特派の狸

こま

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第二章

正月

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皇国歴一九六一年 厳冬

 一般的には年末年始はもちやそばやおせちを食ったり、お年玉をもらったり、凧をあげたりして過ごすものだ。
 だが俺たちはそうはいかない。天使に正月はなく、特に六〇年の十二月三十日から翌年六一年の一月二日までは激戦だった。
 裂け目が消えては現れて消えない内にまた増える。犬や蟻の他にも「石」という天使まで出てきた。石は正式には「ストーン」という。
 こいつはやたら固い。表面は白いので雪と同化し、ふと気がつけば囲まれて、その頑強な体は脱出を許さない。
 銃や剣の効き目も薄く、その代わり花火がこれほど活躍したこともなかった。
 ずんぐりむっくりて、ぼんやりと人を模した姿のどこに当たっても吹き飛ばすことできた。
 石が登場するとすぐに真実は花火を買い付けて、その数を十五本まで増やした。何本かは他の部隊に貸した。
「朝日ぃ、花火の回収に行け」
 というのが俺の役目だった。真実と巡の主な攻撃方法は剣を用いるため、石との相性が悪い。彼女たちには斬れるという自信こそあったが、使えるうちは花火を使った。
 天使を素手で相手にできる俺が花火回収の危険を担うのはある意味当然だった。
 雪に滴る赤色は、古傷の疼きに他ならず、血の鮮やかな右腕は、殴れば石だろうが蟻だろうがその表皮も内部も粉砕できた。
「一度退く」
 真実の合図で小さな拠点にまで引き返すと、花火に火薬をこめた。
 火照りを静めるため雪を擦り付け、水気をぬぐう。装填を終えるとようやく体を休めた。
「評判いいみたいですね」
 拠点は怪我人の治療で忙しなく、どこにいても気が休まらない。雪の上で車座になり、巡が用意したコーヒーを飲んだ。
 評判とは花火のことで、トンビは自ら買い求めたほどである。
「安いし威力がありますから。回収は命がけですが」
 戦場では俺は彼女たちに敬語を使うようにしている。
「次は……北西部だな」
 伝令の軍服が真実に書簡を渡した。
 狸は人数が少ないため、あちこちを回って他部隊の援護をしなくてはならない。
 援護要請は山羊からである。
 山羊ときいただけで、とある顔が浮かんできて、それを赤く染めていた。
「つまらねえこと考えるなよ」
 真実は軍靴の底についた雪を落とした。
「もう一杯飲んだら行きましょう」
 巡は余裕をみせた。それはコーヒーの温かみよりもずっと俺を暖める。
 移動は徒歩になる。車では通れない林やタイヤをとられること間違いなしの悪路がそこかしこにあるからだ。
 花火と散弾銃を背おい、先頭の巡を追う。真実は最後尾についた。
 二十分ほど歩くと戦闘の音がきこえてくる。雪原にわらわらと、戦争ごっこのような不格好さで、天使と山羊が騒いでいる。
「『こちら狸。到着まであと十分はかかる。なるべく東に逃げてこい』」
「『山羊の佐久間だ。犬が十四、石が三。だが怪我人が四名いる。すまないが、彼らの救助が先だ』」
「『……すぐ行く。通信終了』」
 無線を切って、俺たちは行軍の歩みを速めた。急ぐときほど雪道は鬱陶しい、なにせときには腰まで埋まりながら、全身を使って力押しに進まなければならないのだから。
「一等兵、前を」
 巡が雪に倒れこむようにして道を空けた。
「はい」
 必死になって行軍していると、どうも俺は単純というか、西村とのことはどうでもよくなっていて、一刻もはやく現場へたどり着かなくてはという一心だった。
「『狸だ! 遅参を許せ!』」
 花火の射程に入ると、真実は叫んだ。彼女の合図で山羊は怪我人を引きずりながら、戦闘は継続しつつ撤退行動を開始した。
「巡、朝日」
 頷き、花火を構える。散弾銃を天に放ち注意を引くと、犬は犬のように素早く、石は石のように鈍重に駆けてきた。
 山羊は十八名、内六名が戦闘不可であり、よく到着まで持ちこたえたなと思う。
 距離五十メートルで、やっと発射の合図、鋭く空気を裂いて花火が炸裂した。
「着弾は四!」
 そこから手の空いた山羊の小銃や、狸の銃声がぶつけられた。
 犬も爪が届かなければ脅威ではない、白い体毛を朱に染め、ずぶずぶと雪に沈んだ。
「朝日、石の相手をしろ。巡は私と花火の回収だ」
「はい」
 二人は迂回し、石は進路を変えようと一歩、その横面に雪玉を投げた。ダメージはないが、やつらはこっちを向いた。
「お前らもやってくれんのか」
 銃弾は効果薄で山羊からの援護はなく、これは一人の人間と、三体の天使の決闘だ。
「牙も爪もなさそうだけど、それでどうやって戦うんだ」
 石には、俺と同じく、シンプルな方法しかないのだ。ただそれが、俺以外にとっては厄介なのだ。
 にじりよってくる石。ざくざくと雪をかきわけて、俺たちは互いを間合いにいれた。
