血と束縛と

北川とも

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第50話

(3)

 玲は納得しきれていないようだが、だからといって抗弁もしてこない。多少なりと警戒心が芽生えてくれたらと願わずにはいられない。
「無茶をするのは今日でやめます。次からはきちんと連絡して、佐伯さんと約束を取り付けるようにします」
 ううーん、と唸って和彦は首を捻る。それはそれでこちらが困るのだと言いかけたとき、テーブルの上に置いてある玲のスマートフォンの画面が光った。どうやらメッセージが届いたらしい。スマートフォンを取り上げた玲が、しまった、という顔をする。
「父さんからだ……」
 ぽつりと呟いて、顔をしかめながらメッセージを確認している。
「何て書いてある?」
「……めちゃくちゃ怒ってます。父さんには言わないで、今日ここまで来ましたから。でも――」
 二人揃って外の通りに目を向ける。外で待機している男たちは、必死で玲を追跡してきたのだろう。名も知らぬ男たちに対して急に労わりの気持ちが湧いてくる。本人は不本意だろうが、伊勢崎組の人間を引き連れてとなると、玲を普通の大学生と称するのはかなり無理があった。そこに総和会の第一遊撃隊も加わっているかもしれないとしたら、なおさらだ。
 物言いたげな和彦の視線を受け、玲はもごもごと言い訳のように呟いた。
「俺としてはバレないよう動いてたつもりですけど、行動を読まれてたみたいです」
「君についてる人たちは有能なんだよ。ほら、今から帰るって、お父さんには早く連絡するんだ。さらに大事になったら困るだろ」
 和彦の呆れた表情からさすがに危機感が芽生えたのか、玲は慌ただしくメッセージをやり取りをしていたが、急に大きくため息をついてガクリと肩を落とした。
「大丈夫、か?」
「すぐ帰って来いと言われました。帰ったら絶対、ぶん殴られます」
「顔はやめてもらうんだよ」
 本気で気遣う和彦に、玲は情けない顔をして頷く。財布を取り出そうとしたので、ここは自分が払っておくと告げる。
 立ち上がった玲が片手を差し出してきた。何事かと首を傾げた和彦を、ただじっと玲が見下ろしてくる。おそらく握手を求めているのだろうと察して、おずおずと手を握る。きつく握り返されて驚くと、玲が真剣な様子で切り出してきた。
「言おうかどうしようか迷ってたんですけど――、父さんが、佐伯さんと会いたがっています。あー、はっきりと俺に言ったわけではないけど、組の人間とのやり取りが漏れ聞こえてくるというか」
「ぼくと、なんのために……?」
「そこまでは……。長嶺組長じゃなくて、佐伯さんと話したいことがあるみたいで、不思議に感じたんです」
 あれだろうかと、思い当たることはある。和彦の微妙な表情の変化に、玲は申し訳なさそうに視線を伏せる。
「自分の父親のことだけど、かなり野心家なので、気をつけてください。あと、押しが強い……。念のため佐伯さんの連絡先は、名前を変えて登録しておきます」
 名残り惜しそうに手を離し、玲は帰っていった。その後ろ姿を見送った和彦は肩から力を抜き、外の通りに目を向ける。姿を見せた玲を護るように男たちが駆け寄り、あっという間に連れ去ってしまった。
 和彦のスマートフォンには、護衛の組員からメッセージが送られてくる。玲を乗せた車がこの場を離れたというもので、大きな問題が起こらなかったことに安堵した和彦は、現金なもので途端に空腹を自覚する。
 ついでなので夕食もこの店で済ませることにした。


