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6話:カガクは異世界で使えますか?
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「お金儲けねぇ……」
考えていることが思わず、声となって漏れた。
ただ、その声は講師の声にかき消される。
一般教養の「歴史・地理 概要1」の講義中だった。
この世界にも鉛筆モドキのような筆記用具がある。
ただ高価なせいか、講義中にノート(それをノートといっていいなら)をとっているのは半分ぐらいだ。
俺は、雑記帳のようなノートを開いてはいたが、講義とは全然関係ないことを書いていた。
「紙」と書いた。
紙はどうなんだ。この世界の紙は高いな。
貴族の家に生まれた俺でも、紙を無駄には使えない。
安く造れるのか? どうなんだ?
つーか、紙ってどーやって作るんだ?
俺は新聞紙よりも質の悪い紙を見て考え込む。
確かに「紙」を安く大量生産出来れば、「金儲け」はできる。
しかしだ。
そもそも「紙」の作り方が分からん!
木か? 木くずで作るのか?
砕いて水に溶かして固めるのか?
どうなんだ?
禁断の魔導書「カガク」のどこかに、作り方の書いた物があるかもしれない。
あのバカみたいに広い地下の書庫のどこかに。
探すのか? 無理だよ。絶対に無理。
でだ、おそらく機械を使用して作るんだよな。
手作業で作っていては、大量生産なんてできそうな気がしない。
あッ、でも江戸時代の日本は紙が西洋より多くあったはずだな。
必ずしも機械が必要とは限らないか……
「紙」と書いた横に「要調査」と書く。
とりあえず、調べないと何とも言えない。
「紙」は一応候補として挙げておく。
案外簡単に作ることが出来るのかもしれない。
そもそも分からないのでなんともいえないのだ。
「え~ 農業生産は、土質の改造が可能となる魔法が開発されたことにより飛躍的に生産が可能となりましたが、教会への土地の寄進が進みますと、その土地での魔法が禁止され――」
講師の説明の声は耳には入るが反対の耳に抜けていく。
「農業」と「魔法」という言葉だけがかろうじて引っかかる。
この世界では魔法によって、農業改革も進んでいる。
こちらの歴史で発生した連作障害や、土壌の劣化は、魔法で解決していた。
こちらの世界の主力生産は小麦だ。
で、土地というのは、同じ作物を続け作るとダメになってしまう。これを連作障害といわけだ。
元いた世界では、豆なんかを途中で作付けすることで、これを防いだわけだが……
この世界では魔法で一発だ。
作物も「魔法生物学」の研究で、品種改良が進む。はっきり言って、遺伝子改造し放題だよ。魔法で。
魔法! 魔法! 魔法! 魔法!
すくなくとも農業じゃ「カガク」で金儲けは無理そうだな。
農薬とか肥料とか、概念すらない。だって魔法で解決できるから。
出来るとすれば、農具か……
でも、トラクターと収穫用の機械とか作れるわけがないよな、いきなりは。
すごいね! 魔法だよ。中途半端な科学知識なんか入る余地ないなこれ。
「農業も魔法かぁ~」
講義の静寂の合間と、俺の呟きがシンクロ。思いのほか声が響いた。
やばい。顔を上げる俺。なんか、視線が集まっているし!
「君」
講師が俺に視線を向けた。「君」とは明らかに俺のこと。
講師の頭。完全に死に絶えた毛根だけの頭だ。それが光を反射する。
「教会が自分の土地への魔法使用を禁止している理由はなにか、分かるかね?」
「え?」
初耳だ。そんなこと話していたのか。
しらねーよ。宗教上の理由か?
無農薬信仰みたいな。「うちのお野菜は『無魔法』栽培で安心です。信者様どうぞ!」というようなそんな……
「え…… 魔法に頼らず、食糧を作ることが正しいからですかね……」
下を向いてボソボソと答える俺。
失笑が漏れる。
「なにを持って正しいというのかね?」
「さぁ、分かりません」
「君、学部は?」
「史学部の…… 禁呪学科…… です」
それを訊いて、講師は「ああ~、そうかかぁ~」という感じで大きくうなずく。
何に納得してんだ?
