されて売り飛ばされる可哀想な仔牛なのではないか、と思い始めています」
「まだ通常回廊なのよ。もう少しで《歪空回廊》に出るからね。……ほら、あそこ。見えてきたよ」
セロリが羽衣の示す前方に目を凝らす。
ハイウエイの先に黒い点が見えていた。
それがぐんぐんと近づいてくる。どうやらこのハイウエイ・トンネルの出口らしい。
そして、その向こうは……。
「離脱まで10秒……、9……、8……」
羽衣が秒読みを始めた。
「……、3……、2……、1……、離脱!」
直後――。
コンボイ《赤鼻のトナカイ》は、星海の只中にいた。
「わ~っ!」
思わず、セロリが感嘆の声を上げる。
上も、下も、右も、左も、360度の星の海――。
「す、すごい。せ、星海です……」
いったい、いつの間に、どうやって、惑星上のハイウエイからこんな場所に出て来たのか皆目わからない。
しかしそこは確かに、星海――宇宙空間であった。
バック・モニターを見ると背後に今通って来たハイウエイ・トンネルの出口が口を開けているのが見えたが、その向こうにはもちろん道路などはない。
つまり空間にぽっかりと出口が浮かんでいるのである。
その向こうにはただ惑星マグダラの赤茶けた巨大な姿が浮かんでいるだけであり、彼方には双子の月を見ることができた。
前方を見ると巨大な光り輝くリングが等間隔に並んで続いており、その中をグレーの半透明の道路が通っている。
星海の中を続く見えないパイプ。
それが《歪空回廊》なのだ、と、セロリは思った。
思った、のだが……、もちろんそれがどう云うことなのかは理解できない。
(星海の中に道路があるの? いえ、そんなバカな話、聞いたことない。それにいくら私でも星海の広大さは知っている。まさかこんなふうに星と星の間をつなぐことなんて出来る訳はないし、そもそも光で何十年、何百年かかる距離をトンネルで行くなんてあり得るはずがない)
必死で考える。考えても仕方ないのでとりあえず笑ってごまかすことにした。
「へ、へへ、へへへへ……」
羽衣が、ぎょっとして、セロリを見た。
「セロリ、こ、壊れた?」
「壊れてません。ただ理解できないだけです」
それを聞いてサンタが運転席で笑い声を上げた。
「確かに初めてこの光景を見れば訳がわからないだろうけどな。まあ、あとで説明してやるからもう少し待ってろ。羽衣、出力を上げるからモニタをよくチェックしておいてくれ。マミのお手並み拝見だな」
サンタがアクセル・ペダルを踏み込むとHタービンの音が高くなり、同時に後ろから突き飛ばされるような加速感が襲う。
「おおお、は、速いです」
セロリは我知らず隣の羽衣の振袖を握り締めた。
窓の外に目をやると様子が変わっている。
今まで普通の星空だった景色は一変していた。
流れている。
星々が前方から後方に向かって流れ、尾を曳いている。
まるで星海のすべての星々が流れ星になったかのようだ。
星々は、点ではなく、線になって見えていた。
「き、きれい」
星々は進行方向の一点から放射状に尾を曳いた線となって広がっていた。
前方は青色に、後方は赤色に。
「これが《星虹現象》。きれいでしょ? でもあんまり見ていると酔うから注意してね」
「はい。すごいです。これは星船では見られません。……まあ、以前星船に乗ったのはずいぶん前のことなので記憶も曖昧ですが」
「星船でも見えるんだけど、これって加速時の現象だからそのときには星船の乗客はシートベルトをしているし、窓はシールドされていて見ているのはブリッジ乗務員だけだと思うよ」
「と、云うことは貴重な体験ですね」
「ええ。でももう少し速度を上げると見えなくなるわよ。ほら、また少し変わって来たでしょ?」
確かに窓外の景色はまた変わっていた。
先ほどまで前方から後方に流れていた星々が今度はどんどん前方に収束しようとしている。
すでにコンボイの周辺は漆黒の闇となっている。
やがて。
「亜光速区間終了」
羽衣の声と同時にそれまであんなに美しかった光は、一点に収束して消滅した。
あとには漆黒の闇の中、規則正しく並ぶ輝くリングの連なりと無限に続くように見える無機質なグレーの道路だけが残されていた。
その道路をコンボイは高速で駆け抜けて行く。
セロリはその景色の変貌に少しだけ落胆した。
「よし、これで後はしばらく、のんびりだが……」と、サンタ。
「なんだ、セロリ、がっかりか? まあ、《星虹現象》は《歪空回廊》の出入り口やSAの進入路と云った亜高速区間だけの現象だからな。超光速区間ではこんな殺風景な景色がずっと続くんだ」
「と、云うことは、あの美しい景色ではなくこの殺風景な景色が旅のほとんどなんですね。今、あの景色を見た時には将来は『運び屋』になるのも満更ではない、などと本気で思っていたのですが」
「いや、おまえは普通に王女様とかどっかの貴族の嫁にでもなるんじゃないのか?」
「サンタったら夢がないですね」
「どっちかと云うとほとんどの女の子は王女様になる方が夢だと思うがな」
「まあ、人それぞれですから」
確かにその通りではあるが、それぞれ、と云うには特殊過ぎる感性である。
まあ、浮世離れしたお姫様なんてこんなものか、と、思って納得する。
「それよりも、サンタ、今の光景を見てどうやらやっとスペオペらしくなってきたと感じます。これで立派なSF作品です。で、SFのついでに訊きたいのですが……」
「そのスペオペとかSFとか云う枕詞についてはどうでもいいが……、訊きたいのはこの《歪空回廊》のことだろ?」
サンタはドライブ・モードをオートに設定しハンドルから手を離す。
羽衣も助手席を離れると、飲み物と軽い食べ物を用意するね、と云って運転席の後ろにある簡易ギャレーに入って行った。
