特派の狸

こま

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これから

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皇国歴一九六〇年 初冬

「なぜ勝手に出撃をした」
 老軍人に囲まれて、その質問に答えたのは真実だった。
「出撃しないわけにはいきません。我々は後備えではなく、事務方でもありません」
「命令は出ていなかった」
「人死が出るよりはましかと」
 老人たちはどよめき、明らかな不快を発した。隣同士囁くように、侮辱や非難を口にし、また舌打ちした。
「……二度目は。今回のはどう言い訳する」
 白髪が話始めると連中は黙った。彼がいかに大きな存在であるかが知れる。
「言い訳などしません。やましいことなどは一切ありませんから。天使が隊員の郷里に現れたために、その家族の保護、そして天使の討伐を目的とし出撃したのです」
 真実は続ける。彼女はもう気後れなどはしていなかった。
「規則を破ったことが問題なのでしょう。ではそれに沿った処罰を。謹慎と減給、それと罰金。いくらでも払いましょう。信賞必罰、討伐した天使十二体の報酬もありますから」
「ふざけるな! その態度が問題なのだ!」
「軍の規律を守らぬ者にどうして報奨などやるものか」
 ルールを守っていないのは俺たち。彼らは正しい。
 俺には守りたいものがあって、結局守れなかった。正しいが、失敗した。これではまったく全然どうしようもなく駄目なのだ。
「真実、もういいだろ。ほら」
  燃え上がる感情の飛び交う中で頭を下げた。今回は俺が悪いのだ。いかに真実が正しくとも、俺のために決起したことも、奮闘してくれたことも、俺が駄目にしたのだ。
「な、なにやってんだよ」 
 頭を上げろ。白髪は静かに言った。真実は歯軋りをして、しかし諦めたようだった。
「謝罪を求めているのではないし、出撃の理由は榊軍曹が述べた。何をしている」
「いえ、彼は怪我で混乱を」
 巡、やめとけ。真実にアイコンタクトで指示されると彼女も大人しくなった。
 これでいいんだろ。真実はそんな目でいた。
「騒がせてすいません。私が間違いをしてしまいました」
「貴様ぁ何を言って」
「静かに」
 白髪が制した。
「……朝日一等兵、きみは赤間の生まれか」
「はい」
「あっちから報告は来ている。援軍が天使を討伐し、死者の埋葬もした。間違いとはなんだ。これだけをみれば、一部の物好きは褒めさえするだろうが」
「家族の救出という目的を果たせなかったこと。それが私の間違いです」
「……こんな仕事だ、十分にあり得る」
「助けると決めたのであれば助けなければなりません。あり得るから、すでに死んでいたから、それがなんだというのです。決めたことくらい成せなければ意味がない。外的要因がどうであろうと、しなければならなかったのです。私の言った間違いとはそういうことです」
 白髪の男はずいぶんは渋い顔をしている。なんだ、連中騒ぐかと思ったが静かにしているじゃないか。
「そうか。わかった。軍規と照らし合わせ厳格に処分する」
 俺たちは黙ったままだった。しかし鬱々とした沈黙ではなかった。
 彼は髭をよじった。
「……数えたことはあるか」
「いえ、あの、意味がよくわかりませんが」
 真実は舌打ちでもしそうだった。
「天使の討伐数だ」
「……それが、なにか」
 そんなもの覚えていない。振り込まれる金の額が全てだ。
「実際大したもんだよ。ほら、下がれ」
 手放しで誉められ、なにがなんだかわからないまま、俺たちは無言で医務室まで戻った。後藤はもういなかったし、いまさらになって鼓動が激しく胸を打っていた。
「あ、帰ってきた。朝日くん、傷をもう一回見せて」
「それどころじゃないって先生! ありゃあ八代中将じゃねえか、他にも似たような面子ばっかり!」
 へえ、あの白髪は八代というのか。相当な高官だし階級に似合う面だった。
「柳生さんもいたな」
「あっ、そうですよ読書仲間ってなんですか! あんな高官と、少将と知り合いだなんて」
 俺だって知らなかった。狸が好きな田舎の隠居じゃなかったのか。
「お前が余計なことするんじゃないかとハラハラしたぜ」
「いや真実さんも相当でしたけどね」
 そうして赤間遠征は終わった。後日、赤間の駐在軍から連絡が来た。朝日義郎、島田さん、学友、みんな亡くなっていた。俺の故郷は瓦礫と死体しかない、それも片付けられれば、空っぽになり、ただ地名と悲惨さだけのものになるのだ。
 ハネさんは気を使ってよく話しかけてくれた。真美と巡もそうだった。
「平気だよ。寂しくなんかないって。賑やかだから」
 そう言うと彼女たちは無理に笑った。
「ならいいんだ。今のところお咎めもないし、報奨金もでた。ハネさん誘って飯でも行こうぜ」
「賛成です! あ、でも怪我してる人は無理しちゃいけませんよ」
「平気だって。火傷だってそのうち治るから」
 特派は金策をせずともそれなりにうまく回った。花火と呼ぶ兵器を増やしてもなお金があった。金庫番には巡がついたのは、真実だと余計な出費があると主張したためで、
「隊長は真実さん。お金の勘定は私。いいですね」
「……はいはい。いいよ、それで」
 さんざん文句も言ったが巡は理数に明るかったので決定した。
 十一月。ハネさんは早朝会議室に特派を集めた。とはいえ彼女が俺の部屋にやって来ただけだが、封筒が届いたそうだ。
「どうせ悪口じゃねえの」
 真実は適当に封を開け、逆さまにした。スルリ一枚空になびき、その正体を現した。
「……巡ぃ」
「はい」
「なんて書いてあるかわかるか」
「はい。ていうか真実さんだって読めるでしょ」
「誠ぉ、なんて書いてある」
 気だるげ、いや、疑いか。確かに俺も疑っていた。
「昇格だな。真実、お前曹長だってさ」
「私は軍曹に」
「俺は……上等兵か」
「なーんか裏がありそうじゃねえか」
「スピード昇格ですからね。しかもあれのあと」
 私なんかまだ一ヶ月くらいしかいないのに。そう巡も心から喜べていない様子だった。
「すごい。おめでとう」
 ハネさんだけが心から俺たちを祝福した。彼女しか狸の後援とよべるものはなかった。
「んー、そうだなぁ。まあ慶事ではあるよなぁ。狸がまとめて昇格だもんなぁ」
「だるそうだな。具合でも悪いのか」
 彼女はこたつに入って横になった。背が低くても肩まで入れば対面の俺の方まで足がくる。
「そうじゃあねえがよぉ。上がったら下がるでさ、これから急降下するかもしれないなぁと思って」
「そうなったらそうなったで、別にいいじゃねえか。今までやってきたことの結実が、これだろ」
 この薄っぺらい紙切れが上下関係を成し、それは彼らの規則内での功績を挙げたものだけが得られる。
「少しは認められたんじゃないか。特派の狸がさ」
 どんなに裏があってもそれは純粋に嬉しいことだ。狸になってうじうじと悩んで、俺を誘わなかった彼女、人を化かし天使を殺し、ここまできた。
「いいじゃねえか。害獣上等でやってんだから。裏があってこそだ。そうだろ曹長」
 彼女は「わかってるよ」と寝転んだままもぞもぞ動いた。こたつで暖まった足が俺の膝を蹴った。
「ふふ、そうですね。これからも頑張らないと」
「わかってんだよ、そんなこと」
「ならいいんだ」
 天気がいい。外は寒いだろうが、かまわず飛び出したい気分だった。

