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巻の二十二 後宮にひそむ闇。
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俺に妹ができた。
初めてできた兄妹。
八つ違いの異母妹。母が違う妹は、後宮の一つ、碧玉宮で母妃とともに暮らしているという。
(どんな子なんだろう。会ってみたいな)
皇太子として琥珀宮暮らす日々。
同じ内廷にある天藍宮で暮らす皇后の母、思清宮で暮らす皇帝の父。
父か母に頼めば、会わせてくれるだろうか。
幼い俺は、単純に妹の誕生を喜んでいた。
「そうじゃの、一度会うておこうかの」
そう言い出したのは母だった。
公主の誕生祝い。そして碧玉貴妃の見舞い。
母は、俺と大勢の官女を連れて碧玉宮へと赴いた。
「これは、皇后さま、皇太子殿下――」
「そう恐縮せずともよい。かわいい公主と聞いての。一度顔を見せてもらいに参っただけじゃ」
碧玉宮に俺たちが足を踏み入れた途端、そこにいた官女をはじめ碧玉貴妃に緊張が走った。
子どもだった俺には、どうしてそこまで碧玉貴妃の顔が強張っているのか、まったく見当がつかなかった。皇后と皇太子が訪れたことで緊張しているのか? そう思っていた。
「おお、かわいい公主じゃの。栄順ともよう似ておるわ」
赤子を抱き上げる母皇后。子をあやす……など、日頃から別の宮で暮らし、優しく接してもらったことのない俺から見ても、少し不思議な光景だった。
母は、そこまで〈子〉というものを好いていただろうか。
「とても凛々しい目元じゃの。眉もハッキリされておられるが……」
「この子は女子でございますっ!!」
碧玉宮つき官女の一人が悲鳴じみた声をあげた。
一瞬、その声にビクンと震えた俺と違って、母は興覚めだと言わんばかりに鼻を鳴らし、その官女を軽く睨みつけた。
「栄順、そなたも抱いてみるか? 異母妹じゃぞ?」
母の言葉におそるおそる手を伸ばす。
「ほれ、気をつけて、落とさぬようにな」
言葉と裏腹に、赤子を渡す母の手はかなりぞんざいだった。
――まるで、落とすことを期待しているかのように。
どうにか無事に異母妹を受け取った俺。明らかに安堵したような碧玉貴妃の顔。
「まこと、女子でよかったの、碧玉貴妃」
母の最後の言葉が忘れられない。
あの言葉、どういう意味なんだ?
疑問に思う俺に、その答えはアッサリと提示された。
碧玉宮の官女が亡くなった――。
それが、答えだった。
その宮女は、碧玉貴妃の毒見役だったという。つまりは、誰かが碧玉貴妃に毒を盛ったということだ。
誰が?
次々に、俺の耳にウワサが届く。後宮など、ちょっと調べれば、簡単に情報が得られる世界だ。誰だって、自分の知っているウワサを話したい。それも、誰もが興味をひくようなウワサならなおさら、人の口に戸は立てられない。
――灰簾宮にいた妃が、また亡くなったそうだ。
――それも、激しい腹痛と出血が原因で亡くなられたそうだ。当然だが、身ごもられていたお子も助からなかったらしい。
――これで何人目だ。以前、灰簾宮にいた妃は、池で足を滑らせて亡くなっておるし。これでは、皇太子殿下と玉蓉公主さま以外、お子が出来ぬではないか。
――菫青宮に召し上げられると死神に憑りつかれるといって、宮女たちは怯えておるそうだぞ。
――しかし陛下は、毎晩のように玉髄宮で女性を選んでおいでだろう?
――だからこそ、怯えるのではないか。子を成せぬまま玻璃宮に戻ったほうがマシだと言う宮女もいるそうだ。
〈玉髄宮〉で父帝に気に入られ、〈菫青宮〉で一夜を共にして身ごもり、〈灰簾宮〉で子を産み、宝珠宮のいずれかの宮をいただき、そこで母子ともに暮らす。
皇子であれ公主であれ、子を産めば、その妃は他と違って権勢を誇ることができる。子が長じて立太子されれば、母親も同時に皇后に立后され、皇帝と同じ内廷で暮らすことができる。
自分もかつてはそうだった。宝珠宮の一つ、〈藍玉宮〉で母と暮らし、七つの時に立太子を受け、〈琥珀宮〉に移り住んだ。俺の母は丞相の妹で、生まれも卑しくない。子を成し、立后したことで、名実ともにこの帝国で最高の地位に就いた女性となった。
自分が母がいる以上、皇后にはなれぬとしても、それなりの地位が与えられる。
それを、後宮で暮らす宮女たちは怖れていると言う。誰もが願う〈菫青宮〉行きを怖れている。
どうして?
