三つ滝の宿

小説練習家

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結末

結末(3)

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広間の空気は、重かった。

警察が一通りの説明を終えたあとも、
誰も席を立とうとしない。

黒川は、静かに前へ出た。

「一つ、はっきりさせておきましょう」

全員の視線が集まる。

「これは事故ではありません。
 そして──」

言葉を切る。

「この中に、犯人がいます」

誰かが小さく息を呑み、
誰かが椅子を軋ませた。

刑事が頷く。

「被害者・赤司恵美さんは、
   深夜、何者かに山頂へ呼び出されています」

黒川が続ける。

「相手は、彼女が警戒しない人物。
   ゴンドラに同乗することを拒まない相手です」

沈黙。

「山頂で、背後からロープをかけられ、首を絞められた。」
「死亡推定時刻は、午前六時二十分過ぎ」

刑事が言った。

「問題は、そのあとです。
   犯人はどうやって宿へ戻ったのか」

誰かが呟く。

「……ゴンドラじゃ不可能だろ」

黒川は、ゆっくり頷いた。

「ええ。通常のルートでは、時間的に不可能です」

一拍置いて、言う。

「だから警察は"戻れない"と考えた。ですが──
私は、別の可能性に気づきました」

黒川は、ポケットからスマートフォンを取り出す。

「昨晩、皆さんの調書を読み返していた時、
一つだけ、気になる言葉がありました」

視線が、一人に集まりかける。

「『キャニオニング』」

黒川は淡々と説明する。

「調べる前はただの山登りだと思っていました。
   ですが調べてみると、こう書いてあった」

───

キャニオニングとは、
渓谷を舞台に、体一つで川の流れに沿って下るアクティビティ。
滝つぼへジャンプし、
ロープで岩場を下る、アドベンチャーです。

───

「滝に、飛び込む」

空気が張り詰める。

「もし、あの高さの滝に飛び込める人間がいたとしたら。
宿へ戻る"不可能"は、"可能"に変わります」

刑事が口を挟む。

「だが、凶器は?」

黒川は、静かに答えた。

「それも、説明できます」

懐から、小さな証拠袋を取り出す。

中には、細い繊維状の破片。

「山の下流で、私が見つけました。
ナイロン製の破片です」

ざわめく。

「被害者の首には、
    ロープの痕が二本ありました」

黒川は、視線を宮下颯太へ向ける。

「キャニオニングでよく使われるのは、
ツインロープ。」
「二本一組で使う、安全確保用のロープです」

刑事が低く言う。

「ツインロープなら、首に二本の圧痕が残る……」

「さらに」

黒川は、静かに追い詰める。

「ナイロン製のツインロープは、
   水に沈む性質がある」

一瞬の沈黙。

「つまり──
   凶器は滝の底に沈められた」

黒川は、確信を込めて言った。

「宮下颯太さん。
   あなたは夜、恵美さんを山頂に呼び出した。
   そして、ゴンドラの中で、何かを説得した」

颯太の喉が鳴る。

「しかし、交渉は決裂。逆上したあなたは、
   "ツインロープ"で彼女を殺害した」

黒川の声は低い。

「その後、ロープを滝に沈め、
   あなた自身も滝へ飛び込んで宿へ戻った」
「そして、濡れた体と滝の匂いを誤魔化すために
   風呂へ入った」

──あの時のことが、脳裏をよぎる。

(風呂で、
   不自然なほど香ったあの"水臭さ")

