皇帝陛下の寵愛は、身に余りすぎて重すぎる

若松だんご

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25.曙光

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 エナはずるい。

 唐突に言われた。
 アルディナさまの母親を捕らえて。
 アルディナさまと、ケガをしたユージィン殿を別の室に移動させて。
 集めた騎士たちを労い、警戒を怠るなと命じて。
 わたしたちも室に戻ろうか。でも、リアハルトさまの室ではセランが寝ているから。それに、埃まみれだし着替えたいかなで、わたしの室に戻ったところで。

 ――エナはずるい。

 後ろから抱きついてきたリアハルトさまが言った。

 「あんなふうに出てこられたら。俺はなにも出来なくなる。皇帝として、非情な判断をくださねばならぬ時も、エナに嫌われたくなくて、なにも出来なくなる」

 嘆きのため息が、何度もわたしの肩に落とされる。
 
 (なるほどね)

 なにが「ずるい」のか、わかったわ。

 「よかったじゃないですか」

 肩に乗っかったままの、リアハルトさまの髪を撫でる。

 「非情になりきれなかったことで、アルディナさまに嫌われなくてすみましたよ?」

 おそらく。おそらくだけど。
 リアハルトさまは、あの場でアルディナさまの母親を処刑するつもりだったのだろう。

 皇帝に即位された時、アルディナさまを本来の性に戻したように、あの母親を刑に処すことはできたはず。それでなくても、あの母親には、様々な罪がある。
 リアハルトさまと御母上の皇后を追放した罪。娘を皇子と偽証した罪。
 そして、リアハルトさまが仰っていた、先帝殺害。先皇后の暗殺。リアハルトさまの暗殺未遂。
 極刑に処されてもおかしくないだけの罪状。
 即位された時、あの母親を遠くの尼僧院に幽閉するのではなく、極刑に処してもよかったのに、リアハルトさまはそうなさらなかった。
 それは、母親によって望まぬ人生を強いられているとはいえ、幼いアルディナさまから母を奪うことにためらいがあったからじゃないのかしら。
 どんな母親であっても、母は母。
 自分が理不尽に母を奪われた子であったからこそ、リアハルトさまはアルディナさまから母親を奪いたくなかったんじゃないかな。だから、処刑の一歩手前、遠くの尼僧院に幽閉という処罰にとどめていた。

 もしそうだとしたら。
 今回、わたしが現れたことで、処刑を断念することになったのだとしたら。

 わたし、あの場に飛び出してよかった。 

 心の底からそう思う。
 リアハルトさまの過去の決断を支持できた。
 それでなくても、いくら母親に罪があるとはいえ、アルディナさまから母を奪うことには、わたしも抵抗がある。
 皇帝としては甘いと言われるかもしれないけど、アルディナさまの兄としては、良い判断だと思う。
 あの母親の命だけじゃない。リアハルトさまはアルディナさまの心と自身の心も救ったのだ。わたしの前では非情になれないと嘆くけれど、それでよかったのだと、わたしは思う。
 それに、ローベルニュの脱出不可能絶壁僧院送りに、そこまでの温情は感じられない。命は取られなかったけれど、あの母親がローベルニュでどういう扱いを受けるか。想像するに余りある。嫁がせた妹をないがしろにした上、殺したかもしれない女を、ローベルニュ公がどういう待遇に置くのか。命を取られなかっただけマシ。だけど、次は、下手な動きのそぶり程度で、あっけなく容赦なく首を落とされるだろう。リアハルトさまの言った処刑方法よりも、もっと陰惨に。もっと苛烈に。

 「でも、カッコよかったと思いますよ、陛下」

 父母を殺された憎しみもあっただろう。自分を放逐された怒りもあっただろう。
 妹を、義弟を殺されそうになった怒りもあっただろう。
 でも、リアハルトさまは剣を止めた。
 その姿は、とても――

 「わたし、リアハルトさまが好きです」

 「エナ……」

 「非情になりきれない、おやさしいリアハルトさまが、わたしは大好きです」

 少し緩んだ彼の腕の力。クルッと体の向きを変え、驚いた顔の彼と向き合う。
 そして、自分でも驚くほど素直に、最高の微笑みを投げかける。

 そう。
 わたしの好きなリアハルトさまは、非情な皇帝でもなく、妹思いのやさしい人。
 人をからかったり、イタズラするのが好きな人。

 「――まいったな。そんなことを言われては、あまっちょろい皇帝にしかなれそうにない」

 「あまっちょろいんじゃないです。おやさしく寛大なんです。いいじゃないですか。そういう皇帝陛下のほうが、民衆は大好きですよ」

 苛烈で非情な皇帝なんて必要ない。
 敵は、容赦なく倒してほしいけれど、だからって常に非情でなければいけないことはない。その本性は、楽しく朗らかな人であってほしい。

 「それに――」

 笑いを収める。

 「リアハルトさまが非情にならねばならないときは、わたしもごいっしょします。一人で苦しまないで。無理しないで」

 やわらかく、朗らかに笑うことを知っている、その頬に触れる。
 お願い。なんでも一人で背負い込まないで。わたしにもその苦しみ、葛藤を教えて。
 わたし、守られているだけは嫌なの。苦しむなら、いっしょに苦しむわ。悲しむなら、いっしょに悲しむわ。

 「エナ……」

 あ。リアハルトさま、感動してる? 感銘受けてる?
 もしかして、わたし、結構カッコいいこと言ったんじゃない? 
 まあ、カッコいいこと言おうって思ったわけじゃない、本心からの言葉なんだけど。
 でも、感動してくれるなら、ちょっと気分いい。

 「いいな。『ごいっしょ』か」

 ――ん?
 わたしを見るリアハルトさまの目が、キラリと光ったような? ん?

