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21.硬質の直撃

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 リーキンは真上に上げていた腕を水平に戻す。
 その手に握られていた物――
 それを見て、ウェルガーは息を飲む。黒い鋼の凶器――
 先ほどまで心の中に生じていた怒りの炎が、新たな感情に上書きされた。

(なんで、そんな物を―― この世界に…… バカな…… 拳銃じゃねーか! マジかよ!)

 リーキンが持っているのは、明らかに拳銃だった。
 この世界にも火縄銃や、その派生形の短筒のようなものはある。
 先込め式の大砲も存在する。

 しかし――
 彼が持っていた物は、そのような物ではなかった。
 おそらく、この世界で、それが何か分かるのはウェルガーだけだったろう。

「ルガーか?…… あり得ないだろう……」
 
 彼は口の中で声にならない声で呟く。
 その特徴的な拳銃の名を記憶から掘り起こした。

 制式名称「ルガ―P08」ドイツの軍用拳銃だったものだ。

 尺取り虫のような動きで弾丸を送り込む拳銃。
 特徴的な機能で、知名度ではトップクラスだ。

 異世界で勇者に転生する前の彼は、元日本のサラリーマンでアラフォーのおっさんだった。
 少年時代には、普通の男の子程度に銃に興味のあった彼は「ルガ―」という名前に到達することはできた。

(とにかくだ…… そいつは、少なくともこの世界のモノじゃない……)

 しかし、そんな物がなぜ、ここに存在するのか――
 それが全く分からない。彼の心の中に形容しがたいどす黒い不安のようなモノが広がっていく。
 この戦いに対する不安じゃない。
 なぜ、そんな物がこの世界に有るのかということだった。

(背後関係―― 絶対に聞くべきだ。ヤバい…… なにかヤバい……)

 リルリルを泣かせた相手ということで、怒りのボルテージがどんどん上がっていくのは確かだ。
 その一方で、心の中には、冷めた思考も走っていく。
 炎と氷が心の中で大きくなっていく。

 何か、非常にヤバいことが起きているのかもしれないという予感が大きくなる。

 彼は、再びリーキンの手の中にある物を見る。
 同時に、表情、気配に対し、全神経を集中していく。

 あまりにも予想外すぎて、心が乱れる。
 それを落ち着かせ、集中していく。

 この世界では、あり得ない存在。せいぜいが一五世紀から一六世紀程度の技術水準の世界だ。
 設計図があったとしても、組み立てすらできない精緻な技術の塊だ。

(銃はヤバい――)

「俺の後ろに回るな! 避けろ! 離れるんだ!」

 ウェルガーは叫んだ。周囲の人間にも危害が加えられる可能性に思い至った。
 その叫びと、先ほどの音――
 島の人間は「ワッ」という感じで散らばり、大きく離れて行った。
 
「アナタ!! アナタ!!」
「大丈夫! 勇者様は大丈夫よ!」

 褐色エルフのラシャーラが、離れようとしないリルリルを抱きかかえ、その場から動く。
 
 銃を構えたリーキンもその間はずっと動かなかった。
 周囲の人間を人質にするという発想は無かったようだった。

「ま、そろそろいいかい?」

 そう言うと、リーキンはトンッと前に跳んだ。
 いきなりだった。

 飛び道具を持ちながら、間合いを詰めてきたのだった。
 同時に、乾いた炸裂音が響く。
 鋼のメカニズムと無煙火薬が生み出す、音だった。

 ヒュンと灼熱の塊が脇をすり抜けた。

「あぶっねぇ……」
  
 ウェルガーそれでも間一髪で、弾丸をかわした。
 九ミリ×一九ミリパラベラム弾が、彼の上着を削りとっていた。
 意表を突かれはしたが、躱して躱せぬことはなかった。
 
 ウェルガーは銃を構えているリーキンを見やった。
 ただの悪党じゃない。かなりの腕をもったガンマンだ。

(あの地獄の訓練を思い出したぜ…… コイツ、やりやがる――)

 そして、彼は幼少期に受けた虐待ともいえる地獄を思い出した。

「あははっははは!! そんなもので、私が育てた、その子が倒せるわけないわよ」  

 その元凶というか、地獄の主が声を上げていた。
 長い黒髪をたなびかせ、喜悦の笑みと鋭い視線を放つ悪魔だ。
 彼の師匠のニュウリーンだ。その大きな胸をバーンと張って、偉そうにこの戦いを見ていた。
 