黒川は、最後の一押しを加える。

「恐らく、三つのうち、いずれかの滝の底に凶器であるツインロープが見つかるはずです」

空気が、完全に止まっていた。

──

「……あいつが悪いんだ」

宮下颯太は、床を睨みつけたまま、吐き捨てるように言った。

「俺は……普通に生きたかっただけなんだ」

誰も口を挟まない。
警察官ですら、ただ黙って見ていた。

「最初は、ゲームだったんだよ」

かすれた声で、颯太は続ける。

「オンラインのゲームで知り合って……恵美とは、そこで話すようになった。
向こうも暇そうでさ、夜になるとよく通話してた」

一瞬、顔を上げる。

「でも、途中で喧嘩した。
    価値観が合わないっていうか……もう冷めてた」

拳が、ぎゅっと握られる。

「その頃に、今の彼女と出会ったんだ。
    相談してるうちに……好きになった」

声が震え始める。

「俺はちゃんと選んだ。
    恵美とは、終わったと思ってた」

誰かが、息を呑む。

「……でも、あいつは違った」

颯太の顔が歪む。

「別れたあとも、メッセージを送ってきてさ。
    無視しても、消しても、何度も」

唇を噛みしめる。

「最近になって……俺が結婚するって話を、どこからか聞きつけたんだ」

ゆっくりと、首を振る。

「そしたら急に、態度が変わった」

声が低くなる。

「不倫してたこと、全部バラすって」

ざわ、と周囲が揺れる。

「ゲームの仲間にも、職場にも、婚約者にも、全部言うって。スクショも残ってるって」

颯太は、乾いた笑いを漏らした。

「……俺の人生、終わるだろ」

視線が宙を彷徨う。

「だから、頼んだんだよ」

ゴンドラの中を思い出すように、目を閉じる。

「もうやめてくれって。
    過去のことだろって。
    結婚も決まってる、今さら壊すなって」

一拍。

「でも、あいつは笑った」

喉が鳴る。

「"山の上で、ちゃんと話そう"って」

沈黙が落ちる。

「……頭に血が上った」

肩が、小さく揺れた。

「俺は……怖かったんだ。全部奪われる気がして」

声が、ほとんど囁きになる。

「山頂で、また言われた。
"言うのをやめてほしいんだったら、私に何かしてくれないとね?"って」

その先を、誰も促さない。

「……気づいたら、ロープをかけてた」

両手を見る。

「力、入れすぎたんだと思う。
抵抗された感触は……正直、あんまり覚えてない」

沈黙。

「終わったって思った瞬間、急に現実に戻った」

震える息。

「やべぇ、って。
    捕まる、終わる、全部終わるって」

顔を覆う。

「だから……投げた」

滝を思い出すように、視線を落とす。

「ロープも、自分も」

警察官が一歩前に出る。

「……俺は、幸せになりたかっただけなんだよ」

声は、もう泣き声だった。

「ちゃんと結婚して、普通に暮らして……
    それだけだったのに」

黒川は、何も言わない。

ただ、その言葉の軽さと、取り返しのつかなさが、
広間全体に静かに沈んでいった。

──

「……連れて行ってください」

颯太は、力なく手を差し出した。

警察官が、静かに一歩前へ出た。

「……宮下颯太さん」

名を呼ばれても、颯太はもう顔を上げなかった。
ただ、差し出した両手を、そのまま宙に置いている。

金属の音が、小さく鳴る。

かちり。

一度で、確実に。

もう一方も、同じ音を立てて閉じられた。

その瞬間、颯太の肩が、ほんのわずかに落ちた。

抵抗はない。
逃げようともしない。

ただ、力を失った人間のように、その場に立ち尽くしている。

「……すみません」

誰に向けたのかも分からない、か細い声だった。

警察官が腕を取り、向きを変える。

歩き出す前に、颯太は一度だけ振り返った。

若者たちの顔。
信じられないものを見る目。
恐怖と、嫌悪と、後悔が混じった沈黙。

そして——黒川。

颯太は何か言おうとして、結局、口を閉じた。

言葉はもう、必要ないと悟ったのだろう。

警察官に促され、廊下へと連れて行かれる。

足音が、遠ざかる。

宿に残ったのは、
湯の冷めた湯呑みと、
誰も触れなくなった朝食、
そして、重すぎる沈黙だけだった。

黒川は、ゆっくりと息を吐いた。

真実が明らかになっても、
この山が何かを返してくれるわけではない。

——ただ、奪われたものの大きさだけが、静かに残る。

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