王立魔法大学の禁呪学科 禁断の魔導書「カガク」はなぜか日本語だった

中七七三

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18話:アルカリ溶液を作れ

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 製紙工房は快調だった。
 丸太を粉砕するヒナゲシ。
 最近は、3日に1回来てもらうだけで十分だった。
 
「中々、師匠のようには斬れぬもの――」

 切り刻まれた木片を手に取ってときどきときどきつぶやいている。
 ただ、それは彼女の事情であり、こっちにはどうでもいい。
 紙を作る材料にするのに、木片がキレイな形である必要は全く無い。

 彼女が粉砕した木片が山のようになっている。
 それを回収して、アルカリ溶液に漬けこむ奴隷。
 そして、漂白液にさらしつつ、中性化させる。
 出来た紙の原液を薄く延ばして乾燥させる。
 これは、結構技術がいる工程だ。

 アルカリ溶液は別ラインで作っており、漂白液は、繊維製品の漂白剤を仕入れている。
 それほど強いアルカリ溶液は作れないが、木片を細かくすることで、なんとか対応できている。

 こうしてできた紙の生産量は、同一規模の工房の10倍どころではなかった。
 20倍は超えている。
 量産性がいいということは価格を安く設定できるということだ。
 しかも、紙質もかなりいいのだから、とんでもない紙なのだ。

「市場では、かえって高級な紙として売られているみたいです」

 スズランが手に持った帳面を見ながら言った。
 ビッチリと色々なことが書きこまれている。
 奴隷の管理から、製造、仕入、出荷あらゆることを、この小さな女の子がやっている。
 年齢でいえば、まだ小学生か、中学校に入るか入らないかだろう。

 赤いバンダナを目深に巻いている。
 その容姿は、父親とは似ても似つかない。ボーイッシュで可愛らしいといっていい。

「市場では、以前の紙の倍の値段で取引されています」

 帳面に書かれたことを読み上げる様に言った。
 その帳面もここで作った紙で作られらものだ。
 今までのこの世界の紙とは違う上質紙に近い紙質だ。
 カタクリ親方はそれを黙って聞いていた。

「親方」

「ん、なんだ?」

 工房の親方カタクリが自分の娘を見やった。
 人相は悪いが、娘を見る目は少しやさしげに感じる。

「出荷の値段を上げた方がいいです」

「なんでだ? 今だって儲かっているじゃねーか」

 職人気質で、銭勘定(マネージメント)にあまり興味のない親方が不思議そうな顔をした。
 娘の話を聞いていなかったのか、理解できなかったのか。
 後者の可能性もある。

「これでは、紙問屋を儲けさせるだけです」

「こっちも儲かってんだろ? 欲をかくのはよくないぜ。それに、これは先生たちのおかげだ。こっちでどうこうできるもんじゃねぇよ」

 カタクリ親方は俺に視線を向けた。
 スズランは、少し不満そうだがなにも言わない。

「なあ、学士さんよ。そのあたりはどうなんだい?」

 今日は先生は工房には来ていない。
 よって、質問は俺に投げかけられるわけだ。

「まあ、論文を発表して、大学の承認が得られれば、生産の拡充は問題ないとおもいます」

「おお、そうか」

 カタクリ親方は、スズランに「もう少し待て」と言った。
 黙ってスズランはうなづいた。

「で、先生は今度いつ来るんだい?」

「しばらくはこれないかもしれないですね」

「そうかい……」

 ちょっと残念そうな顔でカタクリ親方が言った。
 
 先生が来ていないのは、今回のことを論文にまとめるためだ。
 禁呪の一部を解読した成果として発表するらしい。
 
 おそらく、インパクトはデカイ。
 王立魔法大学は紙を大量に消費する。
 その紙が大量に生産できるとなれば、貢献度は大だ。
 すでに、実物は大学の方に流れており、評価は高いようだ。
 後は、論文を発表し、成果を認めさせればいい。
 
 潰れそうな「禁呪学科」も生き延びることができるかもしれないのだ。

「学士様……」

 スズランが俺を見上げる様に視線を上げた。
 俺の背が高いというより、彼女が小柄すぎるだけど。

「なにかあるのかい? スズラン」

「先生が論文発表したら、この製法は国中に発表されるのですか?」

 この聡明な少女の質問に対し、俺は沈黙で答えるしかなかった。

        ◇◇◇◇◇◇

 王立魔法大学の一般教養課程の講義が終わる。
 今日は午前中は1コマだけになった。
 2コマ目の講義は休講になっていた。
 俺は、そのまま禁呪学科の研究室に向かった。