自分には兄弟姉妹がいない。
あれだけ、毎夜、後宮に通って女を抱いていた父がいたというのに。
その事実がすべてを物語っている。
子がデキにくい体質……というのもあるかもしれない。だが、それを否定して余りあるほど、後宮からさまざまなウワサが流れてきた。
子は、デキないのではない。子は、殺されていたのだ。その母体とともに。
悋気……などという生易しいものではない。
我が子を生かし、権力を得るために、他の妃とその子を殺す。
どこの国の後宮でもあり得る話なのかもしれない。誰もが生きて、子を帝位に着けたいと願う。
誰が、とは言わない。言えなかった。
犯人と目される人物の権力を怖れて、誰もが口をつぐむ。
父帝の唯一の男子。ただ一人の後継者。
吐き気がした。
父帝が、その日選んだ宮女と一夜を共にしながら亡くなったのは、周知の事実だ。
――腹上死。
あまりに情けない亡くなりかたなので、世間には「心臓発作」と発表された。
当時二十二歳だった俺が帝位に就く。
それは母の命をかけた願いの成就だったのだろう。即位から一か月後、母は満足そうにほほ笑みながら……ではなく、毒に犯され苦しみ悶えながら亡くなった。
料理番が誤って食用ではない茸を入れた食事を用意したからと言われたが、あれはおそらく、後宮の誰かの差し金であろうことは察しがついた。
呪うだけではすまない。母は、それほどに憎まれていたのだ。
母の力を恐れ、小さく碧玉宮で娘とともに暮らしていた碧玉貴妃は、その数年前に亡くなっており、残された玉蓉は、俺の即位とともに黒曜宮に移り住み、ヒッソリと暮らしていた。
玉蓉が本当に公主なのか。皇子ではないのか。
その疑いは、前々からあった。
初めて会った時に碧玉貴妃がみせた、紙のように白くなった顔。小刻みに震えていた身体。
あれは、母を恐れていただけではなく、母に子が男子であることが露見することを怖れていたのではないか。
子が男子であることが露見すれば殺される。
碧玉貴妃は、必死に我が子を守ったのだろう。玉蓉と名を変えさせ、公主として育てた。碧玉宮ではよく官女が不自然な死に方をし、碧玉貴妃自身も最期は毒にあたって亡くなっている。
即位してしばらく。
玉蓉のことが気にならなかったと言えば嘘になる。
あれが本当に女なのか偽りなのか。
もし男であるならば、そのように遇し、しかるべき地位を与えてやりたい。女であるなら、幸せな結婚を考えてやりたい。
母同士は熾烈な争いをくり広げたが、自分にとっては唯一の兄弟姉妹だ。争うつもりはないし、殺そうなどと思ったこともない。
だが、その争いのなかで母を失った玉蓉にとって、俺も警戒すべき相手だったんだろう。
なかなかその本性を見せず、じっと黒曜宮で息をひそめられてしまった。
ならばと、考えたのが〈菫青妃〉となった琉花との交流だった。琉花を黒曜宮に行かせることで、なにか情報がつかめないか。琉花自身が情報をつかめなくても、その付き添いとして潜り込ませた官女に……。
そこまで考えて、これだから警戒されるのだと思い至った。そして、自分の考えがあの時の母にソックリだということに気づいた。
俺を利用して、玉蓉を落とし殺せとばかりにぞんざいに投げ渡してきた母に――。
そんな中、廷議で決まったのが、玉蓉の結婚だった。
結婚を従容と受け入れるか否か。
受け入れたならば、異母兄として彼女の結婚を祝福してやりたい。そうでなければ……。
(まさか、琉花を連れて逃げ出すとは思ってもなかったな)
そこまでして真実を確かめようとした自分に反吐が出そうになった。玉賢が逃げ出すほどに追い詰めたのは、血のつながった兄である俺だ。兄として争うつもりはないと言いながら、俺の母に母親を殺されたあの弟を追い詰めたのだ。
(最低の人間だな、俺は)
そのせいで、琉花も、玉賢も殺されそうになった。
あれは、寵妃となった琉花を狙った犯行だったが、一つ間違えば、二人とも死んでいたかもしれない出来事だった。
間に合ってよかった。助けられてよかったと思うと同時に、
これ以上は一緒にいられない
そう思った。
琉花は、あくまでかりそめの存在だ。後宮という悪意に晒してはいけない。
自分のせいで、誰かが傷つくのはもうたくさんだ。
お人よしで、明るく、素直な、人を疑うことを知らない少女。
