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第16話 朝。

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 「でね、ジョージは〈ハズレ〉だって言うんだけど、あのお嬢さまのどこがハズレなのかしらね」

 いつものように、アッシュにその日の出来事を話す。
 結局、クラウドは午後には屋敷に戻ってきた。それも一人で。帰る途中にマルスリーヌを送ってきているのだろうが、それにしても早い帰宅だと言わざるを得ない。

 「若様、お嬢さまをお好きではないのかしら」

 遠乗りに出かけた主人が、どれぐらいの時間に帰ってくるのが普通なのか。そういうことはリーナには全くわからない。けど、その早くも感じる帰宅は、ジョージの言う推測を肯定しているかのようだ。
 腕のなかのアッシュは、リーナの話が退屈だとばかりに、大きなあくびをもらした。

 「まあ、窓から捨てられたお前は、お嬢さまを好きになれなくても仕方ないけどね」

 あの事件がなければ、こうして出会うこともなかっただろう。

 「ふふっ。お嬢さまに、私、感謝したほうがいいのかしら」

 お嬢さまが捨てたおかげで、こうしてアッシュと知り合うことが出来たのだから。ギュッと抱きしめる腕に力をこめる。

 「ねえ、アッシュ、アナタ、今日は少し変わった香りがするのね」

 腕のなかのアッシュの匂いを嗅ぐ。
 いつもは、高貴な感じの匂いだけなのだが、今日はそれ以外に、草の香り? 太陽の匂い? 外にたくさんいたのだというような香りがその毛並みから漂っていた。

 「アナタが話せたら、どこでどんな冒険をしてきたのか聞けるのに」

 猫のアッシュとお話出来たら。
 おとぎ話のような考えに、少しだけ笑う。
 きっと、それはとても楽しくゆかいな出来事に違いない。

 「じゃあね、おやすみアッシュ」

 いつものようにランプの明かりを消して、アッシュとともにベッドにもぐる。
 深い青色の瞳、灰色の毛並みのアッシュ。
 夢でいいから、話せたらいいのに。
 そんなことを考えながら、リーナは眠りに落ちていった。

*     *     *     *

 (……う、ん……)

 明るくなってきた周囲の気配に、リーナの意識が目覚め始める。
 瞼の向こうに感じる光。

 (……朝。起きなきゃ)

 今日も仕事。
 そう意識するだけで、まどろみから覚醒してくる。
 顔を洗って、着替えて、髪を結って。
 支度ができたら階下に降りて。お料理を作ることは手伝えないけど、代わりの仕事をやらなきゃ。
 身体のすみずみにまで意識は届き、目覚めるために身体を動かそうとして……。

 (あ……れ? 動かない⁉)

 正確には、動かないのは左腕だけ。何かが重く腕にのしかかっている。
 そして、身体を何かが押さえている。

 (何……⁉)

 ンッ、と軽く身じろぎしてから目を覚ます。

 (えっ……⁉)

 目の前にあったのは、見覚えのある銀灰色の髪。そしてそれが、リーナの腕を枕に眠っているではないか。
 身体を押さえているのは、その髪の持ち主の腕。リーナの身体を抱きしめるように、腕を回されている。

 (えっ⁉ ええっ⁉ ええええっ⁉)

 理解できない。状況がのみこめない。
 どうしたらいいのか、それすらも思いつかない。

 「……ンッ」

 リーナが目覚めたのがわかったのか、相手も目を覚ます。

 「んん。ああ……」

 その気だるげに開かれた瞳は深い青色。
 昨夜、リーナが抱いて寝た猫と同じだけど。

 「クラウド……さ、ま……」

 呆然と、かすれた声でその名前を口にする。

 そして。

 「きゃああああっーーングッ!!」

 上げた大声ごと口を手でふさがれた。

 「しーっ。静かにっ」

 鋭い静止の声に、リーナは頷くしかなかった。
 けれど。

 (どうしてクラウドさまが!? どうして一緒に!? どうして!? どうしてっ!?)

 頭のなかは混乱するばかりだ。
 それも。

 (クラウドさまっ、裸っ!!)

 二人が動いたことで上掛けがずれ、クラウドの上半身があらわになる。
 無駄な肉のない、引き締まった身体。張りのある肌。
 そのたくましい腕に抱かれていたなんて……、考えるだけで……。

 「おっ、おいっ!! しっかりしろっ!!」

 ダメだ、本気で気が遠くなる。
 目覚めた意識を放り投げたリーナを、クラウドが困ったように抱きとめた。
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