放課後砂時計部!

甘露蜜柑

文字の大きさ
上 下
1 / 11

8 プロローグ

しおりを挟む
考え事をしていた。

そう、実際ぼくは考え事をしていたのだ。


ゴールデンウィーク明けの当日、午後。
ようやく授業が終わってひと段落し、掃除もじきに終わる。
既に廊下に人の姿は少ない。みんなクラスに戻っているんだろう。
けれど僕はクラスに戻らず、階段で足を止めていた。
戻る気がないわけじゃない。ただ深く考え事をすると意識がそっちに集中して、体がついてこなくなるだけだ。

焦燥
一言で言えば、僕は大変に焦っていた。

僕の通うこの私立竺紫つくし高校は一応進学校らしいが、僕が入学できたという時点でそこはたかが知れており、そんなことはどうでもいい。
問題なのは、この学校には僕が入学後に知った、好ましくない校則があったことだ。

”生徒はみな一様に部活動をしなければならない”

二〇一八年ともなるこの現代において、そのような校則が許されるのか。
それこそ、校則どころか拘束じゃないのか? 等と僕が文句を垂れたところで次に垂れるのはこうべであり、僕一人の意見で創立四十年近いこの学校の校則が覆ることなど決してありえないだろう。

だが僕は未だに所属する部活を決めていなかった。
このまま教室に戻って放課後になれば担任との三者面談ならぬ二者面談になることは必然で、ゴールデンウィーク明けだからと行われた今朝の全校集会では校長の……ええと、名前は何だっけ? よく覚えていないけれど、よくよく考えてみれば小、中とこれまで校長の名前を覚えていたことなんてなかった。
ただこの学校の校長は四十過ぎに見えるちょっと若めの女性(おばちゃん)で、そこは印象的。
スピーチが短めだったのは好印象だったけれど、その内容には「まだ部活を決めていない人はもうそろそろいい加減に決めなさいよ」的なことを発言しており、その発言は部活を決めていない生徒に対しての言葉であるのはもちろんのこと、それぞれの担任に対しての警句であったことも僕にはすぐにわかった。
というか、そうした発言の最後には先生たちの方へと熱い眼差しを向けていたのだから一目瞭然だ。
よって僕の担任もまた目の色を変えて指導に熱が篭もるのも無理のない話で、僕のクラスで部活を決めていないのは僕一人なのだから尚更だろう。

「はぁ」と僕は箒を持ったまま溜息を吐く。
それでも箒で掃くみたいに僕の心はまっさらにはならず、現実逃避するみたいに――
いや実際、現実逃避だ。
僕はクラスの方に戻るどころか考えなしに階段をゆっくりと上り続け、担任からの詰問に対する言い逃れについてや、部活はどうするのか? そんなことを足元ばかり見ながら悶々と考えていた。

「……んっ?」

下ばかり見ていた僕の頭を上げさせたのは声だった。
階上の、何処かからか声が聞こえた。確かにそんな気がしたのだ。
顔を上げて周りを見ることでわかったのは、僕が思いのほか上の方まで上り詰めていたこと。
階段は目と鼻の先で途切れていた。終点。
正確には、今佇んでいる階段を上り切った先にあるのは扉ひとつで、隔てた先には屋上がある。
しかし屋上は封鎖されているはずで、当たり前のことだ。理由は簡単。危険だから。
……のはずなのに、声が聞こえた。ただの気のせいでは? そう思った矢先、女性の声が僅かながらにも再び聞こえたことで僕は確信した。
屋上に誰か居る。でも誰だ?
そもそもどうして屋上に?
僕は少しだけ躊躇した後、箒を壁に立てかけ足音を立てないように注意しながら階段を上り切ることにした。

屋上への扉に鍵はかかっていない。
というか、僅かな隙間が開いているのが見えたのだ。
扉の前に着くと耳を澄ませてみた。
……今度は何も聞こえてこない。
さっきの声は? そう思いながらもドアノブを握ると、ゆっくりと押し開けた。

初めて見る屋上の景色。
思えば屋上に入ること自体、人生初だった。
まず感じたことは、思ったよりも広い。
雑多な住宅街に囲まれた申し訳ない程度の公園。それぐらいの広さはあって、縮んだ乾電池みたいな形をしているのがたぶん貯水タンクだ。
見上げなくても視界に入る空はすでに赤みを帯びはじめていて、視線を下げていけば柵がある。屋上全体を囲うように柵が設置してあって――

……えっ?

そのとき僕は思わず動きを止めた。
柵の向こうに佇む人、その姿が目に入ったからだ。
向こうも僕に気付いたみたいで振り返る。

目が合った。

ハッとして僕は息を呑み、瞬く間に緊張してしまって喉はカラカラで、思わず生唾を飲んだ。
すごく綺麗な人だった。
まるで絵画として描かれるために存在している。そう表現することが適切であると感じてしまうほどには神々しく、無機質的にも見えた。それでも制服のスカートが僅かにも風によって靡き続けていて、それが彼女のことを静止画ではなく、そこに実在しているのだと僕に主張してきた。
圧倒された。
そんな風にさえ言えたかもしれない。脚は竦んで、すぐには動けなかったのだから。
彼女は制服を着ていた。ブルーのリボン。ということは三年だ。だから二学年も上である彼女、というより先輩は僕の姿を見て驚いた様子で「あっ」と声を出すように口を開けていた。
でもどうしてあんな場所に? もし足を滑らせでもしたら――


”-00:00:05”
ちょ、危ないですよ!
そう僕が声をかけようとした直前のことだった。


”-00:00:04”
先輩の体が強風に当てられたのか大きく揺れて、
「あっ、あぶな――」
僕は反射的に駆け出そうとした。
目が再び合う。名も知らぬ先輩は微笑んでいるように見えた。
そして僕の視界から消えようとしてた。


”-00:00:03”
僕の視界から先輩がゆっくりと消えていく。コマ撮りのスローモーションみたいに。走馬灯、みたいだ。そんなことが頭の片隅に浮かび、それらしきものを見るのも、人の死を目の前で見るのも初めてのことだった。


”-00:00:02”
先輩は口を開けて、そして僕に向けて何かを言ったように見えた。
でもそれは何だったのか分からず、必死な僕には聞こえなかった。


”-00:00:01”
その声は、聞こえなかった。


”00:00:00”

しおりを挟む

処理中です...