そして講義を開始した。
俺を無視して。
くそ! 知るか! 教会の土地で魔法を使おうがどうしようが関係ねーよ。
「――え~、現在は農地の多くは教会への寄進地となっておりますね。これには…… まあ、色々ありますが。事実は事実です」
講師は話を続ける。今度は土地所有について話が移った。
教会は大地主だ。それは知っている。これはこの国だけじゃない。
この大陸全土に広がる広大な農地を持っている。
俺だって教会が大地主だって話は知識としては知っていた。そっち方面の質問なら答えられた。マジで。
寄進地は税金は王国への課税義務がなくなるんだ。
税は教会に納めるので、税金(年貢か)が無くなる訳じゃないが、安くはなるはずだ。
そもそも、ある種の勢力が農地を独占していくというのは、元の世界の歴史もあった話だからな。
受験生の知識でもその辺りは理解できることだ。
王国に納めるべき、税を教会に納めるということだ。土地の持ち主からすれば払う先を変えただけともいえる。
でも、それには「税が安くなる」だけじゃない大きなメリットがある。
王国に税を払うということは、その土地の所有権を担保しているのは王室ということになる。
で、王国は戦争やら、国庫の問題で、その土地の所有権を奪ってしまうこともあるわけだ。
戦略上の重要拠点とかね。一領主に持たせるには危険な場所とか、豊かすぎる場所とか。
教会はそんなことは考えない。金さえ入ればいいんだから。
まず、没収はない。戦争するのは教会の役目ではないからね。
そんなわけで、今や農地の多くは教会の物と言っていい。
王国とはいってもその支配する農地は、大きな領主程度になっている。
で、そうなると国庫が苦しくなるのは王国だ。
かといって、教会への寄進を禁ずるわけにもいかない。
で、王国は――
「――すなわち、王権は重商主義へと進みまして。商業。主に交易を中心とした産業育成を、さらに魔法をその基盤として――」
今度は俺の思考と、講師の講義がシンクロする。頭のハゲげたおっさんと一瞬心が通ったような錯覚に陥る。嫌な感じだ。
そう言えば、ハゲは魔法では治療できないんだよな。
俺はノートに「ヅラ」と書いた。
◇◇◇◇◇◇
講義は終わる。
バラバラと席を立つ学生たち。
俺は、そんな彼らを見ながらしばらく考えていた。
正解をもらえなかったさっきの質問がなんか引っかかっていた。
「教会は自分たちの支配する耕作地に魔法を使用しない」ってことだ。
なんでだ?
だって、魔法を使えば収穫も増えるし、困ることはない。
教会の経済基盤は、農地だ。これは古い経済構造基盤だ。
皮肉なことに、教会が農地を寡占することによって、王国は重商主義に舵を取らざるを得なくなっている。
王国は、商業拠点となる都市、各産業のギルド、そしてそれを根底で支える魔法を独占しているわけだ。
ユラシルド大陸の西端に同根の文化圏が広がり、そこにはあまねく教会の権威が行き渡っている。
さらに、王国、自治都市がひしめき合っている。
更に南に海を隔て、南にはネグロニアという大陸なのか島があるらしい。
西にはまた違った文化圏の民族がいることもまあ、知識としては知っている。
まあ、それはいい。
俺の住む世界というのは今のところ「ユラシルド大陸の西端」だろう。他は遠すぎる。
俺の住む世界とは教会が存在し、王国が並立するここ大地だ。
この世界がもっと広いことは知っている。しかし、俺が生きている間に行く機会もないだろう。
そもそも、ユラシルド大陸の西端と言ってもそれはそれででかいんだ。
でだ、そこでの権力構造というか、数多くの王国と教会の力関係だ。
農業生産を増やせば、教会の優位はもっとゆるぎない物になるかもしれない。
なんで、魔法を農業から排除するんだろう?
