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第四話
しおりを挟む「舞人殿、結局戻ってこなかったのー……」
翌朝、玄信がいつものように囲炉裏に火を入れていると、突然、激しく戸を叩かれた。
「玄信さん! 大変……大変じゃ!」
村人に呼び出され、向かった先の光景を目の当たりにして、玄信は幻ではないのかと目を何度もこすった。
浜辺に大きな、見たことのない船が見えた。
玄信が幻かと何度も確認したのは、その船に清恒が乗っていたからだ。
起きている。寝ていない。
この三年と三月、夜中にこっそりと何かをしていたのは知っていた。
だが、船で村を出ようとするなんて、そこまでこの村にいたくなかったのか。
そう思うと、玄信は悲しみを通り越して怒りが込み上げてきた。
――お前はこの村を、皆を捨てていく気か!?
「清恒ぇー! お前、何やっとるんじゃあー!?」
「やっぱ見つかったかー……」
「まさか、村の横を通るとは、私は知りませんでした」
「俺は何となく予想してた」
ドヤ顔で言う清恒に、舞人はため息をつく。
「一度船を降りて、玄信殿に説明をしなければ、追いかけてきますよ、彼」
彼の言う通り、玄信が海を走らんばかりの勢いでこちらに向かってきている。
走っているように見えるのは、きっと清恒の目の錯覚だ。人間は海の上を走ったりしない。
鬼の形相をした玄信が向かってくる。
清恒の背筋がゾクリと凍りそうになった。
「ちょっ……! 来んな! 頼むから来んな!」
すると、玄信は海に沈んでしまった。
「父う……親父っ!?」
船縁に駆け寄《よ》る清恒。直後、激しい水飛沫をあげて玄信が水上へと弧を描いて飛び上がり、見事な回転をしながら甲板に着地した。
――曲芸かっ!?
「やー、お見事な回転。まるでイルカのようですねー」
舞人が拍手をしながら清恒の心境を代弁した。
しかし、イルカは殺気が溢れ出てくるような生物ではない。
「お前……! この船で一体どこ行く気だ!?」
「いや……あの……」
清恒の背筋がまたもゾクリとする。慌てて大きな声で、
「親父っ! 信じてくれ! 俺は必《かなら》ずここへ戻るから、頼むから黙って行かせてくれっ!」
必死に拝む清恒。隣にいる舞人も、かつての武将の威圧にただ立ち尽くしていた。
清恒が拝むこと半時。
「――で? 本当にお前らだけで行けると思うのか?」
「何も問題ない!頼む親父!」
玄信は、やれやれとため息をついた。
「清恒、船旅の途中の飯はとうするんだ? 船に傷がついたときの修理は? お前できるのか?」
あ、と清恒は頭をかいた。完全に忘れていた顔だ。
「あ、でも舞人殿が一緒に来る言うてるから教えてもらえば――」
できると言う前に、舞人が、
「私は料理も船の修理もできませんよ」
「…………」
「デキマセンヨ」
二度、言われた清恒。玄信は思わず額に手をやる。
「はぁー……。
清恒、何人か水夫を連れて行きなさい。食糧も幾分か用意するけえ」
「ぐぅ……すまねぇ。ありがとう」
心配する父に押し切られ、水夫七人は父が雇って付き添わせることとなった。
だが雇われた水夫たちは、
「寝太郎が船頭かあ?」
「竜宮城に行けとか言い出すんじゃなかろうか?」
と、村の噂を聞いていたためか、口々に寝太郎を馬鹿にした。
だがしかし、寝太郎から渡された船の取扱説明書と、彼をみて、水夫たちは感嘆の声をあげる。
寝太郎は、説明書の内容を完全に覚《おぼ》え、理解していた。
水夫たちが巻物を読み進めるたび、船で実践しながら丁寧に説明した。
出航の準備は順調に進んだが、
「あ、れ?」
いつの間にか、舞人の姿はなかった。
■ ■ ■
水夫たちと準備に数日を費やし、ようやく出航までこぎつけた。しかし、未だに舞人が姿を現《あらわ》さない。
清恒はそこここで舞人を見ていないか人に訊《き》いて回った。が、皆見ない知らないというばかり。
「どこ行っちょってんじゃろ?」
言っていると、舞人がひょっこり港に現れた。
「お待たせしてたいへん申し訳ない」
「どこ行っとったんじゃ?」
「留守の間、村の旱魃が悪化しないように呪いをしておりました」
舞人はにこりとして札を見せる。
「そういや、お前さんは、舞うだけでなく呪いもできるんじゃったな。すげぇな、ありがとうな」
「それほどではありませんよ」
全員揃ったところで、清恒が号令をかける。
「よし、出航するぞ!」
しかし、水夫たちは困り顔だ。
「出航っつったって、わしらどこ行きゃええんじゃ?」
「ああ、言っとらんかったか? 目的地は北東の島じゃ」
寝太郎がそれしか言わなかったので、水夫たちはしかたなく響灘を抜けて北東を目指すことにした。
「大丈夫なんかな……」
水夫は不安を拭えない表情だ。
「さあ、出発だ! 帆を張れ!」
一行を乗せた船は、ゆっくりと港を離れた。
舞人の取り付けた帆は潮風を受け順調に波間を渡っていく。
