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3.陸軍との交渉
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上海の夜は、租界の喧騒と戦火の臭いが混じる。
昭和通商の片桐は、古びたフォードのトラックから降り、雑居ビルの一角に潜む帝国陸軍の特務機関へと足を踏み入れる。
一九三九年、中国戦線は泥沼化し、資源と資金の確保は陸軍の至上命題となっていた。
片桐の目的は、匪賊との取引に必要な阿片二トンと、それを運ぶ高速艇の確保。
山田の命が懸かるこの任務に、失敗は許されない。
特務機関の事務所は、煙草の煙と書類の埃が漂う薄暗い部屋だった。
壁には中国大陸の地図が貼られ、ピンで蒋介石軍の動きが示されている。
机の向こうに座るのは、中佐の肩書を持つ山本。四〇代半ば、脂ぎった顔に尊大な笑みを浮かべ、片桐を値踏みするように見つめる。
背後には、陸軍の将校当番兵である特務兵が無言で立ち、部屋に重い空気を漂わせる。
「昭和通商の片桐か」
「そうだ」
「阿片二トンだと?」
山本は机に肘をつき、嘲るような口調で続ける。
引き出しを開け、軍用タバコの「ほまれ」を取り出した。
口に咥え、火をつける。大きく吸い込み紫煙を吐き出した。
「ふざけるな」
「ふざけてはいない」
「そんなものを民間の商社に渡すと思うか? 貴様、何様のつもりだ?」
山本は机を叩き、唾を飛ばして怒鳴る。声は部屋に反響し、将校当番兵が一瞬身構える。
だが、片桐は微動だにしない。スーツの埃を軽く払う。
一歩踏み出して山本の目を真っ直ぐ見据える。
その眼光は、まるで捕食獣が獲物を睨むようだ。
顔が墨でベタ塗りになり、目だけがくっきり浮かび上がっていた。
部屋の空気が一瞬で凍りつく。
「中佐、タングステン鉱石六〇トンの価値を分かってんのか?」
片桐の声は低く、しかし鋭く響く。
「価値?」
「ぬぅ」
「タングステンが無けりゃ、兵器生産が止まる。兵器生産が止まれば、工作機械も砲弾も作れねえ。どうする?」
「それは、精神力で……」
「戦争するのに精神力だけでどうにかできるかよ? 阿呆か」
帝国陸軍軍人として、精神力否定は聞き捨てならぬことであったが、片桐の迫力が聞き捨てさせてしまった。
「物量ガ無きゃ、蒋介石に押し負けるぞ。俺が今動かなきゃ、陸軍の面子も戦線も終わりだ。阿片を出せ。さもなくば、俺が参謀本部に直談判して、お前の首を飛ばしてやる」
片桐の言葉は、単なる脅しではない。
昭和通商は、帝国陸軍が主導し、財閥が出資する特務機関に近い組織だ。
表向きは商社だが、戦費調達、資源確保、情報収集を担う裏の顔を持つ。
片桐の背後には、三井や三菱の財閥、そして陸軍上層部の影がちらつく。
山本は一瞬言葉を失い、額に汗が滲む。
一九三九年の中国戦線は、長期化による資源不足が深刻化していた。
タングステンは、兵器生産に不可欠な工作機械や砲弾の製造に必要な戦略物資。
日本本土に資源は乏しく、中国大陸での確保が急務だった。昭和通商は、この危機に対応すべく設立された。
陸軍の特務機関と連携しつつ、財閥の資金力と民間の柔軟性を活かし、匪賊や闇市場との取引を担当。片桐のような「商売人」は、陸軍の将校以上に危険な任務を遂行する存在だ。
山本は、特務機関の中佐として上海での情報収集と現地工作を統括するが、昭和通商の影響力には敏感だ。
片桐の「参謀本部に直談判」という言葉は、山本にとって脅威だ。参謀本部には、昭和通商を後押しする高級将校がいる。
もし片桐が直訴すれば、山本の経歴に傷がつくどころか、左遷や更迭もあり得る。
片桐は山本の動揺を見逃さない。もう一歩踏み出し、机に手をついて身を乗り出す。
「中佐、俺は時間がない。山田が匪賊に人質だ。タングステンが手に入らなきゃ、陸軍の兵器工場が止まる。蒋介石が笑うぞ。お前がここでグズグズしてる間に、戦線は崩れるんだ。阿片二トン、すぐ用意しろ」
片桐の声は、まるで刃物のように鋭い。山本は目を逸らし、喉を鳴らす。将校当番兵がそわそわと動くが、山本は手を上げて制する。
「……貴様、口の利き方を知らんのか。陸軍の物資をそんな簡単に動かせると思うな」
山本は強がりを言うが、声に力がない。片桐は口元に獰猛な笑みを浮かべる。
「動かせるさ。動かさなきゃ、俺が動かす。お前が嫌なら、俺が直接参謀本部の大佐に話をつける。どうする?」
山本の顔が赤らむ。片桐の言葉は、山本のプライドを踏みにじる。だが、昭和通商の裏にいる財閥と陸軍上層部の力を思えば、逆らうのは危険だ。山本は唇を噛み、渋々頷く。
「…分かった。阿片は用意する。だが、二トンだぞ。倉庫の在庫を動かすには、上司の許可が必要だ。時間がかかる」