 三日後、真実は一人本部に呼ばれた。その間寮の掃除を済ませ、巡の主導で筋トレをした。俺に恨みでもあるかのように厳しいものだったが、それと同数以上に彼女も体を酷使していたので言葉もない。
「なにそれ」
 彼女が親指一本で逆立ちし腕立てふせを始めたとき、俺は間抜けな顔をしていたに違いない。
「なにって、腕立てですよ」
「……そうなんだ」
「朝日さんもしてくださいよ。普通のでいいので」
「それが普通じゃないのはわかってるんだ」
「口より体を動かして」
 午後三時を過ぎたころ、真実が帰ってきた。やたらとにやけていた。
「ただいまー」
「おう。なんだったんだ」
 筋トレを中断すると巡はムッとしたが、真実を出迎えないわけにもいかない。不可抗力だ。
「お帰りなさい。なんで笑顔?」
「ふふん、いやぁなに、来ちまったぜ、急転直下だ。やっぱりラッキーのあとはこうでなきゃあ」
 封筒。俺はあまりいいイメージのないものだし、彼女の言が気になった。
「良いのか悪いのか、どっちだ」
「どうにでもとれるさ。会議室に集合だ。ハネさんにも声かけろ」
 一体どうしたというのだろう。さして時間もかからずに集合すると真実は全体を見渡し、封筒から書類を出した。
「刮目しろぉ。狸の行く先を」

特別派遣部隊『狸』他随行一名に本日十一月十日より北楽ほくら支部への出向を命じる。

「これってよ……」
「左遷じゃ……」
  真実は机を叩いた。俺たちを見つめ、笑い飛ばす。
「皇国本土最北端! 北楽は裂け目が頻出しているし、外国から、特にレベト帝国からも侵攻を受けつつある極寒の場所だ」
「尚更じゃないですか!」
「清聴! 手柄を挙げりゃあ戻ってこれる。左遷だぁ? 関係ない! やることがあるぶんいいじゃねえか。各部を駆け回るよかましだ! いいか、狸は北に行く。巣穴換えだ!」
 こんな厄介払いの移動に真実はむしろわくわくしていた。彼女は与えられたシンボルに徹しているのだろうか、それろともやけになったのか、不幸を喜ぶ性格なのか。
 違う。彼女は確信しているのだ。前途の多難を、そしてそれを突破できるということを。俺にそう信じこませるだけの力強い瞳……癖なのかもしれないが、ウインクはやめてくれ。それは俺を殺せるだけの威力がある劇薬だから。
「寒いんでしょうね、きっと」
「巡、いやか?」
 彼女は首をふって「まさか」と微笑んだ。
「真実さんが決めたことなんですから、それは正しい。ですよね、朝日さん?」
「そう。でも、お前も正しいぜ」
 俺の祖父の死に際し、彼女が俺よりも悲しんだことを忘れない。教師でもあり同輩の狸、俺たちの望んだ希望の大陽は満天に輝いていた。
「待ってるから、帰ってきて」
「ハネさん……」
 彼女は真実に別れの抱擁をした。これまでたくさん面倒をかけただけに、その繋りも深いものがある。
「なあハネさん、あんたも行くんだぜ?」
「え……?」
 書類を拾って読み上げても彼女の名前はないが真実は「ここだ」と指差す。
「随行一名。大鳥羽音どの。道中、そして新天地での生活、よろしく頼むよ」
「こ、ここは、どうするの?」
「芝ちゃんが管理してくれる。これで憂いなし! 荷造りして十分後トラックに集合だ。解散!」
 呆然とするハネさん、いそいそと準備に取りかかる巡。
「誠ぉ、花火ってどこだっけ!」
「会議室に置きっぱなしだ」
 日常ごと引っ越し。これが寂しいものかよ。
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