 「なあ、エナ。その『いっしょに』というのは、皇妃としてか?」

 「は?」

 なんでそんなこと、確認するんですか?

 「大切なことだからな。ちゃんと聴いておきたい。俺の妻、皇妃になることは『是』でよいのかどうか。皇妃として、生涯俺と『ごいっしょ』してくれるという意味でいいのかどうか」

 「へ? は? ふ?」

 「あんなこともこんなこともした仲だ。エナの体は余すことなく愛し尽くしたが、お前のことだ。『あれと皇妃になることは別!』とか言い出しそうだからな」

 「ゔ」

 言わない……とは断言できない。

 「『お姉ちゃんとしてよ!』なんて言うなよ。さすがに傷つく」

 思いついた言い訳は、回り込まれて封じられる。

 「つっ、妻としてよ!」
 
 こうなったら腹をくくれ自分!
 「皇妃として」とは言いたくなかったから、「妻として」にする。最後の抵抗。
 口を尖らせ、明後日の方向を見ながら言うのは、最後の抵抗その二。
 それでなくても頬どころか、耳まで真っ赤になってる自覚がある。わたしの感情、きっとバレバレ。

 「それより、アンタこそ、あんなことしておいて、やっぱり妻にするのは無理とか言わないわよね!」

 「俺が?」

 「そうよ。年増は嫌だとか、こんな暴力女だとは思わなかったとか!」

 年増。身分違い。暴力女。ブサイク。
 記憶を美化して妻にと思ったけれど、我に返って、冷静に考えて、「やっぱりコイツはないな」になったとか。
 皇帝の邪魔をするような女、皇妃にふさわしくないわ。
 隣には、やはりもっと美しくて淑やかな女が相応しい。
 こんな年増ブサイク暴力女、願い下げだ。今だって、照れ隠しに噛みつくような女だ。

 遅れて生まれた俺が悪い――。
 皇帝位を捨てる――。
 エナ以外、何もいらない――。

 そんなこと言ってるの、盗み聞きはしたけど、まだ面と向かって言われてないのよ、わたし。
 「好きだ」って、「愛してる」って言われたいのが乙女心。
 閨では言われたかもだけど(それ以外のことに必死で覚えてない)、そうじゃない場面で、言われたいのよ。何度でも。
 言われて安心して、言われて幸せな気分になって。言われて自覚したいのよ。愛されてるって。わたしが愛してる以上に、彼から愛されてるんだって証がほしいの。

 「――エナ」

 え?

 「ちょ、ちょっ……」

 抱き上げられた体。ノッシノッシと、わたしを担ぎ上げたまま歩くリアハルトさま。数歩行くと、今度は体をバフっと柔らかいものの上に背中から落とされた。――ここ、寝台?
 触れた肌が、敷かれた布の柔らかさを伝えてくる。

 「これだけ必死に愛をささやき続けているというのに。我が妻は、よほどの欲張りと見える」

 え? ええ?
 ちょっ、なんでリアハルトさま、わたしの上にのしかかってくるんですかっ!

 「エナ。お前が好きだ。ずっとずっと。父親に捨てられ、閉じこもっていた俺を引きずり出してくれたあの時から。どんな時も、これがあれば頑張れた」

 「あっ、それ!」

 わたしのあげたハンカチ! スズランには、到底見えない刺繍つきハンカチ!
 リアハルトさまに、懐から取り出されて。違った意味で、顔が赤くなる。

 「これからは、ハンカチではなく、エナ自身が、俺のそばにいてくれ」

 「――ンッ」

 重なる唇。
 ただの口づけ。
 そう思いたいのに、体が震えた。

 「俺のそばにいて、溢れる想いを受け止めてくれ」

 「ンッ、ハッ……、ア……」

 リアハルトさまの口づけは、唇だけにとどまらず、わたしのあちこちに火を灯すように広がっていく。

 同時に、脳裏に一幅の絵のような光景が思い浮かぶ。
 暗い夜空の下。
 わたしのハンカチを手に、星を見上げるリアハルトさまの姿。
 戦場で傷つき、それでもみなに支持され、担ぎ上げられた皇子として気丈に振る舞わなくてはいけない状況。誰にも弱音は吐けない。「怖い」と怯えることすらできない。
 父さまがいても。父さまが亡くなってからも。皇帝に即位してからも。
 ずっと、リアハルトさまは、孤独に戦っていらした。
 泣きたくなるほど。逃げ出したくなるほど。
 そんな苦しい状況を、幼くして乗り越えなければいけなかったリアハルトさま。その心の支えが、わたしの差し上げたハンカチだった。
 ハンカチを通して、わたしを想うことで、困難を乗り越えていていた。

 「リアハルトさま……」

 わたしの体を開いていく彼に手を伸ばす。

 「愛してます。だから、アナタのすべてをわたしに教えてくだ――アッ!」

 最後まで言うことはできなかった。リアハルトさまの愛撫が、わたしから理性もなにもかも奪い取っていく。

 「エナ。愛してる、エナ」

 残ったのは、激しくもやさしい、甘い愛撫と、繰り返される愛の言葉。それに応えるようにあげる、わたしの喜悦の声だけ。
 窓の外。東の空が白く輝き、夜の藍を遠ざける。曙光が、室に満ちていく。
 たくましいリアハルトさまの体。陰影をつけることで、筋肉の動きくっきりとまざまざと見せつけてくる光。愛撫され、ところどころ赤くなったわたしの肌。淡く産毛を輝かせる光。
 朝になったら、事件の処理とかなんとか、大変なことが待っている。アルディナさまとユージィン殿のこと、セランのことだって心配だ。
 けど今は。

 「愛してます、リアハルト」

 与えられる愛に、溺れていたい。
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