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2章
仕込まれていたもの1
怪我をしてから、しばらく安静とバイトも休まされ――気がつけば三日間、緑谷の家に缶詰状態だった。
心配をかけた自覚はあるし、その分は大人しくしていたつもりだ。とはいえ、さすがに限界が近い。暇というか、外に出たい。
「なぁ」
「ダメです」
即答だった。
「……まだ何も言ってねーだろ」
ソファに寝転がったまま視線だけ向けると、キッチンに立つ緑谷が、こちらを見もせずににこりと笑う。
「言わなくても分かります」
さらりと返される。
現在、緑谷は朝食の準備中だ。せめて何か手伝おうとしたが、「安静にしていてください」とぴしゃりと止められ、結局こうして何もせず転がっている。
とはいえ、放置されているわけでもない。
手の届く範囲には好きそうな本が積まれ、テーブルにはカフェオレがしっかり用意されている。言えば甘いスイーツも出てくる。
……至れり尽くせり、ではある。
だからこそ――余計に。
「……外、出たいんだけど」
ぽつりと零す。一瞬、包丁の音が止まった気がした。
「まだ、本調子ではないでしょう?」
「打撲程度、大したことないだろ」
「そうですか?」
緑谷の声は穏やかなままだった。
「トオルさんを抱いていた時、肩強張っていましたが?」
「……」
「正面から腕を押さえつけられて……痛がっていましたよね?」
「……押さえつけられたら、誰だって痛いだろ」
さらりとした口調で返されて、思わず言葉に詰まる。こいつ、爽やかな顔して朝食作りながら何言ってんだよ。
「お仕置きとはいえ、痛がって涙目になっているトオルさんは……愛らしかったです」
「は?」
「痛いの我慢して、声押し殺して……新たな性癖に目覚めるかと思いました」
「……お前のファンが知ったら泣きそうな発言だな」
距離はあるはずなのに、反射的に身構える。先日のことを思い出して、肩にわずかに力が入った。
……容赦がない。
あそこまでやられて、もう二度と心配はかけないと思ったくらいには。しかも厄介なことに、こいつは――俺の嫌がることを、きっちり理解している。
とはいえ、このまま緑谷の家に引きこもってるわけにいかないのだ。
「なぁ。一緒ならいいだろ」
「……」
緑谷の手が、ぴたりと止まる。ゆっくりと、こちらを見た。
「……カフェ、いかね?」
言葉は返ってこない。ただ、視線だけがこちらを捉えたまま動かない。
「……15時に終わります。それまで、待てますか?」
まるで子供に言い聞かせるような言葉だが――そんなに可愛いものじゃないことは、俺が一番よく分かっている。
「待ってるから、早く帰ってこい」
楽しみができたせいか、気づけば頭の中はカフェのことでいっぱいになっていた。
◇
15時を待つまでもなく、緑谷は予定より早く帰ってきた。そのまま流れるように、カフェへと向かう。
「車で行きましょうか」と言われたが、このまま動かずに連れて行かれたら確実に太る――そう思って、歩きを提案した。渋い顔をされたものの、最終的には折れてくれたらしい。
外の空気はうまい。深く吸い込むと、少しだけ背中が引きつる。隣を歩く緑谷は、こちらの歩幅に合わせてゆっくり進んでいた。
「今日の現場はどうだった?疲れてねーの」
何気なく聞くと、緑谷は穏やかに笑った。
「大したことはありませんよ。トオルさんのいない現場は、退屈でしかありません」
「……お前、何しに現場行ってんの」
思わず呆れた声が出る。軽口を叩きながら、のんびりと歩く。
――そのときだった。
「トオルさーーーーーーん!!!」
遠くから聞こえる足音。やたら大きな声で呼ばれる名前。
「トオルさんっ!」
「え――」
緑谷の焦った声が重なる。振り向く余裕もなく、背中に強い衝撃が走った。普段ならどうってことないはずの一撃。けど今は違う。打ち身の残る背中に、まともに入る。
