王立魔法大学の禁呪学科 禁断の魔導書「カガク」はなぜか日本語だった

中七七三

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20話:神の加護があらんことを

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 男が立っていた。
 俺と先生は、その男と王立魔法大学の応接室で会った。
 応接室の窓から見える空は今日も分厚い雲に覆われていた。

「ガランサス・カゲロウです」

 小さくつぶやくような声。
 ぬめるような湿気を感じさせる声音。
 その男は自分の名を口にしていた。

「禁呪学科、准教授のツユクサ・アカツキです」
「禁呪学科1年のライラック・ドレットノートです」

 先生と俺は名乗った。
 目の前の男は、襟の高い黒い服を着ている。
 黒い服は意外に汚れが目立つ物だが、細かなホコリすらついていない。

 そこに「∞」の片方の円に縦の棒が入った紋章。
 それが、教会の人間であること示していた。
 おそらく、服の下には同じ形をした物を首から提げているのだろう。

 まるで、闇をまとっているかのような感じだ。
 黒く長い髪は肩より下まである。
 
 作り物めいた笑みを浮かべ、こっちを見ている。
 肌が白い。なんというか、健康的な白さではない。
 日の当たらないとこに棲んでいる得体のしれない生き物を連想させる白さだ。

 俺のこう言ったあまりよくない印象は、やはりこの男が教会から来たという先入観があるからだろうか。

「その美しさと若さで、王立魔法大学の准教授ですか。すごいものです。そして、名門ドレットノート家の御子息が助手を――」
 
 ねっとりとした言葉だ。先生や自分のことを言われるのはなんかいい気持ちがしない。

「お座りになってはいかがですか」

「ありがとうございます」

 先生の言葉に促され、すっと音もなく動いた。
 教会から来た男、ガランサスは座った。
 そしてツユクサ先生と俺も向かい合った椅子に座った。 
 真っ黒なガラス球みたいな感じの目でこちらを見ている。

「作りのよい椅子です」

 言葉の意味は分かるが、そこには、感情など一切感じられない。
 向かい合っているだけで、なぜか嫌な気分になってくる。

 早く、終わらせたい。
 俺は、それしか考えていない。

 数日前に製紙工房に、教会から視察団がやってきた。
 先生と俺も立ち会って、色々と説明した。基本的には嘘はいっていなかった。
 このような「製法」の情報をどこから得たのか?
 そういった質問が中心だった。
 発掘された古い書物からの情報だとだけ回答している。
 相手はそれで納得した。
 その場で、大きな失態をやらかした記憶はないし、教会の視察団も特に何もいうことなく帰って行った。

 学問上、禁呪の解読を行う権利は王立魔法大学にある。
 それが、教会の教え。特に「聖典」に記載されている禁忌に触れることであれば、問題になるだろう。
 しかし、やったのは「製紙」に関する改革だ。
 その点では、すでに異端ではないという結論が出ている。
 だからこそ、教会は、利権に絡んできたわけだ。

 製法を独占せず、かといってタダで渡すというわけでもない。
 一定のライセンス料のようなものをもらうことで、製法を公開している。
 その公開にあたり、無断で製法を真似ることを禁じるために、教会の権威を利用した。
 人に法を守らせるということでは、王国などより教会の方が力があるのだ。

 本来なら「商法」という「世俗法」であり、神の定めた「戒律」でもなんでもないんだけど。
 この世界の教会の権威は世俗の決まりまで力を及ぼせる。
 上手く使えば、有用なのかもしれないが……

 俺は、隣に座って、奴隷が運んできた紅茶を口に運ぶ先生を見た。
 年下(?)の俺が言うのはおかしいかもしれないが、可愛らしい顔だ。
 しかし、その顔に似合わない強かさというか、頭の回転の良さを持っている。
 まあ、じゃなきゃ、魔法大学の准教授なんかにはなれんだろうし。

 というわけで――
 教会にも幾分かの金が流れる様にして、「カガク」による紙製法の無断利用を禁ずることにしている。
 宗教組織としては「腐敗、堕落」といえるのかもしれない。
 でも、教会が世俗に歩みよってくれるなら、こちらとしてはありがたい話だと思っていた。

 それが、今になってなんで「異端審議官」が大学にやってきた。
 どう考えても、いやな予感しかしない。
 もしかしたら、もっとカネをよこせと、強請られるのか?
 
「それで、今日はいったい。工房の視察でなにか問題でも」

 ツユクサ先生が相手を真正面から見据えて言った。
 音もなく静かに、カップをテーブルに置いていた。
 声も静かだ。

「視察団の報告に、特に問題があったわけではないのですが――」
 
 目の前の男は、口元に笑みを浮かべて言った。
 虚ろな笑みだ。表情としての形は「笑み」だが感情という実体がスコーンと抜けた感じがする。
 仮面の笑みだ。

「では、なんでしょうか?」

「さぁて…… なんと説明すればいいのでしょうか」

 そう言って、ガランサスは、出された紅茶に口をつけた。
 無造作な感じだが、作法が身についている動きだ。

「アナタはなにを望んでいるのですか?」

 ガランサスは先生の問いに対し、答えることなく、問いかけてきた。
 虚ろな笑みを浮かべたままだった。

「私の望み? それがなにか?」

 怪訝(けげん)な顔。碧い瞳に初めて警戒の色が浮かんでいる。

「質問の仕方を変えましょう。アナタはこの世界をどうしたいとお考えでしょうか」

「世界?」

「神と人のありようです――」

「考えたことも無いわ。私は研究者だから、古い文献を調べて、研究をする。それが私の――」

「神から与えられた使命ですか?」

「アナタがそう考えるならそれでいいわ」

 応接室の中に冷たい風が流れ込んできたような気がした。
 外はまだ蒸すような空気が流れているというのに。

 ガランサスは、椅子の背もたれから体を離した。
 すこし、前のめりとなり、祈りをささげるかのように両手を組んだ。
 その組んだ拳を口元にもってきた。
 笑みを浮かべていた口元が見えなくなった。
 気がついた。この男の目が一切笑っていなかった。

