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裏・没ネタ
風邪にご用心2
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テーブルにグラスを置いたのは、別の店員だった。
軽く会釈しながら、慣れた手つきでドリンクを並べていく。
「ご注文のお酒です。……あ、すみません、少し狭いですね」
「いえ。……あの、今日って、なんでこんなに混んでるんですか?」
思わず口にした黄瀬の問いに、店員は一瞬だけ視線を泳がせ、それから困ったように笑って肩をすくめた。
「あー……いや、もともとは今日も、いつも通りガラガラだったんですよ」
どこか他人事みたいな口調で、定員は続ける。
「それで、吉川くんに『今日も暇だし、ちょっと客引きでもしてきてよ~』って、冗談のつもりで言ったんです」
その瞬間、桃崎の肩がぴくりと跳ねた。
「……へぇ、冗談のつもりで?」
「はい。ほんと、軽いノリだったんですけど」
店員はそう言ってから、ホール全体をぐるりと見渡した。今もなお途切れる気配のない客の波を指さしながら、苦笑まじりに続ける。
「――そしたら、本当に連れてきちゃって。いやぁ、こんな忙しいの初めてですよ」
黄瀬と桃崎は、言葉を交わさずに視線だけで頷き合う。
やっぱり――“異常事態”だ。
「すみませーん!」
カウンターの方から、呼ぶ声が飛んだ。
「あ、すみません。呼ばれたので失礼します!」
そう言い残すと、店員は足早に別の客のもとへ向かっていった。残された黄瀬と桃崎は、しばらく無言のまま視線だけ合わせる。
「……」
「……」
そして、ほぼ同時に――さっきの光景を思い出す。あの、柔らかくて。余計な距離を詰めてくるような、優しい笑顔。
「……なあ」
黄瀬が低く呟く。
「トオルさんってさ。あんな顔、する人だったっけ」
「しない」
即答だった。桃崎は腕を組み、真顔で断言する。
「普段のトオルくんはもっとこう……無愛想で、だるそうで、“用件だけ言え”みたいな顔してるでしょ」
「だよな。笑顔っていうより、口角が上がらないのがデフォルトというか……」
必要最低限の言葉。淡々とした所作。無愛想で無気力――それが“通常運転”のはずだった。
「それが何?今日は“一杯どうですか?”って、あの距離感で、あの笑顔で、客引きしたってこと?」
桃崎が身を乗り出し、少し興奮した声を上げる。
「え、私もされたいんだけど」
「やめろ」
即座に黄瀬が低く制止する。
その瞬間――
黄瀬の脳裏に、さっき本部で感じた“違和感”が蘇った。
それは会議中。突然、空気が冷えたような緑谷の表情。理由のわからない、あの露骨な不機嫌。
そして今。
異様なほど混雑した店内。ありえないレベルで愛想のいいトオル。客に向けられる、あの距離感のバグった笑顔。
点と点が、ゆっくりと線になる。
(……あー……)
黄瀬は、胃のあたりがひやりとするのを感じた。
(これ、全部……つながってる)
今日のこの混雑。トオルの“異常事態”。緑谷の機嫌の悪さ。
――たぶん、全部。
(……地雷原だわ、これ)
そんな黄瀬の内心など知る由もなく、桃崎は楽しそうに、にっこり笑った。
「ねぇ黄瀬。これ、完全に“イベント回”だよね?」
「……頼むから、声に出すな」
黄瀬は心底うんざりした顔で、そう返すしかなかった。
その直後、カウンターの向こうでトオルがまた別の客に笑いかける。
――そのたびに、店内の空気が、わずかにざわつく。
理由は誰も言語化できない。ただ、確実に“何かがおかしい”。
そんな中、別の店員がカウンター越しにトオルへと声をかけた。
「吉川くん、休憩室のほうでスマホずっと鳴ってたよ。今日まだ休憩取ってないでしょ? ついでに確認してきたら?」
トオルは一瞬だけ目を瞬かせた。きょとん、とした間。――それから、すぐに柔らかく笑う。
「そうですか? ありがとうございます。じゃあ、確認したら戻ります」
その言い方、その声色、その笑顔。黄瀬と桃崎は、ほぼ同時に小さく息を呑んだ。
