特派の狸

こま

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第二章

後始末

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皇国歴一九六一年 厳冬

「無理すんなよって、言ったほうがいいよな」
 真実は煩わしいそうに言った。
「馬鹿にするな。俺はそんなにやわじゃない」
 即答しなければならない。巡が休ませるべきだと答えれくれる前に。
「……命令だぞ朝日。死ぬなよ」
「わかってますよ軍曹。死ぬなら、大の字になって」
 天使は逃げることをせず、まだまだ盛んに暴れている。しかし、時間の問題だろう。次の目標を定めるのが困難になってきている。そのうち誰かが告げるはずだ。淡々と、厳かに、撤収せよと。
「手足がぶっ飛んで、か? やめとけ、冗談にならねえぞ」
「朝日、お前のそういうところが嫌いだ」
 あらら、結構笑ってもらえると思ったけど駄目だったか。
「そう言うなって。癖なんだ」
「いやな癖だな」
 穏やかな軽口は、行われる凶暴な行為と同じ体から発せられているとは信じがたい。
 真実はけらけら笑いながら天使を斬っていく。それからニ時間ほどで、空が白み始めた。
 俺たちは日の出の前に、この戦場を戦場足り得なくさせようとした。つまりは、すべての天使の討伐し、軍人だけが残るように決めたのだ。
 真っ当な軍人だけを残す。真実はそうし命令をし、隊章によっては味方も斬った。
「少なくとも猫は残すな」
 了解したそばから、猫印の軍服を見つけた。
 半狂乱になって天使と格闘する若そうな女性軍人だった。
 俺は横合いから、まずは天使を殴り飛ばした。告白すると、殴り飛ばせたことに驚いた。まだこんなに力が残っていたのかと。
 そして、彼女の首に手をかけ、金槌を降ろすように地へと叩きつけることができたことにも。
 生死を確認することを必要としない手応えがあった。彼女の軍刀を抜き、胸に突き立て、巡を追った。
 これが当たり前だとは思わない。なじられるかもしれない。だけど、別に間違ったことはしていない。
『総員帰投せよ』
 地平線から太陽が覗く頃である。無線の命令をきいても、俺たちはまだ周囲を警戒し続けていた。真実は陣地の方へ足を向け、後方を巡に警戒させながら、少しずつ撤収の準備をした。
 土竜の拠点でトラックに乗せて貰った。病院への直行便である。
 無言だった。狸の他にも怪我人はいたが、もちろん死んでなんかいない。だけどうめき声もない。あまりにも静かで、五感が車体の軋みだけを追いかけて、あまりもそればかりだからブレーキの慣性ですら心地よかった。
 病院でもそうである。医師たちは言葉を忘れたかのような患者たちのために、力強く会話を試み、時に優しく語りかけている。
 手術室へと直行する間、どこもかしこも静かだった。天使との決戦に敗北してしまったのかと疑うほどに沈鬱としている。
(実感がわかないんだ)
 まだフェンリルが俺を待っているような、花火の爆炎が、砲声による耳鳴りが、流血が、あの戦場がまだある気がする。俺はまだそこいる気がする。
「戦場はどうなりましたか」
 手術の前、医者に訊ねると、彼は驚いた顔をした。
「あ、喋れますよ。先生方はみんな俺を変だって言いますけど、そんなにおかしいですか」
「ま、麻酔を。すぐに手術を始めます」
「俺ばっかり怪我しちゃうんですよ。狸のみんなはやっぱりすごいっすよね」
「麻酔!」
 医者とはなにかと縁があるし、手術の経験も豊富だ。もちろん、される方だけど。



