23 / 26
23.座して待つのは、性に合わない
しおりを挟む
――敵の数が、こちらの予想を上回っていたら?
リアハルトさまは、少数ではあるけど、手練れの騎士を引き連れていった。けど。
――向こうに、とんでもない手練れがいたとしたら?
一人で百人倒しちゃうようなとんでもない剣豪。
いるかもしれない。いないとは限らない。
そして。
――ユージィン殿が寝返ってたとしたら?
セランには「大丈夫」と言ったけれど、本当に大丈夫な保証はどこにもない。
ユージィン殿の母親と妹は、アルディナさまの母親によって処刑されている。ユージィン殿は、少なからずアルディナさまを想っていらっしゃる。
だからなんだというの?
たとえ、そんな過去があっても、想いがあったとしても、あちら側につかないという保証にはならない。
疑いたくはないけど、あちらに内通しているフリが実は本当で、こちらの情報をあちらに流していたかもしれない。
敵の数、仕掛けてくる時刻。
そういうのを教えてくれたのは、ユージィン殿だ。そして、リアハルトさまが連れて行った騎士を用意したのも。
――これで、もしユージィン殿があちら側の人間だったとしたら?
そんなことはない。
リアハルトさまが、ユージィン殿を信用したのなら、わたしだって、それに倣いたい。セランがあそこまで懐いたユージィン殿を、疑いたくない。でも。
――もしそうだったら。
ユージィン殿のせいで、リアハルトさまが危機に陥ったら?
その体に凶刃が押し寄せることももちろんだけど、裏切られたことに彼が傷つくのだけは嫌だ。
信じた人に裏切られるのは、きっとなにより辛い心への刃だ。
それに、もしそうでなく、ユージィン殿が忠実な味方だったとしても、危険なことに変わりはない。
ユージィン殿が密偵であることがバレてて、ウソの情報を掴まされていたら? とうてい太刀打ちできないほどの数の敵がいたら?
ズベン。
(ウギャッ)
狭い隠し通路の階段。
持ってきた手燭のおかげで、そこに段差があることは気づけても、そこに埃が積もりすぎて滑りやすくなってることには気付けない。突然だったことと、両手に物を持っていたせいで受け身も取れず、顔から思いっきり階段にぶつけた。
壁だって同じ。
手燭で確認するには限界な曲がり角。狭いし、急に曲がったりするから、何度か体をぶつけ、こすりつけた。
(こんな道を、あの子は急いできたの?)
今は、リアハルトさまの寝台で眠っているセラン。
眠るあの子の顔や手には、汚れとともに、なにかで擦った痕がいくつもあった。
あの子は、この危急の時を知らせに、この回廊を走ったのかしら? 自分が傷つくことなど構いもせずに。
帰ったら。あの子が起きたら、いっぱい、めいいっぱい抱きしめてあげよう。けど。
(今は、リアハルトさまよ!)
セランなら大丈夫。
ミリアがついていてくれる。
セランには言わなかったけど、ミリアは、リアハルトさまの乳兄妹でもなんでもない。リアハルトさまの使う女細作。
わたしとセランの身の回りを警護するのに、身近に細作置きました――じゃ、わたしを怯えさせちゃうから、とりあえず乳兄妹ということにしたらしい。本当の、リアハルトさまの乳兄弟は男性で、リアハルトさまが皇都を放逐されるよりまえに、不審死している。まあ、おそらく、幼い頃のリアハルトさまの周囲でも、不穏なことが起きていたんだろう。本物の乳兄弟は、それに巻き込まれて亡くなった。
(リアハルトさま……)
わたしの家に来た時のリアハルトさまを思い出す。
全身イバラの鎧をまとったようだったリアハルトさま。誰にも心を開かず、誰に対しても威嚇を解かなかった。
あれは、母親を引き離されて、父親から捨てられたからだけじゃなかった。身近にいた人を自分のせいで亡くしていたから。誰も信じられず、誰も巻き込みたくなかったからだったんだと、改めて思い至る。
(リアハルトさま……)
本来のリアハルトさまは、とてもよく笑う、快活なかただ。人をからかったり、ふざけたりもする。楽しいことが大好きなかただ。
そのリアハルトさまが、手負いの獣みたいに、フーっと全身の毛を逆立てるような、威嚇を続けていた。続けざるをえない状況に陥っていた。
その状況に、リアハルトさまを追い込んでいたのが、アルディナさまの母親だ。
アルディナさまの母親は、娘に皇子としての人生を強いるだけじゃなく、リアハルトさまをトコトン追い詰めた。
(リアハルトさま……)
その母親が、今回もリアハルトさまとアルディンさまの前に立ちはだかっている。
作戦がうまく行けばいい。
わたしの心配なんて、杞憂で終わればいい。
わたしが行ったところで、なんの役にも立たないかもしれない。
けど。
グッと、頬をこすって、立ち上がる。
手燭と、ミリアから借りた剣。その二つを持つ手に力を込める。
なんの役にも立たないかもしれないけど。
それでも、そばにいる。
わたしは、リアハルトさまのお姉ちゃんで、つっ、妻なんだからっ!