彼女は、兄弟姉妹の命の上に立ち、なおも弟妹を追い詰めようとする俺のような男のそばにいてはいけない。
初めてできた兄妹。
八つ違いの異母妹。母が違う妹は、後宮の一つ、碧玉宮で母妃とともに暮らしているという。
(どんな子なんだろう。会ってみたいな)
皇太子として琥珀宮暮らす日々。
同じ内廷にある天藍宮で暮らす皇后の母、思清宮で暮らす皇帝の父。
父か母に頼めば、会わせてくれるだろうか。
幼い俺は、単純に妹の誕生を喜んでいた。
「そうじゃの、一度会うておこうかの」
そう言い出したのは母だった。
公主の誕生祝い。そして碧玉貴妃の見舞い。
母は、俺と大勢の官女を連れて碧玉宮へと赴いた。
「これは、皇后さま、皇太子殿下――」
「そう恐縮せずともよい。かわいい公主と聞いての。一度顔を見せてもらいに参っただけじゃ」
碧玉宮に俺たちが足を踏み入れた途端、そこにいた官女をはじめ碧玉貴妃に緊張が走った。
子どもだった俺には、どうしてそこまで碧玉貴妃の顔が強張っているのか、まったく見当がつかなかった。皇后と皇太子が訪れたことで緊張しているのか? そう思っていた。
「おお、かわいい公主じゃの。栄順ともよう似ておるわ」
赤子を抱き上げる母皇后。子をあやす……など、日頃から別の宮で暮らし、優しく接してもらったことのない俺から見ても、少し不思議な光景だった。
母は、そこまで〈子〉というものを好いていただろうか。
「とても凛々しい目元じゃの。眉もハッキリされておられるが……」
「この子は女子でございますっ!!」
碧玉宮つき官女の一人が悲鳴じみた声をあげた。
一瞬、その声にビクンと震えた俺と違って、母は興覚めだと言わんばかりに鼻を鳴らし、その官女を軽く睨みつけた。
「栄順、そなたも抱いてみるか? 異母妹じゃぞ?」
母の言葉におそるおそる手を伸ばす。
「ほれ、気をつけて、落とさぬようにな」
言葉と裏腹に、赤子を渡す母の手はかなりぞんざいだった。
――まるで、落とすことを期待しているかのように。
どうにか無事に異母妹を受け取った俺。明らかに安堵したような碧玉貴妃の顔。
「まこと、女子でよかったの、碧玉貴妃」
母の最後の言葉が忘れられない。
あの言葉、どういう意味なんだ?
疑問に思う俺に、その答えはアッサリと提示された。
碧玉宮の官女が亡くなった――。
それが、答えだった。
その宮女は、碧玉貴妃の毒見役だったという。つまりは、誰かが碧玉貴妃に毒を盛ったということだ。
誰が?
次々に、俺の耳にウワサが届く。後宮など、ちょっと調べれば、簡単に情報が得られる世界だ。誰だって、自分の知っているウワサを話したい。それも、誰もが興味をひくようなウワサならなおさら、人の口に戸は立てられない。
――灰簾宮にいた妃が、また亡くなったそうだ。
――それも、激しい腹痛と出血が原因で亡くなられたそうだ。当然だが、身ごもられていたお子も助からなかったらしい。
――これで何人目だ。以前、灰簾宮にいた妃は、池で足を滑らせて亡くなっておるし。これでは、皇太子殿下と玉蓉公主さま以外、お子が出来ぬではないか。
――菫青宮に召し上げられると死神に憑りつかれるといって、宮女たちは怯えておるそうだぞ。
――しかし陛下は、毎晩のように玉髄宮で女性を選んでおいでだろう?
――だからこそ、怯えるのではないか。子を成せぬまま玻璃宮に戻ったほうがマシだと言う宮女もいるそうだ。
〈玉髄宮〉で父帝に気に入られ、〈菫青宮〉で一夜を共にして身ごもり、〈灰簾宮〉で子を産み、宝珠宮のいずれかの宮をいただき、そこで母子ともに暮らす。
皇子であれ公主であれ、子を産めば、その妃は他と違って権勢を誇ることができる。子が長じて立太子されれば、母親も同時に皇后に立后され、皇帝と同じ内廷で暮らすことができる。
自分もかつてはそうだった。宝珠宮の一つ、〈藍玉宮〉で母と暮らし、七つの時に立太子を受け、〈琥珀宮〉に移り住んだ。俺の母は丞相の妹で、生まれも卑しくない。子を成し、立后したことで、名実ともにこの帝国で最高の地位に就いた女性となった。
自分が母がいる以上、皇后にはなれぬとしても、それなりの地位が与えられる。
それを、後宮で暮らす宮女たちは怖れていると言う。誰もが願う〈菫青宮〉行きを怖れている。
どうして?