釈然としない。
この世界の魔法はまさしく、元の世界の「科学」に置き換わり社会を支えている。
まず、大都市に必須とされる「水」と「燃料」の問題が魔法で解決できてしまうのだ。
この部分で「カガク」の入る余地はない。
水を作る、火を熾(おこ)すという日常生活に必要な魔法は、コンパクト化され「魔容量」をほとんど食わない。
おまけに、魔力の消費も少なくなっている。
だから、多くの人が使える。
でも、使えない人もいないわけじゃない。
どれくらいの割合かは知らないが半分くらいはいてもおかしくない。
魔法の使えない人が住む場所(魔法が使えない人は下層階級が多い)には大家が受水池を造っている。
そう言った家の方が、入居率は良くなるのだから、当たり前の話だ。
また、魔法が使えなくても、金があれば、魔法を使える奴隷を買えばいい。
そういった奴隷はいくらでもいた。
そして医学の分野も科学の出る幕はない。
治癒魔法は、現代日本の医療水準を超えているんじゃないかと思う。
千切れた四肢の再生も可能な術者がいる。俺の姉だけど。
魔法使いの数が限られているので、魔法に頼らない「医療」もないではない。
体を清潔に保つことが、病気にならない秘訣であるという知識はある。
とにかく、付け焼き刃の医療知識は通用しないと思う。
魔法のある異世界にどうやって「カガク」を生かすのか?
そもそも、生かす余地があるのか?
そんなことを考えていた。
◇◇◇◇◇◇
地下の禁呪の書庫。第二書庫だ。
闇の中、椅子座ったシャクナゲが立ち上がった。
そして、歩を進める。
扉を開いた。
「ツユクサ先生」
「なんですか」
「扉の位置が毎回違うように思うんですけど……」
燭台の仄かな明かりの中、亜麻色の髪の彼女が首を動かした。
「仕掛け部屋になっているそうです。詳しくは知りませんが」
書庫に入ると、天井が薄っすらっと光りだす。
十分に本が読める明るさだ。
ツユクサ先生はろうそくを消した。
1時間ほどは魔力光の中で活動ができる。それ以上は本を傷めるのでダメだ。
「教会では耕作に魔法を使わないって知ってますか?」
俺は今日の講義でわだかまりとなっていたことを口にしていた。
「知っていますが?」
「なんでですか?」
「一般には、魔法は穢れを生むからです。教会の主張です」
なんだよ! 俺の言っていたこと、ほとんど正解じゃねーか!
俺がムッとしていると、ツユクサ先生は言葉を続けた。
「それは表向きでしょう――」
「え?」
「魔法が穢れを生むなど、彼らも信じてません。あ、その本取ってください」
俺は本を取って渡した。
ツユクサ先生は禁書を丁寧に籠に入れる。
「農地に人を縛り付けること。多くの人間を縛り付けることが目的です」
「それは?」
「食料を生産することは大事なことです。1人の人間を養うためには1人が目いっぱい働く必要があれば、そこには余剰の価値は生まれません」
「まあ、確かに……」
「王国の推進する、重商主義は、多くの人が農地から解放され、他の生産を行うからこそ、成立します」
びっくりした。この亜麻色の髪をした美少女の頭の中身だ。そんな発想をするとは思わなかった。
「教会と王国の対立という問題なんですか」
俺は言った。農業が魔法により人手がかからなくなれば、そのための人間は都市部に流れ込む。
そして生きていくために何かを生産する。それは食料ではない。
それは、王国の政策に合致することになる。
「さあ、それだけなのか…… 今のところ、類推でしかないですけどね。あ、その本も――」
俺から手渡された本を細く白い指で受け取る。
◇◇◇◇◇◇
ツユクサ先生は、籠に入れた本を取り出した。
机に置く。
俺はそれを開く。俺にはそれが読めるのだ。
「これも飛行機ですね…… 好きなんですね。ひこう…… え?」
ちょっと待て、なんでこの人は、この書庫の中から、飛行機の本を取り出したんだ?
俺は背表紙をみた、ボロボロになった後、赤い布で補強してある。それはどの本も同じだ。
「なんで? 飛行機の本を」
「興味があるから」
「いえいえいえいえ! なんでわかるんですか? 背表紙で!」
「色が見える。飛行機という概念が分かったので、同じことの書いてある本はその本の色が分かる」
こともなげに言ったよ。なにそれ?
