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12話:異世界の紙とカガクの紙

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 ムッとする汗の匂いと淀んだ空気。
 紙を造っている工場に足を踏み入れたときに真っ先に感じた物だ。
 更に青臭い植物の匂いが混じる。 

「魔法大学の女先生と貴族の坊ちゃんにはキツイかい?」

「いえ、そんなことないです」

 強い口調でツユクサ先生が言った。

「そうかい?」

 ニッと笑う。牙のような歯が見える。
 この工房の親方だった。カタクリという名だった。
 
 顔の下半分は、手入れのされていない濃いひげにつつまれている。
 頭は、薄汚れたバンダナを結わいている。
 袖から出る二の腕はパンパンにはち切れそうだ。
 しかも、ビッチリと三日月の紋様がバナナの房のように連なっている意匠の入れ墨入り。
 目つきはほとんど凶状持ちにしか見えない。

 俺より頭一つデカイ。ツユクサ先生と並ぶと、先生が小さな子どもに見える。
 多分190センチを超えている。体重は120キロくらいはありそうだ。
 しかし、先生は堂々と落ち着いて周囲を見ていた。
 肝が据わっている。
 
 一方――
 はっきり言って俺はビビっている。
 まず、この親方の顔が怖い。
 工房の親方というより「ご職業は山賊とか海賊とか、ソチラの方の方ですか?」と訊きたくなる感じだ。
 いや、訊けないけどね。怖いから。

「紙の原材料は?」

 背筋を伸ばし相手をキッと見上げてツユクサ先生は言った。
 ただ、言葉は柔らかい響きをもっていた。

「ぼろ布、それから繊維の固い草の茎だな。主にアサが多いか? なあ、どうだ?」

 この世界における紙の原材料のことだ。親方が大量の草を台車で運んでいる男に確認した。

「イグサも使いますが、固ければ、まあ、なんでもいいですよ。贅沢はいってられませんから」
「そうかい」

 親方は先生と俺に向き直ると「だってよ」と言った。
 ならず者の言葉づかいにしか思えない。

「木は使わないんですか?」

「木? 使わんね」

 俺はその言葉を聞いて少しほっとした。
 やはり、この世界の製紙法は遅れていることを確信した。

        ◇◇◇◇◇◇
 
 魔導書「カガク」から紙のことを見つけるのは簡単だった。「紙」はこの世界に存在する。「飛行機」とは違う。
 概念が分かれば、ツユクサ先生は書架から本を探すことができた。
 ただ、製法を書いてある本に当たるまで結構大変だった。
 製法に関しても、どー考えても無理という「工場」を図解したようなものまであった。
 そんなパルプ工場をつくるなら、飛行機でも作った方がまだマシだ。

 しかしだ。
 紙を大量生産する工程が書かれた部分もあった。
 まるで、この世界に科学文明が失われた時に、それを再興するためのマニュアルのような記述。

「確かに、分かりやすいんだけど――」

 揺れるろうそくの中、俺はそのページを見つめて言った。
 もしかしたら「飛行機」に関してもそのような記述を含んだ「カガク」があるのかもしれない。
 まあ、今は飛行機は後回しだが。 

「そうなの?」

 ツユクサ先生が覗きこむ。俺が禁呪を読み解くことで、彼女も読める漢字が増えた。
 ただ、多少判読できる漢字が増えたといっても「日本語」を理解できるわけではない。
 俺は、そこに書かれたことを読み上げていく。

「『苛性アルカリ水溶液』ってなにかしら?」

 説明する知識はある。要するに強アルカリの溶液。
 で、アルカリは水酸化イオンが水中溶け込んでいる場合に示す特徴だ。
 このあたりの知識は受験生だった俺の頭にはパンパンに詰まっている。
 それが生成できる化学式も頭の中に浮かぶ。
 しかし、そんなことを語っても仕方ない。
 どーすりゃ「苛性アルカリ水溶液」が出来るかってことだ。

 ページの文字を目で追う。
 水酸化ナトリウムとか、灰(カリ)、石灰なんかでもいいようだ。
 ただ使いやすいのは「消石灰」のようだ。
 石灰を熱して生じさせることも書いてあった。

 ただ、この世界には石鹸もガラスも存在している。
 おそらく「苛性アルカリ水溶液」はあるな。なきゃおかしい。 

「石鹸とかガラスを作る工房にあるかと思いますよ」

 おそらく、苛性ソーダの入手に技術的な困難さはないはずだ。
 石灰石を熱すれば消石灰は入手できるので、無ければ作るのも可能だ。

「それで、木を溶かして紙を作るの?」

「まあ、簡単に言ってしまえばそうですけどね」

 近代的な紙の原料の「レシピ」はこうなる。

 まずは、近くの森や林でとれる木材を切ってもってきます。
 枝や幹がいいです。セルロースが多く含まれているので、紙に最適です。
 それが用意できましたら、バラバラに細かく切っていきます。
 細かくすればするほど、表面積が大きくなり、次の工程の時間が短くなります。

 細かくした木を「苛性アルカリ溶液」ぶち込んで、グツグツと煮込みます。
 セルロースが分解する前にその他の組織が溶けていきます。
 
 そして、ドロドロスープができます。
 尚、味は保障できませんが、紙を作る材料になるのです。

 まあ、こんな感じだ。
 紙とは漂白されたセルロースを平べったくしたものだ。

 これを効率的に作るには――
 木を裁断できる設備。
「苛性アルカリ水溶液」でそいつを煮る設備。

 これがあればいい。
 後は裏ごし、漂白など。漂白は――
 俺は、ツユクサ先生の服を見た。
 いつもの紺色のローブ。その下は薄水色の服なのである。
 色々な色の布を作るのには漂白は欠かせないわけで、コイツはそっち方面から入手できる。

