275 / 1,289
第14話
(16)
しおりを挟む
「自分の兄貴に会って不安になっているお前が、実家の件で俺に頼みごとをすることも、予想しているだろ。――お前は、自分が蛇みたいな男のオンナだってことをよく自覚するべきだな。蛇の執念深さは、凄まじいぞ」
このとき和彦の脳裏を過ったのは、賢吾の代理で結婚披露宴に出席したとき、父親の同僚と出会ったのは、本当に偶然だったのだろうかということだった。
佐伯家が和彦になんの関心を持っていないのであれば、父親の同僚とは、あの場で他愛なく挨拶を交わして、穏便に別れられたはずだ。しかし現実は、そうならなかった。
佐伯家は、和彦を捜している。しかも、父親に近しい存在とはいえ、他人までもがそのことを把握しているのだ。父親が話したにしても、外聞にこだわる人間がそこまでする理由が気にかかる。
そしてもう一つ気にかかるのは、賢吾の思惑だ。どうしてもこう考えてしまう。
賢吾は、佐伯家の反応を知るために、和彦そのものを餌に使ったのではないか、と。
緩やかに動いていた思考が、ここで一気に苛烈さを増し、頭の芯が不快に疼く。
「大丈夫か」
ふいに鷹津に声をかけられ、和彦は我に返る。無防備に見つめ返すと、鷹津は相変わらずの嫌な笑みを浮かべ、顔を覗き込んできた。和彦も、ドロドロとした感情の澱が透けて見える目を覗き込む。
ふと、こんな問いかけをぶつけていた。
「……今夜ここに来たのは、ぼくを心配してくれたからか」
意表をつかれたように目を見開いた鷹津だが、すぐに皮肉っぽい表情となり、和彦の頬にてのひらを擦りつけるように触れてきた。
「いや。餌をもらいに来ただけだ」
鷹津の顔が近づいてきて、強く唇を吸われる。この瞬間、嫌悪感が体を駆け抜けるが、それは強烈な肉の疼きにも似ていると、初めて和彦は気づいた。
密かにうろたえる和彦にかまわず、鷹津は何度となく唇を吸い上げ、熱い舌で歯列をまさぐってくる。粗野で強引な求めに、和彦は呆気なく屈した。
鷹津の舌を柔らかく吸い返し、唇に軽く噛み付いたところで、余裕のない鷹津はすぐに和彦を貪ってくる。和彦を感じさせようとは思っていない、自分の欲望をぶつけてくるだけの口づけだ。
昼間味わった、千尋との甘い口づけとはまったく違う。それでも和彦は、ゾクゾクするような心地よさを感じていた。
気を抜くと、手に持ったカップを落としてしまいそうだ。必死に一欠片の理性を保ちながら、差し出した舌を鷹津と絡め合う。一方で鷹津は、片手で痛いほど和彦の尻を揉んでくる。
餌をもっとくれと、この男は言いたいのだ。
和彦は口づけの合間に、しっかりと言い含める。
「――……餌は、キスだけだ。仕事をしていない番犬に、これ以上、何もやらないからな」
「まあ、仕方ないな」
不遜に応じた鷹津が口腔に舌を押し込んできて、和彦は拒むどころか、きつく吸い上げてやる。
雪に吹きつけられながらの鷹津との口づけは、激しく、長かった。
デパートで買ったフルーツの詰め合わせを差し出した和彦に対して、柔らかく艶やかな雰囲気をまとった秦は、優しい笑みを向けてきた。
先日、この男の前でさんざん痴態を晒した身としては、女性客を魅了するであろうその笑みを直視できず、やや視線を逸らしてしまう。
「……世話になっておきながら、ぼくから礼を言わないのも、落ち着かないから……、よかったら食べてくれ」
今日の午前中、和彦は一つの大きな仕事を片付けた。クリニックに雇い入れるスタッフの面接だ。賢吾からは、落ち着くまで延期していいと言われてはいたのだが、和彦一人の事情で、他人を振り回すのは本意ではない。それに、精神的にもう大丈夫だと確認するためにも、なるべく人に会いたかった。
午後からこうして秦と会っているのも、そのためだ。
朝のうちに、今日会いたいと連絡を取ったところ、夕方までなら時間が取れると言われたため、すっかり馴染みとなったホストクラブにこうして出向いてきた。
店にはすでに数人の従業員が出勤しており、ホールの掃除をしていた。そんな彼らの、まるで女性客に対するような甘い挨拶を受けて、和彦はVIPルームに通されたのだが、居心地が悪いことこのうえなかった。
「先生をお世話したどころか、わたしとしては、かなりいい思いをさせてもらったと思っています。むしろこちらが、お礼をしないと」
秦の言葉の意味が、嫌になるほどわかっている和彦は、顔を熱くしながら睨みつける。すると秦は、ふっと目元を和らげた。
「先生は、わたしがあのとき言った秘密を、誰にも話していないんですね」