 ツユクサ先生は、講師なのだが「禁呪学科」以外の講義はもっていないはずだ。
 大学の教官としてはぺーぺーの下っ端だ。

 研究室に入ると予想通り先生はいた。
 椅子に座り、テーブルに紅茶。
 ぐたぁ~とだらけた感じで背もたれに寄りかかり、天井を見ていた。
 亜麻色の髪がなんかボサボサな感じだった。

「先生、なにしているんですか?」

「あッ!」

 先生はバネ仕掛けの人形のようにピシッと椅子に座り直し、亜麻色の髪を手で整えた。
 
「ちょっと、休憩を――」

「論文ですか?」

「そう。ずっとね」
 
 ツユクサ先生は、そういうと明らかに温くなっている紅茶の入ったカップを口元に運んだ。
 小さな声で「ぬるッ」と言ったのが聞こた。
 そして、トンとカップを置いた。

「先生、大学で発表したら、紙の製造はどうなります?」

「どうなるって…… 続けるわよ。というか、工房の人たちが続けたいんじゃないかしら」

 そりゃそうだ。生産量が10倍以上、下手すれば20倍以上となる。
 それで大儲けできるわけだから、元の生産体制に戻すわけがない。

「いや、このことを国というか、全面的に公開するのかどうかってことですけど」

 俺の質問を聞いて、ふっと目線を上げ、思案気に手を口に当てた。

「少なくとも私は、今回の結果を封印して公開しないということはしないわ」

「まあ、そうですよね」

 そもそも論文に書く時点で、情報は大学の中で共有される。
 そして、今でも実証実験中の工房には、他の工房から人が来るのだ。
 今は、魔法大学の名前で追い返しているし、外から見ただけでマネできるもんじゃない。

 ただ、それはいつまで保つか分からないことだ。

 スズランが「先生が論文発表したら、この製法は国中に発表されるのですか?」と俺に訊いたこと。
 それは、そのことを気にしているのだと思う。

 自分のところで、製法を独占できれば、儲かる。
 だから、今のうちに、出来るだけ儲けたい。
 他の工房がこの工法を実現する前に、稼ぎたいんだろう。

 それを望むスズランを欲の皮がつっぱているとは言えない。
 工房の監督を全部やっている彼女にとって、金を稼ぐことは大切なことだ。

「論文を発表すれば、色々な工房がこの方法で紙を作りますよね」

「そうね。遅かれ早かれそうなると思うわ」

 この世界には特許やパテントもなければ、知的財産を守るという考えもない。
 だいたい、元の世界だって、これを守らない国や企業はわんさかあって問題になっているくらいだ。
 文明程度がまだまだ発展途上段階にあるこの世界じゃ、それを期待する方がおかしい。

 情報の伝達が遅い社会であるが、それは現代の日本と比べての話だ。

「先生、飛行機作りたいんですよね――」

「どうしたのいきなり?」

「いや、今回の実験が成功すれば、色々できますよね」

「そうね……」

 彼女は完全に温くなった紅茶の入ったカップを手に取る。
 しかし、そのまま置いた。

「作りたいわ。空を飛ぶって―― 素敵だと思わない」

「そうですか」

 先生は視線を窓に向けた。
 相変わらずどんよりと曇った空。今朝から小雨が降っていたが、それは止んでいるようだった。
 いつも曇っているこの世界。そんな空を飛びたいのか?

「それに……」 

「それに?」

「あ、これはどうでもいいわ。で、なんでいきなり?」

「いや、この先、禁呪『カガク』研究をするにも、あの工房との協力関係は続けていくべきと思うんですよ。飛行機作るにしても、方法だけ分かったんじゃどうにもできませんよ」

「確かに、言っていることは分かるわ。で?」

 ツユクサ先生は身を乗り出して、真正面から俺を見つめた。
 ドキッとする。
 先生の距離感の取り方に、まだ慣れない。
 
「製紙方法について、あの工房が有利になるようなことができないかなと思っているんですけど」

 真正面から先生の視線を受け止めるのは荷が重すぎる。
 美形揃いのこの異世界である。先生も当然整った顔をしている。
 だけど、それだけじゃない。なんだろう。
 近寄りがたいような、隙のない美形というのじゃない。
 人目を集めるような派手な美しさでもない。