「教会にも色々意見はあるのです。神の言葉を理解しようとしても、しょせんは人の知恵です。そこに錯誤は生じます。対立も生まれるでしょう」

「アナタが何を言いたいのか、私にはよく分かりません」

「人は社会の中に生きます。その社会を変えることで、神と人との関係が変わってはいけないということです。少なくとも私はそう考えています」

「社会を変える?」

「アナタ、いえ、アナタたちの生み出したものです」

 そういって、ガランサスはすっと視線を俺の方に向けた。
 避けなかった。なぜか、その視線をよけたらいけないような気がした。
 真正面から、気味の悪い視線を受けた。
 首の後ろの産毛が逆立つような感じがした。

「人は変わるし、社会が変わっていくのは仕方ないことではないでしょうか」

 俺がそんなことを言えたのに俺自身が驚いた。
 でも、ガランサスの方も微かに驚きの色を目に浮かべた。
「虚ろ」な存在が不意に実体をもったような気がした。

「人は変わります。赤子は大人になり、老いてやがて死ぬ。社会の在り方も変わるでしょう。神の創りたもうた自然ですらそうでしょう。全ての物は変化の流転の中にあるのかもしれません――」

 ヌルリとした声がその空間に溶けだすように流れていた。
 
「しかし、永遠であり、不滅の物はあります。神です。そして、神と人の関係。これは永遠でなくてはなりません。社会が変わってもです――」

「それは、そうでしょう」

 ツユクサ先生は「ふぅ~」と息を吐いて、その言葉を首肯した。
 否定する材料もないし、ここで宗教論争をする気もないのだろう。
 俺だってそうだ。

「アナタは、興味深い――」

「私が?」

 先生が一瞬、その大きな目を見開いた。

「アナタが神の下で真理を求めるならば、私も共に歩みたい。ふと、そう思いました――」

「道は違うかもしれませんが、目指す頂は同じではないでしょうか?」

 先生の言葉はどこかで聞いたことがあった。あッ、ハルシャギク兄ちゃんが言っていたことだ。

「社会の変化―― 人の意識の変化―― それは人のおごりとなり、神との関係を変えてしまうかもしれません」

「さあ、私には分かりかねる部分です」

「そうですか」

 そう言うと、ガランサスはスッと立ち上がった。
 
「神の加護があらんことを――」

 そう言って、音もなく動き、応接室を出て行った。
 部屋を出て行って、ふた呼吸ほどで、俺の緊張が一気に崩壊。
 そのまま、背骨がぐにゃりとなった様にして、椅子の背もたれに身をあずけた。
 
「ふぅ~」

 大きなため息。隣からだった。
 同じだった。ツユクサ先生も、全身の骨が溶けたようにして、椅子に身を沈めていた。
 俺より、緊張していたのか?
 
 不意に先生がこっちを見た。碧い瞳。

「なにッ? なんかあるの? ライ」

 先生がプッとふくれて俺に言った。
 どうやら、俺は先生を見て、にやけていたようだった。

        ◇◇◇◇◇◇

 重く垂れこめる空の下。
 黒ずくめの服を着た男が歩いていた。

 王立魔法大学のある大きな街路。石畳の続く整備された道。
 人通りが多かった。そして、多くの人がまるでその男を避ける様にしてすれ違う。
 決して飛び抜けて背が高いわけでもない。
 特徴的な顔であるというわけでもない。
 ただ、その身にまとった雰囲気がどこか異質だった。

 教会の「異端審査官」――
 ガランサス・カゲロウだった。

「いるのでしょう」

 声ではない声をつぶやく。
 人の可聴音域から外れた声。
 それは、彼が職務上、身に着けた技術のひとつだった。
 教会に属する者でも、使えるのは限られた者だ。

「ガランサス殿―― ケシはここにおりますれば」
 
 その声も、ガランサス以外には聞こえない。
 そして、もしその声が聞こえたとしても、声の主がどこにいるのかまでは分からないだろう。
 それだけ、多くの人間が行きかっている。

「ケシは、どう思いますか?」
「はて、なにをですかな?」
「聞いていたのでしょう?」

 ガランサスの唇が細かく震えていた。
 
「聞いてはおりましたが―― 私にはなんとも。ただ、命じればよいかと『殺せ』と『滅せよ』と――」

「ケシ―― 私は聖職者なのですよ」

「ガランサス殿―― 我が身は神の刃にございますれば」
 
 うつむき加減のガランサスの口元に空虚な笑みが浮かび上がった。

「魂を清め、神の元に送らねばなりません。これも救済です――」

 声にならぬ空気の震えが虚ろに流れて行った。
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