秘密、と口中で反芻した和彦は、唇に指を当てながら、慎重に秦に問いかけた。
「――どの秘密のことを言っている?」
このとき和彦の脳裏を過ったのは、賢吾の代理で結婚披露宴に出席したとき、父親の同僚と出会ったのは、本当に偶然だったのだろうかということだった。
佐伯家が和彦になんの関心を持っていないのであれば、父親の同僚とは、あの場で他愛なく挨拶を交わして、穏便に別れられたはずだ。しかし現実は、そうならなかった。
佐伯家は、和彦を捜している。しかも、父親に近しい存在とはいえ、他人までもがそのことを把握しているのだ。父親が話したにしても、外聞にこだわる人間がそこまでする理由が気にかかる。
そしてもう一つ気にかかるのは、賢吾の思惑だ。どうしてもこう考えてしまう。
賢吾は、佐伯家の反応を知るために、和彦そのものを餌に使ったのではないか、と。
緩やかに動いていた思考が、ここで一気に苛烈さを増し、頭の芯が不快に疼く。
「大丈夫か」
ふいに鷹津に声をかけられ、和彦は我に返る。無防備に見つめ返すと、鷹津は相変わらずの嫌な笑みを浮かべ、顔を覗き込んできた。和彦も、ドロドロとした感情の澱が透けて見える目を覗き込む。
ふと、こんな問いかけをぶつけていた。
「……今夜ここに来たのは、ぼくを心配してくれたからか」
意表をつかれたように目を見開いた鷹津だが、すぐに皮肉っぽい表情となり、和彦の頬にてのひらを擦りつけるように触れてきた。
「いや。餌をもらいに来ただけだ」
鷹津の顔が近づいてきて、強く唇を吸われる。この瞬間、嫌悪感が体を駆け抜けるが、それは強烈な肉の疼きにも似ていると、初めて和彦は気づいた。
密かにうろたえる和彦にかまわず、鷹津は何度となく唇を吸い上げ、熱い舌で歯列をまさぐってくる。粗野で強引な求めに、和彦は呆気なく屈した。
鷹津の舌を柔らかく吸い返し、唇に軽く噛み付いたところで、余裕のない鷹津はすぐに和彦を貪ってくる。和彦を感じさせようとは思っていない、自分の欲望をぶつけてくるだけの口づけだ。
昼間味わった、千尋との甘い口づけとはまったく違う。それでも和彦は、ゾクゾクするような心地よさを感じていた。
気を抜くと、手に持ったカップを落としてしまいそうだ。必死に一欠片の理性を保ちながら、差し出した舌を鷹津と絡め合う。一方で鷹津は、片手で痛いほど和彦の尻を揉んでくる。
餌をもっとくれと、この男は言いたいのだ。
和彦は口づけの合間に、しっかりと言い含める。
「――……餌は、キスだけだ。仕事をしていない番犬に、これ以上、何もやらないからな」
「まあ、仕方ないな」
不遜に応じた鷹津が口腔に舌を押し込んできて、和彦は拒むどころか、きつく吸い上げてやる。
雪に吹きつけられながらの鷹津との口づけは、激しく、長かった。
デパートで買ったフルーツの詰め合わせを差し出した和彦に対して、柔らかく艶やかな雰囲気をまとった秦は、優しい笑みを向けてきた。
先日、この男の前でさんざん痴態を晒した身としては、女性客を魅了するであろうその笑みを直視できず、やや視線を逸らしてしまう。
「……世話になっておきながら、ぼくから礼を言わないのも、落ち着かないから……、よかったら食べてくれ」
今日の午前中、和彦は一つの大きな仕事を片付けた。クリニックに雇い入れるスタッフの面接だ。賢吾からは、落ち着くまで延期していいと言われてはいたのだが、和彦一人の事情で、他人を振り回すのは本意ではない。それに、精神的にもう大丈夫だと確認するためにも、なるべく人に会いたかった。
午後からこうして秦と会っているのも、そのためだ。
朝のうちに、今日会いたいと連絡を取ったところ、夕方までなら時間が取れると言われたため、すっかり馴染みとなったホストクラブにこうして出向いてきた。
店にはすでに数人の従業員が出勤しており、ホールの掃除をしていた。そんな彼らの、まるで女性客に対するような甘い挨拶を受けて、和彦はVIPルームに通されたのだが、居心地が悪いことこのうえなかった。
「先生をお世話したどころか、わたしとしては、かなりいい思いをさせてもらったと思っています。むしろこちらが、お礼をしないと」
秦の言葉の意味が、嫌になるほどわかっている和彦は、顔を熱くしながら睨みつける。すると秦は、ふっと目元を和らげた。
「先生は、わたしがあのとき言った秘密を、誰にも話していないんですね」
秘密、と口中で反芻した和彦は、唇に指を当てながら、慎重に秦に問いかけた。