 キレイな顔をしているんだけど、すごく身近に感じる。不思議な、懐かしい感じもする。
 
「彼女がいれば、全然有利でしょ? あんな剣士がそうそういるとは思えないわ」

「ヒナゲシさんですか? 永久就職するわけじゃないですよ。当分はいるかもしれませんが」

「確かにそうね」

 確かに、丸太を一瞬で粉砕するヒナゲシみたいな剣士がそこらにいるとも思えない。

 しかし、ヒナゲシみたいな剣士はいなくても、従来の製造法よりは生産力はアップはできる。
 奴隷を大量につぎ込めば、なんとかなるかもしれない。
 それに、剣の道を究めようとしているヒナゲシをいつまでも、丸太粉砕機で使い続けるわけにはいかないだろう。 
 彼女がいなくなって、他の工房が新しい工法を知れば、その差が全くなくなるわけだ。

「となると、彼女に変わる丸太の粉砕法を考えるしかないわね」

「うーん…… そうですね」

 ツユクサ先生が言うまでもなく、考えてはいたが、内燃機関もなく、近くに水車もなければ、風車もない。
 動力は奴隷だけなのだ。となると、奴隷に仕事をやりやすくする機械――

 俺の頭の中に、奴隷が軸から生えた棒を持ってクルクル回しているシーンが思い浮かんだ。
 地下室とかで延々それをやらされる感じのだ。
 あれだ。よく奴隷がこき使われているイメージで使われる絵図だ。
 あれに、なんの意味があるのかと思ったが、奴隷に回転運動をやらせれば、なにか効率のいい粉砕機械ができるのかもしれない。

 原案を提示すれば、スズランが仕掛を考えてくれるかもしれない。
 
「あとは、溶液よね…… どうなのかしら」

「溶液ですか」

 強烈なアルカリ溶液があれば、より早くセルロース以外をドロドロにできる。
 だけど……
 
「あっ!!」

「どうしたの、急に大きな声出して?」

「俺、ちょっと工房行ってきます! 先生、多分できそうです」

「え? なにを?」

 分かった。あるぞ。方法はある。
 俺は研究室を飛び出していた。
 
 俺は前世で自分が受験生であったことを感謝した。
 そして、この世界で俺が持っている唯一の能力についても。

        ◇◇◇◇◇◇

「卵と塩ですか? どうするんですか、料理でも作るんですか?」

「違う!」

 俺の大きな声に、ビクリと身を縮めるスズラン。

「ごめん、大きな声出して……」

 抜群に頭が切れる。もはや天才と言っていい存在であるが、小さな女の子だ。
 
「いえ、ちょっとびっくりしただけです」

「スズラン、とにかく手に入るかどうかだ」

「それは、全然問題ないですけど――」

 工房に着いた俺は、スズランと話をすることにした。
 彼女に協力してもらえれば、実現可能性は高い。

「そんなもので、なにができるんですか?」

「強烈な溶液だ。木を溶かす溶液ができる」

「卵と塩で?」

「それに、水だ――」

 スズランは意味が分からんという顔をして俺を見つめる。
 まるで「この学士さん、頭大丈夫なのかな?」と言っているようだった。
 大丈夫だ。問題ない。

「水に塩を溶かすんだ。そして、卵の殻についた膜で、塩水を二つに分けられるようにする」

 俺の説明にふんふんと頷く。

「そして、これだよ。ちょと手を出してごらん」

 スズランは細い手をこちらに差し出した。

「痛くは無いと思うけど、びっくりしないでな」

 そう言って俺は弱い電気を彼女に流した。

「え!!」

 俺は手を離す。彼女は不思議そうに俺の顔を見つめた。

「痛かった?」

「驚いたけど、痛くはなかったです」

 彼女は首を横に振って言った。

「電気だ。俺は電気を作ることが出来る」

「電気?」

「まあ、魔法の力だと思ってくれ。いいか、それを使えば、強い溶液も、漂白液も作ることが出来る」

 食塩水の電気分解。半透膜による、水酸化ナトリウム溶液の生成だ。
 更に、水素と塩素を反応させて、塩酸の生成もできるはずだ。

 俺は、スズランに自分の考えを説明した。
 受験生の知識の断片と俺の生まれ持った知識が生かせそうだ。
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