「……また、笑顔で返事した」
「え、可愛すぎない?ねぇ、緑谷くんは?彼はまだなの?ねぇ!」
「おい呼ぶな!緑谷いたらやべぇだろ!」
「だって!二人を応援してる私としては、見逃せないイベントが発生してるんだもん!!‥……ところで電話?」
「緑谷…じゃねぇよな?」
休憩室で鳴り続けるほどの着信。
二人が無言で視線を追う中、トオルは奥へと姿を消し――
数秒後、スマホを片手に現れた。そのまま、自然な動作で入り口へ向かい、ドアを開ける。
カラン、と鈴の音。
そして、トオルは店の外へ出ていった。残された店内で、黄瀬はじわりと嫌な予感を強めていた。
黄瀬と桃崎は互いに小さく頷き合い、言葉を交わさないままそっと後を追った。
ーーー店の外。夜の空気は、店内よりずっと冷たかった。
少し距離を取り、物陰に身を潜めると……トオルの声が、はっきりと聞こえてきた。
「え? あ、大丈夫ですよ。はい。……今はバイト中ですけど」
――爽やか。いや、爽やかすぎる。いつもの、どこか素っ気なくて一線を引いた話し方とは、あまりにも別人だった。
「(……誰と話してんだ)」
「(緑谷くん……じゃ、ないよね。これ)」
「わかりました。いいですよ。はい。え? 別に……いつも通りですよ」
「(いや、全然いつも通りじゃねぇからな!?)」
黄瀬は思わず口元を押さえる。声を上げないのが精一杯だった。
「え? 大丈夫ですって。駅前のバーですね。……え?」
一拍。
「あ、もしもし?」
どうやら通話が切れたらしい。トオルはスマホの画面を見下ろし、少しだけ首を傾げた。
その仕草を見て、二人は視線を交わす。
――今だ。
「……トオルさん」
「ん?」
黄瀬が声をかけると、トオルが振り返った。
さっき電話していた時と同じ、爽やかで柔らかい笑顔。夜風の中でも、妙に明るくて、隙のない表情だった。
「今の電話って……」
黄瀬が言いかけ、言葉を探す。トオルは少しだけ首を傾げ、あぁ!と何かを察したように答える。
「ボスからの電話で、今から来るって」
いい笑顔で。
その一言で、夜風がひやりと冷えた気がした。
軽く会釈しながら、慣れた手つきでドリンクを並べていく。
「ご注文のお酒です。……あ、すみません、少し狭いですね」
「いえ。……あの、今日って、なんでこんなに混んでるんですか?」
思わず口にした黄瀬の問いに、店員は一瞬だけ視線を泳がせ、それから困ったように笑って肩をすくめた。
「あー……いや、もともとは今日も、いつも通りガラガラだったんですよ」
どこか他人事みたいな口調で、定員は続ける。
「それで、吉川くんに『今日も暇だし、ちょっと客引きでもしてきてよ~』って、冗談のつもりで言ったんです」
その瞬間、桃崎の肩がぴくりと跳ねた。
「……へぇ、冗談のつもりで?」
「はい。ほんと、軽いノリだったんですけど」
店員はそう言ってから、ホール全体をぐるりと見渡した。今もなお途切れる気配のない客の波を指さしながら、苦笑まじりに続ける。
「――そしたら、本当に連れてきちゃって。いやぁ、こんな忙しいの初めてですよ」
黄瀬と桃崎は、言葉を交わさずに視線だけで頷き合う。
やっぱり――“異常事態”だ。
「すみませーん!」
カウンターの方から、呼ぶ声が飛んだ。
「あ、すみません。呼ばれたので失礼します!」
そう言い残すと、店員は足早に別の客のもとへ向かっていった。残された黄瀬と桃崎は、しばらく無言のまま視線だけ合わせる。
「……」
「……」
そして、ほぼ同時に――さっきの光景を思い出す。あの、柔らかくて。余計な距離を詰めてくるような、優しい笑顔。
「……なあ」
黄瀬が低く呟く。
「トオルさんってさ。あんな顔、する人だったっけ」
「しない」
即答だった。桃崎は腕を組み、真顔で断言する。
「普段のトオルくんはもっとこう……無愛想で、だるそうで、“用件だけ言え”みたいな顔してるでしょ」
「だよな。笑顔っていうより、口角が上がらないのがデフォルトというか……」
必要最低限の言葉。淡々とした所作。無愛想で無気力――それが“通常運転”のはずだった。
