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第三章 魔女の町
3.喫茶『タツロー』
しおりを挟む看板がいくつも出ているが、ほとんどの店はしまっているようだ。
書かれている魔女の文字は、まったく読めない。
雰囲気は、トトリの村から少し離れた場所にある、ドーンの宿場町に似ている。トトリ村は、夕になると外部の者を門の外に出す。
交易のために訪れる者たちは、皆ドーンに宿を取るのだ。
「店はそこ角曲がったとこ。『タツロー』っていう喫茶店。えぇと、飲み物と、食べ物を提供してるの。わかるかなぁ」
「宿場町の飯屋のようなものか」
「ああ、なんか、だいたいそんな感じ。ここはポカポカ商店街っていうの。パパの店は、サンドイッチが美味しいよ」
しかし、人の姿が見えない。
ドーン宿場のにぎやかさには程遠く、昼だというのに、夜のように静かだ。
「宿場にしては人の姿が見えない。廃墟のようではないか。なにかあったのか?」
「あー、それ、言わないであげて。この辺の人、皆気にしてるから。かなりガチで深刻」
リノは人差し指を口に当てた。それぞれの土地に事情というものもあるだろう。ミンネは「わかった」と答えた。
ここ、と言ってリノはひとつの店の前に立ち、扉をあけた。
カランカラン、と扉についた鐘が鳴る。
「いらっしゃいませー……あ、リノ!」
中にいた、ミンネとあまり身長の変わらない男性が、リノに走り寄った。
「久しぶり、パパ」
この男性が、リノの父親のようだ。
達郎、という名前の。
髪は一部白いが、リノと同じ黒い髪をしている。
顔立ちが、リノとそっくりだ。しっかりと太い眉に、細い鼻。言われなくても、親子だとわかるほど、よく似ていた。
「会いたかったよ。リノ! ごめんね。家に帰れなくて」
「もう、さっさと謝っちゃえばいいのに」
「そうなんだけどねぇ。……お友達?」
「うん。ミンネっていうの。学期末に来た転校生。ちょっと事情があって、ご両親が一度国に戻ってるんだ。それで、ミンネのホテルを取ってくれてたんだけど、なんか代理店がおかしなことになって、予約入ってなかったんだって。すごく困ってるの。だから、お願い。塾終わるまで、ミンネをここに置いてください。お願いします!」
リノが達郎にした説明は、『ウソ』だ。
聞き取れない単語こそあるが、ミンネをここに置いておくために必要なウソをついていることはわかった。
「そりゃ大変だ。最近、多いもんなぁ。そういう話」
「なにかあったら、私のスマホに連絡して。いろいろ大変みたいだから、国のこととか聞かないでね? あと、日本語ちょっと、上手だけど苦手だから。あんまり急に話しかけないで。気をつけてあげて」
ペラペラと勢いよくリノは説明をした。
見た目は子供だが、あきれるほどによく知恵が回る。
「わかった。大丈夫だよ」
「じゃ、私行くから。五時に終わったら、ここに迎えにくる。よろしく! パパ!」
カランカラン。
リノは、勢いよくドアを開けて、出ていった。
「慌ただしいなぁ」
達郎は、はは、とのんびり笑っている。リノはと違って、ゆったりした雰囲気の人だ。
「はじめまして。オダサン。ミンネです」
「いろいろ大変だったね。こちらこそ、よろしく。お昼は食べた?」
ぐううう
聞かれた途端、勢いよく腹の虫が鳴る。ミンネは目をぱちくりさせて、自分の腹のあたりを見た。達郎は笑顔で「ちょっと待ってて。サンドイッチ、作ってあげるから。そこの席、どうぞ」と言って、厨房に入っていった。
「ミンネちゃん、アレルギーとかない?」
厨房の中から、達郎が聞いてきた。ミンネは言葉の意味がわからず、とっさに答えられなかった。
「えぇと、食べられないものとか、食べたら具合悪くなるものとか。今までなかった?」
ミンネは「ありません」と答えたあと「お気づかいありがとうございます」とつけ足した。食事に関して、これほどこまやかな気づかいをされたのは初めてだ。
達郎は「了解」と言って作業を始める。
ミンネは、店の一番奥の、小さな窓がある席に座って、店の様子を観察する。
曲が流れている。
弦の楽器に、変わった種類の太鼓。聞き取れない呪文のような歌詞。初めて触れる音楽だが、不思議と心地いい。
魔女の街は、不思議なことだらけだ。
どこを探しても奏でる人の姿は見えないのに、音楽だけが流れてくる。
客は二人。
扉の近くと、ミンネの近くの窓際の席に座っていた。
そのうち、扉の近くにいた一人が席を立った。
オラーテよりも年配の、白髪の男性だ。
「マスター。ごちそうさん」
「いつもどうも。四百円です」
客が、達郎になにかを渡している。
貝銭のようなものだろう。なにでできているのか、ミンネには見当もつかない。
「リノちゃん。相変わらず忙しいねぇ。今の子は大変だ」
「我が子ながら感心してます。夏休みだけど、土曜も塾なんですよ」
「じゃあ、明日のお祭りも無理かい? 花火は?」
「花火には、間に合うと思いますよ。毎年、楽しみにしてますし」
「そうかい。じゃあ、明日また」
「お待ちしてます。ありがとうございました」
カランカラン
客が出ていく。また達郎が厨房に入っていき、しばらくして、皿を二つ持ってきた。
「おまたせしました。ミックスサンドです」
最初に、ミンネの近くに座っている女性客のところに運び、次にミンネのところにもう一つの皿を運んでくる。
いい匂いがする。見たことのない食べ物だ。
「どうぞ。召し上がれ。今、飲み物持ってくるから」
達郎が、また厨房に戻っていく。
(……これは、なんだ?)