* * * *
――いい加減にしてくれ。
リアハルトは、内心ウンザリし始めていた。
アルディナのために用意したやや広めの室。
皇女らしく、淡い色のタペストリーなど飾られた、瀟洒な室に似つかわしくない、血しぶきがあたりに飛び散り、騎士たちが床を埋める。
倒れているのは、アルディナの母親、マリアルージュが連れてきた騎士たち。腕を失くし呻く者、呻く声すら上げられず、屍になるのを待つだけの者。すでに物言わぬ躯となった者。
――無粋だな。
室にとっても似つかわしくない者が、ゴロゴロ転がる。
戦場なら珍しくない光景だが、この室にはトコトン似合わない景色。
そして、なにより一番似つかわしくないのが、マリアルージュ本人だった。
「寄るでない! アルディンがどうなってもよいのか!」
次々と味方がやられ、敵に囲まれるだけになった時。何を思ったか、マリアルージュは、己の息子だと言い張る娘を人質に取った。
護身用かなにかで持っていたのだろう。アルディナの背後から、その喉元に短剣をつきつけ、こちらを威嚇してくる。
「退け! 道を開けよ! さもなくば、アルディンの命はないぞ!」
アルディナを殺されて、こちらになんの問題があるというのだろう。
冷静に考えて。
アルディナがここで殺されれば、俺の帝位も、後の皇位継承にもなんの問題もなくなる。
アルディナがいるから、こういう不穏分子が湧いてくる。そう思えば、「どうぞ、殺してくれ」と頼みたくなってくる。
自滅したければどうぞやってくれ。
お前が娘を殺したところで、こちらは痛くも痒くもない。動揺すらしない。
アルディナを殺したお前を、皇女殺害の罪で捕らえて、処刑するだけだ。
そのことはアルディナ自身もよくわかっているのだろう。自分に、人質としての価値がないことを。母親が言ってることが無茶苦茶であることを。
背後から短剣を突きつけてくる母親に、ウンザリと、諦めのような表情をしている。
――たいした妹だ。
普通の皇女であれば、この状況に、悲鳴を上げるか、錯乱しそのまま気を失いそうなものを。この妹は、毅然と立っている。母親に所業に呆れはしているが、動揺は一切していない。
肝が座っているのか、皇子として、そうなるべく育てられたのか。
――降伏してきた時もそうだったな。
今よりもっと幼かったはずだが、従容と自分の運命を、斬首されるだろう未来を受け入れ、降伏してきた。
諦念? 諦観? 無我? 開き直り?
いつもの、エナやセランといる時とは違う表情に、剣の柄を握る手に力がこもる。
妹に。大切な妹に、こんな顔をさせたくない。
――ある意味、アルディナを盾にするのは正解なのかもな。
アルディナ本人はどう思っているか知らないが、兄として、彼女を傷つける行動は取りたくない。
そのせいで、今、膠着状態に陥っている。
弓でも持ってこさせて、マリアルージュだけでも射殺してしまおうか。
そんな考えも浮かぶが、室内で弓を使うことはためらわれる。矢がアルディナを傷つける前に、マリアルージュの短剣がアルディナを傷つけるかもしれない。
「ユージィン! ソナタ、妾を助けよ!」
裏切り者! ここまで目をかけてやった恩を忘れたのか!