「本の色?」
「飛行機に関する本の色をしている」
俺は籠に入っている本を取り出し開く。
開く。開く。開いた……
全部だ。
飛行機だ。
全部飛行機の本だった。
書庫の青白い魔力光の中、ツユクサという名の俺の指導教官は、じっと俺を見ていた。
その瞳の光もまた魔力光を帯びているように感じた。
彼女もまた、人外のチート能力の持ち主だった。
考えていることが思わず、声となって漏れた。
ただ、その声は講師の声にかき消される。
一般教養の「歴史・地理 概要1」の講義中だった。
この世界にも鉛筆モドキのような筆記用具がある。
ただ高価なせいか、講義中にノート(それをノートといっていいなら)をとっているのは半分ぐらいだ。
俺は、雑記帳のようなノートを開いてはいたが、講義とは全然関係ないことを書いていた。
「紙」と書いた。
紙はどうなんだ。この世界の紙は高いな。
貴族の家に生まれた俺でも、紙を無駄には使えない。
安く造れるのか? どうなんだ?
つーか、紙ってどーやって作るんだ?
俺は新聞紙よりも質の悪い紙を見て考え込む。
確かに「紙」を安く大量生産出来れば、「金儲け」はできる。
しかしだ。
そもそも「紙」の作り方が分からん!
木か? 木くずで作るのか?
砕いて水に溶かして固めるのか?
どうなんだ?
禁断の魔導書「カガク」のどこかに、作り方の書いた物があるかもしれない。
あのバカみたいに広い地下の書庫のどこかに。
探すのか? 無理だよ。絶対に無理。
でだ、おそらく機械を使用して作るんだよな。
手作業で作っていては、大量生産なんてできそうな気がしない。
あッ、でも江戸時代の日本は紙が西洋より多くあったはずだな。
必ずしも機械が必要とは限らないか……
「紙」と書いた横に「要調査」と書く。
とりあえず、調べないと何とも言えない。
「紙」は一応候補として挙げておく。
案外簡単に作ることが出来るのかもしれない。
そもそも分からないのでなんともいえないのだ。
「え~ 農業生産は、土質の改造が可能となる魔法が開発されたことにより飛躍的に生産が可能となりましたが、教会への土地の寄進が進みますと、その土地での魔法が禁止され――」
講師の説明の声は耳には入るが反対の耳に抜けていく。
「農業」と「魔法」という言葉だけがかろうじて引っかかる。
この世界では魔法によって、農業改革も進んでいる。
こちらの歴史で発生した連作障害や、土壌の劣化は、魔法で解決していた。
こちらの世界の主力生産は小麦だ。
で、土地というのは、同じ作物を続け作るとダメになってしまう。これを連作障害といわけだ。
元いた世界では、豆なんかを途中で作付けすることで、これを防いだわけだが……
この世界では魔法で一発だ。
作物も「魔法生物学」の研究で、品種改良が進む。はっきり言って、遺伝子改造し放題だよ。魔法で。
魔法! 魔法! 魔法! 魔法!
すくなくとも農業じゃ「カガク」で金儲けは無理そうだな。
農薬とか肥料とか、概念すらない。だって魔法で解決できるから。
出来るとすれば、農具か……
でも、トラクターと収穫用の機械とか作れるわけがないよな、いきなりは。
すごいね! 魔法だよ。中途半端な科学知識なんか入る余地ないなこれ。
「農業も魔法かぁ~」
講義の静寂の合間と、俺の呟きがシンクロ。思いのほか声が響いた。
やばい。顔を上げる俺。なんか、視線が集まっているし!
「君」
講師が俺に視線を向けた。「君」とは明らかに俺のこと。
講師の頭。完全に死に絶えた毛根だけの頭だ。それが光を反射する。
「教会が自分の土地への魔法使用を禁止している理由はなにか、分かるかね?」
「え?」
初耳だ。そんなこと話していたのか。
しらねーよ。宗教上の理由か?
無農薬信仰みたいな。「うちのお野菜は『無魔法』栽培で安心です。信者様どうぞ!」というようなそんな……
「え…… 魔法に頼らず、食糧を作ることが正しいからですかね……」
下を向いてボソボソと答える俺。
失笑が漏れる。
「なにを持って正しいというのかね?」
「さぁ、分かりません」
「君、学部は?」
「史学部の…… 禁呪学科…… です」
それを訊いて、講師は「ああ~、そうかかぁ~」という感じで大きくうなずく。
何に納得してんだ?
