特派の狸

こま

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第二章

一室

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皇国歴一九六〇年 厳冬

「ハネさんがいねえや」
 植草は挨拶の最後に狸の巣穴を用意していると言った。
「新居があってもあの人がいなかったら家事が滞っちまう」
 特別派遣部隊が使用できるのは今は使われていない植草らが物置にしていた大部屋だ。掃除が初任務だなんて笑っていた。
「また住居と仕事場の兼用なんですね」
「楽でいいだろ」
「朝日さんはそれでいいかもしれませんけど」
 「ま、住めば都だぜ。あの人はあとででいいや。早く行こう」
  二階の一番奥の部屋がそうだ。北楽支部にも食堂と共用のシャワー室がある。水が貴重であるらしく、いたるところに節水の張り紙があることだけが違った。
「なるほど、水道管が凍るから出っぱなしなんですね」
 注意とは反対にどの蛇口からも細く水が垂れている。やはり寒さとは恐ろしい。
「ここか。なんだ、広いじゃん」
 だいたい八十平米、四人で使うには十分だ。奥にドアがあってそこにもまた部屋がある。
「ここは給湯室……? 増設されたって感じですね」
「机だなんだは揃ってるから、後は雑貨だな」
 その前にしないといけないことがある。
「買い物もそうだが、最初は掃除だよ」
 そこかしこの積もった埃が舞う。くしゃみをすると余計にそれは舞い上がりひんしゅくをかった。
「それこそハネさんがいねえとよ。まずは買い出しに行く。巡!」
「は、はい」
「私と誠で買い物に行く。お前はハネさん探して掃除だ」
 露骨に嫌そうな顔、しかし覆ることはない。
「誠さんと外に出たいだけじゃないですか」
 巡はそう呟いたが、それはそうだろう。
「下っ端だからな、荷物持ちだってのはわかっていたよ。掃除、頼むぜ」
「そういうことじゃなくてぇ……!」
「はっはっは! 巡ぃ、じゃれるなよぉ」
「分担が決まったら早く行こう。どこで何を買うんだ」
「ま、そこは植草さんにでも聞こうじゃねえか。じゃあな巡、よろしくな」
 真実は俺の袖を引いた。
「さあ、狸が出るぞ。出るぞ。出るぞー」
 と、よくわからない節をつけてをうたった。

「裏の倉庫にあるものならなんでも使っていい」
 植草はそう言ってくれたが、真実は納得いかない様子で、
「町には」
 と、多少ごねた。
「きみたちの車も回収できていないし、こっちからもだせない。燃料との兼ね合いもある」
 とのことだった。節約節制で統一しなければたちまち物資がなくなるのだと言う。
「はあ、では、倉庫からお借りします」
 落胆を隠さない我が隊長を、植草さんは微笑みで見送ってくれた。
 倉庫には、おおよその生活に必要な家具があった。
 北楽支部では郊外に寮こそあるものの、その行き帰りの移動が天候によって大きく左右されるため、仮眠室の存在が非常に重視される。
 俺たちの碧湖寮のような施設が、公私一体の部屋というものが黙認されていた。
「あっちにヤカンはあったか?」
「布団が足りねえと巡が騒ぐな」
「こたつはないか、探せ」
 真実は逐一声を出した。そうしなければ凍死しそうなほどに寒かった。
 古いテレビ、物干し竿、寝具。町の古物屋よりずっと品揃えが良かった。
 ぼろぼろのリヤカーがあったから、それに荷を積んで運ぶことにした。
「もっと押せ! 進みやしねえ」
「精一杯だ。お前こそもっと引け」
 二人してがらがらと、彼女は人を呼ぶということはせず、面倒だと言って室内でもリヤカーを引いた。すれ違う職員はあえて声をかけなかったのだろう、皆関わり合いにはなるまいと決めている風だった。
「戻ったぜ」
「あれ、早かったですね」
 荷を積み、運搬と合わせても一時間ほどで終わった。巡と一緒に箒をかけるハネさんが俺たちに手を振った。
「ハネさん、どこにいたんですか」
 彼女は「散歩」とだけ言う。
「合流できたんだからなんでもいいさ。ようし、今日中には片付けて、しばらくは自堕落で行こうぜ」
 えいえいおーとハネさんが言ったので、俺たちもそれに合わせた。真実は満足そうだった。

 その日の午後八時には部屋は片付き、ほとんどは生活スペースで、仕事場というと、筆と持ってきた辞令があるだけの机がそうといえた。
「これが新居、いや、新巣穴だ」
「でも、出撃がないと、私たちはずっとここにいるってことですよね」
 巡は不安そうに先行きを思案する。
 それもそのはずで、外はひどい吹雪だし、風が吹くたびに窓が揺れた。たしかにあまりいい環境とはいえない。
「なあに、北楽は天使が多いらしいし、なにより、ここはほら、考えによっちゃあ」
 真実はにんまりとこたつの中で足を伸ばし、俺を蹴飛ばした。
「最高だとは思わねえか? だーれもいない、うちらだけの場所で、あっという間にここでも狸が増えるだろうぜ」
 誰もいないとはおそらく俺たちを敵視するような連中のことだろうが、それはどうだろう。
 多分いるよ、そういうの。色々噂が、というか事実が伝わっていてもおかしくない。
 だが、それをこいつに教えるのか。こんなふやけた様にこたつで丸くなる小動物に。
「おう。派手にやろう」
 俺は嫌な奴だ。彼女にまた、世界には敵しかいないとわからせようとしているのだから。



