89 / 1,289
第6話
(2)
しおりを挟む
和彦が自嘲気味に洩らすと、澤村は怒ったように言った。
「相手してほしかったら、お前はもっと電話してこい。……俺が男からの電話を待つなんて、滅多にないんだからな」
たとえ、境界線のこちら側とあちら側に立ってしまったとしても、澤村とは、友人として細い糸であろうが繋がっていたかった。
立っている場所は違っても、身近で和彦と同じ目の高さで生きているのは、澤村だけなのだ。だからこそ、共有できるものがある。それを和彦は失いたくない。
失ったら、そこにいるのは、多分ヤクザという存在だ。
「本当に、乗っていかなくていいのか」
ウィンドーを下ろした澤村にそう声をかけられ、笑って和彦は頷く。レストランを出て、他に寄るところがあるという和彦に、澤村は近くまで送ると言ってくれたのだ。
何か言いたげな顔をした澤村だが、あっさりと引き下がる。
「あんまりしつこくしたら、次から会ってくれなくなるかもしれないからな」
「……悪いな」
「気にするな。元気そうな顔を見られただけで、今日は満足しておいてやる。――また、誘うからな」
「楽しみにしている」
和彦の返事に、本当かよ、と言いたげに顔をしかめた澤村だが、次の瞬間には爽やかな笑みを浮かべ、軽く手を上げて車を出す。
澤村の車が見えなくなるのを待ってから、レストランの駐車場から一台の車がスッと出てきて、和彦の横でピタリと停まる。
和彦は、素早く後部座席に乗り込んだ。
「――もっとゆっくりするかと思った」
ハンドルを握る三田村が、バックミラー越しにちらりとこちらを見る。シートに体を預けながら和彦は、緩く首を横に振った。
「相手は忙しい医者だ。こうして平日の昼間に会ってくれただけで十分だ」
「先生も、十分忙しい医者だろ」
「今日は、夕方まではそうでもない。確か――」
和彦が言おうとしていることを察したように、車を走らせながら三田村は頷く。
「組長との打ち合わせは夕方からで、それまでは先生の予定は空いている」
「あんたの予定は?」
問いかけに対する答えはなかったが、車は車線変更し、和彦のマンションとは反対方向へと走り始める。
三田村の行動が嬉しかった。澤村と会った余韻のせいか、夕方までとはいえ、部屋で一人で過ごしたくなかったのだ。
久しぶりに友人と会えて嬉しかった反面、自分の現状が痛いほど肩にのしかかってきて、少し胸が苦しい。
「……久しぶりに友人と会うと言って楽しそうにしていたのに、今は複雑な表情をしているな」
ふいに三田村に指摘され、和彦はシートに座り直す。露骨に顔に出したつもりはなかったが、三田村の目を誤魔化すことはできなかったようだ。
「いい奴なんだ、ぼくが今さっきまで会っていた友人は。だからこそ、今の暮らしについて何も言えないことが心苦しい――……、いや、違うな。隠しておくことは仕方ないと思ってるんだ。ただ、ぼくがなくした生活を、友人は送っているんだなと考えると、なんとも言えない気持ちになる」
バックミラーを通して三田村と目が合う。相変わらず、普段は感情を読ませない目だが、和彦はひどく心惹かれる。この男に癒されたくなる。
「――三田村、助手席に座りたい」
三田村は黙って車を車道脇に停め、和彦はすぐに後部座席から助手席へと移動する。
シートベルトを締めた手を、すかさず三田村にきつく握り締められ、和彦も握り返す。そうすると、強く実感できるのだ。
三田村は、自分を守ってくれる〈犬〉であり、それ以上に、自分を愛してくれる〈オトコ〉だと。
早く、この男が欲しかった。
三田村は、和彦との逢瀬のためだけに、アパートの一室を借りてくれた。ワンルームで、家具もほとんどない部屋だが、二人にはそれで十分だ。どうせ、一緒に過ごせる時間はそう多くはない。
体を重ねるだけなら場所はどこでもいいと、そう簡単に割り切れるほど、和彦と三田村は身軽ではない。それどころか、さまざまな事情やしがらみに雁字搦めになっている。その中で、逢瀬の場所としてもっとも避けなければならないのは、和彦が生活しているマンションだ。