片桐は鼻で笑う。
「時間はない。明日の夜までに用意しろ。さもなくば、お前の名前を参謀本部でしっかり覚えてもらうぞ」
昭和通商の片桐は、古びたフォードのトラックから降り、雑居ビルの一角に潜む帝国陸軍の特務機関へと足を踏み入れる。
一九三九年、中国戦線は泥沼化し、資源と資金の確保は陸軍の至上命題となっていた。
片桐の目的は、匪賊との取引に必要な阿片二トンと、それを運ぶ高速艇の確保。
山田の命が懸かるこの任務に、失敗は許されない。
特務機関の事務所は、煙草の煙と書類の埃が漂う薄暗い部屋だった。
壁には中国大陸の地図が貼られ、ピンで蒋介石軍の動きが示されている。
机の向こうに座るのは、中佐の肩書を持つ山本。四〇代半ば、脂ぎった顔に尊大な笑みを浮かべ、片桐を値踏みするように見つめる。
背後には、陸軍の将校当番兵である特務兵が無言で立ち、部屋に重い空気を漂わせる。
「昭和通商の片桐か」
「そうだ」
「阿片二トンだと?」
山本は机に肘をつき、嘲るような口調で続ける。
引き出しを開け、軍用タバコの「ほまれ」を取り出した。
口に咥え、火をつける。大きく吸い込み紫煙を吐き出した。
「ふざけるな」
「ふざけてはいない」
「そんなものを民間の商社に渡すと思うか? 貴様、何様のつもりだ?」
山本は机を叩き、唾を飛ばして怒鳴る。声は部屋に反響し、将校当番兵が一瞬身構える。
だが、片桐は微動だにしない。スーツの埃を軽く払う。
一歩踏み出して山本の目を真っ直ぐ見据える。
その眼光は、まるで捕食獣が獲物を睨むようだ。
顔が墨でベタ塗りになり、目だけがくっきり浮かび上がっていた。
部屋の空気が一瞬で凍りつく。
「中佐、タングステン鉱石六〇トンの価値を分かってんのか?」
片桐の声は低く、しかし鋭く響く。
「価値?」
「ぬぅ」
「タングステンが無けりゃ、兵器生産が止まる。兵器生産が止まれば、工作機械も砲弾も作れねえ。どうする?」
「それは、精神力で……」
「戦争するのに精神力だけでどうにかできるかよ? 阿呆か」
帝国陸軍軍人として、精神力否定は聞き捨てならぬことであったが、片桐の迫力が聞き捨てさせてしまった。
「物量ガ無きゃ、蒋介石に押し負けるぞ。俺が今動かなきゃ、陸軍の面子も戦線も終わりだ。阿片を出せ。さもなくば、俺が参謀本部に直談判して、お前の首を飛ばしてやる」
片桐の言葉は、単なる脅しではない。
昭和通商は、帝国陸軍が主導し、財閥が出資する特務機関に近い組織だ。
表向きは商社だが、戦費調達、資源確保、情報収集を担う裏の顔を持つ。
片桐の背後には、三井や三菱の財閥、そして陸軍上層部の影がちらつく。
山本は一瞬言葉を失い、額に汗が滲む。
一九三九年の中国戦線は、長期化による資源不足が深刻化していた。
タングステンは、兵器生産に不可欠な工作機械や砲弾の製造に必要な戦略物資。
日本本土に資源は乏しく、中国大陸での確保が急務だった。昭和通商は、この危機に対応すべく設立された。
陸軍の特務機関と連携しつつ、財閥の資金力と民間の柔軟性を活かし、匪賊や闇市場との取引を担当。片桐のような「商売人」は、陸軍の将校以上に危険な任務を遂行する存在だ。
山本は、特務機関の中佐として上海での情報収集と現地工作を統括するが、昭和通商の影響力には敏感だ。
片桐の「参謀本部に直談判」という言葉は、山本にとって脅威だ。参謀本部には、昭和通商を後押しする高級将校がいる。
もし片桐が直訴すれば、山本の経歴に傷がつくどころか、左遷や更迭もあり得る。
片桐は山本の動揺を見逃さない。もう一歩踏み出し、机に手をついて身を乗り出す。
「中佐、俺は時間がない。山田が匪賊に人質だ。タングステンが手に入らなきゃ、陸軍の兵器工場が止まる。蒋介石が笑うぞ。お前がここでグズグズしてる間に、戦線は崩れるんだ。阿片二トン、すぐ用意しろ」
片桐の声は、まるで刃物のように鋭い。山本は目を逸らし、喉を鳴らす。将校当番兵がそわそわと動くが、山本は手を上げて制する。
「……貴様、口の利き方を知らんのか。陸軍の物資をそんな簡単に動かせると思うな」
山本は強がりを言うが、声に力がない。片桐は口元に獰猛な笑みを浮かべる。
「動かせるさ。動かさなきゃ、俺が動かす。お前が嫌なら、俺が直接参謀本部の大佐に話をつける。どうする?」
山本の顔が赤らむ。片桐の言葉は、山本のプライドを踏みにじる。だが、昭和通商の裏にいる財閥と陸軍上層部の力を思えば、逆らうのは危険だ。山本は唇を噛み、渋々頷く。
「…分かった。阿片は用意する。だが、二トンだぞ。倉庫の在庫を動かすには、上司の許可が必要だ。時間がかかる」
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