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第8話
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「前から、この手の合成麻薬ってのは、ガキの間で流行っていたんだが、こいつは、特に性質が悪い。お菓子みたいな見た目で、手軽に気持ちよくなれる薬だと思って手を出したら、取り返しがつかなくなる」
「麻薬は麻薬だろ。どれも性質が悪い」
「この小さな粒が、一ついくらするかわかるか、先生?」
和彦が首を横に振ると、三田村はティッシュペーパーを数枚取って、錠剤を包んでしまう。
「今の相場だと、一万円以上。合成麻薬の値段としては、なかなかの高さだ。だが、よく効く。含まれている〈砂糖〉の量が多いからな。一粒を飲むのはもったいないからと言って、砕いて分けて使う人間もいるらしい」
「使う?」
「少しずつ指に取って、粘膜に擦りつける。手っ取り早く楽しめて、相手がいれば二倍楽しめる――と、得意げに話すバカがいる」
「それは……」
言いかけて、和彦はため息を洩らした。三田村の言う〈砂糖〉の意味がわかったからだ。そこに、風呂場から組員たちが、青年を引きずって出てきた。
「吐かせたものの中に、溶けかけた錠剤が五錠ありました」
組員の報告に、三田村が珍しく口中で毒づく。そして和彦を見た。
「ここから先は、先生に任せる。俺たちは、薬に手を出して中毒になった奴に対しては、水を飲ませ続けて、体を縛り上げることしかしない。薬が抜けるか、廃人になるかは、そいつ次第。そうなる覚悟があってヤバイものに手を出したと判断している。ただ今回は、この薬が原因となると、荒っぽい手段は取りたくない」
三田村は、手にしたティッシュペーパーの包みに視線を落とした。
なんとなく、三田村が任されている仕事がどんなものなのか、推測できた。長嶺組だけでなく、総和会のいくつかの組が『汚されて』いると賢吾は言っていたが、おそらくこの薬物を指しており、その薬物の出所や売人について、三田村たちは調べているのだ。
和彦はイスの角に点滴バッグを引っ掛けると、青年の腕に注射針を刺し込んでテープで留める。劇的に薬物中毒が改善される治療薬などないので、胃の洗浄をしたあとは、点滴によって薬物を体内から排出する。
救急センターにいた頃、薬物中毒の患者の治療をしたことを思い出し、和彦は苦々しい気持ちとなる。救急から離れたことで、こういった患者を診ることはもうないと思ったのだが、最近は物騒な患者しか診ていない。
「治療に必要なものがあるから、買ってきてくれないか」
和彦がメモを書いて三田村に見せると、そのメモにちらりと目を通した三田村は、組員の一人にメモを渡して指示を与える。
その会話を聞きながら和彦は、薬物中毒と聞いて必要かもしれないと考えて持ってきておいた活性炭を取り出す。胃の洗浄と点滴だけでは不安なので、これも注入するつもりだった。
「――いつも感心する。先生は、どんな患者相手にも落ち着いているんだな」
組員の一人が部屋を出ていくと、三田村に言われた。和彦は微苦笑を浮かべながら、注入用のチューブを袋から取り出す。
「結局のところ、痛いのも苦しいのも他人事、だからな。ぼくは、自分が痛くなければそれでいいって考えが染み付いているんだ。患者になるべく苦痛を与えない治療法を施せるが、それは、そういう方法を教わったからだ。医者としてのぼくには、人間的な温かみは求めないでくれ」
「でも、いい医者だ」
「……ヤクザに褒められてもな……」
和彦が顔をしかめてみせると、三田村は微かに笑みを浮かべた。ふっと柔らかくなる視線を交わし合っていると、それを邪魔するように三田村の携帯電話が鳴る。
電話に応じる三田村の口調から、相手が誰であるか推測するのは簡単だった。
「――怖くないか?」
いつものように和彦の肩を抱いてきた賢吾が、唐突にそんな質問をしてきた。質問の意図がわからなかった和彦は、率直に問い返した。
「ヤクザが? それとも、あんたのことが?」
運転席と助手席に座っている組員が、一瞬緊張する。和彦の感覚ではわからないが、組員たちにとっては空恐ろしくなるような返答だったらしい。賢吾は、喉を鳴らして笑っている。
青年の薬物中毒の治療が一段落した和彦は、賢吾に昼食に誘われた。三田村の携帯電話にかけてきたのは、賢吾本人だ。
三田村はまだあのアパートにいて、青年がどうやって薬物を入手しているのか探っているところだろう。決して青年が心配というだけで、あのアパートに組員たちが集まったわけではないのだ。