目を血走らせ、マリアルージュが、こちら側に立っているユージィンを罵倒し始める。
――ユージィンの家族を殺しておきながら、よく〝恩〟などと言えたものだ。
支離滅裂な罵倒。
自身の家族を殺した相手に〝恩〟など感じるものか。感じるなら、〝恨み〟〝憎しみ〟だ。それでなくても、ユージィンは、アルディナを少なからず思っている。そのアルディナを傷つけようとする者を、それがたとえアルディナの産みの親であっても、助けようなどとは微塵も思わないだろう。
「ユージィン! アルディンがどうなってもいいのか!」
その叫びに、それまで沈黙を貫いていたユージィンが、わずかに身を揺らした。
この膠着状態に、一番焦っているのはユージィンだろう。
奴の腕、剣を持っている右腕の袖には、縦に一筋の切られ痕と、滲み出た血の痕が残る。俺たちが突入した時、ユージィンはアルディナを守る盾となった。
アルディナに惨劇を見せたくない。アルディナに凶刃が及ばぬよう守っていた。
だが、その一連の行動のなかで、一人だけ見落としてしまっていた。マリアルージュだ。
女性が短剣であっても、振り回すなど予想していなかったらしい。そして、我が子に剣をつきつけ、己の盾にするなど。
不意打ちに襲われ、その右腕を斬られた。アルディナを奪われ、今ここで一番悔悟の念にとらわれているのは、ユージィンだろう。悔やんでも悔やみきれない、大失態だ。
――どうしたものかな。
アルディナの安全など無視して、襲いかかることはできる。だが、それでいいのか。
短剣であっても、扱いには不慣れなはずのマリアルージュを制圧するのは容易い。この状況で、マリアルージュが逃げ切れるとも思えない。だが、無理をすれば、アルディナも傷つく。それは避けたい。
――エナ。
こういう時、エナならどうするだろう。
「ふざけんじゃないわよ!」とマリアルージュと舌戦でも繰り広げるだろうか。それとも、我が身の安全もなにも考えずに、マリアルージュに突進していくだろうか。
――エナ。
ものすごく。ものすごく場違いだが、どうしようもなくエナに会いたくなった。
俺の愛に、ぎこちなくも応えてくれたエナ。初めてのことで辛いだろうに、それでも笑って受け入れてくれたエナ。
やっと通じた想い。
どれだけ時間を費やして、どれだけ彼女を愛したとしても、まだ足りないと思える。そんな心境なのに、こんなことで時間を取られるとは。
かつて、自分を守るために、あたり構わず敵意しか向けていなかった俺に、やさしく、でも荒々しくぶつかってきたエナ。
俺が自分の殻に閉じこもった雛だとしたら、エナはその卵を、容赦なく地面に叩きつけて「でてこい!」と叫んだ人物。そして、「大丈夫?」と手を差し伸べるやさしさを見せる。
乱暴だけど、やさしいエナ。
彼女なら、この状況にどう出るのだろうか。
カサ。
それはわずかな、風の動いたような音。
興奮しすぎて手のつけられないマリアルージュの背後、棚影から動いた音。
そして。
「――ふっざけんなぁっ!」
ドレス姿とは思えない、ものすごい蹴りが短剣を持つマリアルージュの腕に襲いかかる。
「アルディナさまを盾に脅すなんて、サイッテーっ!」
マリアルージュの落とした短剣が、カラカラと硬い床を滑る。同時に、その体が床に組み伏せられ、押さえつけるようにのしかかる人物。
「エナっ!」
「皇妃さまっ!」
アルディナとユージィンが、突然現れた人物に驚きの声を上げる。周囲にいる騎士も彼らに同じ。
だが俺は。
――思った通りだな。
マリアルージュに飛びかかったエナの行動が、あまりにも想像とピッタリ一致したので。
場違いだが、プッと笑いを漏らしてしまった。
リアハルトさまは、少数ではあるけど、手練れの騎士を引き連れていった。けど。
――向こうに、とんでもない手練れがいたとしたら?
一人で百人倒しちゃうようなとんでもない剣豪。
いるかもしれない。いないとは限らない。
そして。
――ユージィン殿が寝返ってたとしたら?
セランには「大丈夫」と言ったけれど、本当に大丈夫な保証はどこにもない。
ユージィン殿の母親と妹は、アルディナさまの母親によって処刑されている。ユージィン殿は、少なからずアルディナさまを想っていらっしゃる。
だからなんだというの?
