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第19話 共寝。
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「ハックション…ッ!!」
書斎に響くわざとらしいまでのクシャミ。
その音にリーナはうんざりした気分になるが。
「お風邪でも召されましたか?」
執事のアルフォードは、真面目に主の心配をしている。
「いや、昨日少し寒かったせいだろう。大したことはない」
なら、クシャミを我慢してくれてもいいのに。
(だって、このクシャミ、絶対昨日の当てつけだわ)
昨夜、リーナはアッシュのために窓を開けなかった。
ずっと窓の外で、リーナが開けることを待っていると知っていても。
アッシュがクラウドであるとわかった以上、迂闊に窓を開けて来訪を許すことは出来ない。
今までは、猫だから抱きしめていた。猫だから安心していた。猫だから、友達だから、大切な相手だから。
けれど、それがクラウドであるなら、自分はなんと、はしたないことをしていたのか。
抱きしめ、頬ずりをして、その額に口づける。
考えただけでどうにかなりそう。
その上、一緒に眠っていただなんて――。
先ほどから、何度もこれ見よがしにクシャミをするクラウドに、文句の一つも言いたくなるが、グッとこらえてペンを動かすこと、文字を覚えることに集中する。
猫の呪いを話して以来、クラウドはリーナを近くに置くことを好んだ。リーナが午後、手すきの時間になると必ず書斎に呼びつける。どうせ夕食の準備はハンスが一人でやってしまう。ゆっくりする時間があるのなら、以前と同じように文字を習え。いや、以前より長く書斎に居ろ。
それが、クラウドからリーナへの指示だった。
エレンたちは少し不思議そうにしていたけど、リーナに調べものの手伝いをさせているとアルフォードから説明させ、彼女たちを納得させていた。おかげで、リーナはクラウドの夕餉の時間まで、こうしてタップリ書斎に居させられることになっている。
「では、私はこれで。お茶でもお召し上がりになって、お身体を温めてください」
「ああ、ありがとう」
一礼だけ残し、アルフォードが去っていく。
(あああ、行かないで、アルフォードさん)
アルフォードを全力で引き留めに行きたくなる。
でないと。
「どうした、リーナ。まだ半分も書けていないじゃないか」
人の目がなくなったのをいいことに、クラウドが近づいてくる。椅子に座るリーナを後ろから抱きしめるように、腕を伸ばされる。
「ここ、つづりが間違っているぞ。ここは、〈L〉じゃなくて〈R〉だ」
クラウドの腕が、リーナの頬をかすめるように動く。たったそれだけのことなのに、リーナの心は穏やかでなどいられない。
「どうした? 顔が赤いぞ」
ワザとだ。ワザとやってるんだ。
そう思うのだけど、反論は出来ない。
クラウドの一挙手一投足に、赤くなったり緊張したりするリーナを見てからかっているに違いない。
「あっ、あのっ、若様っ……」
「クラウドでいい」
「クラウドさまっ!! もう少しだけっ、離れていただいてもいいですかっ!! ペンが動かせませんっ!!」
こじつけがましい言い訳。
「……仕方ないな」
軽くため息を残してクラウドが身を離す。
(……よかった――って!! ええっ!!)
最後に名残惜しそうに、髪に口づけを落とされる。
軽く。でも、髪であっても口づけられたとわかるぐらいハッキリと。
(もう……ダメ)
リーナは、ボイルされたエビよりも熱く真っ赤に茹るしかなかった。
* * * *
カリカリッ……。カリッ……。
その日の夜も、こりずに訪れる音。
(昨日、あんな目に遭っておきながら懲りてないの?)
もしかして、クラウドはリーナがその身体を許すまで、こうして毎晩訪れるつもりなのだろうか。自分の呪いが解けるまで。
(冗談じゃないわ)
いくら孤児院出身であっても、身分低い女であっても、そう簡単に主のために純潔を捧げるなんて出来ない。
身持ちは硬く。
孤児院出身だからこそ、自分にそう言い聞かせている。
(でも、このままクラウドさまを拒んでいたら、解雇されてしまうかしら)
相手は公爵子息である。リーナを気に入らなければ、簡単に解雇出来てしまう立場にある。解雇されてしまえば、リーナは路頭に迷い、死ぬかこの身を売るしかなくなる。
だからといって、そうやすやすと身を捧げるなんてできそうにない。
もし、純潔を捧げて呪いを解いたとして、その先は? 呪いが解けたらお払い箱なの? 口元を拭いた、汚れたナプキンのように捨て置かれるの?