一方の和彦は、にぎわう昼間のコーヒーショップで、ヤクザの組長と向き合ってサンドイッチを食べるという、貴重な経験をしてから、治療のためにアパートに戻っている途中だった。
「麻薬は麻薬だろ。どれも性質が悪い」
「この小さな粒が、一ついくらするかわかるか、先生?」
和彦が首を横に振ると、三田村はティッシュペーパーを数枚取って、錠剤を包んでしまう。
「今の相場だと、一万円以上。合成麻薬の値段としては、なかなかの高さだ。だが、よく効く。含まれている〈砂糖〉の量が多いからな。一粒を飲むのはもったいないからと言って、砕いて分けて使う人間もいるらしい」
「使う?」
「少しずつ指に取って、粘膜に擦りつける。手っ取り早く楽しめて、相手がいれば二倍楽しめる――と、得意げに話すバカがいる」
「それは……」
言いかけて、和彦はため息を洩らした。三田村の言う〈砂糖〉の意味がわかったからだ。そこに、風呂場から組員たちが、青年を引きずって出てきた。
「吐かせたものの中に、溶けかけた錠剤が五錠ありました」
組員の報告に、三田村が珍しく口中で毒づく。そして和彦を見た。
「ここから先は、先生に任せる。俺たちは、薬に手を出して中毒になった奴に対しては、水を飲ませ続けて、体を縛り上げることしかしない。薬が抜けるか、廃人になるかは、そいつ次第。そうなる覚悟があってヤバイものに手を出したと判断している。ただ今回は、この薬が原因となると、荒っぽい手段は取りたくない」
三田村は、手にしたティッシュペーパーの包みに視線を落とした。
なんとなく、三田村が任されている仕事がどんなものなのか、推測できた。長嶺組だけでなく、総和会のいくつかの組が『汚されて』いると賢吾は言っていたが、おそらくこの薬物を指しており、その薬物の出所や売人について、三田村たちは調べているのだ。
和彦はイスの角に点滴バッグを引っ掛けると、青年の腕に注射針を刺し込んでテープで留める。劇的に薬物中毒が改善される治療薬などないので、胃の洗浄をしたあとは、点滴によって薬物を体内から排出する。
救急センターにいた頃、薬物中毒の患者の治療をしたことを思い出し、和彦は苦々しい気持ちとなる。救急から離れたことで、こういった患者を診ることはもうないと思ったのだが、最近は物騒な患者しか診ていない。
「治療に必要なものがあるから、買ってきてくれないか」
和彦がメモを書いて三田村に見せると、そのメモにちらりと目を通した三田村は、組員の一人にメモを渡して指示を与える。
その会話を聞きながら和彦は、薬物中毒と聞いて必要かもしれないと考えて持ってきておいた活性炭を取り出す。胃の洗浄と点滴だけでは不安なので、これも注入するつもりだった。
「――いつも感心する。先生は、どんな患者相手にも落ち着いているんだな」
組員の一人が部屋を出ていくと、三田村に言われた。和彦は微苦笑を浮かべながら、注入用のチューブを袋から取り出す。
「結局のところ、痛いのも苦しいのも他人事、だからな。ぼくは、自分が痛くなければそれでいいって考えが染み付いているんだ。患者になるべく苦痛を与えない治療法を施せるが、それは、そういう方法を教わったからだ。医者としてのぼくには、人間的な温かみは求めないでくれ」
「でも、いい医者だ」
「……ヤクザに褒められてもな……」
和彦が顔をしかめてみせると、三田村は微かに笑みを浮かべた。ふっと柔らかくなる視線を交わし合っていると、それを邪魔するように三田村の携帯電話が鳴る。
電話に応じる三田村の口調から、相手が誰であるか推測するのは簡単だった。
「――怖くないか?」
いつものように和彦の肩を抱いてきた賢吾が、唐突にそんな質問をしてきた。質問の意図がわからなかった和彦は、率直に問い返した。
「ヤクザが? それとも、あんたのことが?」
運転席と助手席に座っている組員が、一瞬緊張する。和彦の感覚ではわからないが、組員たちにとっては空恐ろしくなるような返答だったらしい。賢吾は、喉を鳴らして笑っている。
青年の薬物中毒の治療が一段落した和彦は、賢吾に昼食に誘われた。三田村の携帯電話にかけてきたのは、賢吾本人だ。
三田村はまだあのアパートにいて、青年がどうやって薬物を入手しているのか探っているところだろう。決して青年が心配というだけで、あのアパートに組員たちが集まったわけではないのだ。
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