自分には兄弟姉妹がいない。
あれだけ、毎夜、後宮に通って女を抱いていた父がいたというのに。
その事実がすべてを物語っている。
子がデキにくい体質……というのもあるかもしれない。だが、それを否定して余りあるほど、後宮からさまざまなウワサが流れてきた。
子は、デキないのではない。子は、殺されていたのだ。その母体とともに。
悋気……などという生易しいものではない。
我が子を生かし、権力を得るために、他の妃とその子を殺す。
どこの国の後宮でもあり得る話なのかもしれない。誰もが生きて、子を帝位に着けたいと願う。
誰が、とは言わない。言えなかった。
犯人と目される人物の権力を怖れて、誰もが口をつぐむ。
父帝の唯一の男子。ただ一人の後継者。
吐き気がした。
父帝が、その日選んだ宮女と一夜を共にしながら亡くなったのは、周知の事実だ。
――腹上死。
あまりに情けない亡くなりかたなので、世間には「心臓発作」と発表された。
当時二十二歳だった俺が帝位に就く。
それは母の命をかけた願いの成就だったのだろう。即位から一か月後、母は満足そうにほほ笑みながら……ではなく、毒に犯され苦しみ悶えながら亡くなった。
料理番が誤って食用ではない茸を入れた食事を用意したからと言われたが、あれはおそらく、後宮の誰かの差し金であろうことは察しがついた。
呪うだけではすまない。母は、それほどに憎まれていたのだ。
母の力を恐れ、小さく碧玉宮で娘とともに暮らしていた碧玉貴妃は、その数年前に亡くなっており、残された玉蓉は、俺の即位とともに黒曜宮に移り住み、ヒッソリと暮らしていた。
玉蓉が本当に公主なのか。皇子ではないのか。
その疑いは、前々からあった。
初めて会った時に碧玉貴妃がみせた、紙のように白くなった顔。小刻みに震えていた身体。
あれは、母を恐れていただけではなく、母に子が男子であることが露見することを怖れていたのではないか。
子が男子であることが露見すれば殺される。
碧玉貴妃は、必死に我が子を守ったのだろう。玉蓉と名を変えさせ、公主として育てた。碧玉宮ではよく官女が不自然な死に方をし、碧玉貴妃自身も最期は毒にあたって亡くなっている。
即位してしばらく。
玉蓉のことが気にならなかったと言えば嘘になる。
あれが本当に女なのか偽りなのか。
もし男であるならば、そのように遇し、しかるべき地位を与えてやりたい。女であるなら、幸せな結婚を考えてやりたい。
母同士は熾烈な争いをくり広げたが、自分にとっては唯一の兄弟姉妹だ。争うつもりはないし、殺そうなどと思ったこともない。
だが、その争いのなかで母を失った玉蓉にとって、俺も警戒すべき相手だったんだろう。
なかなかその本性を見せず、じっと黒曜宮で息をひそめられてしまった。
ならばと、考えたのが〈菫青妃〉となった琉花との交流だった。琉花を黒曜宮に行かせることで、なにか情報がつかめないか。琉花自身が情報をつかめなくても、その付き添いとして潜り込ませた官女に……。
そこまで考えて、これだから警戒されるのだと思い至った。そして、自分の考えがあの時の母にソックリだということに気づいた。
俺を利用して、玉蓉を落とし殺せとばかりにぞんざいに投げ渡してきた母に――。
そんな中、廷議で決まったのが、玉蓉の結婚だった。
結婚を従容と受け入れるか否か。
受け入れたならば、異母兄として彼女の結婚を祝福してやりたい。そうでなければ……。
(まさか、琉花を連れて逃げ出すとは思ってもなかったな)
そこまでして真実を確かめようとした自分に反吐が出そうになった。玉賢が逃げ出すほどに追い詰めたのは、血のつながった兄である俺だ。兄として争うつもりはないと言いながら、俺の母に母親を殺されたあの弟を追い詰めたのだ。
(最低の人間だな、俺は)
そのせいで、琉花も、玉賢も殺されそうになった。
あれは、寵妃となった琉花を狙った犯行だったが、一つ間違えば、二人とも死んでいたかもしれない出来事だった。
間に合ってよかった。助けられてよかったと思うと同時に、
これ以上は一緒にいられない
そう思った。
琉花は、あくまでかりそめの存在だ。後宮という悪意に晒してはいけない。
自分のせいで、誰かが傷つくのはもうたくさんだ。
お人よしで、明るく、素直な、人を疑うことを知らない少女。
彼女は、兄弟姉妹の命の上に立ち、なおも弟妹を追い詰めようとする俺のような男のそばにいてはいけない。
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