「これも仕事だ」
 何日たっても天使は現れない。俺たちは雪かきと、軍服どもの雑用やパシリでへとへとになっていた。
「雪かきが? 誠ぉ、こんなの、お前」
 これは落葉を掃除するのに似ている。いくら片付けても、片付かない。北楽は曇り空が多いらしいが、今日は日が射し、しかし雪は降る妙な天気だった。
 真実は文句も言えないほどで、スコップに振り回されている。腰が入っていないと軍服は笑い、巡も、
「こうですよ、こう」
 と、汗をかきながら作業に従事していた。ハネさんはというと、室内での雑務、主になんだかよくわからない書類を書いたり、掃除だったりと、部屋にこもっている。それにいちゃもんはなく、だって彼女がいなければ俺たちは現状の快適さを保つことができないのだから。それほどにハネさんは、こういう言い方はどうかと思うが、役に立つ。家事の約六割は彼女の分担なのだから。
「午前中にあそこまで終わらせるぞー」
 軍服が指し示したのは十メートルほど先で、うんざりする。だが、しないわけにもいかない。
「やってられっかよ、こんなもん」
 スコップを雪に刺し、座り込む真実。こっちで借りた厚いジャケットの前を開けた。
「巡ぃ」
「もう少しで終わるので、ちょっと待ってください」
 巡はもう夢中になって雪と格闘している。 
 となると、
「誠ぉ」
 と、こうなる。
「おう」
「休まねえのか。さっきからずっと単純作業で飽きちまう」
 除雪は雪国の者にとって欠かすことのできないもので、赤間でさえも、ひどいときには朝昼晩と行わなくてはならない。
 さぼれば交通が滞る。雪は天然の柵であり、これをサボるとそこは陸の孤島になる。
「雪まみれじゃお前の好きなドライブもできないぞ」
 彼女は上空の雪を眺めつつ、まつげに落ちたそれを払う。上官に注意を受け、またスコップを手に取った。巡にすりよりちょっかいを出し、かと思えばひたすらに雪を掘る。
「やりゃあできるじゃねえか」
 単純作業は飽きるが、狸にとってここは遊び場のようなものらしい、暇な一瞬も騒がしい一瞬も、全てを楽しんでいた。



 昼の休憩をしていると、雪は降りやんだ。特派はあがれと指示が出て、俺たちは部屋に戻り、今後の予定を題材としての会議が行われた。
「予定もなにも、私たちは軍属なんですから」
 巡は倉庫にあったという花札を広げ、ハネさんと遊んでいる。
「……カス。終わり」
「あ! もっと勝負しましょうよ!」
 軍にはスケジュールというものが元からある。が、雪かきをローテーションで行うこと以外、決められてはいない。しかし他の部署では様々な雑務があるためそれなりに忙しいのだが、うちは違う。
 疎まれが過ぎるとどうでもいい仕事すら割り振られないのだ。
 あれは左遷された厄介者、北楽でもそういう雰囲気がある。
「予定っつーか、まあ必須事項をまとめたからこれを見ろ」
「まとめたの、私」
 抗議むなしい一枚の紙、そこには箇条書きで三項目。
 真実はわざわざこたつから出て立ち上がる。
「まずは金策。毎度お馴染みの、だ」
「……まあ、いいですけど、次のこれはなんですか? コネって、人脈のことですよね」
 ハネさんのイラストは猫が二匹仲良く並んでいるものだった。
「最後は」
 訓練とある。それっぽいが、肝心の中身がない。
「狸は実践経験豊富な優れた部隊だ」
 真実は自画自讃して俺を睨んだ。
「だが、余りにも怪我が多い。少数精鋭は常に人手不足が予想されるため」
「簡単に言ってくれ」
「朝日さんが怪我しないように鍛えましょうってことですよ」
「巡ぃ、正解だが、それは私たちもだぜ。経験は豊富だが、常時絶体絶命を想定しなければならん」
 以前は訓練なんて時間はなかった。物資や金の工面で忙しかったのだ。それが巡が来て少し改善され、北楽では予定に組み込まれるほどになった。
「まあ毎日じゃあ大変だから、様子を見ながらって感じだな」
 ほどよい緩さも性に合う。
「軍人っぽいな」
 そんな感想しか持てないが、真実は喜んだ。
「おう、これからもっとらしくなるぜ」
「コネのあてはあるんですか」
 巡はため息で聞いた。
「そりゃああるよ。そこに根回しして、生活を潤沢させ、戦闘で活躍、晴れて凱旋というわけだ」
 それはいいが、肝心の、誰と繋がるのかがわからない。
「あるならいいけど。誰だ、植草さんか」
「違うよ」
 真実はまだわかっていない俺と巡を、芸を間違えた犬を愛しむように眺めた。
 すっとハネさんの腕を引いて、肩を組む。身長差に、ハネさんは身を屈めた。
「いるじゃねえか。大鳥羽音、元中佐で狙撃部隊のエースだった人が」
 真実は癖であるウインクをして、ハネさんの頭を撫でた。
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