520 / 1,289
第24話
(2)
しおりを挟む
長嶺組の男たちは、怖くて物騒なくせに、和彦に優しい。その優しさが、裏の世界から逃がさないための打算含みのものだとしても、やはり心地いいし、嬉しいのだ。
「……あまりぼくを甘やかすと、とんでもないわがままを言い出すぞ」
「この間も言ったが、先生のわがままはささやかだ。先生が本気を出したら、俺が困るぐらいのわがままを言ってくれるのかな」
三田村の困り顔を見てみたい気もするが、それを見た自分が、ひどい罪悪感に苛まれるのは容易に想像できる。和彦はぼそぼそと応じた。
「あんたに嫌われたら、ぼくが困る」
土曜日の昼間から、酔っ払ったような会話をしているなと、和彦は急に気恥ずかしさに襲われる。一方の三田村は巧みに表情を隠してしまい、何を考えているのか読めない。
不自然に会話が途切れたまま公園内を歩いていると、ちょうど空いたベンチを見つける。広場でシートを広げて大人数で花見を楽しんでいる人は多いが、二人連れでベンチに腰掛け、のんびりと昼食をとっている人の姿も意外にある。おかげで、妙にちぐはぐな組み合わせともいえる和彦と三田村も、さほど肩身の狭い思いをしなくて済む。
ペットボトルのお茶と弁当を手渡され、さっそく昼食の時間となった。
ご飯を口に運びつつ、和彦は頭上の桜を見上げる。揺れる枝の間から青空が覗き、桜色の花びらとの対比にため息が洩れそうになる。
「――去年は、こんなに桜を見られなかった」
「いろいろあって、そんな余裕はなかっただろうからな、先生は」
「今も必死だ。ただ、折り合いをつける方法を覚えたんだろうな……」
ヤクザに守られながら、表向きは健全なクリニックを経営し、裏では不法な治療に手を貸す。そして、賢吾の許可の下、複数の男たちと関係を持っているのだ。そうやって和彦は毎日、道徳心や良心といったものに折り合いをつけて、バランスを取りながら生活をしている。
「一年前は、自分がこんな状況になっているなんて、考えもしなかった」
「……一年前の今頃、先生は確か――」
「組長に振り回されて、怯えていたな」
弁当を食べながら話すことではないなと思ったが、和彦と賢吾のやり取りを、間近で誰よりも見てきた三田村はあくまで淡々としている。三田村なりに、胸の内でさまざまなものを呑み込み、収まるべき場所に感情が収まっているのかもしれない。和彦にとっても、こんなことが言えるぐらい、三田村は特別な男なのだ。
「ぼくは、自分が思っていたより遥かに図太い神経をしていたみたいだ。大変だと思いながら、今の生活に馴染んで、居心地がいいと感じているんだから」
「よかった、と俺が答えるのは、先生にとって酷か?」
じっとこちらを見つめてくる三田村の眼差しは、鋭い。和彦が現状にどんな感情を抱いているか、見逃すまいとするかのように。この眼差しは、三田村の一途さと真摯さの表れだ。
和彦はそっと笑みをこぼすと、口調で応じた。
「優しいくせに、残酷な男だな、あんたは」
「――ヤクザだからな」
「そして、ぼくの〈オトコ〉だ」
囁くように付け加えると、ヤクザだと言い切った三田村の唇が緩んだ。
公園でのささやかな花見のあと、スーパーで明日までの食料を買い込んでから、三田村の運転する車で帰宅する。もちろん帰宅する先は、自宅マンションではなく、和彦と三田村が二人きりで過ごすための部屋だ。
久しぶりに部屋に入った和彦は、なんだか懐かしい気持ちになりながら、さほど広くない室内を見回す。一見武骨そうな若頭補佐は、誰よりも気遣いができる。その証拠に、和彦がこの部屋を訪れるたびに、こまごまとした生活用品や雑貨が増えている。
これまでなかった姿見が壁際に置かれているのを見て、和彦はつい笑ってしまう。洗面所の壁にかかった鏡が小さくて少々不便だと感じていたのは、どうやら自分だけではなかったようだ。次にこの部屋に来たときには、どんな物が増えているだろうかと思いながら、キッチンのほうを見る。三田村は、スーパーで買ってきたものを冷蔵庫に仕舞っている最中だった。
和彦はベッドに腰掛けると、パーカーを脱ぐ。陽気のよさもあって、外を歩いているうちにすっかり汗をかいてしまった。喉の渇きを自覚したとき、絶妙のタイミングで三田村が声をかけてきた。