「っ……!!」
思わず息が詰まり、ぐらり、と視界が揺れた。踏ん張ろうとした瞬間、横から腕が伸びてくる。
「大丈夫ですかっ…?」
すぐ近くで、落ちる声。気づけば、緑谷に支えられていた。倒れなくてよかった。打ち身の残る場所に、鈍く重い痛みが広がっていく。緑谷の腕に支えられたまま、なんとか体勢を保つ。
「トオルさんみっけ!!」
背中にしがみついたまま、満面の笑みでこちらを覗き込んでくる顔。そこでようやく、状況を理解する。
――レッドだ。
悪びれる様子もなく、無邪気に笑っている。その屈託のなさに、思わずため息が漏れた。背中がじんと痛むが、何も言えない……。
「蓮、離れてください……」
「えー!トオルさんの姿見かけたら嬉しくなってさ!」
レッドの無邪気な声にかぶさるように、
「蓮」
低く、はっきりとした声が落ちた。
穏やかなはずの声音なのに、温度がない。空気が一瞬で張り詰める。さっきまでの軽さが嘘みたいに消えて、レッドもさすがに動きを止めた。
その背後で、もう一人――状況を一瞬で把握した奴がいた。
「蓮。いきなり人に飛びかかるな」
呆れを含んだ声と同時に、レッドの背後からするりと腕が回る。
「うわっ、ちょ――」
次の瞬間、レッドの体は軽々と持ち上げられ、そのまま俺から引き剥がされた。背中にのしかかっていた重みが消え、代わりに鈍い痛みだけがじん、と残った。
ふっと軽くなった背中に感謝し、一体誰が、と振り返る。
「しっかり手綱は握っておいてください、黒瀬」
そう緑谷が言う視線の先には――漆黒の髪に、同じく黒い瞳。動きに無駄がなく、鋭い目線はどこか冷たさを感じる。
そして緑谷と同じく、イケメン。
ここ最近の傾向で、イケメンにろくな男いないけど……。
ただこの男、どこかで見たことがあるような気がした。
心配をかけた自覚はあるし、その分は大人しくしていたつもりだ。とはいえ、さすがに限界が近い。暇というか、外に出たい。
「なぁ」
「ダメです」
即答だった。
「……まだ何も言ってねーだろ」
ソファに寝転がったまま視線だけ向けると、キッチンに立つ緑谷が、こちらを見もせずににこりと笑う。
「言わなくても分かります」
さらりと返される。
現在、緑谷は朝食の準備中だ。せめて何か手伝おうとしたが、「安静にしていてください」とぴしゃりと止められ、結局こうして何もせず転がっている。
とはいえ、放置されているわけでもない。
手の届く範囲には好きそうな本が積まれ、テーブルにはカフェオレがしっかり用意されている。言えば甘いスイーツも出てくる。
……至れり尽くせり、ではある。
だからこそ――余計に。
「……外、出たいんだけど」
ぽつりと零す。一瞬、包丁の音が止まった気がした。
「まだ、本調子ではないでしょう?」
「打撲程度、大したことないだろ」
「そうですか?」
緑谷の声は穏やかなままだった。
「トオルさんを抱いていた時、肩強張っていましたが?」
「……」
「正面から腕を押さえつけられて……痛がっていましたよね?」
「……押さえつけられたら、誰だって痛いだろ」
さらりとした口調で返されて、思わず言葉に詰まる。こいつ、爽やかな顔して朝食作りながら何言ってんだよ。
「お仕置きとはいえ、痛がって涙目になっているトオルさんは……愛らしかったです」
「は?」
「痛いの我慢して、声押し殺して……新たな性癖に目覚めるかと思いました」
「……お前のファンが知ったら泣きそうな発言だな」
距離はあるはずなのに、反射的に身構える。先日のことを思い出して、肩にわずかに力が入った。
……容赦がない。
あそこまでやられて、もう二度と心配はかけないと思ったくらいには。しかも厄介なことに、こいつは――俺の嫌がることを、きっちり理解している。
とはいえ、このまま緑谷の家に引きこもってるわけにいかないのだ。
「なぁ。一緒ならいいだろ」
「……」
緑谷の手が、ぴたりと止まる。ゆっくりと、こちらを見た。