 嵐というより、局地的な突風に巻き込まれたような一時だったなと、精神的疲労からぐったりとしながら和彦は思う。
 なんとか無事に自宅マンションに帰り着くと、寛ぐ前に明日の仕事の準備を整える。クリニックに届いていた学会誌に目を通しておきたい気持ちもあったが、今晩はもう頭を使うのは限界だ。手早くシャワーを済ませると、ダイニングテーブルについて大きく息を吐き出す。無意識のうちにスマートフォンを手元に引き寄せ、画面を覗く。不気味なほど誰からも連絡が来ていない。
 ひとまず賢吾に報告をしておこうと、車中から簡潔にメッセージは送っておいたのだ。詳細は護衛を通じて報告されるとわかってのことだが、本宅ではどういう状況になっているか、想像するとうっすらと首筋が寒くなってくる。
 まだ十代の青年が、無謀な情熱で突っ走っただけだと話せば、賢吾は納得してくれるだろうか。仮に怒っていたとして、それを鎮めてくれるだろうか。 和彦としては、玲が無難な大学生活を送ってくれることを願っており、長嶺組が関わる事態は避けたかった。
 しかしここで大切なのは、玲が自らの立場をわきまえて行動できるかということで――。
「……怖いなー。若さって」
 そんなことを独りごちてから苦笑する。今日の玲の様子では、もう二度と和彦とは会わない、とはならないだろう。あっさりと告げられた玲の気持ちを、麻疹のようなものだと笑う気にもなれず、忘れることもできず、だからこそ和彦は困るのだ。自分が少しだけ彼を大人にしてしまったという負い目もある。
 脳裏を過るのは、いかにも食えないヤクザである伊勢崎龍造の反応だ。あちらはあちらで息子の暴走に頭を抱えているのだとしたら、さらに申し訳ない。
 所在なく座っているのも落ち着かないため、コーヒーでも淹れてこようかと腰を浮かせかけたところで、スマートフォンが鳴った。画面に表示される番号に見覚えがなくて困惑したものの、誰がかけてきているのか気にはなる。おそるおそる電話に出ていた。
『今、話しても大丈夫かい?』
 高くも低くもない落ち着いた声が耳に届く。そこからひんやりとした温度を感じ取ってしまうのは、電話の向こうにいる人物の秀麗な顔立ちが脳裏に浮かんだからだ。
「えっ……と、御堂、さん、ですよね」
『うん、そうだよ。ごめん。携帯の番号を変えたばかりだから、驚かせたよね』
 安堵していいのか緊張していいのか、さまざまな感情が胸中を駆け抜けたあと、和彦はストンとイスに座り直す。なんにしても、事情を聞くのに一番最適な相手から電話をかけてきてくれたのだ。
「いえ、それは大丈夫ですけど――、玲くんのことで、電話を?」
『申し訳ない。何もかも後手に回って、君に迷惑をかけてしまった』
 御堂に謝罪してもらうことなのだろうかと、疑問符が頭の中で飛び交う。そこで、さきほど玲が言っていたことを思い出した。
「玲くんに尾行をつけているんですよね」
 返ってきたのは御堂のため息だ。なんとも艶めかしい響きに、和彦はドキリとする。
『あの子、そんなことまで君に話したんだ』
 実は中嶋からも事前に聞いていたのだが、御堂と中嶋の間でどれほどの情報共有が行われているかわからないため、余計な説明はやめておく。
「……正直であることが、ぼくに対する誠実さの証になると思ったのかもしれませんね」
『あそこの父子は、〈オンナ〉に弱いんだよ』
 身も蓋もない言いように、和彦は返事のしようがない。御堂が言うならそうなのだろう。
『せっかくの大学生活で羽を伸ばせるかと思ったら、父親どころか、その父親の子分たちまでぞろぞろついて来たんだ。子供の頃から知っている子だから、わたしもちょっと肩入れしてしまってね。なるべく彼には関わらずに、堅気らしく自由に過ごさせてあげたかったんだけど――』
 どう相槌を打っていいものかと迷った挙句、曖昧な声を洩らす。くすっと御堂の小さな笑い声が聞こえた。
『君の身近にいる人間から聞いているんだろう? いろいろと』
「あっ……、えっと……」
 ちらりと頭に浮かんだ南郷の顔を、慌てて追い払う。
『その前提で話すけど、北辰連合会がちょっときな臭いことになって、伊勢崎組長は新規事業を始めるという建前で、こちらに避難しているようなものなんだ。当然、その動きを総和会も把握して、息を潜めて成り行きを観察している』
「観察ですか……」
『こちらが巻き込まれない限り、ご自由に、という姿勢だ。ただ、伊勢崎組長はおとなしくしているつもりはないようだけど』
 意味ありげに言葉を切られる。和彦は、小さく呻き声を洩らす。わざわざ御堂が電話をかけてきた意図を察したのだ。
「……だったらなおさら、玲くんがぼくと接触するのはまずいですよね」
『わかってるはずなんだけど、彼も。そこはもう、恋は盲目というやつかな』
「冗談になってないですよ」
『そう。冗談では済まないかもしれない。例えば、息子との火遊びの責任を取れと、今になって伊勢崎組長がねじ込んできたとき、君は要求を突っぱねることができるかい?』
 相手は海千山千の極道だよと、ぞっとするほど優しい声音で囁かれて、和彦は身を震わせる。
「要求というのは、もしかして――」
『興味深い歴史がある場所に、和泉家所有のビルがあり、そこに君という要素が加わることで、とてつもない価値を持つようになる。伊勢崎組長にとっても、その伊勢崎組長に何かしらの利害が絡んでいる人間……組織にとっても』
「ぼくは、何もできません。和泉家の内情なので詳しくは話せませんが、ぼくの一存では勝手なことはできないんです」
『それを、関係者皆に説明して回るかい?』
 この言い方は少し意地悪だなと、ふと思った。
「もしかして御堂さん、今、疲れてます?」
『……誰も彼も人の話を聞かないうえに、自分勝手な男が多くてね。頭を抱えているんだ。――すまない。君に少々八つ当たりをして、感じが悪かったね』
 気を取り直した様子で、和彦のここ最近の状況を当然のように把握している御堂は、気遣う言葉をかけてくれる。その流れで世間話程度の会話を交わしてから、そろそろ電話を切ろうかという空気となる。
「ぼくもさすがに今日は、驚きすぎて疲れました。本当に、心臓に悪い……」
『会う機会があれば、わたしから玲くんに注意しておくよ。ただまあ、聞き入れてくれるかは怪しいね。伊勢崎組長経由で叱ってもらうという手もあるけど、あてにはできない。本人が悪ガキ気質だから』
「そう、ですか……」
 龍造の話題が出たからではないが、別れ際に玲から言われたことが、いまさら恐ろしくなってくる。心当たりがないか御堂に聞いてみたいが、それはさすがに無謀すぎると自戒する。いっそのこと本人に会ってみないかと促される可能性があるためだ。
 賢吾は、御堂に全幅の信頼を置いているわけではなく、南郷は、露骨に御堂を警戒している。男たちにそうさせるだけのものが御堂にあるのだ。
 気にかけてくれたことに対して礼を言って電話を終えると、和彦はぐったりとしてだらしなくテーブルに突っ伏す。さすがに今夜はこれ以上誰かと話せる気力もなくなり、申し訳ないがスマートフォンの電源を切っておくことにする。
 突っ伏したまま手を伸ばしかけたところで、再びスマートフォンが鳴った。反射的に顔を上げた和彦は、画面を覗き込んで、うっ、と声を洩らす。画面に表示されていたのは、賢吾の名だった。

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