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第28話
(23)
しおりを挟む守光の部屋の床の間には、涼しげな紫陽花の掛け軸が飾られていた。守光の腰を揉みながら和彦は、なんとなくその掛け軸から目が離せなくなる。ただの絵のはずなのに、床の間にあるだけで、部屋の空気が清澄なものに感じられるから不思議だ。それとも、この部屋の主のせいなのか。
「――いよいよ、来週かね」
唐突に守光に切り出され、ドキリとした和彦は数秒ほど返事ができなかった。一体なんのことかと考えるには、それだけあれば十分だ。
「はい……。クリニックのほうは、午後から休診にすることを、もうスタッフや患者さんにも知らせてあります。あとは、兄の予定が変わらなければ……」
「あえて、金曜に会うことにしたというところに、あんたの悲愴な覚悟がうかがえる。土日の間に、気持ちを立て直しておきたいというところかね」
守光の鋭さに和彦は、目を丸くしたあと、微苦笑を洩らす。
「何もかも、お見通しですね。そんなにぼくの行動は、わかりやすいですか」
「したたかでタフだが、一方で、実家のことになると、途端に脆くなる――と、話していたのは、賢吾だったか、千尋だったか。あるいは、両方か」
「二人には、動揺してみっともない姿を見せてしまいました」
「それでいい。だから二人とも、あんたのために動く。大事なオンナを守りたくて。もっとも千尋の場合は、少々頭に血が上りすぎているな」
その千尋は、しばらく経ってから守光とともに部屋に戻ってきたあと、猛烈な食欲を発揮して夕食を平らげ、今は風呂に入っている。守光とどういった話をしたのか、和彦はまだ一切聞かされていなかった。ただ、拗ねた素振りも、不機嫌な顔も見せていなかったことは、安心していいのかもしれない。
「……会う必要がないのなら、会いたくはないんです。ぼく個人の問題なのに、長嶺組どころか、総和会も巻き込んでしまったようで……」
「長嶺の男は過保護だと思っているだろう」
返事の代わりにちらりと笑みをこぼした和彦は、腰を揉む手にわずかに力を込める。会話を交わしていると、つい気が逸れて力が緩んでしまうのだ。
「そのおかげで、会う決心がついたとも言えます。そもそも会いにくい状況になった元凶も、長嶺の男たちにあるのですが」
うつ伏せの状態である守光の顔を見ることはできないが、肩が微かに揺れている。どうやら和彦の発言に気を悪くするどころか、笑ってくれたらしい。
「とにかく、一度会わないと、ぼくの家の人間は納得しないと思います。不肖の次男の存在など放っておいてくれればと、少しだけ期待していましたが、甘かったようです」
「――確かに、甘い」
そう言い切った守光の口調は、子供を窘めるかのように柔らかい。
「そういう家ではないだろう。あんたの家は。問題を片付けるためなら、わしらのようなヤクザ者すら使う、ある意味、腹が据わった名門だ。あんたは、その家の血を引いている。そう易々と手放しはせんはずだ」
「でもこれまで、必要とはされていませんでした」
自分で言った言葉に自虐の響きを感じ取り、和彦はドキリとする。これではまるで、守光に泣き言をこぼしているようだ。
動揺を抑えようとして、守光の腰を揉む手に不自然に力が加わる。
「……血は、大事だ。長嶺のような家だと特に、それを強く実感する。若い頃はわずらわしいと思ったものだが、今では、何より大事だと思うようになる。そのために、どこまでも利己的に振る舞うようにすらなるんだ。おそらくあんたの父親も、同じようなものだろう」
「その血のために、ぼくは実家に振り回されるんですね……」
「長嶺の家にも振り回されている」
『長嶺の男たち』ではなく、『長嶺の家』という表現から、守光の価値観の一旦が垣間見えるようだ。佐伯家から距離を置いている和彦には理解できないが、もしかすると父親なら、守光に共通する何かを感じるかもしれない。
唐突に、不吉な感覚に襲われる。その感覚が一体何を知らせるものなのかわからないが、とにかく悪寒がした和彦は大きく身震いしていた。
和彦の異変に気づいたように、守光が頭を起こそうとしたので、何事もなかったふりをして会話を続ける。
「――……今は振り回され、同じぐらい大事にされていても、結局は、長嶺の家にとってぼくは他人です。切り捨てようと思えば、いつでも切り捨てられる存在です」
意図せず拗ねた子供のような発言になってしまい、和彦の顔が熱くなってくる。そんな和彦を笑うどころか、守光は強烈な言葉で返してきた。
「あんたの体の中を、長嶺の血で満たすことは叶わんから、長嶺の男たちは奔走している。自分のオンナにして、クリニックを持たせて、関わりのある男たちと関係を持たせて――。切り捨てるなんてとんでもない。それもこれも、あんたを逃がさんためだ」
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