「それが何?今日は“一杯どうですか?”って、あの距離感で、あの笑顔で、客引きしたってこと?」
桃崎が身を乗り出し、少し興奮した声を上げる。
「え、私もされたいんだけど」
「やめろ」
即座に黄瀬が低く制止する。
その瞬間――
黄瀬の脳裏に、さっき本部で感じた“違和感”が蘇った。
それは会議中。突然、空気が冷えたような緑谷の表情。理由のわからない、あの露骨な不機嫌。
そして今。
異様なほど混雑した店内。ありえないレベルで愛想のいいトオル。客に向けられる、あの距離感のバグった笑顔。
点と点が、ゆっくりと線になる。
(……あー……)
黄瀬は、胃のあたりがひやりとするのを感じた。
(これ、全部……つながってる)
今日のこの混雑。トオルの“異常事態”。緑谷の機嫌の悪さ。
――たぶん、全部。
(……地雷原だわ、これ)
そんな黄瀬の内心など知る由もなく、桃崎は楽しそうに、にっこり笑った。
「ねぇ黄瀬。これ、完全に“イベント回”だよね?」
「……頼むから、声に出すな」
黄瀬は心底うんざりした顔で、そう返すしかなかった。
その直後、カウンターの向こうでトオルがまた別の客に笑いかける。
――そのたびに、店内の空気が、わずかにざわつく。
理由は誰も言語化できない。ただ、確実に“何かがおかしい”。
そんな中、別の店員がカウンター越しにトオルへと声をかけた。
「吉川くん、休憩室のほうでスマホずっと鳴ってたよ。今日まだ休憩取ってないでしょ? ついでに確認してきたら?」
トオルは一瞬だけ目を瞬かせた。きょとん、とした間。――それから、すぐに柔らかく笑う。
「そうですか? ありがとうございます。じゃあ、確認したら戻ります」
その言い方、その声色、その笑顔。黄瀬と桃崎は、ほぼ同時に小さく息を呑んだ。
「……また、笑顔で返事した」
「え、可愛すぎない?ねぇ、緑谷くんは?彼はまだなの?ねぇ!」
「おい呼ぶな!緑谷いたらやべぇだろ!」
「だって!二人を応援してる私としては、見逃せないイベントが発生してるんだもん!!‥……ところで電話?」
「緑谷…じゃねぇよな?」
休憩室で鳴り続けるほどの着信。
二人が無言で視線を追う中、トオルは奥へと姿を消し――
数秒後、スマホを片手に現れた。そのまま、自然な動作で入り口へ向かい、ドアを開ける。
カラン、と鈴の音。
そして、トオルは店の外へ出ていった。残された店内で、黄瀬はじわりと嫌な予感を強めていた。
黄瀬と桃崎は互いに小さく頷き合い、言葉を交わさないままそっと後を追った。
ーーー店の外。夜の空気は、店内よりずっと冷たかった。
少し距離を取り、物陰に身を潜めると……トオルの声が、はっきりと聞こえてきた。
「え? あ、大丈夫ですよ。はい。……今はバイト中ですけど」
――爽やか。いや、爽やかすぎる。いつもの、どこか素っ気なくて一線を引いた話し方とは、あまりにも別人だった。
「(……誰と話してんだ)」
「(緑谷くん……じゃ、ないよね。これ)」
「わかりました。いいですよ。はい。え? 別に……いつも通りですよ」
「(いや、全然いつも通りじゃねぇからな!?)」
黄瀬は思わず口元を押さえる。声を上げないのが精一杯だった。
「え? 大丈夫ですって。駅前のバーですね。……え?」
一拍。
「あ、もしもし?」
どうやら通話が切れたらしい。トオルはスマホの画面を見下ろし、少しだけ首を傾げた。
その仕草を見て、二人は視線を交わす。
――今だ。
「……トオルさん」
「ん?」
黄瀬が声をかけると、トオルが振り返った。
さっき電話していた時と同じ、爽やかで柔らかい笑顔。夜風の中でも、妙に明るくて、隙のない表情だった。
「今の電話って……」
黄瀬が言いかけ、言葉を探す。トオルは少しだけ首を傾げ、あぁ!と何かを察したように答える。
「ボスからの電話で、今から来るって」
いい笑顔で。
その一言で、夜風がひやりと冷えた気がした。
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