南部には、小麦を主食にしている地域もある。
こねて、焼いて、肉や野菜を包んで食べる。麦餅、と呼ばれるものだ。
ミンネも食べたことがある。しかし、今目の前にあるのものは、ミンネが食べたことのある麦餅とは違っている。
小麦の香りこそするが、見るからにふんわりとしていて、真っ白だ。間に卵らしきものや、肉や野菜がはさんである。
せっかくふるまってもらったのだから、ありがたくいただきたいところだが、食べ方がわからない。
ハシや匙も添えられていない。手で持って、そのまま食べるのだろうか。
ふと顔を上げれば、女性がにこりと微笑んでいた。
ミンネの母親が死んだ翌年、亡くなった祖母と同じくらいの年齢だ。リノや達郎とは違う種類の服を着ている。淡い藤色の綺麗な着物だ。
サンドイッチを手に持って「こうよ」とミンネに教えるように、口を大きく開けて、がぶっとかじる。
(なるほど。そう食べればよいのか)
同じように、ミンネもサンドイッチをかぶっとかじった。
持っただけで柔らかさに驚いたパンは、かじっても柔らかい。
歯にあたった途端に、溶けていくようだ。ふんわりした卵の甘さに、少しの辛さと酸味が混じる。
(美味しい)
こんな柔らかで、美味しい物ははじめて食べた。
ミンネは次の一口で、三角形のサンドイッチをぺろりと食べた。もう一つの、薄い肉と野菜の入ったものも、あっという間に胃袋の中に収まった。
厨房からまた出てきた達郎は、空になった皿に驚いていた。
「あれ、もう食べ終わっちゃった?」
「とっても美味しいです。ありがとう、オダサン」
「そう言ってもらえると嬉しいなぁ。レモネード、どうぞ」
白くて四角い、文字の書かれた紙の上に、透明な杯がのる。リノの家で出されたものもそうだが、恐ろしく透明で、薄い杯だ。
一体、どのように加工をしているのか。トトリの土器は蒼の国一の品質だが、これは比較のできないほど高度な技術だ。
杯を手にとって、横から、下から眺めていると、藤色の着物の女性が「マスター。ストロー、使い方わからないのかも」と囁いた。
「あ、ごめんごめん。じゃあ、ストローさしておくね」
達郎は、白く細い包みを開いた。白地に青い線が入った筒がでてくる。
「これで、吸うの」
杯にさされた筒を、達郎が指さす。
なるほど。杯に直接口をつけるのではなく、中の液体だけを吸い込むらしい。
「……ッ!」
言われた通り、スッと筒を吸った途端、ミンネは口を押えて目を丸くした。
酸っぱい。
口の中が痛い。
飲み込めば、喉まで痛い。
思いきり、顔をくしゃくしゃにすると、達郎が笑いだした。
「炭酸、苦手?」
「酸っぱい!」
サンドイッチで満腹になって感じていた眠気も、いっきに吹っ飛んだ。
「そうそう。レモネードだからね。酸っぱくて、シュワッとしてるとこが魅力」
「……でも、美味しいです」
「そりゃよかった。リノも、レモネードが好きなんだよ」
もう一度飲む。
やはり、すっぱい。
ミンネがレモネードを少しずつ飲んでいると、着物の女性が「マスター、ごちそうさま」と声をかけた。
「いつもありがとうございます」
「リノちゃんの、お友達なの?」
「えぇ。ご両親が、今日本を離れてるそうなんですけど、代理店に頼んでたホテルが取れてなかったみたいで」
「あらぁ。最近多いものねぇ、そういうの」
リノの『嘘』はよく機能している。改めてミンネは感心した。
「あ、それでね、マスター。うち、今年も浴衣レンタルやるんだけど、よかったら、リノちゃんと一緒にお友達もどうぞ。きれいな子が浴衣着てたら、いい宣伝になるし」
「今年もやるんですね」
「そのあと、卒業式とか成人式でご縁につながること、多いのよ。――ね、あなた」
女性は、ミンネに呼びかけたので「はい」と返事をする。
「明日のお祭り、リノちゃんと一緒に浴衣着にいらっしゃいよ。きっといい思い出になるわ。あなた、背が高くてすらっとしてるから、柄の大きな浴衣がいいわねぇ」
女性は「待ってるわ」と手を振って帰っていった。
浴衣、というものを着ないか、と誘われたようだ。
恐らく、晴れ着だろう。
あいにくとミンネは、蒼の国の危機を救いそこねた失意の中にある。
まして兄を亡くしたばかりの今、晴れ着を身に着ける気分にはなれそうになかった。
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