でも、このまま置いといたら、またわざとらしくクシャミをされて……。
「……今夜だけですからね」
大げさにため息をつきながら、窓を開けてやる。
すると、当然とばかりに猫となったクラウドが身を滑らせるように入ってくる。
リーナを見上げる目は、「もっと早く開けてくれ」とばかりに訴えている。
「開けたのは、風邪をひかれると困るからです。それ以上の何ものでもありませんよ」
釘をさすように言っておく。
いつものクラウドなら、こんな上からの物言いは出来ない。しかし、今は猫だ。少しぐらい強気で言っても問題ないだろう。
クラウドの方も、リーナの言い草をあまり気にしていないのか、勝手にピョンッとベッドの上に飛び上がる。
「……なっ!!」
いつものようにベッドのなかに入るクラウドに、リーナは言葉を失う。
(一緒に眠るつもりなの?)
アッシュだった時と同じように?
こういう場合どうしたらいいのかわからず、リーナはそのまま立ち尽くす。
このワガママ猫をドアから放り出してやろうか。
一瞬、そう思った。
しかし、これは猫であってもクラウドだ。このお屋敷の主。そう簡単に放り出すことは出来ない。
それに、この屋敷で四本足の獣はご法度という掟がある。誰かに見つかってしまえば、たとえそれが主であるクラウドであっても、ただでは済まない。
かといって、この部屋ではベッド以外に眠る場所などなく……。
夜着一枚のリーナは、足元から冷えに軽く身震いした。それに明日も仕事だから、眠らないわけにはいかなくて。
「……今日だけですよ? 今日だけ、ですからね? 明日はありませんからね?」
念を押すもののどうしようもなくて、仕方なくクラウドのいるベッドにもぐり込む。
本当は、彼を抱きしめて眠ったら温かいのだろうけど。
それは絶対できないから、最後の抵抗として背をむけて目を閉じる。
クラウドが身じろぎする。時折、寝返りでもうっているのか、モゾモゾ動く猫。
その一つ一つを背中越しに感じながら、リーナはなかなか眠りにつけないまま、朝を迎えるはめになった。
書斎に響くわざとらしいまでのクシャミ。
その音にリーナはうんざりした気分になるが。
「お風邪でも召されましたか?」
執事のアルフォードは、真面目に主の心配をしている。
「いや、昨日少し寒かったせいだろう。大したことはない」
なら、クシャミを我慢してくれてもいいのに。
(だって、このクシャミ、絶対昨日の当てつけだわ)
昨夜、リーナはアッシュのために窓を開けなかった。
ずっと窓の外で、リーナが開けることを待っていると知っていても。
アッシュがクラウドであるとわかった以上、迂闊に窓を開けて来訪を許すことは出来ない。
今までは、猫だから抱きしめていた。猫だから安心していた。猫だから、友達だから、大切な相手だから。
けれど、それがクラウドであるなら、自分はなんと、はしたないことをしていたのか。
抱きしめ、頬ずりをして、その額に口づける。
考えただけでどうにかなりそう。
その上、一緒に眠っていただなんて――。
先ほどから、何度もこれ見よがしにクシャミをするクラウドに、文句の一つも言いたくなるが、グッとこらえてペンを動かすこと、文字を覚えることに集中する。
猫の呪いを話して以来、クラウドはリーナを近くに置くことを好んだ。リーナが午後、手すきの時間になると必ず書斎に呼びつける。どうせ夕食の準備はハンスが一人でやってしまう。ゆっくりする時間があるのなら、以前と同じように文字を習え。いや、以前より長く書斎に居ろ。
それが、クラウドからリーナへの指示だった。
エレンたちは少し不思議そうにしていたけど、リーナに調べものの手伝いをさせているとアルフォードから説明させ、彼女たちを納得させていた。おかげで、リーナはクラウドの夕餉の時間まで、こうしてタップリ書斎に居させられることになっている。
「では、私はこれで。お茶でもお召し上がりになって、お身体を温めてください」
「ああ、ありがとう」
一礼だけ残し、アルフォードが去っていく。
(あああ、行かないで、アルフォードさん)
アルフォードを全力で引き留めに行きたくなる。
でないと。
「どうした、リーナ。まだ半分も書けていないじゃないか」
人の目がなくなったのをいいことに、クラウドが近づいてくる。椅子に座るリーナを後ろから抱きしめるように、腕を伸ばされる。
「ここ、つづりが間違っているぞ。ここは、〈L〉じゃなくて〈R〉だ」
クラウドの腕が、リーナの頬をかすめるように動く。たったそれだけのことなのに、リーナの心は穏やかでなどいられない。
「どうした? 顔が赤いぞ」
ワザとだ。ワザとやってるんだ。
そう思うのだけど、反論は出来ない。
クラウドの一挙手一投足に、赤くなったり緊張したりするリーナを見てからかっているに違いない。
「あっ、あのっ、若様っ……」
「クラウドでいい」
「クラウドさまっ!! もう少しだけっ、離れていただいてもいいですかっ!! ペンが動かせませんっ!!」
こじつけがましい言い訳。
「……仕方ないな」
軽くため息を残してクラウドが身を離す。
(……よかった――って!! ええっ!!)