そして講義を開始した。
俺を無視して。
くそ! 知るか! 教会の土地で魔法を使おうがどうしようが関係ねーよ。
「――え~、現在は農地の多くは教会への寄進地となっておりますね。これには…… まあ、色々ありますが。事実は事実です」
講師は話を続ける。今度は土地所有について話が移った。
教会は大地主だ。それは知っている。これはこの国だけじゃない。
この大陸全土に広がる広大な農地を持っている。
俺だって教会が大地主だって話は知識としては知っていた。そっち方面の質問なら答えられた。マジで。
寄進地は税金は王国への課税義務がなくなるんだ。
税は教会に納めるので、税金(年貢か)が無くなる訳じゃないが、安くはなるはずだ。
そもそも、ある種の勢力が農地を独占していくというのは、元の世界の歴史もあった話だからな。
受験生の知識でもその辺りは理解できることだ。
王国に納めるべき、税を教会に納めるということだ。土地の持ち主からすれば払う先を変えただけともいえる。
でも、それには「税が安くなる」だけじゃない大きなメリットがある。
王国に税を払うということは、その土地の所有権を担保しているのは王室ということになる。
で、王国は戦争やら、国庫の問題で、その土地の所有権を奪ってしまうこともあるわけだ。
戦略上の重要拠点とかね。一領主に持たせるには危険な場所とか、豊かすぎる場所とか。
教会はそんなことは考えない。金さえ入ればいいんだから。
まず、没収はない。戦争するのは教会の役目ではないからね。
そんなわけで、今や農地の多くは教会の物と言っていい。
王国とはいってもその支配する農地は、大きな領主程度になっている。
で、そうなると国庫が苦しくなるのは王国だ。
かといって、教会への寄進を禁ずるわけにもいかない。
で、王国は――
「――すなわち、王権は重商主義へと進みまして。商業。主に交易を中心とした産業育成を、さらに魔法をその基盤として――」
今度は俺の思考と、講師の講義がシンクロする。頭のハゲげたおっさんと一瞬心が通ったような錯覚に陥る。嫌な感じだ。
そう言えば、ハゲは魔法では治療できないんだよな。
俺はノートに「ヅラ」と書いた。
◇◇◇◇◇◇
講義は終わる。
バラバラと席を立つ学生たち。
俺は、そんな彼らを見ながらしばらく考えていた。
正解をもらえなかったさっきの質問がなんか引っかかっていた。
「教会は自分たちの支配する耕作地に魔法を使用しない」ってことだ。
なんでだ?
だって、魔法を使えば収穫も増えるし、困ることはない。
教会の経済基盤は、農地だ。これは古い経済構造基盤だ。
皮肉なことに、教会が農地を寡占することによって、王国は重商主義に舵を取らざるを得なくなっている。
王国は、商業拠点となる都市、各産業のギルド、そしてそれを根底で支える魔法を独占しているわけだ。
ユラシルド大陸の西端に同根の文化圏が広がり、そこにはあまねく教会の権威が行き渡っている。
さらに、王国、自治都市がひしめき合っている。
更に南に海を隔て、南にはネグロニアという大陸なのか島があるらしい。
西にはまた違った文化圏の民族がいることもまあ、知識としては知っている。
まあ、それはいい。
俺の住む世界というのは今のところ「ユラシルド大陸の西端」だろう。他は遠すぎる。
俺の住む世界とは教会が存在し、王国が並立するここ大地だ。
この世界がもっと広いことは知っている。しかし、俺が生きている間に行く機会もないだろう。
そもそも、ユラシルド大陸の西端と言ってもそれはそれででかいんだ。
でだ、そこでの権力構造というか、数多くの王国と教会の力関係だ。
農業生産を増やせば、教会の優位はもっとゆるぎない物になるかもしれない。
なんで、魔法を農業から排除するんだろう?