あそこは、賢吾の縄張りだ。三田村にはそんな意識があるだろうし、和彦は誰にも言ってないが、ベッドルームにはおそらく盗聴器が仕掛けられている。
だったら手っ取り早く、どこかのホテルで――というのは、和彦を安く扱っているようでやはり抵抗があると、三田村は言ってくれた。
部屋に着くと、室内はムッとするほど暑かった。外の気温の高さと、窓を締め切っていたせいだ。ただ、室内の熱気を上回って、二人の情欲の熱は高い。
「相手してほしかったら、お前はもっと電話してこい。……俺が男からの電話を待つなんて、滅多にないんだからな」
たとえ、境界線のこちら側とあちら側に立ってしまったとしても、澤村とは、友人として細い糸であろうが繋がっていたかった。
立っている場所は違っても、身近で和彦と同じ目の高さで生きているのは、澤村だけなのだ。だからこそ、共有できるものがある。それを和彦は失いたくない。
失ったら、そこにいるのは、多分ヤクザという存在だ。
「本当に、乗っていかなくていいのか」
ウィンドーを下ろした澤村にそう声をかけられ、笑って和彦は頷く。レストランを出て、他に寄るところがあるという和彦に、澤村は近くまで送ると言ってくれたのだ。
何か言いたげな顔をした澤村だが、あっさりと引き下がる。
「あんまりしつこくしたら、次から会ってくれなくなるかもしれないからな」
「……悪いな」
「気にするな。元気そうな顔を見られただけで、今日は満足しておいてやる。――また、誘うからな」
「楽しみにしている」
和彦の返事に、本当かよ、と言いたげに顔をしかめた澤村だが、次の瞬間には爽やかな笑みを浮かべ、軽く手を上げて車を出す。
澤村の車が見えなくなるのを待ってから、レストランの駐車場から一台の車がスッと出てきて、和彦の横でピタリと停まる。
和彦は、素早く後部座席に乗り込んだ。
「――もっとゆっくりするかと思った」
ハンドルを握る三田村が、バックミラー越しにちらりとこちらを見る。シートに体を預けながら和彦は、緩く首を横に振った。
「相手は忙しい医者だ。こうして平日の昼間に会ってくれただけで十分だ」
「先生も、十分忙しい医者だろ」
「今日は、夕方まではそうでもない。確か――」
和彦が言おうとしていることを察したように、車を走らせながら三田村は頷く。
「組長との打ち合わせは夕方からで、それまでは先生の予定は空いている」
「あんたの予定は?」
問いかけに対する答えはなかったが、車は車線変更し、和彦のマンションとは反対方向へと走り始める。
三田村の行動が嬉しかった。澤村と会った余韻のせいか、夕方までとはいえ、部屋で一人で過ごしたくなかったのだ。
久しぶりに友人と会えて嬉しかった反面、自分の現状が痛いほど肩にのしかかってきて、少し胸が苦しい。
「……久しぶりに友人と会うと言って楽しそうにしていたのに、今は複雑な表情をしているな」
ふいに三田村に指摘され、和彦はシートに座り直す。露骨に顔に出したつもりはなかったが、三田村の目を誤魔化すことはできなかったようだ。
「いい奴なんだ、ぼくが今さっきまで会っていた友人は。だからこそ、今の暮らしについて何も言えないことが心苦しい――……、いや、違うな。隠しておくことは仕方ないと思ってるんだ。ただ、ぼくがなくした生活を、友人は送っているんだなと考えると、なんとも言えない気持ちになる」
バックミラーを通して三田村と目が合う。相変わらず、普段は感情を読ませない目だが、和彦はひどく心惹かれる。この男に癒されたくなる。
「――三田村、助手席に座りたい」
三田村は黙って車を車道脇に停め、和彦はすぐに後部座席から助手席へと移動する。
シートベルトを締めた手を、すかさず三田村にきつく握り締められ、和彦も握り返す。そうすると、強く実感できるのだ。
三田村は、自分を守ってくれる〈犬〉であり、それ以上に、自分を愛してくれる〈オトコ〉だと。
早く、この男が欲しかった。
三田村は、和彦との逢瀬のためだけに、アパートの一室を借りてくれた。ワンルームで、家具もほとんどない部屋だが、二人にはそれで十分だ。どうせ、一緒に過ごせる時間はそう多くはない。
体を重ねるだけなら場所はどこでもいいと、そう簡単に割り切れるほど、和彦と三田村は身軽ではない。それどころか、さまざまな事情やしがらみに雁字搦めになっている。その中で、逢瀬の場所としてもっとも避けなければならないのは、和彦が生活しているマンションだ。
あそこは、賢吾の縄張りだ。三田村にはそんな意識があるだろうし、和彦は誰にも言ってないが、ベッドルームにはおそらく盗聴器が仕掛けられている。
だったら手っ取り早く、どこかのホテルで――というのは、和彦を安く扱っているようでやはり抵抗があると、三田村は言ってくれた。
部屋に着くと、室内はムッとするほど暑かった。外の気温の高さと、窓を締め切っていたせいだ。ただ、室内の熱気を上回って、二人の情欲の熱は高い。
122
あなたにおすすめの小説
執着
紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆
―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。―
モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。
だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。
そう、あの「秘密」が表に出るまでは。
奇跡に祝福を
善奈美
BL
家族に爪弾きにされていた僕。高等部三学年に進級してすぐ、四神の一つ、西條家の後継者である彼が記憶喪失になった。運命であると僕は知っていたけど、ずっと避けていた。でも、記憶がなくなったことで僕は彼と過ごすことになった。でも、記憶が戻ったら終わり、そんな関係だった。
※不定期更新になります。
かわいい美形の後輩が、俺にだけメロい
日向汐
BL
過保護なかわいい系美形の後輩。
たまに見せる甘い言動が受けの心を揺する♡
そんなお話。
【攻め】
雨宮千冬(あめみや・ちふゆ)
大学1年。法学部。
淡いピンク髪、甘い顔立ちの砂糖系イケメン。
甘く切ないラブソングが人気の、歌い手「フユ」として匿名活動中。
【受け】
睦月伊織(むつき・いおり)
大学2年。工学部。
黒髪黒目の平凡大学生。ぶっきらぼうな口調と態度で、ちょっとずぼら。恋愛は初心。
結婚初夜に相手が舌打ちして寝室出て行こうとした
紫
BL
十数年間続いた王国と帝国の戦争の終結と和平の形として、元敵国の皇帝と結婚することになったカイル。
実家にはもう帰ってくるなと言われるし、結婚相手は心底嫌そうに舌打ちしてくるし、マジ最悪ってところから始まる話。
オメガバースでオメガの立場が低い世界
こんなあらすじとタイトルですが、主人公が可哀そうって感じは全然ないです
強くたくましくメンタルがオリハルコンな主人公です
主人公は耐える我慢する許す許容するということがあんまり出来ない人間です
倫理観もちょっと薄いです
というか、他人の事を自分と同じ人間だと思ってない部分があります
※この主人公は受けです
星を戴く王と後宮の商人
ソウヤミナセ
BL
※3部をもちまして、休載にはいります※
「この国では、星神の力を戴いた者が、唯一の王となる」
王に選ばれ、商人の青年は男妃となった。
美しくも孤独な異民族の男妃アリム。
彼を迎えた若き王ラシードは、冷徹な支配者か、それとも……。
王の寵愛を受けながらも、
その青い瞳は、周囲から「劣った血の印」とさげすまれる。
身分、出自、信仰──
すべてが重くのしかかる王宮で、
ひとり誇りを失わずに立つ青年の、静かな闘いの物語。
君に望むは僕の弔辞
爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。
全9話
匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意
表紙はあいえだ様!!
小説家になろうにも投稿
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる