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序章
夜の訪れ
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夜は、思っていたよりも早く訪れた。
部屋の灯りを落ち、布団に入る。探偵という職業柄か、旅先でも寝つきは浅い。耳が勝手に周囲を拾ってしまう。滝の音は、昼間よりも輪郭を失い、低い唸りのように遠くで続いていた。
──今夜は、静かすぎるな。
そう思った、直後だった。
廊下の向こう、あるいは中庭の方か。複数の声が、波打つように聞こえてきた。若い。間違いなく、若者の声だ。笑い声が混じり、抑えきれない高揚が、夜気を破って滲み出している。
「……まだ起きてるのか」
時計を見る。深夜を少し回ったところだ。
声は断続的だった。はしゃぐような笑い、誰かをたしなめる低い声、そしてまた笑い。内容は聞き取れない。ただ、楽しんでいる、という事実だけがやけに鮮明だった。
探偵は目を閉じたまま、耳だけを澄ます。
足音はない。走り回っている様子もない。どうやら一箇所に留まっているらしい。露天風呂か、談話スペースか、それとも──。
探偵は、ゆっくりと目を開けた。
この宿は、きちんと整理されている。時間も、音も、人の動きも。
だからこそ、こうした「はみ出し」は、妙に目立つ。
布団の中で身じろぎしながら、探偵は考える。
彼らは、ただ騒いでいるだけなのか。
それとも、この山で起きる何かの、前触れなのか。
やがて声は遠ざかり、再び夜は滝の音だけを残した。
探偵は目を閉じる。
──気付いたら、寝ていたみたいだ。
黒川は、ゆっくりと天井を見上げたまま瞬きをする。いつ眠りに落ちたのか、記憶が曖昧だ。枕元の時計に目をやると、短針と長針がきれいに重なり、六時四十分を指していた。
──朝か。
障子の向こうは、まだ淡い灰色だ。冬の朝特有の、音を吸い込んだような静けさが部屋に満ちている。滝の音だけが、夜と同じ調子で遠くに続いていた。
布団の中で、腹が小さく鳴った。
「……腹、減ったな」
昨日は移動続きで、夕食も控えめだったのを思い出す。朝食の時間までは、まだ少しあるだろう。それまで布団に戻る手もあったが、指先が冷えてきて、とてもその気にはなれなかった。
それに──。
探偵は、露天風呂の光景を思い浮かべる。朝の冷たい空気の中、湯気の向こうにぼんやり浮かぶ三つ滝。昼とも夜とも違う、あの時間帯の景色は、きっと悪くない。
──────────────────
風呂に入りに行く➪『分岐A』へ
朝食を食べに行く➪『分岐B』へ
部屋の灯りを落ち、布団に入る。探偵という職業柄か、旅先でも寝つきは浅い。耳が勝手に周囲を拾ってしまう。滝の音は、昼間よりも輪郭を失い、低い唸りのように遠くで続いていた。
──今夜は、静かすぎるな。
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足音はない。走り回っている様子もない。どうやら一箇所に留まっているらしい。露天風呂か、談話スペースか、それとも──。
探偵は、ゆっくりと目を開けた。
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だからこそ、こうした「はみ出し」は、妙に目立つ。
布団の中で身じろぎしながら、探偵は考える。
彼らは、ただ騒いでいるだけなのか。
それとも、この山で起きる何かの、前触れなのか。
やがて声は遠ざかり、再び夜は滝の音だけを残した。
探偵は目を閉じる。
──気付いたら、寝ていたみたいだ。
黒川は、ゆっくりと天井を見上げたまま瞬きをする。いつ眠りに落ちたのか、記憶が曖昧だ。枕元の時計に目をやると、短針と長針がきれいに重なり、六時四十分を指していた。
──朝か。
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布団の中で、腹が小さく鳴った。
「……腹、減ったな」
昨日は移動続きで、夕食も控えめだったのを思い出す。朝食の時間までは、まだ少しあるだろう。それまで布団に戻る手もあったが、指先が冷えてきて、とてもその気にはなれなかった。
それに──。
探偵は、露天風呂の光景を思い浮かべる。朝の冷たい空気の中、湯気の向こうにぼんやり浮かぶ三つ滝。昼とも夜とも違う、あの時間帯の景色は、きっと悪くない。
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