「先生、何か飲むか?」
本当に気遣いが行き届いているなと、内心で苦笑を洩らして和彦は頷く。三田村は、買ってきたばかりのオレンジジュースをグラスに注いで持ってきてくれた。
ベッドに腰掛けたままグラスに口をつけながら、目の前に立つ三田村を上目遣いで見上げる。とっくに寛いでいる和彦とは対照的に、三田村はまだジャケットすら脱いでいない。
「……あまりぼくを甘やかすと、とんでもないわがままを言い出すぞ」
「この間も言ったが、先生のわがままはささやかだ。先生が本気を出したら、俺が困るぐらいのわがままを言ってくれるのかな」
三田村の困り顔を見てみたい気もするが、それを見た自分が、ひどい罪悪感に苛まれるのは容易に想像できる。和彦はぼそぼそと応じた。
「あんたに嫌われたら、ぼくが困る」
土曜日の昼間から、酔っ払ったような会話をしているなと、和彦は急に気恥ずかしさに襲われる。一方の三田村は巧みに表情を隠してしまい、何を考えているのか読めない。
不自然に会話が途切れたまま公園内を歩いていると、ちょうど空いたベンチを見つける。広場でシートを広げて大人数で花見を楽しんでいる人は多いが、二人連れでベンチに腰掛け、のんびりと昼食をとっている人の姿も意外にある。おかげで、妙にちぐはぐな組み合わせともいえる和彦と三田村も、さほど肩身の狭い思いをしなくて済む。
ペットボトルのお茶と弁当を手渡され、さっそく昼食の時間となった。
ご飯を口に運びつつ、和彦は頭上の桜を見上げる。揺れる枝の間から青空が覗き、桜色の花びらとの対比にため息が洩れそうになる。
「――去年は、こんなに桜を見られなかった」
「いろいろあって、そんな余裕はなかっただろうからな、先生は」
「今も必死だ。ただ、折り合いをつける方法を覚えたんだろうな……」
ヤクザに守られながら、表向きは健全なクリニックを経営し、裏では不法な治療に手を貸す。そして、賢吾の許可の下、複数の男たちと関係を持っているのだ。そうやって和彦は毎日、道徳心や良心といったものに折り合いをつけて、バランスを取りながら生活をしている。
「一年前は、自分がこんな状況になっているなんて、考えもしなかった」
「……一年前の今頃、先生は確か――」
「組長に振り回されて、怯えていたな」
弁当を食べながら話すことではないなと思ったが、和彦と賢吾のやり取りを、間近で誰よりも見てきた三田村はあくまで淡々としている。三田村なりに、胸の内でさまざまなものを呑み込み、収まるべき場所に感情が収まっているのかもしれない。和彦にとっても、こんなことが言えるぐらい、三田村は特別な男なのだ。
「ぼくは、自分が思っていたより遥かに図太い神経をしていたみたいだ。大変だと思いながら、今の生活に馴染んで、居心地がいいと感じているんだから」
「よかった、と俺が答えるのは、先生にとって酷か?」
じっとこちらを見つめてくる三田村の眼差しは、鋭い。和彦が現状にどんな感情を抱いているか、見逃すまいとするかのように。この眼差しは、三田村の一途さと真摯さの表れだ。
和彦はそっと笑みをこぼすと、口調で応じた。
「優しいくせに、残酷な男だな、あんたは」
「――ヤクザだからな」
「そして、ぼくの〈オトコ〉だ」
囁くように付け加えると、ヤクザだと言い切った三田村の唇が緩んだ。
公園でのささやかな花見のあと、スーパーで明日までの食料を買い込んでから、三田村の運転する車で帰宅する。もちろん帰宅する先は、自宅マンションではなく、和彦と三田村が二人きりで過ごすための部屋だ。
久しぶりに部屋に入った和彦は、なんだか懐かしい気持ちになりながら、さほど広くない室内を見回す。一見武骨そうな若頭補佐は、誰よりも気遣いができる。その証拠に、和彦がこの部屋を訪れるたびに、こまごまとした生活用品や雑貨が増えている。
これまでなかった姿見が壁際に置かれているのを見て、和彦はつい笑ってしまう。洗面所の壁にかかった鏡が小さくて少々不便だと感じていたのは、どうやら自分だけではなかったようだ。次にこの部屋に来たときには、どんな物が増えているだろうかと思いながら、キッチンのほうを見る。三田村は、スーパーで買ってきたものを冷蔵庫に仕舞っている最中だった。
