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第24話
(1)
しおりを挟むシートに身を預けた和彦はぼんやりと、ウィンドーの外を眺める。仕事から解放されている土曜日の昼間というだけで心浮き立つものがあるが、そこに、春の暖かな気候とこれ以上ない晴天が加わると、もうじっとはしていられない。
そんな和彦の視界に飛び込んでくるのは、花見の名所として知られる公園周辺の光景で、人や車で混雑している。通りを行く人たちが浮かれているように見えるのはきっと、和彦自身が浮かれているからだろう。
みんな楽しそうだと口中で呟き、堪えきれず和彦は口元を緩める。本当は、信号待ちの車から今すぐにでも飛び出して、駆けていきたい気分だった。車中で過ごす一分一秒がもどかしくて仕方ないのだ。
「混んでますね」
ハンドルを握る組員に話しかけられ、数秒の間を置いて慌てて頷く。意識が外にばかり向いていたため、危うく聞き流すところだった。
「ようやく桜が満開になったところに、天気のいい土曜日だ。みんな、考えることは同じなんだろうな。――ここから歩いていくから、適当に車道脇に寄せてくれ」
「酔っ払いに絡まれないよう気をつけてくださいね」
「そんな度胸のある人間がいるとも思えないが……」
誰のことを指して言っているのかわかったらしく、組員は短く笑い声を洩らした。
車が素早く車道脇に寄り、すかさず和彦は車から降りる。ガードレールを跨いだときには、すでに車は走り去るところで、それを見送ってから人の流れに乗る。
〈あの男〉はどこにいるのだろうかと、歩きながら軽く周囲を見回す。そして、すぐに見つけ出した。なんといっても目立つのだ。
そこだけ空気が違うようだった。春の陽射しが降り注ぎ、楽しげな様子の人たちが行き交う中、その男――三田村は、ごっそりと感情をどこかに置き忘れたような無表情で立っていた。地味な色合いのスーツをきっちりと着込んでおり、人に紛れればかろうじてビジネスマンに見えなくもないが、それでも三田村の持つ雰囲気は鋭すぎる。
その三田村の手にはデパートの紙袋があり、微妙な生活感を醸し出している。裏の世界で生きている男に無体なことをさせているなと、和彦はそっと苦笑を洩らしていた。
ゆっくりと辺りに視線を向けていた三田村が、狙いを定めるようにぴたりとこちらを見る。ほんのわずかだが、目元が和らいだ。和彦は足早に三田村に近づく。
「――天気がよくてよかった」
まっさきにかけられた言葉に、笑みをこぼして和彦は頷く。
「ああ」
二人は肩を並べて公園に入り、満開となっている桜の花を見上げる。穏やかな風に乗った花びらがひらひらと舞い、目を細めたくなるような光景をより華やいだものにしている。とにかく気分がいい。
先週、花見会で桜は堪能したはずだが、置かれた状況でこうも受ける印象は違うものなのかと、つい和彦は考えてしまう。いまだに、あの場での出来事は夢のようであり、現実味は乏しい。それに、その後での守光との濃厚な行為も――。
突然、激しい後ろめたさに襲われた和彦は、無理やり意識を切り替える。自分の身に何が起こったにせよ、今日は三田村と休日を楽しむことにしている。ささやかな花見がしたいという和彦の望みを、律儀な男はしっかりと覚えてくれていたのだ。
「……こんな昼間から、のんびりと桜を堪能できるなんて、久しぶりだ」
まぶしげに目を細めながら三田村が呟く。そんな三田村の精悍な横顔に危うく見惚れそうになり、和彦は慌てて視線を逸らす。
「仕事、忙しくなかったのか?」
「今日と明日は、よほどの緊急事態でもない限り、事務所に呼び出されることはない」
「なのに、その格好なんだな……」
和彦の言葉に、三田村は自分の格好を見下ろした。
「もう、身についてるんだ。外に出るときはスーツじゃないと、隙ができるような気がして落ち着かない。もともと、着るものに頓着しない性質だしな。――先生は、何を着ても似合うな」
せっかく三田村が褒めてくれたが、今の和彦の服装は、Tシャツの上にパーカー、それにコットンパンツという、非常にラフなものだった。だからこそ、散歩ついでの花見に相応しい格好とも言える。
「こんな格好でいいなら、いつでもコーディネートするけど」
「いや……、俺はきっと似合わないだろうから……」
無表情がトレードマークの男の顔に、わずかに動揺の色が浮かぶ。和彦は小さく声を洩らして笑う。
「冗談だ。あんたに変な格好をさせて、若頭補佐の威厳を損なわせたら悪いしな。……と、弁当の入ったデパートの紙袋を持たせている時点で、ぼくに言う資格はないか」
「俺はそんなことは気にしない。俺だけじゃなく、組の人間はみんなそうだ。先生のためになるなら、喜んで働く」
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