血と束縛と

北川とも

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第28話

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 普段の言動のせいですっかり忘れてしまいそうになるが、長嶺千尋の本質は決して、可愛い犬っころなどではない。
 したたかでありながら激しい気性を持つ〈何か〉だ。それは、祖父の守光のような老獪な化け狐かもしれないし、父親の賢吾のような冷酷な大蛇かもしれない。もしくは、まったく別の獣か――。
 クリニックを一歩出た和彦は、目の前に立つ千尋を一目見た瞬間、総毛立つような感覚に襲われた。明らかに千尋の様子が尋常ではなかったからだ。
 細身のスーツにナロータイという、オシャレな若手ビジネスマンのような格好は、恵まれた容姿を持つ千尋を、育ちのいい青年に見せる道具としては効果的だ。だが、まるで炎をまとったように、激しい怒りを全身に漲らせている今の千尋は、ジャケットの前を開き、ナロータイを緩めているだけなのに、筋者らしい凶暴さを感じさせる。
 こんな千尋に声をかけたくないが、まさか無視をするわけにもいかない。和彦はできるだけ、いつもの調子で声をかけた。
「お前、こんなところで何をしてるんだ……」
 千尋に歩み寄りながら、周囲に視線を向ける。通りを行き交う人たちが、この青年が長嶺組の跡目だとわかるとは思えない。しかしそれを抜きにしても、千尋の存在は人目を惹く。クリニックが入るビルの前で、目立ちたくなかった。
「先生を待ってた」
「それはわかるが……、せめて車で待つぐらいできるだろ。もし、お前の素性を知っている人間に見つかったらどうするんだ」
「いいよ。そのときは、そのときだ」
 低く抑えた声に、自暴自棄な響きを感じ取り、和彦は眉をひそめる。
「お前――」
「先生に話があるんだ」
 そう言って千尋に腕を掴まれたが、反射的に振り払う。カッとしたように睨みつけてきた千尋を、和彦は睨み返す。
「どうして、そんなに怒ってるんだ」
「……先生に心当たりはあるはずだよ」
「心当たりって……」
「来週、会うんだろ。あんなに怖がってた、自分の兄貴に」
 あっ、と声を洩らした和彦は、この瞬間、自分が大きな思い違いをしていたことに気づいた。
 和彦の反応を見て、千尋は不機嫌そうに唇を曲げる。
「俺のことなんて、すっかり忘れてたって顔だ」
「違うっ。そうじゃなくて――」
「話は、車の中で」
 短く言い放った千尋に再び腕を掴まれ、今度こそ否とは言わせない強引さで引っ張られる。いつにない千尋の迫力に圧され、和彦は従うしかなかった。
 駐車場に待機していたのは、千尋がいつも利用している車だった。どうやら和彦の護衛は帰らせてしまったようだ。大きくため息をついて、千尋に続いて車に乗り込む。
 車が発進するとすぐ、千尋は口を開いた。
「俺は、今日知った。それで組の人間に聞いて回ったら……、みんな知ってたんだ。それどころか、総和会も一枚噛んでるって。――俺だけ、先生に関する大事なことを教えてもらえてなかったわけだ」
 千尋の声音は不安定で、子供が拗ねているようだと思えば、今にも爆発しそうな強い苛立ちを滲ませ、聞いている和彦はハラハラしてくる。反射的に千尋の腕に手をかけると、反対にその手を握り締められた。
「俺になんて言う必要はないと思った?」
 千尋にズバリと言葉で切り込まれ、咄嗟に返事に詰まる。和彦は逡巡した挙げ句、正直に答えるしかなかった。
「……最初は、大げさにするつもりはなかったんだ。組長にさえ許可をもらえれば、それだけでいいと……。だけど、総和会にも報告することになって、ぼくの周囲にいる人間たちにも知らせていって――。お前には、組長か会長が知らせてくれると思っていたんだ」
「残念。俺に教えてくれたのは、組員の一人だ。つまり俺は、オヤジにもじいちゃんにも忘れられてたってことか」
「そうじゃないだろ。連絡の行き違い……、いや、ぼくのせいだな。慌しい中で、お前の存在を後回しにしていた」
 正確には、軽んじていたのかもしれない。そう、和彦は心の中で呟く。
 長嶺の男ではあるが、祖父や父親に比べて千尋は、組織や人に対しても影響力が限られている。二人が許可をしたのなら、千尋にあえて話す必要がないと、無意識のうちに和彦はそう判断していたのだ。もちろん、それだけではない。
「悪かった。ぼくの個人的なことで、お前を煩わせたくないという気持ちもあったんだ。……兄さんから電話がかかってきただけで、あれだけの醜態をお前に晒して、心配をかけたせいもあるし……」
「煩わせてるのは、俺たちのほうだろ。先生をさんざん、こっちの世界の理屈で振り回してるのに、何言ってるんだよ」
「千尋……」

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