 で、目の細かい布を引いた型にそのスープを流し込む。
 そいつを押しつぶして乾燥すればいいんだ。

「まあ、既存の技術を組み合わせれば、そう費用も掛からず、設備が出来ると思うんですよ」

 今まで金を使う機会すらなく、貨幣価値すらぼんやりしていた俺だが、今はおおよその感覚をつかんだ気がする。
 正しいかどうかは分からんが。

 ツユクサ先生は、俺の説明を黙って訊いていた。
 そして、俺が話し終わると、少しの間を置いてその唇が動く。

「今の紙づくりと『カガク』の紙づくりは、どこが違うのかしら?」
「はい?」

 真正面やや下の方から、射抜くようなブルーの視線が俺に向けられた。

 まてよ、そうだな。
 材料は全部ある。でもって、技術的難易度も高くない。
 ってことは、すでに実現してるってこともあるわけ?

 俺は、自分でメモを書いていた紙を手に取った。
 粗末な新聞紙以下の紙だ。ジッと見る。
 しかし、見ても分からん。どーなんだろう。

「えーー、どうなんでしょうかね?」

 間抜けな言葉しか出てこない。

 そんな俺の言葉を聞いて、ツユクサ先生は「ふぅー」とため息のように息を吐いた。
 すいません。でもですよ。
 貴族のボンボンがこの世界の紙の作り方まで知っているとかあり得ないですよね?
 これは、仕方ないんじゃないですか。
 
「先生は、知っているんですか?」
「知らないわ」

 彼女はそれほど大きくない胸を張って断言した。自信たっぷりにだ。
「えっへん」っという書き文字が背後に見えそうなくらい。
 なんで、この人はそんなに自分に自信があるんだ。
 
「先性が知らないものを、自分が知っているわけないですよね?」
「そうかもしれないわね」

 彼女はそう言うと、今まで読んでいた本を手に取った。
 日本語で書かれた文書を目で追いかけるが、読めているわけはない。
 パタンと本を閉じた。

 彼女は細い指を顎にあてる。少し頭を傾ける。考えをまとめるときのポーズ。
 ゆらぐ燭台の光。それが、彼女の相貌を儚げに映しだす。

 こんな美少女を俺は「先生」と読んでいるんだなぁとあらためて思う。

「まあ、実地で調べるしかないわね」

 彼女はそう静かに言った。

        ◇◇◇◇◇◇

 というわけで、俺とツユクサ先生は、製紙工場というか、工房に来ている。

 王立魔法大学は「魔導書」を出版している。
 それも紙でできいるわけだ。表紙などは皮を使ったりしているのもあるが。
 つまり、製紙工場を見学するという、伝手はいくらでもあったのだ。

「違うわね」

「そうですね」

 2人だけしか聞こえないような声が交わされる。

 あの「カガク」書かれた製法とは明らかに違っていた。
 まず、材料に木材は使用されていない。
 ボロキレと、固い芯のある草の茎だ。
 そいつを叩き潰して、水に浸している。
 
 苛性アルカリ溶液などどこにもない。

「水にはどれくらい漬けとくんですか?」

 俺は親方に訊いた。
 少し余裕が出てきた。

「ああ? どれくらいだぁ?」
「すいません」

 反射的に謝る俺。怖いです。顔がすごく。

「いや、まあ10日くらいだな」

 別に怒っているわけではなかった。
 言葉が荒っぽいのだ。
 なんか、俺の身の回りの人と発音も違う。
 同じ言語のはずなのに……

 この世界は「階層社会」なのだと実感する。
 上層階級にいるはずの俺が、恐れを感じながらだ。

 結局この世界の紙の製法は、ボロキレや繊維質の固い草の茎を叩き潰すところから始まる。
 入念に叩き潰される。
 でもって、それを水につけるわけだ10日間だ。
 そうすると、繊維質が水を吸って柔らかくなる。

 またそれを取り出して叩く。ひたすら叩く。
 叩き潰して、紙の元となるドロドロした物を造っていく。
 後の工程は、こっちが考えていたものとほとんど変わらない。
 
 漂白工程がないことで、質がイマイチ。
 セルロース繊維を叩き潰してほぐすために、大量の人間が動員されている。
 おまけに水に10日もつけとくわけだ。
 連続した作業をするためには、スペースが非常に大きくなってしまう。
 だって1日目から10日目まで、それぞれの工程の水に浸かった原料が存在しているわけだよ。

 苛性アルカリソーダで煮込むなら1日もかからない。

「奴隷は何人いるのかしら?」

 ガンガンと木づちで草の茎を叩いている男たちを見ながら言った。
 
「ああ、全部で60人かな。ただ6人は休みだから。ここには今――」

「54人ですか」

「さすが、魔法大学の学士様だな。計算が早ぇぇじゃねぇか。なあ、おい」
 
 分厚い手でポンポンと肩を叩かれた。
 刺青の入った腕を近くで見ると、体が反射的に固まるんですけど。

「そんなに奴隷が……」

「なんだ? 先生、うちなんかまあ少ない方だぜ。最近は奴隷も高いしなぁ……」

「これは、紙が高くなるわけだわ――」

 ツユクサ先生は口元を指で押さえ、その言葉をつぶやいていた。


■参考文献
この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた ルイス・ダートネル(河出書房新社)
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