「……カフェ、いかね?」
言葉は返ってこない。ただ、視線だけがこちらを捉えたまま動かない。
「……15時に終わります。それまで、待てますか?」
まるで子供に言い聞かせるような言葉だが――そんなに可愛いものじゃないことは、俺が一番よく分かっている。
「待ってるから、早く帰ってこい」
楽しみができたせいか、気づけば頭の中はカフェのことでいっぱいになっていた。
◇
15時を待つまでもなく、緑谷は予定より早く帰ってきた。そのまま流れるように、カフェへと向かう。
「車で行きましょうか」と言われたが、このまま動かずに連れて行かれたら確実に太る――そう思って、歩きを提案した。渋い顔をされたものの、最終的には折れてくれたらしい。
外の空気はうまい。深く吸い込むと、少しだけ背中が引きつる。隣を歩く緑谷は、こちらの歩幅に合わせてゆっくり進んでいた。
「今日の現場はどうだった?疲れてねーの」
何気なく聞くと、緑谷は穏やかに笑った。
「大したことはありませんよ。トオルさんのいない現場は、退屈でしかありません」
「……お前、何しに現場行ってんの」
思わず呆れた声が出る。軽口を叩きながら、のんびりと歩く。
――そのときだった。
「トオルさーーーーーーん!!!」
遠くから聞こえる足音。やたら大きな声で呼ばれる名前。
「トオルさんっ!」
「え――」
緑谷の焦った声が重なる。振り向く余裕もなく、背中に強い衝撃が走った。普段ならどうってことないはずの一撃。けど今は違う。打ち身の残る背中に、まともに入る。
「っ……!!」
思わず息が詰まり、ぐらり、と視界が揺れた。踏ん張ろうとした瞬間、横から腕が伸びてくる。
「大丈夫ですかっ…?」
すぐ近くで、落ちる声。気づけば、緑谷に支えられていた。倒れなくてよかった。打ち身の残る場所に、鈍く重い痛みが広がっていく。緑谷の腕に支えられたまま、なんとか体勢を保つ。
「トオルさんみっけ!!」
背中にしがみついたまま、満面の笑みでこちらを覗き込んでくる顔。そこでようやく、状況を理解する。
――レッドだ。
悪びれる様子もなく、無邪気に笑っている。その屈託のなさに、思わずため息が漏れた。背中がじんと痛むが、何も言えない……。
「蓮、離れてください……」
「えー!トオルさんの姿見かけたら嬉しくなってさ!」
レッドの無邪気な声にかぶさるように、
「蓮」
低く、はっきりとした声が落ちた。
穏やかなはずの声音なのに、温度がない。空気が一瞬で張り詰める。さっきまでの軽さが嘘みたいに消えて、レッドもさすがに動きを止めた。
その背後で、もう一人――状況を一瞬で把握した奴がいた。
「蓮。いきなり人に飛びかかるな」
呆れを含んだ声と同時に、レッドの背後からするりと腕が回る。
「うわっ、ちょ――」
次の瞬間、レッドの体は軽々と持ち上げられ、そのまま俺から引き剥がされた。背中にのしかかっていた重みが消え、代わりに鈍い痛みだけがじん、と残った。
ふっと軽くなった背中に感謝し、一体誰が、と振り返る。
「しっかり手綱は握っておいてください、黒瀬」
そう緑谷が言う視線の先には――漆黒の髪に、同じく黒い瞳。動きに無駄がなく、鋭い目線はどこか冷たさを感じる。
そして緑谷と同じく、イケメン。
ここ最近の傾向で、イケメンにろくな男いないけど……。
ただこの男、どこかで見たことがあるような気がした。
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いつも待っていてくださって、本当にありがとうございます✨
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おおおお!ありがとうございます!
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そんなにニヤけてもらえて嬉しいですー!