「すげぇなあ!」
生まれて初めての光景と潮の匂いに、清恒は表情を輝かせて喜んだ。
「こんなでっかいモンが海の上に浮いて進むなんてなあ! 昔の人はすげぇモン作ったよなあ!」
陽の光に反射してキラキラした海面、その水面に負けないくらい濃く透き通った青い空。
瀬戸内海の穏やかな波は船首を揺らし、帆は力強い風を受けて南へと帆走する。
「帆船ちゃあ、漕がんでもええけぇ楽やのう」
清恒は舵取りの水夫に言う。
「……なあ、ちいーとだけわしにもやらせてもらえんか?」
「だ、ダメです! こちとら皆の命を預かっちょってですから!」
「けどよぅ……」
「ダメなもんはダメです」
「じゃあ、舞人殿はええんか?」
「へっ?」
清恒の指差す方を見ると、舞人がさっきから帆を固定する縄を締めなおしたりいじくったり、チョロチョロしている。
一見、手際のいいように窺えるが、よく見れば彼のいじった跡は縄の結び目からなにまでメチャクチャになっていた。
それを見た他の水夫が慌てて駆け寄って注意する。
「ちょっとあんた! ダメじゃないか、そんなとこいらっちゃあ! あちこち縄がワヤじゃーや! 船が沈んでもいいのか!?」
怒られて、舞人はしょんぼりとして船室へと歩いていった。
「……」
清恒と舵取りの水夫は、黙ってその姿を見送った。
しばらくして。
強い海風とともに波が船に体当たりをしてくるようになった。
空は晴れわたっているが、潮の流れが速く、どこかにつかまっていないと転げてしまいそうなほどに船は揺れた
「これが外海かあ! すごい波じゃのう~!」
「寝太郎さん、ここはまだ内海やでー」
「そーなんかぁ~!
でもすっげぇー!
広いのう~! 広いのう~!」
水夫たちは、船の操作で手一杯だったが、それでも清恒のはしゃぎように、思わず笑みがこぼれてしまった。
「おっ! なあ、あっちに鳥居が見えるぞ! あそこは何て言うんじゃ?」
清恒は、左手に見える石の鳥居を指した。
「あれは和布刈神社や。潮の満ち引きを司る神様がおってんよ」
「おぉ~……なら、あいさつしとかんと!」
清恒が手を合わせて祈ると、水夫たちも次々と、両手をこすり合わせ、この船旅の安全を必死に祈った。
――船が沈みませんよーに!
――無事に母ちゃんとこへ帰れますよーに!
それから、
――寝太郎さんが変なことしませんよーに!!
最後は、以心伝心というか、いつ肝胆相照らしたのか、水夫みな同じことを祈った。
「……なあ! じゃあ、反対側が壇ノ浦か?」
「そうです。もう少し先に行けば、赤間神宮もあります」
祈り終えた清恒が和布刈神社の対岸を向く。
じっと見ているのは、空虚となった古戦場か源平入り乱れるかつての戦の情景か。
「……うわっ!?」
先ほどから大きな波が船を揺らしていたが、今度のはさらに激しかった。
「寝太郎さん! 船室へ行ってくれ! 渦潮じゃ!」
急に忙しくなった甲板で、若い水夫が避難を促す。
なるほど、船の前方は、いくつもの渦潮がひしめき合っている。
山と山に挟まれた海は、潮の流れが速く、岩礁も多いのか流れも複雑になっていた。
そのため、帆が風を受けていても、船の進む速度が極端に遅くなった。
「ここ関門海峡は、一日に何度も潮の流れが変わるっちゅうて、船乗りの間でも有名なとこや! 渦に捕まったらオダブツやで!」
「いや、すまんがここにおらせてくれ! この海を見ておきたいんじゃ! 邪魔はせんけえ!」
水夫たちが何度も説得したが、清恒は頑として船首を掴んで離さなかった。
船は、渦潮でドタバタしながらも南から関門海峡を越え、その日のうちに響灘を抜けた。
日本海へ出ると、船は北東へ向かって旅を続けた。
最初の頃は、あわただしくも、船旅を楽しむ余裕があったが、すぐにそれもなくなった。
北東の島が目的地とはいえ、それ以外に先の見えない航海は、想像以上に厳しかった。
「……酔った」
乗船経験のない清恒は、船や外の景色のめぼしいものをひととおり見終わると、あっという間に船酔いした。
船医はおらず、水夫も簡単な処置しかできなかったため、清恒は、船旅の半分以上を寝て過ごすハメとなった。
おまけに、船室も食糧庫も草鞋に占領され、船員たちは肩身を狭くしながらの航海を余儀なくされたのだ。
「……なあ健作」
「なんだ、幾松じいちゃん?」
夜、狭い船室で横になった水夫の老人が、肩をくっつけて眠る若い男に話しかける。
「寝太郎さんは一体何を考えてんだろうなあ……北東の島だなんて、竜宮にでも行くつもりなんじゃろか?」
「さあ……きっと、まだ夢でも見とるんじゃろ」
「じゃあ、俺らは夢のお相伴っちゅうこっちゃか……」
「これで早風でもくってみろ。あっちゅう間にお陀仏や」
「かなわんわー」
「かなわんわー……」
二人は、波に揺られてギシギシとうなる天井を見つめた。
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