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第14話
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「そのつもりだったが、元気そうだな。少し痩せたようには見えるが」
「食欲は戻った。それに……安定剤を飲んででも、眠るようにしているしな」
鷹津から探るような眼差しを向けられ、和彦は逃げるようにキッチンに向かう。和彦に何があったのか、明らかに鷹津は知りたがっていた。
和彦の身近にいる男たちは、必要があれば情報を共有する。その中で、今回は鷹津がつま弾きにされたらしい。ここでいい気味だと思えないのは、自分自身のことだからだ。
二人分のコーヒーを淹れながら、仕方なく端的に事情を説明する。賢吾なら、先生は甘いなと、薄い笑みを浮かべながら言うだろう。
「――……佐伯英俊といえば、父親譲りの切れ者官僚らしいな」
鷹津が洩らした言葉に、和彦はきつい視線を向ける。
「兄のことまで調べたのか」
「佐伯家のことをざっと調べただけで、それぐらいの情報はすぐに手に入る。ただ、どうしてお前が実家に寄り付かないのか、その理由は知らない」
「当然だな。佐伯の家は、外面のよさは完璧だ。外部の人間が調べた程度で、家庭の内情なんてわかるはずがない」
「お前自身が話す気は?」
どこか揶揄するような鷹津の表情が、気に障る。こういうときに見せる表情ではないと思うのだが、この男の場合、人を不愉快にさせる言動が身についているのかもしれない。
ない、と即答した和彦は、コーヒーを注いだカップを鷹津に押し付け、自分もカップを手に、再び窓際に歩み寄る。
外の闇の中から、降り続く雪だけが白い姿を浮かび上がらせている。雪を一心に目で追う和彦に、傍らに立った鷹津が話しかけてきた。
「お前が兄貴と会ったというのはわかったが、一つわからないことがある」
「なんだ」
「家族の中で半ば放置状態にあって、滅多に連絡も取らないお前を、手の込んだ方法で捜していた理由だ。友人経由で、お前に用件を伝えたら済む話だろ」
「それは――」
部屋に閉じこもっている間、和彦もそのことを考えていた。
おそらくきっかけは、賢吾の代理で出席した披露宴での出来事だ。父親の同僚の言葉から、あの時点で佐伯家は、和彦がマンションを退去し、連絡が取れないという状況までは把握していたようだ。
和彦が自らの意思で所在を告げず、行方をくらましていると知れば、佐伯家ならどうするか――。
コーヒーを一口啜った和彦は、ガラス越しに鷹津を見据える。
「……ぼくの知っている〈家族〉は、ぼくが行方不明になったところで、必死に捜すような人たちじゃない」
「お優しい家族だな」
せせら笑うように鷹津が皮肉を口にしたが、腹は立たなかった。実のところ、和彦ももっと手酷い皮肉を口にしたいところなのだ。
ぐっと唇を噛み締め、思いきって窓を開ける。サンダルを引っ掛けてバルコニーに出ると、鷹津は靴下のまま追いかけてきた。
「あー、くそっ、冷てーな」
忌々しげに呟く鷹津を横目で一瞥して、和彦はバルコニーの端まで行く。角部屋だけあって、ここからの眺望は特別だ。何より、吹き付けてくる風が強い。
雪が頬に当たり、凍えるほど寒い。睫毛にも雪が触れて目を細めたところで、鷹津が隣に立つ。壁になって、風と雪を一身に受けてくれるつもりらしい。訝しむ和彦に、鷹津はこう言った。
「〈番犬〉としては、ご主人に風邪を引かせるわけにはいかないからな。……おい、寒いから中に入ろうぜ」
「部屋の中だと、盗聴器が気になるんだ」
一瞬、無表情となった鷹津だが、次の瞬間には、蛇蝎の片割れであるサソリらしい、毒を含んだ鋭い笑みを唇に刻んだ。
「仕掛けられてるのか?」
「さあ。もう外したとは言っていたが、どこまで信用していいかわからない。だったら、まだ仕掛けられていると考えたほうが楽だ」
話している間に唇が冷たくなり、和彦はカップに口をつける。鷹津もコーヒーを飲んでから、自然な口調で切り出した。
「――俺に、何か言いたいことがあるんだろ。寒いんだから、早く言え」
和彦はじっとカップの中を覗き込む。逡巡はあったが、吹っ切るのは早かった。
「佐伯家……ぼくの実家の動向を探ってほしい」
「それを言いたかったんなら、わざわざバルコニーに出る必要はなかったな」
「どういう意味だ」
「俺の考えでは、とっくに長嶺は、お前の実家の動向を探っているはずだ。こっちは、刑事なんて肩書きを持っている代わりに、昼間は立派な公務員としてのお勤めに励んでいるんだ。自由に動ける時間は限られている。しかし長嶺は、手駒が豊富だ。大物官僚の息子を自分のオンナにするぐらいだ。なんの手も打たないと思うか?」