「はい、そうです」と、セロリ。
それから、いったい何から訊けばいいのか、と云うふうに顎に手を当てて考える。
「まず、そもそも《歪空回廊》と云うのは何ですか? 私は星船でなければ星海を渡ることはできないと思っていました」
「まあ、説明するとすればそこからだろうな」
サンタは苦笑する。
「だいたい星船ってのがどこに停泊しているのか考えてみろよ。惑星上、つまり、港ではなく衛星軌道上の埠頭だろう? じゃ、星船まではどうやって行くんだ?」
「シャトル・トレインで埠頭まで行きますね」
「そう。つまりそのシャトル・トレインが通っているのも《歪空回廊》さ。規模は全然小さいけども基本的には同じものだ」
「そうなんですか? 知りませんでした」
「そもそも《歪空回廊》も星船の動力である《歪空機関》も原理的には同じなんだ。簡単に云えば莫大なエネルギーを使って空間を歪めて三次元的な距離を無効にする、って方法だ。まあ、ある意味、乱暴なやり方とも云えるけどな」
「はあ、よくわかりません」
「うん。理論をきちんと理解するのはややこしいし、おれもきっちり説明なんて出来ないが。そうだな、ひとつ次元を落として考えるとわかりやすい。つまりこの三次元世界を二次元世界に置き換える。ボールの表面がこの世界だ、と考えてみればいい」
「ボールの表面?」
「そうだ。ボールの天辺から反対側まで行くには表面をずっと回っていかなければならないだろ? それだと時間がかかる。星海は広いからそれが光の速度で何千年、何万年とかかったりする距離になる。当然、人間の一生を何度繰り返したって到達できない距離だ。そこでその距離を縮めるにはどうすればいいか? 簡単なことだ。ボールをつぶして二点の距離をゼロにすればいい」
「乱暴ですね」
「云ったろ? 乱暴なやり方だって」
「でも、なるほどです。発想の転換ですね。初めて知りました。つまり空間をそんなふうに捻じ曲げてゼロ距離を作って移動するための通路が《歪空回廊》なのですね」
セロリが感心したように頷く。
「大雑把に云えばそうなんだが、でも実はそれだけじゃ不十分なんだ」
「え? どうしてですか?」
「二点の相対位置座標が不定だからだよ」
「どう云う意味ですか?」
「人が住めるのは基本的には惑星上だ。つまり出発地と目的地の二点はともに惑星上にある。それらは常にそれぞれの恒星の周囲を公転しながら移動しているから、距離も相対位置も日々刻々と変わっていく訳だ。それが不定と云うことだな」
「確かに、そうですね」
「だから原理はわかっても、固定的に二点を結ばなければならない《歪空回廊》は当初は実用化不可能と考えられていた。星海の旅は《歪空機関》を搭載した星船で座標を計算しながら手探りで航行するしかなかったんだ。だがその方法だと、もし座標計算を間違えれば、二度と目的地にも出発地にも戻れないことになる。つまり星海を旅するってことは、そんなリスクと背中合わせの冒険だったんだな」
「なるほど。今では当たり前のようですが星海を渡ると云うのは大変なことだったのですね。では、どうやって《歪空回廊》を実用化できたんですか?」
セロリが目を輝かせた。興味津々、と云ったところだ。こうした話が好きらしい。
「ここで登場するのが、《ベイツの虚数象限》と云う概念だ。いや、理論、なのかな?」
「《ベイツの虚数象限》?」
「そうだ。超物理学者ジム・ベイツが提唱し証明した概念なんだが、この《ベイツの虚数象限》で与えられた座標から見ると『質量のある物体同士の相対位置は三次元的、四次元的ないかなる条件に関わらず、常に一定である』と云うことになる。つまりその《虚数象限》の座標で見ると、ボールの表面に配置した点はいつも同じ場所にあり動かない。この概念によって『不定』が『固定』になるんだ」
「なるほど、です。そうすると、さっきのボールをつぶして距離を無効にする、と云う方法が可能になる訳ですね?」
「ああ。この《歪空理論》と《ベイツの虚数象限》を組み合わせることで星船での旅行も安全になり《歪空回廊》も実用化できたのさ」
セロリは腕を組んで、ほうほう、と云いながら、何度も頷いた。
「つまり《ベイツの虚数象限》的に考えれば、恋人たちが例え離れ離れになっても、その心の距離はずっと変わらない、とこう云う訳ですね。ロマンチックです」
「少し違うけどな」
違うけれども、少女らしい考えだと、サンタは微笑した。
(憎まれ口は叩くけどこう云うところは可愛いもんだな)
「あの、サンタ、それからもうひとつ。あのずっと並んでいるリングなんですが」
セロリは窓外の美しい輝きを放つ連続したリングを指差して見せる。
等間隔で並んだその中を道路がずっと彼方まで続いていた。
「あれはその理論とかと関係あるのですか? 星海に設置されているのですか? それはすごく不自然な気がするのですが」
「いや、リング自体は《歪空回廊》を通るコンボイやビークルにどこが『回廊』であるかを認識させるための視覚効果に過ぎない。地上のフリーウエイの白線とか、標識みたいなものさ」
「ああ、そう云うことなのですね。つまりはただの目印ですか。納得しました。人間と云うものは安心出来る道標が必要ですからね」
「そう云うことだ」
「しかしサンタは意外と物知りなんですね? 少し見直しました。少し尊敬しました。少し……、胸がキュンとなりました」
「それで今より少しは云うことを聞いておとなしくしてくれるとありがたいんだがな」
「考えておきます」
やや高飛車な台詞を口にしながらもセロリは少女らしいあどけない笑顔を見せたのだった。
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