「――どの秘密のことを言っている?」
72
あなたにおすすめの小説
かわいい美形の後輩が、俺にだけメロい
日向汐
BL
過保護なかわいい系美形の後輩。
たまに見せる甘い言動が受けの心を揺する♡
そんなお話。
【攻め】
雨宮千冬(あめみや・ちふゆ)
大学1年。法学部。
淡いピンク髪、甘い顔立ちの砂糖系イケメン。
甘く切ないラブソングが人気の、歌い手「フユ」として匿名活動中。
【受け】
睦月伊織(むつき・いおり)
大学2年。工学部。
黒髪黒目の平凡大学生。ぶっきらぼうな口調と態度で、ちょっとずぼら。恋愛は初心。
執着
紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。
帝は傾国の元帥を寵愛する
tii
BL
セレスティア帝国、帝国歴二九九年――建国三百年を翌年に控えた帝都は、祝祭と喧騒に包まれていた。
舞踏会と武道会、華やかな催しの主役として並び立つのは、冷徹なる公子ユリウスと、“傾国の美貌”と謳われる名誉元帥ヴァルター。
誰もが息を呑むその姿は、帝国の象徴そのものであった。
だが祝祭の熱狂の陰で、ユリウスには避けられぬ宿命――帝位と婚姻の話が迫っていた。
それは、五年前に己の采配で抜擢したヴァルターとの関係に、確実に影を落とすものでもある。
互いを見つめ合う二人の間には、忠誠と愛執が絡み合う。
誰よりも近く、しかし決して交わってはならぬ距離。
やがて帝国を揺るがす大きな波が訪れるとき、二人は“帝と元帥”としての立場を選ぶのか、それとも――。
華やかな祝祭に幕を下ろし、始まるのは試練の物語。
冷徹な帝と傾国の元帥、互いにすべてを欲する二人の運命は、帝国三百年の節目に大きく揺れ動いてゆく。
【第13回BL大賞にエントリー中】
投票いただけると嬉しいです((꜆꜄ ˙꒳˙)꜆꜄꜆ポチポチポチポチ
奇跡に祝福を
善奈美
BL
家族に爪弾きにされていた僕。高等部三学年に進級してすぐ、四神の一つ、西條家の後継者である彼が記憶喪失になった。運命であると僕は知っていたけど、ずっと避けていた。でも、記憶がなくなったことで僕は彼と過ごすことになった。でも、記憶が戻ったら終わり、そんな関係だった。
※不定期更新になります。
オム・ファタールと無いものねだり
狗空堂
BL
この世の全てが手に入る者たちが、永遠に手に入れられないたった一つのものの話。
前野の血を引く人間は、人を良くも悪くもぐちゃぐちゃにする。その血の呪いのせいで、後田宗介の主人兼親友である前野篤志はトラブルに巻き込まれてばかり。
この度編入した金持ち全寮制の男子校では、学園を牽引する眉目秀麗で優秀な生徒ばかり惹きつけて学内風紀を乱す日々。どうやら篤志の一挙手一投足は『大衆に求められすぎる』天才たちの心に刺さって抜けないらしい。
天才たちは蟻の如く篤志に群がるし、それを快く思わない天才たちのファンからはやっかみを買うし、でも主人は毎日能天気だし。
そんな主人を全てのものから護る為、今日も宗介は全方向に噛み付きながら学生生活を奔走する。
これは、天才の影に隠れたとるに足らない凡人が、凡人なりに走り続けて少しずつ認められ愛されていく話。
2025.10.30 第13回BL大賞に参加しています。応援していただけると嬉しいです。
※王道学園の脇役受け。
※主人公は従者の方です。
※序盤は主人の方が大勢に好かれています。
※嫌われ(?)→愛されですが、全員が従者を愛すわけではありません。
※呪いとかが平然と存在しているので若干ファンタジーです。
※pixivでも掲載しています。
色々と初めてなので、至らぬ点がありましたらご指摘いただけますと幸いです。
いいねやコメントは頂けましたら嬉しくて踊ります。
魔王の息子を育てることになった俺の話
お鮫
BL
俺が18歳の時森で少年を拾った。その子が将来魔王になることを知りながら俺は今日も息子としてこの子を育てる。そう決意してはや数年。
「今なんつった?よっぽど死にたいんだね。そんなに俺と離れたい?」
現在俺はかわいい息子に殺害予告を受けている。あれ、魔王は?旅に出なくていいの?とりあえず放してくれません?
魔王になる予定の男と育て親のヤンデレBL
BLは初めて書きます。見ずらい点多々あるかと思いますが、もしありましたら指摘くださるとありがたいです。
BL大賞エントリー中です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる