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第23話
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里見に連絡をするのは最初で最後だと心に決めていたが、事情は変わった。今の生活を守るために、という綺麗事を言うつもりはない。自分の身の安寧のために和彦は、里見を利用することにした。
もしかすると、この理由すら建前で、賢吾に隠れて里見と連絡を取る理由を欲しているだけなのかもしれないが、和彦の中で、感情はあくまで混沌としている。だからこそ、直感で動いたのだ。
記憶を辿りながら番号を押した途端、心臓の鼓動が速くなる。
呼び出し音の回数を数えるまでもなく、里見はすぐに電話に出た。
『――公衆電話という表示を見た瞬間、胸がときめいたよ』
開口一番の里見の言葉に、緊張で顔を強張らせていた和彦はつい笑ってしまう。
「電源を切られなくてよかったよ」
『そんなこと……するはずないだろう』
わずかな間沈黙が訪れたが、気を取り直したように里見が提案してきた。
『君が住んでいるところは、ネット環境は整ってないのか? ネットが使えるなら、いくらでもやり取りの手段はある。少なくとも、連絡のたびに公衆電話まで行かなくていいから、楽なはずだ。それに履歴を消せば、君がネットでどこを見ていたかも特定されにくい』
「パソコンを持っていて、ネットにも繋いであるけど――……、手軽すぎて、怖いな。里見さんと連絡を取り合うことに緊張感がなくなりそうで」
さすがに賢吾も、和彦が個人で使っているパソコンまでチェックはしていないようだが、だからといって今後もそうだとは限らない。隙を見せた瞬間が危ないのだ。
『その口ぶりだと、無理ということかな』
「……残念だけど、そうだよ」
『だけど、こうしてわたしに電話をくれたということは、よほど話したいことがある?』
里見の口調はあくまで穏やかだが、見えない刃を喉元に突きつけられたような圧迫感を覚え、和彦は口ごもる。これは多分、里見を利用しようとしている和彦自身が抱えた罪悪感の表れだろう。
「どうしても、佐伯家の様子が気になるんだ。いままで、ぼくに無関心でいてくれたのに、急に実家に顔を出せと言うなんて。兄さんが国政出馬を控えているから、というのはもっともらしい理由だけど、少なくとも佐伯家で通じる理屈じゃない。お前には関係ないと言われるほうが、自然なんだ。……ぼくと家族の間にある溝は、それだけ深い」
『わたしは、君だけが佐伯家で浮いた存在だったことは知っているけど、その理由は知らない。どんな家族にも、一つや二つの秘密はあるし、わたしにはそれを暴く権利はない。ただ、君が佐伯家に頼らなくても満ち足りた日々を送れるよう、少しでも手助けしたかった』
「ぼくが今、そんな毎日を送っていて、それを守るために里見さんに助けてほしいと言ったら、どうする?」
相手から必要な返事を引き出すための物言いは、知らず知らずのうちに賢吾から学んだようだった。そんな自分に多少の嫌悪感を覚えるものの、その反面、ひどく新鮮でもあった。日々の生活は、確実に和彦をこれまでとは違う人間に造り替えている。計算高くて狡猾で、失いたくないもののために必死になる人間に。
受話器の向こうで里見は息を潜めていた。和彦の言葉の真意を探っているのかもしれない。それとも、電話の相手は本当に和彦なのかと、疑っているのだろうか。
和彦は、急に里見の返事を聞くのが怖くなり、慌てて言葉を続けた。
「今夜はもう、これで切るよっ。ごめん、夜遅くにかけたりして」
受話器を耳元から離そうとした瞬間、落ち着いた里見の声が聞こえた。
『――わたしはズルイ大人だから、君の頼みを聞くときには、交換条件としてわたしの頼みも聞いてもらうよ』
返事をする前に電話は切られ、和彦も受話器を置く。
里見に対する想いを部屋まで持ち帰るわけにはいかず、断ち切るように和彦はコンビニへと入る。夜中に出かけたアリバイ作りのために、こまごまとした買い物をしておく必要があった。
カゴにガムやヨーグルトを入れてから、雑誌コーナーへと移動する。適当に週刊誌を選んでいて、何げなく視線を上げる。窓の向こうには誰もおらず、客がやってくる様子もない。なのに、視界の隅に人影を捉えた気がしたのだ。