釈然としない。
この世界の魔法はまさしく、元の世界の「科学」に置き換わり社会を支えている。
まず、大都市に必須とされる「水」と「燃料」の問題が魔法で解決できてしまうのだ。
この部分で「カガク」の入る余地はない。
水を作る、火を熾(おこ)すという日常生活に必要な魔法は、コンパクト化され「魔容量」をほとんど食わない。
おまけに、魔力の消費も少なくなっている。
だから、多くの人が使える。
でも、使えない人もいないわけじゃない。
どれくらいの割合かは知らないが半分くらいはいてもおかしくない。
魔法の使えない人が住む場所(魔法が使えない人は下層階級が多い)には大家が受水池を造っている。
そう言った家の方が、入居率は良くなるのだから、当たり前の話だ。
また、魔法が使えなくても、金があれば、魔法を使える奴隷を買えばいい。
そういった奴隷はいくらでもいた。
そして医学の分野も科学の出る幕はない。
治癒魔法は、現代日本の医療水準を超えているんじゃないかと思う。
千切れた四肢の再生も可能な術者がいる。俺の姉だけど。
魔法使いの数が限られているので、魔法に頼らない「医療」もないではない。
体を清潔に保つことが、病気にならない秘訣であるという知識はある。
とにかく、付け焼き刃の医療知識は通用しないと思う。
魔法のある異世界にどうやって「カガク」を生かすのか?
そもそも、生かす余地があるのか?
そんなことを考えていた。
◇◇◇◇◇◇
地下の禁呪の書庫。第二書庫だ。
闇の中、椅子座ったシャクナゲが立ち上がった。
そして、歩を進める。
扉を開いた。
「ツユクサ先生」
「なんですか」
「扉の位置が毎回違うように思うんですけど……」
燭台の仄かな明かりの中、亜麻色の髪の彼女が首を動かした。
「仕掛け部屋になっているそうです。詳しくは知りませんが」
書庫に入ると、天井が薄っすらっと光りだす。
十分に本が読める明るさだ。
ツユクサ先生はろうそくを消した。
1時間ほどは魔力光の中で活動ができる。それ以上は本を傷めるのでダメだ。
「教会では耕作に魔法を使わないって知ってますか?」
俺は今日の講義でわだかまりとなっていたことを口にしていた。
「知っていますが?」
「なんでですか?」
「一般には、魔法は穢れを生むからです。教会の主張です」
なんだよ! 俺の言っていたこと、ほとんど正解じゃねーか!
俺がムッとしていると、ツユクサ先生は言葉を続けた。
「それは表向きでしょう――」
「え?」
「魔法が穢れを生むなど、彼らも信じてません。あ、その本取ってください」
俺は本を取って渡した。
ツユクサ先生は禁書を丁寧に籠に入れる。
「農地に人を縛り付けること。多くの人間を縛り付けることが目的です」
「それは?」
「食料を生産することは大事なことです。1人の人間を養うためには1人が目いっぱい働く必要があれば、そこには余剰の価値は生まれません」
「まあ、確かに……」
「王国の推進する、重商主義は、多くの人が農地から解放され、他の生産を行うからこそ、成立します」
びっくりした。この亜麻色の髪をした美少女の頭の中身だ。そんな発想をするとは思わなかった。
「教会と王国の対立という問題なんですか」
俺は言った。農業が魔法により人手がかからなくなれば、そのための人間は都市部に流れ込む。
そして生きていくために何かを生産する。それは食料ではない。
それは、王国の政策に合致することになる。
「さあ、それだけなのか…… 今のところ、類推でしかないですけどね。あ、その本も――」
俺から手渡された本を細く白い指で受け取る。
◇◇◇◇◇◇
ツユクサ先生は、籠に入れた本を取り出した。
机に置く。
俺はそれを開く。俺にはそれが読めるのだ。
「これも飛行機ですね…… 好きなんですね。ひこう…… え?」
ちょっと待て、なんでこの人は、この書庫の中から、飛行機の本を取り出したんだ?
俺は背表紙をみた、ボロボロになった後、赤い布で補強してある。それはどの本も同じだ。
「なんで? 飛行機の本を」
「興味があるから」
「いえいえいえいえ! なんでわかるんですか? 背表紙で!」
「色が見える。飛行機という概念が分かったので、同じことの書いてある本はその本の色が分かる」
こともなげに言ったよ。なにそれ?
「本の色?」
「飛行機に関する本の色をしている」
俺は籠に入っている本を取り出し開く。
開く。開く。開いた……
全部だ。
飛行機だ。
全部飛行機の本だった。
書庫の青白い魔力光の中、ツユクサという名の俺の指導教官は、じっと俺を見ていた。
その瞳の光もまた魔力光を帯びているように感じた。
彼女もまた、人外のチート能力の持ち主だった。
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ワクワクが止まらない三歳児の
波瀾万丈
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