(火縄銃対策はしたからなぁ―― くそ…… 地獄だ…… あれも地獄だった……)

 彼は三歳の時の特訓を思い出した。
 イスに縛られ、身動きできない状態にされた。
 そして、彼を取り囲むようにして、紐で吊された火縄銃が三〇丁ばかりクルクルと回っているのだ。
 火縄の火がどのタイミングで、火薬皿に着火するかは分からない。
 そんな銃が、幼き日のウェルガーを狙い、そしてクルクルと回っているのだ。

 爆音とともに、鉛玉が吹っ飛んでくる。
 見当違いの方向に飛ぶ弾もあるが、その音煙が、最悪のフェイントになることもある。
 煙に紛れ、複数の弾丸が様々な角度から吹っ飛んでくることもあるのだ。

 それを、イスに縛られた状態でかわすのである。死ななかったのが奇跡だ。

 彼はそのような地獄の修行を経て、完成された勇者だった。
 
 勇者のパワーの根源たる魔力核を封印されても、身に着けた身体能力、戦闘勘というものは残っている。

「きゃはははは! ウェルガー。殺していいわよ。いえ…… そうね、まずは目玉をくりぬいてやりなさい。そして、指から一本ずつ骨を砕くのです。ほほほほほほほほ――」

 その訓練をやらせたサイコで狂気の師匠が高笑いしながら言った。
 彼女の大きな胸が笑い声に合わせ、バインバインと揺れるがそれどころではない。

(少しは黙っててくれ! トラウマを抉られる!)

 それでもニュウリーンの言葉は、一瞬リーキンの注意を削いだ。
 ウェルガーは後ろに跳んだ。間合いを空けるためだ。

 火縄銃と近代拳銃――
 弾丸の初速に関してはそれほど大きな差はない。
 ただ、あまりにも間合いが詰まれば、危険度が上がる。

「間合いが空いたら、こっちが攻撃できねーし、弾切れを待つか? で、ルガ―って何発入ってるんだ?」
 
 ルガ―という名は知っていても、装填弾数まで知っているほどのガンマニアではない。
 ただ、拳銃だし一〇発は無いだろうと、思うくらいだ。

 ウェルガーは身体を横にして相手に対峙する。
 晒す面積を減らすためだ。
 更に、拳を胸に当てる。飛び道具に対し心臓をカバーする定石。

「あれ? なんだ―― アッ!!」

 胸に当てたその手に硬い感触があった。
 彼が、それに気づいた瞬間、乾いた音が響いた。
 
 その間合いからでは、当たらない。
 銃は精密になればなるほど、銃口から真っ直ぐに弾丸が飛び出す。
 引き金を引くタイミング。その表情の変化――
 それを見切れば、当たるわけがない。

「うぉぉぉぉ!!」

 ウェルガーは吼えた。そして右手で何かを掴んで、素早く投げた。
 それはクルクルと回転しながら、カーンッと硬質で乾いた音をたて、男の頭を直撃した。
 男はそのまま、ひっくり返った。

「勝負ありよ! もう、終わり!! 負けよ、負けぇぇ!」

 カマーヌが声を上げた。
 まあ、声を上げぬとも、状況は明白だった。
 
「うがぁぁああああ!!! ああ、あ、あああああ――」

 リーキンは額を押さえ、ひっくり返って転げまわっていた。
 相当に痛かったのだろう。大の男が悲鳴を上げているのだ。

 地面には、コロコロと真ん丸な何かが転がっていた。

「あ、私のパン…… アナタ……」
 
 リルリルが転がるそれをジッと見つめ、小さな声で言った。
 それは、リルリルがお昼のお弁当に渡したパンだった。

 なぜか、彼女の作るパンは異常なほどに硬いのだ。
 そのお弁当の最後の1枚をウェルガーは、胸ポケットにいれていたのだった。
 
 リルリルは濃藍の宝石のような瞳をウェルガーに向けた。

「え…… あれ? 怒ってる?」

 リルリルの目はキュッとキツク吊り上っている。
 ウェルがは「怒った顔も可愛いよぉぉぉ」と思った。どうしようもない。

「私の作ったパンを投げたましたね…… 食べ物を粗末して……」

 リルリルが、小さくつぶやき、プンスカした感じで、ウェルガーを見た。
 しかし、耳だけはパタパタと激しく振られていた。

 彼が、食べ物を粗末にしたことで、妻からベタ甘のお仕置きを受けるのは、その晩のベッドの上のことになった。
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