たとえ、そんな過去があっても、想いがあったとしても、あちら側につかないという保証にはならない。
疑いたくはないけど、あちらに内通しているフリが実は本当で、こちらの情報をあちらに流していたかもしれない。
敵の数、仕掛けてくる時刻。
そういうのを教えてくれたのは、ユージィン殿だ。そして、リアハルトさまが連れて行った騎士を用意したのも。
――これで、もしユージィン殿があちら側の人間だったとしたら?
そんなことはない。
リアハルトさまが、ユージィン殿を信用したのなら、わたしだって、それに倣いたい。セランがあそこまで懐いたユージィン殿を、疑いたくない。でも。
――もしそうだったら。
ユージィン殿のせいで、リアハルトさまが危機に陥ったら?
その体に凶刃が押し寄せることももちろんだけど、裏切られたことに彼が傷つくのだけは嫌だ。
信じた人に裏切られるのは、きっとなにより辛い心への刃だ。
それに、もしそうでなく、ユージィン殿が忠実な味方だったとしても、危険なことに変わりはない。
ユージィン殿が密偵であることがバレてて、ウソの情報を掴まされていたら? とうてい太刀打ちできないほどの数の敵がいたら?
ズベン。
(ウギャッ)
狭い隠し通路の階段。
持ってきた手燭のおかげで、そこに段差があることは気づけても、そこに埃が積もりすぎて滑りやすくなってることには気付けない。突然だったことと、両手に物を持っていたせいで受け身も取れず、顔から思いっきり階段にぶつけた。
壁だって同じ。
手燭で確認するには限界な曲がり角。狭いし、急に曲がったりするから、何度か体をぶつけ、こすりつけた。
(こんな道を、あの子は急いできたの?)
今は、リアハルトさまの寝台で眠っているセラン。
眠るあの子の顔や手には、汚れとともに、なにかで擦った痕がいくつもあった。
あの子は、この危急の時を知らせに、この回廊を走ったのかしら? 自分が傷つくことなど構いもせずに。
帰ったら。あの子が起きたら、いっぱい、めいいっぱい抱きしめてあげよう。けど。
(今は、リアハルトさまよ!)
セランなら大丈夫。
ミリアがついていてくれる。
セランには言わなかったけど、ミリアは、リアハルトさまの乳兄妹でもなんでもない。リアハルトさまの使う女細作。
わたしとセランの身の回りを警護するのに、身近に細作置きました――じゃ、わたしを怯えさせちゃうから、とりあえず乳兄妹ということにしたらしい。本当の、リアハルトさまの乳兄弟は男性で、リアハルトさまが皇都を放逐されるよりまえに、不審死している。まあ、おそらく、幼い頃のリアハルトさまの周囲でも、不穏なことが起きていたんだろう。本物の乳兄弟は、それに巻き込まれて亡くなった。
(リアハルトさま……)
わたしの家に来た時のリアハルトさまを思い出す。
全身イバラの鎧をまとったようだったリアハルトさま。誰にも心を開かず、誰に対しても威嚇を解かなかった。
あれは、母親を引き離されて、父親から捨てられたからだけじゃなかった。身近にいた人を自分のせいで亡くしていたから。誰も信じられず、誰も巻き込みたくなかったからだったんだと、改めて思い至る。
(リアハルトさま……)
本来のリアハルトさまは、とてもよく笑う、快活なかただ。人をからかったり、ふざけたりもする。楽しいことが大好きなかただ。
そのリアハルトさまが、手負いの獣みたいに、フーっと全身の毛を逆立てるような、威嚇を続けていた。続けざるをえない状況に陥っていた。
その状況に、リアハルトさまを追い込んでいたのが、アルディナさまの母親だ。
アルディナさまの母親は、娘に皇子としての人生を強いるだけじゃなく、リアハルトさまをトコトン追い詰めた。
(リアハルトさま……)
その母親が、今回もリアハルトさまとアルディンさまの前に立ちはだかっている。
作戦がうまく行けばいい。
わたしの心配なんて、杞憂で終わればいい。
わたしが行ったところで、なんの役にも立たないかもしれない。
けど。
グッと、頬をこすって、立ち上がる。
手燭と、ミリアから借りた剣。その二つを持つ手に力を込める。
なんの役にも立たないかもしれないけど。
それでも、そばにいる。
わたしは、リアハルトさまのお姉ちゃんで、つっ、妻なんだからっ!