最後に名残惜しそうに、髪に口づけを落とされる。
軽く。でも、髪であっても口づけられたとわかるぐらいハッキリと。
(もう……ダメ)
リーナは、ボイルされたエビよりも熱く真っ赤に茹るしかなかった。
* * * *
カリカリッ……。カリッ……。
その日の夜も、こりずに訪れる音。
(昨日、あんな目に遭っておきながら懲りてないの?)
もしかして、クラウドはリーナがその身体を許すまで、こうして毎晩訪れるつもりなのだろうか。自分の呪いが解けるまで。
(冗談じゃないわ)
いくら孤児院出身であっても、身分低い女であっても、そう簡単に主のために純潔を捧げるなんて出来ない。
身持ちは硬く。
孤児院出身だからこそ、自分にそう言い聞かせている。
(でも、このままクラウドさまを拒んでいたら、解雇されてしまうかしら)
相手は公爵子息である。リーナを気に入らなければ、簡単に解雇出来てしまう立場にある。解雇されてしまえば、リーナは路頭に迷い、死ぬかこの身を売るしかなくなる。
だからといって、そうやすやすと身を捧げるなんてできそうにない。
もし、純潔を捧げて呪いを解いたとして、その先は? 呪いが解けたらお払い箱なの? 口元を拭いた、汚れたナプキンのように捨て置かれるの?
でも、このまま置いといたら、またわざとらしくクシャミをされて……。
「……今夜だけですからね」
大げさにため息をつきながら、窓を開けてやる。
すると、当然とばかりに猫となったクラウドが身を滑らせるように入ってくる。
リーナを見上げる目は、「もっと早く開けてくれ」とばかりに訴えている。
「開けたのは、風邪をひかれると困るからです。それ以上の何ものでもありませんよ」
釘をさすように言っておく。
いつものクラウドなら、こんな上からの物言いは出来ない。しかし、今は猫だ。少しぐらい強気で言っても問題ないだろう。
クラウドの方も、リーナの言い草をあまり気にしていないのか、勝手にピョンッとベッドの上に飛び上がる。
「……なっ!!」
いつものようにベッドのなかに入るクラウドに、リーナは言葉を失う。
(一緒に眠るつもりなの?)
アッシュだった時と同じように?
こういう場合どうしたらいいのかわからず、リーナはそのまま立ち尽くす。
このワガママ猫をドアから放り出してやろうか。
一瞬、そう思った。
しかし、これは猫であってもクラウドだ。このお屋敷の主。そう簡単に放り出すことは出来ない。
それに、この屋敷で四本足の獣はご法度という掟がある。誰かに見つかってしまえば、たとえそれが主であるクラウドであっても、ただでは済まない。
かといって、この部屋ではベッド以外に眠る場所などなく……。
夜着一枚のリーナは、足元から冷えに軽く身震いした。それに明日も仕事だから、眠らないわけにはいかなくて。
「……今日だけですよ? 今日だけ、ですからね? 明日はありませんからね?」
念を押すもののどうしようもなくて、仕方なくクラウドのいるベッドにもぐり込む。
本当は、彼を抱きしめて眠ったら温かいのだろうけど。
それは絶対できないから、最後の抵抗として背をむけて目を閉じる。
クラウドが身じろぎする。時折、寝返りでもうっているのか、モゾモゾ動く猫。
その一つ一つを背中越しに感じながら、リーナはなかなか眠りにつけないまま、朝を迎えるはめになった。
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