 先頭の一匹、その拳を振り上げたのは奇しくも俺と同じタイミングだった。
 石に似合わない素早い身のこなしだったが、こんなもの、蛇や犬とはくらべものにもならない。
 腕を貫くじんとする感覚、切先は石のまるっこい頭部に槍のごとく刺さって、引き抜こうとしても容易ではない。
 空いた手でもう一発、それで腕は抜けて、石は動かなくなった。
「『用意はできた。が、お前で片付けた方が早いな』」
 やれ、と真実は言う。命令だろうがなんだろうが、そのつもりでいる。
 彼女の声が鍵なのだろうか、例の痛痒がやってきた。産毛が逆立ち、武者震い、極寒にあるまじき温もりは、世界の全てを敵だけにする。
 たちまち躍動する手足、一足で距離を詰め、蹴りあげると雪を巻いて石の体を深くえぐった。脇腹から反対の腕までを一気に粉砕させて、残すはもう一匹。
 顔にあたる部分、そこにあるはずの眼をうかがうと、それは驚きと怯えが存在している気がした。
 破れかぶれの拳を軽くかわして、正拳一閃、前蹴りで仰向けに倒すと、活動を停止した、ようにみえたので、雪の下まで届くように踏みつける。足裏の感触に、命というものは一切なかった。
「そこまで」
 巡の声がやけに遠い。でも耳に届いたのだから、そこにいるのだろう。俺もそれほど、離れてはいないのだろう。
「はい。軍曹」
「ご苦労だったな、山羊の怪我人をさっきの拠点へ移動させるから、道中の護衛をするぞ」
「はい」
 実に淡々としていながらも、彼女はどこかほっとしたようである。巡は感情がよく顔に出るのだ。
「どうも、狸さん」
 移動中、山羊が一匹、真実に声をかけた。
「小隊長代理の緒方です。救援ありがとうございます、助かりましたよ」
 軍曹なので真実よりも階級は下だが、その砕けた話し方は実に気さくである。うちもそれほど気を使わないので、彼女も快く応じた。
「とんでもない。かえって手柄をもらっちまったからよ、こっちが感謝したいくらいさ」
「でしょうね。あれだけの大立ち回りだ、頂くものも多いでしょう、羨ましいこった」
 緒方の言葉にはまったく悪意がない。髭面の三十代といったところか、それなのに俺たちと同年代のような風がある。
「軍曹の言う通り、ついでにご覧の通りで、小さい我が部隊さ、その分危険なわけよ。おまけに厄介者扱いもこれまたひどくてな」
「ああ、実力主義とは、妙に言い難い職場ですからね、っとこれは批判的だな」
 賢い者が上に行く職場ですねと言い直した。
「それって」
 俺はつい口を挟んでしまった。緒方は屈託なく言う。
「そう、俺らは賢しくないが、しかし馬鹿じゃない。実力だけはある有能どもってことだよ、朝日一等兵」
 彼は俺に握手の手を差し伸べた。握り返すと、
「ようし! みんな急げよ!」
 と歩みの遅い者に肩を貸しつつ、怪我人に声をかけて回った。
 真実の視線を感じて隣に並ぶと、彼女は声を少し潜めた。
「佐久間少尉が戦死して、やつが代理をしている」
 どうやら最後尾のそりに佐久間がいるらしい。
「空元気だろうが、ああやって士気を落とさないようにしているんだ」
「うん、いい人だと思う、ます」
「山羊は、敵じゃない。敵はおそらく個人だろう。そんな気がしてこないか?」
「するけど、でもやるときはやる、ます」
 そうかと真実は言った。
「お前な、こうやってひそひそ喋ってる時は普通でいいよ」
 護衛に戻れと胸を叩かれ、怪我人を背負いに行く。そりは戦死者が使っているので、どうやっても人間がこの役目をしなくてはならない。
 背中の軍服は俺と同じ一等兵で、頭部の包帯に血をにじませ、足に添え木がしてあった。白と赤の隙間から覗く顔に、少し故郷の郵便局員を思い出す。
「ありがとう。助かった。ありがとう」
 紫色の唇で彼はずっとそう呟いている。
「ほら、元気出せよ。拠点までもう少しだからさ。俺はコーヒーよりもお茶が好きなんだけど、あんたはどう?」
 彼は「酒がいい」と言った。
「へえ、実は飲んだことないんだ。正月の、ほら、名前は忘れたけど、おとそとかいうのか? あれくらいだ」
 真実たちにもしないくらい俺は饒舌になっていた。それは一歩ごとに、背負う彼の重さが腕にずんとのしかかっていくからだろう。
「家族はいるのか?」
 蚊のなくような声で返事をした。弟と妹がいる、と。
「そうか、じゃあよ、紹介してくれよ。兄貴の命の恩人だって。よし! あそこに拠点が見えるだろ? もう着いちまった、狸もそうだけど、あんたもしぶといなぁ」
 緒方が「代わるよ」と言ってくれた。そっと移し、
「他の連中にも声をかけてくれないか」
 と頼まれた。
「はい」
「ありがとう。本当に」
 十分ほど進むと拠点の方から迎えが来ていて、行軍の速度は上がった。
 俺たちの正月とは、そういうものだった。
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