音だけが、残ったままだった。

小説練習家

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その後、

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それからしばらく、
私は、何もしていなかった。

仕事もなく、
予定もなく、
朝起きて、昼まで布団の中にいる日もあった。

カーテンは閉めたまま。
部屋は散らかり気味で、
時間の感覚も、少し曖昧だった。

「……暇だな」

独り言を言っても、返事はない。
それが、普通だ。

冷蔵庫を開けて、適当に食べる。
スマホを眺めて、何もせずに閉じる。

夕方になって、ようやくテレビをつけた。

バラエティ番組の、やけに明るい音。
意味のない笑い声。
どうでもいいニュース。

画面の中では、
誰かが泣いて、誰かが笑って、
世界は、何事もなかったように進んでいる。

私はソファに沈み込み、
その光を、ただぼんやりと見つめていた。

(戻ってきたんだ)

特別じゃない日常。
危険も、謎もない時間。

あの屋敷で感じていた
張りつめた感覚は、もうない。

少しだけ、寂しいような。
でも、確かに──
安心している自分がいた。

テレビの音が、部屋を満たす。

それが、現実だった。

私は、ようやく
「普通の場所」に、戻ってきたのだと思った。

リモコンのボタンを意味もなくポチポチ押してみる。

さっきまで流れていた軽い音楽が消え、
無機質なスタジオの映像になる。

アナウンサーの声は落ち着いていて、
感情を挟まない。

「——続いてのニュースです」

私は、特に意識もせずに画面を見た。

次の瞬間、
心臓が、一拍遅れて鳴った。

そこに映っていたのは、
あの屋敷で見慣れた執事服ではなく、
薄い色の服を着た、一人の男。

髪は整えられ、
表情は驚くほど静かだった。

華山。

画面の下に、名前が表示される。
漢字で、はっきりと。

息が、止まった。

「容疑者は、裁判で以下の内容を繰り返し唱えている模様です」

映像は、彼の顔から、
文字の並ぶ画面へ切り替わる。

読み上げられる声は、淡々としている。

「——被疑者は、当夜について次のように述べています」

一文ずつ、区切るように。

「『夜の館は、音がよく響く』」

普通の言葉だ。
誰が聞いても、ただの説明にしか聞こえない。

「『灯りをつけると、かえって物音が目立つ』」

それも、ありふれた理屈。

「『だから、慣れている者は、暗いまま歩く』」

アナウンサーは、そこで一拍置いた。

「『名前を呼ばれなくても、音で分かることがある』」

——その瞬間。

私の中で、いくつもの物が重なった。

兄が言っていた言葉。
夜の廊下で、誰かを"気配"で判別していた理由。
消えたライト。

花。

名前。

音。

兄は、暗闇が怖かった。
だから、音に頼っていた。

そして——
彼は、その"音"を、誰よりも知っていた。

「『花は、呼ばれるものではなく』」

読み上げる声が、続く。

「『そこにあると、分かってしまうものだ』」

画面は、再び彼の顔に戻る。

華山は、カメラを見ていない。
どこか、少しだけ下を見ている。

まるで、
誰か一人にだけ、
言葉を残しているように。

私は、リモコンを握ったまま、
動けずにいた。

あの言葉は、
説明でも、弁解でもない。

——合図だ。

兄に。
私に。
そして、あの夜を知る者にだけ届く。

花の名。
音の記憶。
呼ばれなかった名前。

テレビの音が、遠ざかる。

画面の中で、彼はもう何も語らない。

それでも、私には分かった。

あの人は、
最後まで、
自分が"何者だったか"を
音で残したのだと。

静かな部屋に、
テレビの光だけが揺れている。

私は、そっと目を閉じた。

花は、もう咲かない。
名前も、呼ばれない。

けれど、確かに
音だけが——

残ったままだった。


作者:北島龍也
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