見間違いだろうと思いつつも和彦は視線を落とすことはできず、街灯で照らされる通りをじっと見据えていた。
もしかすると、この理由すら建前で、賢吾に隠れて里見と連絡を取る理由を欲しているだけなのかもしれないが、和彦の中で、感情はあくまで混沌としている。だからこそ、直感で動いたのだ。
記憶を辿りながら番号を押した途端、心臓の鼓動が速くなる。
呼び出し音の回数を数えるまでもなく、里見はすぐに電話に出た。
『――公衆電話という表示を見た瞬間、胸がときめいたよ』
開口一番の里見の言葉に、緊張で顔を強張らせていた和彦はつい笑ってしまう。
「電源を切られなくてよかったよ」
『そんなこと……するはずないだろう』
わずかな間沈黙が訪れたが、気を取り直したように里見が提案してきた。
『君が住んでいるところは、ネット環境は整ってないのか? ネットが使えるなら、いくらでもやり取りの手段はある。少なくとも、連絡のたびに公衆電話まで行かなくていいから、楽なはずだ。それに履歴を消せば、君がネットでどこを見ていたかも特定されにくい』
「パソコンを持っていて、ネットにも繋いであるけど――……、手軽すぎて、怖いな。里見さんと連絡を取り合うことに緊張感がなくなりそうで」
さすがに賢吾も、和彦が個人で使っているパソコンまでチェックはしていないようだが、だからといって今後もそうだとは限らない。隙を見せた瞬間が危ないのだ。
『その口ぶりだと、無理ということかな』
「……残念だけど、そうだよ」
『だけど、こうしてわたしに電話をくれたということは、よほど話したいことがある?』
里見の口調はあくまで穏やかだが、見えない刃を喉元に突きつけられたような圧迫感を覚え、和彦は口ごもる。これは多分、里見を利用しようとしている和彦自身が抱えた罪悪感の表れだろう。
「どうしても、佐伯家の様子が気になるんだ。いままで、ぼくに無関心でいてくれたのに、急に実家に顔を出せと言うなんて。兄さんが国政出馬を控えているから、というのはもっともらしい理由だけど、少なくとも佐伯家で通じる理屈じゃない。お前には関係ないと言われるほうが、自然なんだ。……ぼくと家族の間にある溝は、それだけ深い」
『わたしは、君だけが佐伯家で浮いた存在だったことは知っているけど、その理由は知らない。どんな家族にも、一つや二つの秘密はあるし、わたしにはそれを暴く権利はない。ただ、君が佐伯家に頼らなくても満ち足りた日々を送れるよう、少しでも手助けしたかった』
「ぼくが今、そんな毎日を送っていて、それを守るために里見さんに助けてほしいと言ったら、どうする?」
相手から必要な返事を引き出すための物言いは、知らず知らずのうちに賢吾から学んだようだった。そんな自分に多少の嫌悪感を覚えるものの、その反面、ひどく新鮮でもあった。日々の生活は、確実に和彦をこれまでとは違う人間に造り替えている。計算高くて狡猾で、失いたくないもののために必死になる人間に。
受話器の向こうで里見は息を潜めていた。和彦の言葉の真意を探っているのかもしれない。それとも、電話の相手は本当に和彦なのかと、疑っているのだろうか。
和彦は、急に里見の返事を聞くのが怖くなり、慌てて言葉を続けた。
「今夜はもう、これで切るよっ。ごめん、夜遅くにかけたりして」
受話器を耳元から離そうとした瞬間、落ち着いた里見の声が聞こえた。
『――わたしはズルイ大人だから、君の頼みを聞くときには、交換条件としてわたしの頼みも聞いてもらうよ』
返事をする前に電話は切られ、和彦も受話器を置く。
里見に対する想いを部屋まで持ち帰るわけにはいかず、断ち切るように和彦はコンビニへと入る。夜中に出かけたアリバイ作りのために、こまごまとした買い物をしておく必要があった。
カゴにガムやヨーグルトを入れてから、雑誌コーナーへと移動する。適当に週刊誌を選んでいて、何げなく視線を上げる。窓の向こうには誰もおらず、客がやってくる様子もない。なのに、視界の隅に人影を捉えた気がしたのだ。
見間違いだろうと思いつつも和彦は視線を落とすことはできず、街灯で照らされる通りをじっと見据えていた。
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