和彦はベッドに腰掛けると、パーカーを脱ぐ。陽気のよさもあって、外を歩いているうちにすっかり汗をかいてしまった。喉の渇きを自覚したとき、絶妙のタイミングで三田村が声をかけてきた。
「先生、何か飲むか?」
本当に気遣いが行き届いているなと、内心で苦笑を洩らして和彦は頷く。三田村は、買ってきたばかりのオレンジジュースをグラスに注いで持ってきてくれた。
ベッドに腰掛けたままグラスに口をつけながら、目の前に立つ三田村を上目遣いで見上げる。とっくに寛いでいる和彦とは対照的に、三田村はまだジャケットすら脱いでいない。
84
あなたにおすすめの小説
執着
紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。
奇跡に祝福を
善奈美
BL
家族に爪弾きにされていた僕。高等部三学年に進級してすぐ、四神の一つ、西條家の後継者である彼が記憶喪失になった。運命であると僕は知っていたけど、ずっと避けていた。でも、記憶がなくなったことで僕は彼と過ごすことになった。でも、記憶が戻ったら終わり、そんな関係だった。
※不定期更新になります。
かわいい美形の後輩が、俺にだけメロい
日向汐
BL
過保護なかわいい系美形の後輩。
たまに見せる甘い言動が受けの心を揺する♡
そんなお話。
【攻め】
雨宮千冬(あめみや・ちふゆ)
大学1年。法学部。
淡いピンク髪、甘い顔立ちの砂糖系イケメン。
甘く切ないラブソングが人気の、歌い手「フユ」として匿名活動中。
【受け】
睦月伊織(むつき・いおり)
大学2年。工学部。
黒髪黒目の平凡大学生。ぶっきらぼうな口調と態度で、ちょっとずぼら。恋愛は初心。
帝は傾国の元帥を寵愛する
tii
BL
セレスティア帝国、帝国歴二九九年――建国三百年を翌年に控えた帝都は、祝祭と喧騒に包まれていた。
舞踏会と武道会、華やかな催しの主役として並び立つのは、冷徹なる公子ユリウスと、“傾国の美貌”と謳われる名誉元帥ヴァルター。
誰もが息を呑むその姿は、帝国の象徴そのものであった。
だが祝祭の熱狂の陰で、ユリウスには避けられぬ宿命――帝位と婚姻の話が迫っていた。
それは、五年前に己の采配で抜擢したヴァルターとの関係に、確実に影を落とすものでもある。
互いを見つめ合う二人の間には、忠誠と愛執が絡み合う。
誰よりも近く、しかし決して交わってはならぬ距離。
やがて帝国を揺るがす大きな波が訪れるとき、二人は“帝と元帥”としての立場を選ぶのか、それとも――。
華やかな祝祭に幕を下ろし、始まるのは試練の物語。
冷徹な帝と傾国の元帥、互いにすべてを欲する二人の運命は、帝国三百年の節目に大きく揺れ動いてゆく。
【第13回BL大賞にエントリー中】
投票いただけると嬉しいです((꜆꜄ ˙꒳˙)꜆꜄꜆ポチポチポチポチ
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆
―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。―
モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。
だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。
そう、あの「秘密」が表に出るまでは。
好きなあいつの嫉妬がすごい
カムカム
BL
新しいクラスで新しい友達ができることを楽しみにしていたが、特に気になる存在がいた。それは幼馴染のランだった。
ランはいつもクールで落ち着いていて、どこか遠くを見ているような眼差しが印象的だった。レンとは対照的に、内向的で多くの人と打ち解けることが少なかった。しかし、レンだけは違った。ランはレンに対してだけ心を開き、笑顔を見せることが多かった。
教室に入ると、運命的にレンとランは隣同士の席になった。レンは心の中でガッツポーズをしながら、ランに話しかけた。
「ラン、おはよう!今年も一緒のクラスだね。」
ランは少し驚いた表情を見せたが、すぐに微笑み返した。「おはよう、レン。そうだね、今年もよろしく。」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる