713 / 1,289
第31話
(5)
しおりを挟む
低く抑えた声が空気を微かに震わせる。和彦の肩も。
「会長の……、様子が気になったものですから……」
「そうか。だったら部屋に入ってくれ」
「……いいんですか?」
「いいも何も、あんたは医者だろ」
歯を剥き出すようにして南郷が笑う。バカにされたように感じたが、単なる被害妄想かもしれない。考え過ぎということにして、わずかに開いた襖の隙間から、守光の部屋を覗く。スタンド照明のほのかな明かりのおかげで、休んでいる守光の様子を見ることができた。
さらに襖を開けた和彦は、身を滑り込ませるようにして部屋に入る。逡巡したが、結局、襖を完全に閉めてから、守光が横たわっている布団に静かに歩み寄った。
傍らに座ると、眠っているとばかり思っていた守光が目を開ける。驚いて咄嗟に言葉が出ない和彦に、守光が話しかけてきた。
「様子を見に来てくれたのか、先生」
「……すみません。脈だけ測らせてもらおうと思ったんですが、起こしてしまいましたね」
「気にしないでくれ。目を閉じてはいたが、眠っていたわけじゃない」
布団の下から守光が片手を出したので、さっそく和彦は脈拍を測る。呼吸も安定しているので、急を要する状態にはなっていないようだ。守光の手を布団の中に戻そうとして、軽く指を掴まれた。ハッとして守光を見ると、もう目を閉じている。和彦は、守光の手を握った。なんだか、不思議な感覚だった。
「――……ぼくは、家族の看病というものをしたことがないんです。それどころか、誰かが体調を崩しても、心配して枕元に近寄ることもできなかった。ぼく以外の家族間で心配して、看病をしていました。だから正直、家族の体調を気遣うという感覚が、よくわからない。医者として患者を気遣うのと、どう違うのだろうかと、大学に通っていた頃や、医者になったばかりの頃は、不思議でした」
迷惑だろうかと思いつつ話しかけると、目を閉じたまま守光は笑った。
「今は、わかるのかね?」
「今も、正直不思議な感覚です。他人のぼくが、こうしてあなたの側にいるのは。ぼくは今、どんな立場でここにいるのか、自分でもよくわからないんです」
医者として、患者を不安にさせる発言だなと思ったが、こう表現するしかなかった。守光は、今度は声を洩らして笑う。
「不思議な縁だな。あんたとは。千尋とあんたの縁が、あんたを賢吾に引き合わせ、結果として、わしもあんたと出会えた。そのわしは、ずいぶん昔に、あんたの父親と縁ができていた。医者のあんたと深い関係を結んで、こうして診てもらって……」
「本当に、そうですね。ぼくと会長の縁が、一番不思議かもしれません」
「せっかくの縁だ。本当の家族になるのもいいかもしれんな」
「えっ……?」
守光が薄く目を開き、このとき見えた眼光の鋭さに、和彦は一瞬息を止める。
「わしの養子にならんかね」
和彦は、握った手と、守光の顔を交互に見ながら、何も言えなかった。守光は再び目を閉じ、穏やかな口調で続ける。
「冗談なのか本気なのか判断がつかない、という顔をしているな、先生」
「……賢吾さんに、同じことを言われたことがあります」
「なるほど。父子揃って、口説き文句も同じとは、血の繋がりは侮れんな」
ふふ、と堪らず和彦は笑ってしまう。守光はそれ以上何も言わなかった。
和彦はしばらく守光の手を握ったまま、落ち着いた呼吸音を聞き続けた。
「会長の……、様子が気になったものですから……」
「そうか。だったら部屋に入ってくれ」
「……いいんですか?」
「いいも何も、あんたは医者だろ」
歯を剥き出すようにして南郷が笑う。バカにされたように感じたが、単なる被害妄想かもしれない。考え過ぎということにして、わずかに開いた襖の隙間から、守光の部屋を覗く。スタンド照明のほのかな明かりのおかげで、休んでいる守光の様子を見ることができた。
さらに襖を開けた和彦は、身を滑り込ませるようにして部屋に入る。逡巡したが、結局、襖を完全に閉めてから、守光が横たわっている布団に静かに歩み寄った。
傍らに座ると、眠っているとばかり思っていた守光が目を開ける。驚いて咄嗟に言葉が出ない和彦に、守光が話しかけてきた。
「様子を見に来てくれたのか、先生」
「……すみません。脈だけ測らせてもらおうと思ったんですが、起こしてしまいましたね」
「気にしないでくれ。目を閉じてはいたが、眠っていたわけじゃない」
布団の下から守光が片手を出したので、さっそく和彦は脈拍を測る。呼吸も安定しているので、急を要する状態にはなっていないようだ。守光の手を布団の中に戻そうとして、軽く指を掴まれた。ハッとして守光を見ると、もう目を閉じている。和彦は、守光の手を握った。なんだか、不思議な感覚だった。
「――……ぼくは、家族の看病というものをしたことがないんです。それどころか、誰かが体調を崩しても、心配して枕元に近寄ることもできなかった。ぼく以外の家族間で心配して、看病をしていました。だから正直、家族の体調を気遣うという感覚が、よくわからない。医者として患者を気遣うのと、どう違うのだろうかと、大学に通っていた頃や、医者になったばかりの頃は、不思議でした」
迷惑だろうかと思いつつ話しかけると、目を閉じたまま守光は笑った。
「今は、わかるのかね?」
「今も、正直不思議な感覚です。他人のぼくが、こうしてあなたの側にいるのは。ぼくは今、どんな立場でここにいるのか、自分でもよくわからないんです」
医者として、患者を不安にさせる発言だなと思ったが、こう表現するしかなかった。守光は、今度は声を洩らして笑う。
「不思議な縁だな。あんたとは。千尋とあんたの縁が、あんたを賢吾に引き合わせ、結果として、わしもあんたと出会えた。そのわしは、ずいぶん昔に、あんたの父親と縁ができていた。医者のあんたと深い関係を結んで、こうして診てもらって……」
「本当に、そうですね。ぼくと会長の縁が、一番不思議かもしれません」
「せっかくの縁だ。本当の家族になるのもいいかもしれんな」
「えっ……?」
守光が薄く目を開き、このとき見えた眼光の鋭さに、和彦は一瞬息を止める。
「わしの養子にならんかね」
和彦は、握った手と、守光の顔を交互に見ながら、何も言えなかった。守光は再び目を閉じ、穏やかな口調で続ける。
「冗談なのか本気なのか判断がつかない、という顔をしているな、先生」
「……賢吾さんに、同じことを言われたことがあります」
「なるほど。父子揃って、口説き文句も同じとは、血の繋がりは侮れんな」
ふふ、と堪らず和彦は笑ってしまう。守光はそれ以上何も言わなかった。
和彦はしばらく守光の手を握ったまま、落ち着いた呼吸音を聞き続けた。
75
あなたにおすすめの小説
執着
紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。
帝は傾国の元帥を寵愛する
tii
BL
セレスティア帝国、帝国歴二九九年――建国三百年を翌年に控えた帝都は、祝祭と喧騒に包まれていた。
舞踏会と武道会、華やかな催しの主役として並び立つのは、冷徹なる公子ユリウスと、“傾国の美貌”と謳われる名誉元帥ヴァルター。
誰もが息を呑むその姿は、帝国の象徴そのものであった。
だが祝祭の熱狂の陰で、ユリウスには避けられぬ宿命――帝位と婚姻の話が迫っていた。
それは、五年前に己の采配で抜擢したヴァルターとの関係に、確実に影を落とすものでもある。
互いを見つめ合う二人の間には、忠誠と愛執が絡み合う。
誰よりも近く、しかし決して交わってはならぬ距離。
やがて帝国を揺るがす大きな波が訪れるとき、二人は“帝と元帥”としての立場を選ぶのか、それとも――。
華やかな祝祭に幕を下ろし、始まるのは試練の物語。
冷徹な帝と傾国の元帥、互いにすべてを欲する二人の運命は、帝国三百年の節目に大きく揺れ動いてゆく。
【第13回BL大賞にエントリー中】
投票いただけると嬉しいです((꜆꜄ ˙꒳˙)꜆꜄꜆ポチポチポチポチ
かわいい美形の後輩が、俺にだけメロい
日向汐
BL
過保護なかわいい系美形の後輩。
たまに見せる甘い言動が受けの心を揺する♡
そんなお話。
【攻め】
雨宮千冬(あめみや・ちふゆ)
大学1年。法学部。
淡いピンク髪、甘い顔立ちの砂糖系イケメン。
甘く切ないラブソングが人気の、歌い手「フユ」として匿名活動中。
【受け】
睦月伊織(むつき・いおり)
大学2年。工学部。
黒髪黒目の平凡大学生。ぶっきらぼうな口調と態度で、ちょっとずぼら。恋愛は初心。
結婚初夜に相手が舌打ちして寝室出て行こうとした
紫
BL
十数年間続いた王国と帝国の戦争の終結と和平の形として、元敵国の皇帝と結婚することになったカイル。
実家にはもう帰ってくるなと言われるし、結婚相手は心底嫌そうに舌打ちしてくるし、マジ最悪ってところから始まる話。
オメガバースでオメガの立場が低い世界
こんなあらすじとタイトルですが、主人公が可哀そうって感じは全然ないです
強くたくましくメンタルがオリハルコンな主人公です
主人公は耐える我慢する許す許容するということがあんまり出来ない人間です
倫理観もちょっと薄いです
というか、他人の事を自分と同じ人間だと思ってない部分があります
※この主人公は受けです
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆
―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。―
モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。
だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。
そう、あの「秘密」が表に出るまでは。
奇跡に祝福を
善奈美
BL
家族に爪弾きにされていた僕。高等部三学年に進級してすぐ、四神の一つ、西條家の後継者である彼が記憶喪失になった。運命であると僕は知っていたけど、ずっと避けていた。でも、記憶がなくなったことで僕は彼と過ごすことになった。でも、記憶が戻ったら終わり、そんな関係だった。
※不定期更新になります。
魔王の息子を育てることになった俺の話
お鮫
BL
俺が18歳の時森で少年を拾った。その子が将来魔王になることを知りながら俺は今日も息子としてこの子を育てる。そう決意してはや数年。
「今なんつった?よっぽど死にたいんだね。そんなに俺と離れたい?」
現在俺はかわいい息子に殺害予告を受けている。あれ、魔王は?旅に出なくていいの?とりあえず放してくれません?
魔王になる予定の男と育て親のヤンデレBL
BLは初めて書きます。見ずらい点多々あるかと思いますが、もしありましたら指摘くださるとありがたいです。
BL大賞エントリー中です。
星を戴く王と後宮の商人
ソウヤミナセ
BL
※3部をもちまして、休載にはいります※
「この国では、星神の力を戴いた者が、唯一の王となる」
王に選ばれ、商人の青年は男妃となった。
美しくも孤独な異民族の男妃アリム。
彼を迎えた若き王ラシードは、冷徹な支配者か、それとも……。
王の寵愛を受けながらも、
その青い瞳は、周囲から「劣った血の印」とさげすまれる。
身分、出自、信仰──
すべてが重くのしかかる王宮で、
ひとり誇りを失わずに立つ青年の、静かな闘いの物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる