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第8話
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しおりを挟むヤクザの世界に引きずり込まれてから、異常な環境で毎日を忙しく過ごし、気がつけば、それが和彦の日常になってしまった。周囲にいるのは堅気という定義から大きく外れた人間ばかりで、遭遇する出来事も物騒なことが多い。
しかし、そんな日々の中でも和彦なりに気持ちのバランスを取り、そうすることに慣れ始めていた。
だからこそ和彦は、ここ最近の異変を確実に感じ取っていた。なんだか空気が落ち着かず、ざわついている。それともヤクザの世界では、この状況が普通なのだろうか。
こんな仕事も普通なのだろうか――。
駐車場に停められたワゴン車から降りた和彦は、ため息交じりに呟いた。
「――基本的なことを忘れているようだが、ぼくの専門は、あくまで美容外科だぞ」
口中で和彦が呟くと、先に車から降りた三田村が首を傾げる。
「先生?」
「なんでもない」
クリニックに取り付ける照明器具を選ぶため、専門店に出かけていた和彦の元に突然、診てほしい薬物中毒患者がいると三田村から連絡があり、一旦家に引き返して準備を整えたところに、当の三田村が迎えに来た。
顔を合わせられたからといって、砕けた調子で会話を交わせる状態ではない。和彦には護衛が張り付き、三田村にも、今日は組員がついている。
若頭補佐という立場上、三田村も手足のように使える組員が何人かおり、和彦の護衛の仕事に就く以外では、彼らを伴って動いているのだそうだ。自分の弟分だと言って、三田村が律儀に一人ずつ紹介してくれたので、和彦は顔も名も覚えていた。
つまり、三田村が弟分の組員を伴っているということは、それ相応の事態なのだ。
住宅街の中にある、特徴のない鉄筋アパートの三階へと案内されながら、たまらず和彦は三田村に話しかけた。
「……ぼくがこれから診る相手は、あんたが任されている仕事に関係あるのか?」
三田村は無表情のまま、曖昧に首を振った。
「関係あるといえば、関係ある。組長の指示だ。――この手の患者の治療にも、今から先生に慣れておいてもらいたい、と」
ここで和彦は、三階の通路に立つ人の姿に気づいた。派手な髪形をした、まだ二十歳になるかならないかぐらいの青年だ。三田村を見るなり、勢いよく頭を下げた。
その青年がドアを開けた部屋に、促されるまま和彦は足を踏み入れ、その後ろで三田村は、護衛の組員に辺りを警戒しておくよう指示を出す。部屋に入ったのは、和彦と、三田村とその弟分の組員だけだった。
理由は簡単だ。部屋は狭い1DKで、大きな男が何人も入ると、身動きが取れなくなる。それでなくてもすでに、組員が二人、部屋で待機していた。
部屋に立ち込める煙草の匂いに顔をしかめつつ、三田村に肩を抱かれた和彦は、奥の部屋を覗く。
痩せた青年が布団の上に寝かされ、全身を激しく震わせていた。蒼白となった顔色と、閉じた瞼が震えているのを見て、即座にその青年の傍らに座り込み、脈を取る。
「――薬物を摂取して、どれぐらいの時間が経った?」
誰にともなく問いかけると、派手な髪型をした青年が震える声で答えた。
「お……、俺が気づいたのは、一時間前です。それまでは、薬を呑んだとか言って、ヘラヘラ笑っていたんです。でも、いつの間にかぐったりして、こんなふうに痙攣し始めて……」
そう説明を受けた和彦は、青年を風呂場に連れていき、とにかく水を飲ませて吐かせ、胃を洗浄するよう組員たちに頼む。
それは速やかに実行に移され、風呂場から激しい水音と嘔吐する苦しげな声が聞こえてくる。
「ぼくは、なんでも屋じゃないぞ」
治療用の道具を小さなテーブルの上に並べていきながら、傍らに立つ三田村にぼそりと話しかける。三田村は表情は変えないながらも、優しい眼差しを向けてきた。
「でも先生は、こちらの無茶な要望に応えてくれる。美容外科専門だと言いながら、患者の腹に手を突っ込んで、大手術だってやるしな」
「死なせるな、と無茶な要求を言ってきたのは、あんたたちの組長だぞ」
「先生が相手だから、組長はそういう要求をしたんだ」
「……ぼくを働かせないと損だと思っているな、あの男」
話しながらも点滴の準備をしていた和彦は、ふと、テーブルの下に落ちているピンク色の小さな錠剤に気づいた。一瞬キャンディーかと思ったぐらいカラフルで、手に取ってみると、錠剤にはアルファベットの刻印がある。
「何が含まれているかわからないから、手を洗ったほうがいい」
和彦の手からさりげなく錠剤を取り上げ、三田村がそう忠告してくる。眉をひそめて顔を上げた和彦に対して、三田村は小さく頷いた。
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