「よう! 元気か!」
「こら真実! 病室で騒ぐんじゃない!」
 俺はどういうわけか、個室をあてがってもれた。広くはないけど、水湖寮みたいな感じで嫌いじゃない。ベッドは土の上よりは柔らかいし、窓の外の景色だって、赤ばっかりよりはうんと落ち着くビルの壁だ。
「真実、それに榊さんも」
「私もいますよ」
「巡も来てくれたのか」
 当たり前ですよと頬を膨らませた。腕を吊って痛ましい姿のくせに、入院もしていない。日々の筋トレの重要性が身に染みる。
「な? 言ったろ姉貴。顔も体も全部包帯まみれだって」
「口と目が一つだけ出ているな。よくそれで生き残れたね」
「みんな来てくれてありがとう。榊さん、その傷は」
 彼女には顔を上下に分かつような長い傷があった。耳のそばから反対側の耳まで伸びたそれを、愛おしそうに触れて微笑んだ。
「ふふ、狸の妹たちが格好いいと言ったから、残そうと思ってね」
「実際格好いいいいじゃん?」
「……そもそもそういうのって自力で残すとか消すとかできるんですか?」
「当たり前だろ」
 姉妹の声が揃い、巡は視線だけで助けを乞うてきた。
「い、いいんじゃないですか? 俺は別に気にしませんよ」
「いい子だね朝日くんは」
「人手が足りないようだけど、そっちにはやらねえよ?」
「あはは、おまえごと貰っていこうかな」
 巡が榊さんに椅子をやったりしていると、またお客さんが来た。
「あ? なんだ、お前らもいたのか」
「姉御!」
 真実はその来訪に喜び、彼女に飛び付こうとした。が、腹に一撃をもらい、御岳さんは副官にたしなめられた。
「騒ぐな。せっかく見舞いきたんだ、よう朝日。元気そうだな」
 彼女は巡の悩みの種の一人で、真実があれだけ懐くってことはいい人に違いないけど、しかしいつ見ても威圧感のある人相である。
「真千、お前の妹だろう。躾くらいしておけ」
「私だったら抱きしめかえしますよ」
「話にならん」
 すると副官の、なんとかさんが敬礼をしてくれた。
「騒がしくして申し訳ありません。あなたの奮闘には勇気づけられました」
「あ、そんな、俺なんかは」
「謙遜するな朝日。ご褒美にもっといい部署を紹介してやろうか」
「姉御、巡はいいのかよ」
「私は……!」
「こいつはもう烏だから誘わないよ」
「相変わらず強欲な人だ。それはそうと、亀も名乗りでようかな」
「こいつらは私のもの!」
 腹が痛む。まったく笑わせてくれる人たちだ。おもえば狸がこれほどに、真実たちのおかげではあるけど、いい意味での注目を浴びたことがあっただろうか。
 彼女はフェンリルを退治したのだ。俺を誘うこともできず泣いた彼女は、もう俺の記憶にしかいないんだ。それが何よりも嬉しいんだ。
「うわ、狭いな」
 黒子さんがドアを開けるなりそう言って、集まるメンツに慌てて敬礼をした。
「失礼しました。まさか」
「なんだ黒子。夜間ならいざしらず、白昼に烏が見えんとは。梟の目はガラス玉か」
「やめてよ姉御。いらっしゃい湯ノ島さん。ゆっくりしてって」
 巡が椅子を用意したが、御岳さんが丁寧に礼をして座った。苦笑する黒子さんの後ろには、部屋と廊下の堺で肩を狭める鷹がいる。
「入って、いい?」
「ハネさん! 当たり前じゃないですか」
「狭く、ない?」
「狭いよ。あんたはでかいんだから注意してくれ」
「涼子、めっ」
「朝日くん、きみが生きていてくれて嬉しいよ。大活躍だったじゃないか」
「黒子少佐の仰る通りです」
 黒子さんと、そうだ里中さんだ。二人は、上官にたいして失礼だけど、ここにいる人たちの中でも抜群に人間ができていると思う。
「誠、すごいね。私は、出遅れちゃったよ」
「鷹も老いたな」
「歳の割にはいい狙撃でしたけどね」
 御岳さんと榊さんは、多分これがハネさんへの愛情表現なのだろう。からかいを隠そうともしない。
「まだ、三十二だよ」
「百九十六じゃないのか」
「それは、小さい、よね?」
 巡に助けを求めたが、
「私にはよくわかりません」
 と逃げられた。
「でっか! めっちゃでけえじゃん! こういうことだ」
 榊さんが意地悪な翻訳をした。ハネさんは困った顔でベッドに腰掛けた。
「誠?」
「そのうち俺も、そのくらいになりますよ」
「そうじゃなくて、痛くないのかなって」
 こういうとき笑うのは決まった人だけなのだが、巡や里中さんもちょっと吹き出していた。
「痛いですよ。でも飯を食って寝て、何日かすれば治りますから」
「まだ固形物は駄目ってお医者さんが言ってましたけど」
「巡、あいつはいっつもそうだよ。隠れておにぎり食ってんだから」
「それはお前が持ってくるからだ」
 俺が入院すると真実はこそこそとおにぎりを持ってくる。ハネさんからだといって、隠密活動を経ての差し入れだからか、かたちの悪いもだが、万病に効果があると疑わない美味さなのだ。
「差し入れ、ですか」
「里中ちゃん。告げ口なんかしないでよ?」
「狸の不都合になることはいたしません。もちろんあなたのところの人員を引き抜いたりも」
「移動したいと懇願されてはどうしようもないだろう」
「してませんからね」
 彼女たちは一時間ばかりさわぎに騒ぎ、往診にきた医者に叱られて帰った。
 不思議なことに見舞い客は途切れることがなかった。飛蝗の大友さんなんかは興奮しきりで、
「狸と俺と散った花どもに」
 と病室で酒瓶の栓を抜いた。包帯をかえる看護師さんのとなりでの奇行で、ヒステリックに叫んばれたのも無理はなかった。
 土竜からは山谷さんが来た。部隊を率いる人たちばかりが訪れてくれるが、気苦労はなかった。彼らはみんな俺や狸に強い仲間意識を持っていて、かたちは違うけど感謝と慰労があった。
 面と向かっての謝辞にちょっと恥ずかしくなって、包帯をありがたくおもったりもした。はにかんでいるのがばれずにすんだから。
 退院を明日に控えた夜半、面会が途切れたころ、なんと佐野中佐まで来てくれた。
「面構えがかわったな」
 包帯はほとんど取れたが、まだ顔と、服の下に残っている。どうやら目の端や額、それから体や手足に傷が残るらしい。
「形が変わるくらい殴られましたから、そのせいだと思います」
「あはは、男の面になったってことさ。約束の守れる男にね」
 こっちも大忙しで来るのが遅くなった。と椅子にかけ、彼もまた常識に囚われる人ではなく煙草をくわえた。わずかに残った人道が窓を開けさせたが、容赦なく火を付ける。
「きみのお父さんも、よくをやっていたよ」
 天井に向かって煙を吐いた。角ばった顔に収まる切れ長の目で、俺に伸びる影に色を持たせた。
「昔話は嫌いかな」
「いいえ。でも、それはきっと……終わりがあるお話だと思います。今の俺には少し刺激が強いかもしれません」
 彼はすでに故人だ。父親というものが額縁ではにかむだけの人物でなくなれば、どういう気持ちになるのか想像もできない。佐野さんがどれだけ美しい場面を抽出しても、彼が帰って一人になったとき、体だけじゃなくて心まで痛むのなら、それは遠慮したい。
「できれば、それは狸のみんなで聞いた方がいいと思います。すごい軍人だとしても、俺みたいに怪我ばかりだったとしても、狸なら馬鹿話にできる」
「たとえば、遊郭でお気に入りの子がいることを奥さんに喋って、意気投合して三人で一緒に飲み歩いたこととか、そういうのは禁止かい」
「それは、できれば俺も聞きたくなかったかもしれませんね」
 吹き出して笑ってしまった。彼にそんな一面があったとは。なるほどそんなことばかりしていたのなら、爺さんが俺に何も教えてくれないわけだ。
 佐野さんは面白がって、だけど柔らかく、そこは人道たっぷりに、
「色々あるけど、宴会の席にでも披露しようかな。きみの体調が完璧に戻って、狸が揃って、どんなことでも受け入れられる状態のときに」
「よろしくお願いします」
「よし。忙しいが、なおさら忙しくなるぞ。奴は話題に事欠かなかったから」
 腰を上げ、敬礼をしてくれた。階級差を無視した真摯な礼だった。
 彼が出ていったあと、やはり考えるのは父のことだった。が、よくよく考えるとどうも違った。真実なら、巡なら、とその反応ばかりを気にしていた。
(笑ってくれるだろうなあ)
 少しきいただけでも父は不思議な人だというのがわかる。母もそうだったのだろう。
(カッコつけたいだろうけど、そうはいかねえ。恨むなら、佐野さんを恨んでくれよ)
 笑うと腹が引きつる。入院に悪い思い出がないから、俺は怪我を恐れないのかもしれない。
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