血と束縛と

北川とも

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第34話

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 八月最後の日だった。
 和彦はウィンドーを覗き込むようにして、外の様子をうかがう。クリニックからの帰宅途中なのだが、日が暮れてから急に天候が崩れ、とうとうどしゃ降りの雨となっている。
『――雨すごいね』
 電話の相手である千尋の言葉に、見えるはずもないのに和彦は頷く。
「ああ。クリニックを閉める頃に降り出したから、よかったといえばよかったが……。お前は、本宅にいるのか?」
『珍しく、午後からずっとね。先生が仕事休みだったら、どこかに一緒に出かけたかったのにさ』
「この暑い中、どこに出かけるつもりだったんだ」
『いろいろあるよ。まずは、映画なんてどう? あと、秋物も並んでるから、服を買いに行くとかさ』
 ここのところ、千尋と気楽な気分で出かける機会もなかったので、素直にいいなと思ってしまう。
「お前の予定が合うなら、クリニックが休みの日に出かけるか。ぼくも、買いたいものがあるし」
『予定なんて、合わせるよっ。じゃあ、来週の日曜は?』
「ぼくのほうは、今は予定が入ってないから大丈夫」
『だったら俺、じいちゃんに、その日は絶対に先生に予定を入れないように言っておくから』
 総和会会長の孫だからこその発言だなと、和彦は密かに苦笑を洩らす。今の守光に、こんなことを面を向かって言えるのは、おそらく千尋ぐらいだろう。賢吾ですら、長嶺組組長という立場から気安く口にはできないはずだ。
「あまり強引な頼み方はするなよ」
 柔らかな口調で窘めた和彦は、ここで異変に気づく。大雨のため、普段以上に慎重な運転を続けていた車が、前触れもなく加速したのだ。それに伴い、前に座っている護衛の男たちが目に見えて緊張する。
「どうかしたんですか?」
 和彦が問いかけると、助手席に座っている男が硬い声で答える。
「車の通りが少ない道に入ってから、急に後続車が車間を詰めてきたんです。どうも、動きが不自然で」
 和彦がおそるおそる振り返ると、確かにすぐ背後を走る車があった。それでなくてもどしゃ降りの雨の中、この車間の近さは異常だった。何より、住宅街のさほど広くない車道を、スピードを上げて二台の車が走るのは、危険としかいいようがない。
『先生、何かあった?』
 電話越しにもこちらの緊迫感が伝わったのか、ここまでのどこか甘えた口調から一変して、千尋が鋭い声を発する。和彦は背後を気にしつつ、状況を説明しようとした。
「後ろを走っている車の様子が、おかしいみたいなんだ」
『おかしいって……』
「それが――」
 次の瞬間、後続車のヘッドライトの光が不自然な動きをする。何事かと和彦が目を見開いたときには、スピードを上げた車が強引に並走してきた。ハンドルを握る男が鋭く舌打ちし、ブレーキを踏む。和彦の体はシートに押し付けられたが、今度は、横からの強い衝撃に襲われた。
 何もかも一瞬だった。前に座る男たちの体が大きく揺れると同時にエアバッグが作動し、和彦自身もシートの上で体を振り回されそうになる。シートベルトが強く肩に食い込み、衝撃と痛みに声を上げる。
 強張った息をぎこちなく吐き出したときには、車は停止しており、助手席に座っていた男がこちらを見て必死の形相で声をかけてくる。突然のことに呆然としていた和彦だが、ハッと我に返る。
「佐伯先生っ、大丈夫ですかっ?」
 もう一度男に呼びかけられ、状況が掴めないままぎこちなく頷く。ハンドルを握っていた男が、ウィンドーが割れ、全体に歪んだドアに体当たりを繰り返して、強引に外に出る。激しい雨音に重なって、男の怒声が響き渡る。
 一体何が起こったのか――。
 ようやく身じろいだ拍子に、指先に硬い感触が触れる。ドキリとして視線を向けると、シートの上に落とした携帯電話だった。
 寸前まで自分が何をやっていたのか思い出し、のろのろと携帯電話を取り上げると、狂ったように和彦の名を呼び続ける、千尋の声が聞こえた。


 ベッドに仰向けで横たわった和彦は、大きなため息をついて、慎重に右腕を持ち上げてみる。少し前まで肩の痛みが気になっていたのだが、今はそうでもない。さきほど鏡で見たが、肌にうっすらと赤みが残っているだけだったので、湿布を貼るほどではないという判断は間違っていなかったようだ。念のため病院に行くよう勧められたが断った。
 痛みが薄れると同時に、自分の身に起こったことに現実味が失われていくようで、それが和彦には不気味だった。
 ホテルの一室に身を落ち着けてから簡単な報告を受けたが、和彦たちが乗る総和会の車に、別の車が故意にぶつかってきたと断言していた。車の運転席側の側面はひどい有様ではあったが、護衛の男たちはかすり傷を負った程度で、そこだけはよかったというべきなのだろう。

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