無意識に口元に手をやった和彦は、鷹津の指摘の正しさを心の中で認めていた。
「食欲は戻った。それに……安定剤を飲んででも、眠るようにしているしな」
鷹津から探るような眼差しを向けられ、和彦は逃げるようにキッチンに向かう。和彦に何があったのか、明らかに鷹津は知りたがっていた。
和彦の身近にいる男たちは、必要があれば情報を共有する。その中で、今回は鷹津がつま弾きにされたらしい。ここでいい気味だと思えないのは、自分自身のことだからだ。
二人分のコーヒーを淹れながら、仕方なく端的に事情を説明する。賢吾なら、先生は甘いなと、薄い笑みを浮かべながら言うだろう。
「――……佐伯英俊といえば、父親譲りの切れ者官僚らしいな」
鷹津が洩らした言葉に、和彦はきつい視線を向ける。
「兄のことまで調べたのか」
「佐伯家のことをざっと調べただけで、それぐらいの情報はすぐに手に入る。ただ、どうしてお前が実家に寄り付かないのか、その理由は知らない」
「当然だな。佐伯の家は、外面のよさは完璧だ。外部の人間が調べた程度で、家庭の内情なんてわかるはずがない」
「お前自身が話す気は?」
どこか揶揄するような鷹津の表情が、気に障る。こういうときに見せる表情ではないと思うのだが、この男の場合、人を不愉快にさせる言動が身についているのかもしれない。
ない、と即答した和彦は、コーヒーを注いだカップを鷹津に押し付け、自分もカップを手に、再び窓際に歩み寄る。
外の闇の中から、降り続く雪だけが白い姿を浮かび上がらせている。雪を一心に目で追う和彦に、傍らに立った鷹津が話しかけてきた。
「お前が兄貴と会ったというのはわかったが、一つわからないことがある」
「なんだ」
「家族の中で半ば放置状態にあって、滅多に連絡も取らないお前を、手の込んだ方法で捜していた理由だ。友人経由で、お前に用件を伝えたら済む話だろ」
「それは――」
部屋に閉じこもっている間、和彦もそのことを考えていた。
おそらくきっかけは、賢吾の代理で出席した披露宴での出来事だ。父親の同僚の言葉から、あの時点で佐伯家は、和彦がマンションを退去し、連絡が取れないという状況までは把握していたようだ。
和彦が自らの意思で所在を告げず、行方をくらましていると知れば、佐伯家ならどうするか――。
コーヒーを一口啜った和彦は、ガラス越しに鷹津を見据える。
「……ぼくの知っている〈家族〉は、ぼくが行方不明になったところで、必死に捜すような人たちじゃない」
「お優しい家族だな」
せせら笑うように鷹津が皮肉を口にしたが、腹は立たなかった。実のところ、和彦ももっと手酷い皮肉を口にしたいところなのだ。
ぐっと唇を噛み締め、思いきって窓を開ける。サンダルを引っ掛けてバルコニーに出ると、鷹津は靴下のまま追いかけてきた。
「あー、くそっ、冷てーな」
忌々しげに呟く鷹津を横目で一瞥して、和彦はバルコニーの端まで行く。角部屋だけあって、ここからの眺望は特別だ。何より、吹き付けてくる風が強い。
雪が頬に当たり、凍えるほど寒い。睫毛にも雪が触れて目を細めたところで、鷹津が隣に立つ。壁になって、風と雪を一身に受けてくれるつもりらしい。訝しむ和彦に、鷹津はこう言った。
「〈番犬〉としては、ご主人に風邪を引かせるわけにはいかないからな。……おい、寒いから中に入ろうぜ」
「部屋の中だと、盗聴器が気になるんだ」
一瞬、無表情となった鷹津だが、次の瞬間には、蛇蝎の片割れであるサソリらしい、毒を含んだ鋭い笑みを唇に刻んだ。
「仕掛けられてるのか?」
「さあ。もう外したとは言っていたが、どこまで信用していいかわからない。だったら、まだ仕掛けられていると考えたほうが楽だ」
話している間に唇が冷たくなり、和彦はカップに口をつける。鷹津もコーヒーを飲んでから、自然な口調で切り出した。
「――俺に、何か言いたいことがあるんだろ。寒いんだから、早く言え」
和彦はじっとカップの中を覗き込む。逡巡はあったが、吹っ切るのは早かった。
「佐伯家……ぼくの実家の動向を探ってほしい」
「それを言いたかったんなら、わざわざバルコニーに出る必要はなかったな」
「どういう意味だ」
「俺の考えでは、とっくに長嶺は、お前の実家の動向を探っているはずだ。こっちは、刑事なんて肩書きを持っている代わりに、昼間は立派な公務員としてのお勤めに励んでいるんだ。自由に動ける時間は限られている。しかし長嶺は、手駒が豊富だ。大物官僚の息子を自分のオンナにするぐらいだ。なんの手も打たないと思うか?」
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