* * * *
――いい加減にしてくれ。
リアハルトは、内心ウンザリし始めていた。
アルディナのために用意したやや広めの室。
皇女らしく、淡い色のタペストリーなど飾られた、瀟洒な室に似つかわしくない、血しぶきがあたりに飛び散り、騎士たちが床を埋める。
倒れているのは、アルディナの母親、マリアルージュが連れてきた騎士たち。腕を失くし呻く者、呻く声すら上げられず、屍になるのを待つだけの者。すでに物言わぬ躯となった者。
――無粋だな。
室にとっても似つかわしくない者が、ゴロゴロ転がる。
戦場なら珍しくない光景だが、この室にはトコトン似合わない景色。
そして、なにより一番似つかわしくないのが、マリアルージュ本人だった。
「寄るでない! アルディンがどうなってもよいのか!」
次々と味方がやられ、敵に囲まれるだけになった時。何を思ったか、マリアルージュは、己の息子だと言い張る娘を人質に取った。
護身用かなにかで持っていたのだろう。アルディナの背後から、その喉元に短剣をつきつけ、こちらを威嚇してくる。
「退け! 道を開けよ! さもなくば、アルディンの命はないぞ!」
アルディナを殺されて、こちらになんの問題があるというのだろう。
冷静に考えて。
アルディナがここで殺されれば、俺の帝位も、後の皇位継承にもなんの問題もなくなる。
アルディナがいるから、こういう不穏分子が湧いてくる。そう思えば、「どうぞ、殺してくれ」と頼みたくなってくる。
自滅したければどうぞやってくれ。
お前が娘を殺したところで、こちらは痛くも痒くもない。動揺すらしない。
アルディナを殺したお前を、皇女殺害の罪で捕らえて、処刑するだけだ。
そのことはアルディナ自身もよくわかっているのだろう。自分に、人質としての価値がないことを。母親が言ってることが無茶苦茶であることを。
背後から短剣を突きつけてくる母親に、ウンザリと、諦めのような表情をしている。
――たいした妹だ。
普通の皇女であれば、この状況に、悲鳴を上げるか、錯乱しそのまま気を失いそうなものを。この妹は、毅然と立っている。母親に所業に呆れはしているが、動揺は一切していない。
肝が座っているのか、皇子として、そうなるべく育てられたのか。
――降伏してきた時もそうだったな。
今よりもっと幼かったはずだが、従容と自分の運命を、斬首されるだろう未来を受け入れ、降伏してきた。
諦念? 諦観? 無我? 開き直り?
いつもの、エナやセランといる時とは違う表情に、剣の柄を握る手に力がこもる。
妹に。大切な妹に、こんな顔をさせたくない。
――ある意味、アルディナを盾にするのは正解なのかもな。
アルディナ本人はどう思っているか知らないが、兄として、彼女を傷つける行動は取りたくない。
そのせいで、今、膠着状態に陥っている。
弓でも持ってこさせて、マリアルージュだけでも射殺してしまおうか。
そんな考えも浮かぶが、室内で弓を使うことはためらわれる。矢がアルディナを傷つける前に、マリアルージュの短剣がアルディナを傷つけるかもしれない。
「ユージィン! ソナタ、妾を助けよ!」
裏切り者! ここまで目をかけてやった恩を忘れたのか!
目を血走らせ、マリアルージュが、こちら側に立っているユージィンを罵倒し始める。
――ユージィンの家族を殺しておきながら、よく〝恩〟などと言えたものだ。
支離滅裂な罵倒。
自身の家族を殺した相手に〝恩〟など感じるものか。感じるなら、〝恨み〟〝憎しみ〟だ。それでなくても、ユージィンは、アルディナを少なからず思っている。そのアルディナを傷つけようとする者を、それがたとえアルディナの産みの親であっても、助けようなどとは微塵も思わないだろう。
「ユージィン! アルディンがどうなってもいいのか!」
その叫びに、それまで沈黙を貫いていたユージィンが、わずかに身を揺らした。
この膠着状態に、一番焦っているのはユージィンだろう。
奴の腕、剣を持っている右腕の袖には、縦に一筋の切られ痕と、滲み出た血の痕が残る。俺たちが突入した時、ユージィンはアルディナを守る盾となった。
アルディナに惨劇を見せたくない。アルディナに凶刃が及ばぬよう守っていた。
だが、その一連の行動のなかで、一人だけ見落としてしまっていた。マリアルージュだ。
女性が短剣であっても、振り回すなど予想していなかったらしい。そして、我が子に剣をつきつけ、己の盾にするなど。
不意打ちに襲われ、その右腕を斬られた。アルディナを奪われ、今ここで一番悔悟の念にとらわれているのは、ユージィンだろう。悔やんでも悔やみきれない、大失態だ。
――どうしたものかな。
アルディナの安全など無視して、襲いかかることはできる。だが、それでいいのか。
短剣であっても、扱いには不慣れなはずのマリアルージュを制圧するのは容易い。この状況で、マリアルージュが逃げ切れるとも思えない。だが、無理をすれば、アルディナも傷つく。それは避けたい。
――エナ。
こういう時、エナならどうするだろう。
「ふざけんじゃないわよ!」とマリアルージュと舌戦でも繰り広げるだろうか。それとも、我が身の安全もなにも考えずに、マリアルージュに突進していくだろうか。
――エナ。
ものすごく。ものすごく場違いだが、どうしようもなくエナに会いたくなった。
俺の愛に、ぎこちなくも応えてくれたエナ。初めてのことで辛いだろうに、それでも笑って受け入れてくれたエナ。
やっと通じた想い。
どれだけ時間を費やして、どれだけ彼女を愛したとしても、まだ足りないと思える。そんな心境なのに、こんなことで時間を取られるとは。
かつて、自分を守るために、あたり構わず敵意しか向けていなかった俺に、やさしく、でも荒々しくぶつかってきたエナ。
俺が自分の殻に閉じこもった雛だとしたら、エナはその卵を、容赦なく地面に叩きつけて「でてこい!」と叫んだ人物。そして、「大丈夫?」と手を差し伸べるやさしさを見せる。
乱暴だけど、やさしいエナ。
彼女なら、この状況にどう出るのだろうか。
カサ。
それはわずかな、風の動いたような音。
興奮しすぎて手のつけられないマリアルージュの背後、棚影から動いた音。
そして。
「――ふっざけんなぁっ!」
ドレス姿とは思えない、ものすごい蹴りが短剣を持つマリアルージュの腕に襲いかかる。
「アルディナさまを盾に脅すなんて、サイッテーっ!」
マリアルージュの落とした短剣が、カラカラと硬い床を滑る。同時に、その体が床に組み伏せられ、押さえつけるようにのしかかる人物。
「エナっ!」
「皇妃さまっ!」
アルディナとユージィンが、突然現れた人物に驚きの声を上げる。周囲にいる騎士も彼らに同じ。
だが俺は。
――思った通りだな。
マリアルージュに飛びかかったエナの行動が、あまりにも想像とピッタリ一致したので。
場違いだが、プッと笑いを漏らしてしまった。
11
あなたにおすすめの小説
橘若頭と怖がり姫
真木
恋愛
八歳の希乃は、母を救うために極道・橘家の門を叩き、「大人になったら自分のすべてを差し出す」と約束する。
その言葉を受け取った橘家の若頭・司は、希乃を保護し、慈しみ、外界から遠ざけて育ててきた。
高校生になった希乃は、虚弱体質で寝込んでばかり。思いつめて、今まで養ってもらったお金を返そうと夜の街に向かうが、そこに司が現れて……。
天然だと思ったギルド仲間が、実は策士で独占欲強めでした
星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー本編8話+後日談7話⭐︎
ギルドで働くおっとり回復役リィナは、
自分と似た雰囲気の“天然仲間”カイと出会い、ほっとする。
……が、彼は実は 天然を演じる策士だった!?
「転ばないで」
「可愛いって言うのは僕の役目」
「固定回復役だから。僕の」
優しいのに過保護。
仲間のはずなのに距離が近い。
しかも噂はいつの間にか——「軍師(彼)が恋してる説」に。
鈍感で頑張り屋なリィナと、
策を捨てるほど恋に負けていくカイの、
コメディ強めの甘々ギルド恋愛、開幕!
「遅いままでいい――置いていかないから。」
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
半年間、俺の妻になれ〜幼馴染CEOのありえない求婚から始まる仮初の溺愛新婚生活〜 崖っぷち元社畜、会社が倒産したら玉の輿に乗りました!?
とろみ
恋愛
出勤したら会社が無くなっていた。
高瀬由衣(たかせゆい)二十七歳。金ナシ、職ナシ、彼氏ナシ。ついでに結婚願望も丸でナシ。
明日までに家賃を用意できなければ更に家も無くなってしまう。でも絶対田舎の実家には帰りたくない!!
そんな崖っぷちの由衣に救いの手を差し伸べたのは、幼なじみで大企業CEOの宮坂直人(みやさかなおと)。
「なぁ、俺と結婚しないか?」
直人は縁談よけのため、由衣に仮初の花嫁役を打診する。その代わりその間の生活費は全て直人が持つという。
便利な仮初の妻が欲しい直人と、金は無いけど東京に居続けたい由衣。
利害の一致から始まった愛のない結婚生活のはずが、気付けばいつの間にか世話焼きで独占欲強めな幼なじみCEOに囲い込まれていて――。
柔らかな愛に触れるまで ~冷酷な御曹司は政略結婚から愛を知る~
上乃凛子
恋愛
27歳の誕生日を迎えた数日後、父から突然「結婚が決まった」と聞かされた彩花。
結婚とは政略結婚──。
相手は大手製薬会社の社長、五十嵐修史だった。
一方、修史は、藤城バイオテック社長の藤城敬吾から合併の話を持ちかけられる。
敬吾は合併の条件のひとつとして、娘との結婚を提示してきた。
相手は父を裏切った男の娘。
感情を捨てた政略結婚だと思っていたはずなのに……。
政略結婚から始まるラブストーリー。
藤城 彩花 27歳 藤城バイオテック運営『医薬と薬草の博物館』勤務
五十嵐修史 34歳 大手製薬会社 IGS製薬 代表取締役社長CEO
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
冷徹団長の「ここにいろ」は、騎士団公認の“抱きしめ命令”です
星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー全16話+後日談5話⭐︎
王都最硬派、規律と責任の塊――騎士団長ヴァルド・アークライトは、夜の見回り中に路地で“落とし物”を拾った。
……いや、拾ったのは魔物の卵ではなく、道端で寝ていた少女だった。しかも目覚めた彼女は満面の笑みで「落とし物です!拾ってくださってありがとうございます!」と言い張り、団長の屋敷を“保護施設”だと勘違いして、掃除・料理・当番表作りに騎士の悩み相談まで勝手に開始。
追い出せば泣く、士気は落ちる、そして何より――ヴァルド自身の休息が、彼女の存在に依存し始めていく。
無表情のまま「危ないから、ここにいろ」と命令し続ける団長に、周囲はざわつく。「それ、溺愛ですよ」
騎士団内ではついに“団長語翻訳係”まで誕生し、命令が全部“愛の保護”に変換されていく甘々溺愛コメディ!
籠の鳥〜見えない鎖に囚われて✿❦二人の愛から…逃れられない。
クラゲ散歩
恋愛
私。ユリアナ=オリーブ(17)は、自然豊かなオータム国にあるグローパー学院に在籍している。
3年生になって一ヶ月が経ったある日。学院長に呼ばれた。技術と魔術の発展しているフォール国にある。姉妹校のカイト学院に。同じクラスで3年生の男子3名と女子3名(私を含め)。計6名で、半年の交換留学をする事になった。
ユリアナは、気楽な気持ちで留学をしたのだが…まさか学院で…あの二人に会うなんて。これは…仕組まれていたの?幼い頃の記憶。
「早く。早く。逃げなきゃ。誰か〜私を…ここから…。」
王太子は妃に二度逃げられる
たまこ
恋愛
デリンラード国の王太子アーネストは、幼い頃から非常に優秀で偉大な国王になることを期待されていた。
初恋を拗らせ、七年も相手に執着していたアーネストが漸く初恋に蹴りを付けたところで……。
恋愛方面にはポンコツな王太子とそんな彼をずっと支えていた公爵令嬢がすれ違っていくお話。
※『拗らせ王子と意地悪な婚約者』『先に求めたのは、』に出てくるアーネストのお話ですが、こちらだけでも楽しめるようになっております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる