血と束縛と

北川とも

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第14話

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 和彦は、外出できなくなっていた。
 かつて和彦は、自分が今いる世界が怖かった。普通の医者として生活していた表の世界から切り離されて放り込まれた、ヤクザに囲まれた世界だ。賢吾も怖いし、その他の、自分を取り巻く男たちも得体が知れず怖かった。
 それが今では、怖かったはずの世界から引きずり出され、自分を大事にしてくれる男たちから引き離されることを、怖いと思っている。恐れている。
 和彦をこんなことを考えるまで追い詰めたのは、兄の――佐伯英俊ひでとしの姿を見てしまったからだ。
 自らの意思で遠ざけ、忌み嫌っている世界が、今の世界を脅かそうとしている。
 何もする気が起きず、ベッドに横になって、吐き気がしそうなほどの憂鬱な気分と厭世感に苛まれる。寝返りを打った和彦は、震えを帯びた息を吐き出した。いろんなことを考えすぎて、頭の芯が熱をもって疼いているようだ。
 実はもう二日、まともに眠っていない。眠りたくても眠れない、というのが正確なところだ。そしてその間、誰とも会っておらず、電話にも出ていない。
 体調を崩したという言葉だけを三田村に伝えて、ひたすら外出を控えていた。
 精神的に不安定になった和彦の扱いを、長嶺組の男たちは心得ている。今はまだ、何も聞かずに見守ってくれているが、近いうちになんらかの行動を起こすはずだ。和彦が衰弱することを、あの男たちは許さない。
 夢は見たくないが、そろそろ安定剤を飲むべきだろう。和彦は、隣の部屋から物音が聞こえなくなったのを確認してから、緩慢に体を起こす。
 ダイニングに行くと、テーブルの上には昼食が用意されていた。和彦が寝室にこもっていようが、決まった時間に組員がやってきて、食事の準備だけでなく、掃除までやってくれるのだ。
 ただ、和彦の今の状態は、眠れないだけでなく、食事も喉を通らなくなっている。
 イスに腰掛けようとしたが、自分が寝室から出てきた目的を思い出した和彦は、冷蔵庫を開ける。中には、オレンジジュースがしっかりと補充されていた。
 たったそれだけのことだが、今の生活で自分は大切にされているのだと、肌で感じる。たとえ、長嶺組の専属医という利用価値のためだとしても、周囲の男たちは優しい。
 佐伯家の人間たちより――。
 和彦はふっと息を吐き出して冷蔵庫を閉めると、安定剤ではなく、携帯電話を取り上げる。ある人物に電話をかけた。
 この二日間、ただ憂鬱な気分に苛まれながら、眠れない時間を過ごしていたわけではない。頭の片隅では、あることをずっと考え続けていた。
 ちょうど昼休みをとっていたところらしく、相手はすぐに電話に出た。
「今、いいか? ――澤村」
 返事より先に聞こえてきたのは、深いため息だった。
『もっと早くにかかってくるかと思った』
 澤村のその言葉で、やはり、と和彦は思った。一瞬、頭に血が上ったが、英俊の顔が脳裏を過った途端、冷静になれた。
「……いつから、ぼくの家族と繋がってたんだ……」
『ひどい言い方だな。いや、俺に対する物言いというんじゃなくて、お前の家族なんだから――』
「澤村、頼む。端的に答えてくれ。ぼくはまだ、動揺しているんだ。お前に対して怒鳴るマネはしたくない」
 和彦が懸命に感情を押し殺しているのを感じ取ったのか、澤村はもう一度ため息をついてから話し始めた。
『先々月の末だったかな、突然クリニックに、お前のお兄さんから電話がかかってきたんだ。……お前がトラブってクリニックを辞めたことは知っていた。それに、お前と仲がよかったのが俺だとも。だから連絡してきたと言っていた。多分、先に事務局でいろいろ聞いたんだろ』
「それで、兄はなんと言っていた」
『弟がいつの間にか引っ越して、連絡が取れなくなったから、何か知らないかと。俺は、ずっとお前のことが心配だった。……あの写真は、只事じゃない。明らかにお前は、ヤバイことに巻き込まれていた。クリニックを辞めてからは、生活がまったく見えてこない。どこに住んでいるのか、どこで働いているのか。気軽に外出もできないように感じた。違和感を覚えていたんだ。俺に会うときだけ、お前は俺たちがいる世界に姿を現しているような、そんな感じだ』
 和彦は澤村に対して、見誤っていることがあった。和彦が考えている以上に、澤村は真剣に和彦の身を案じてくれていたのだ。
 たまに連絡を取り、食事をして、他愛ない会話を交わしながらも、今の生活についてはぐらかす。そうすることで、すべて丸く収まっていると思っていたのは、和彦だけだった。

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