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第37話
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しおりを挟む施術を終えて処置室を出た和彦は、マスクを外しながら待合室へと向かい、壁の時計を見上げる。いつもなら、とっくに昼の休憩に入っている時間だ。
午後からもしっかり予約が入っており、昼食をとりに外に出る時間はないようだった。暇すぎるのも困るが、忙しい日が続くのも考えものだ。
もう一人医者がいれば、クリニック全体の仕事もスムーズに回せるのだが――。
ときおりそんなことをふっと考えるが、クリニックの規模からして、今が最適な状態なのかもしれない。派手な宣伝も打たず、口コミだけで、とりあえず経営はできており、大きなトラブルにも見舞われていない。
変に目立って、税務署に目をつけられるのが何より困る。少し芽生えてきた欲を、和彦はそう自分に言い聞かせて抑え込む。
処置室にはまだ患者が残っており、施術後のケアをスタッフから受けている。まだ三十分はかかるなと計算しながら、電話番以外のスタッフには、先に休憩に入るよう告げる。ついでに、コンビニで適当にパンを買ってきてほしいと頼んだ。
和彦は慌ただしく診察室に入ると、パソコンで患者のカルテを更新する。次回の来院日時を予約カードに記入し、今日の施術内容と明細を打ち出してから、ようやくほっと息をつく。これで、和彦の午前中の仕事は終わりだ。
デスクの引き出しを開けて、いつもの習慣として何気なく携帯電話をチェックする。すると、賢吾からの着信履歴があった。こちらが仕事中だとわかっていながら、わざわざ連絡を寄越してくるということは、一刻も早く直接話がしたいということだ。
診察室に自分しかいないということもあり、早速和彦は電話をかける。なんとなくだが、賢吾の用件には見当がついていた。
『――ようやく休憩に入ったのか?』
昼間の診察室で、電話越しとはいえ、賢吾のバリトンを聞くというのもなんだか新鮮だ。べったりとイスの背もたれに体を預けていた和彦だが、つい反射的に背筋を伸ばす。
「まあ、そんなところだ」
『繁盛してけっこうなことだ』
「……クリニックの出資者が、他人事のように言うな。それで、なんの用だ?」
『三田村から聞いた』
賢吾が急に声のトーンを変える。まじめな話をするつもりなのだと素早く察した和彦は、結局、仮眠室へと移動した。
「聞いたって、何を?」
『城東会の館野顧問のことだ。きついことを言われたらしいな』
和彦はため息をつくと同時に、やはり、と思った。
『三田村を責めるな。先生との約束を守ること以上に、先生の気苦労を少しでも減らすことを、あいつは優先したんだ』
「それは……、わかっている。でも、三田村の組での立場が――」
『そっちは心配するな。俺のほうで館野顧問には、上手く根回しをしておく。あの人は、オヤジの代から、うるさ型として必要とされてきた存在だ。何かしら言わずにはいられなかったんだろう。気にするな』
「……それを言うために、わざわざ昼間に連絡してきたのか?」
『いや、俺がむしろ心配しているのは、三田村が報告してきた、先生に関するもう一つのことだ』
心当たりはあった。だからこそ和彦は、三田村の気遣いを、このときばかりは恨まずにはいられない。
『うなされていたそうだな。怖い夢を見たとかで』
「それは……、心配されるようなことじゃない。三田村が大げさに報告したんだろう」
『尋常な様子じゃなかったと言っていたが。――俺にしている隠し事と、何か関係あるのか?』
えっ、と声を洩らしてから、和彦は黙り込む。やはり自分は隠し事が下手だと痛感する瞬間だった。必死に隠しているからこそ、ふいを突かれると、そこで思考が停止する。咄嗟に誤魔化すこともできない。
『鷹津がいなくなったことで、少し不安定になっているのかと思ったが、どうやらそれだけじゃないようだ。それこそ薄皮を剥くように、先生の心を傷つけずに、丁寧に丸裸にしていこうとしたが、どうしたって最後の一枚が取り除けないもどかしさを感じていたんだ。色っぽい隠し事じゃない。そういう艶は、先生は全部顔に出るからな』
「……なんでそんなに、ぼくのことがわかるんだ、あんた」
電話の向こうから低い笑い声が聞こえてくる。和彦が暗に隠し事の存在を認めたことを、怒ってはいないようだった。
『野暮な質問をするな。〈お前〉に惚れているからに決まってるだろ。それと、俺が嫉妬深いからだ』
「だからって……」
『――鎌をかけただけだ。基本的に善良な先生は、すぐに引っかかる』
和彦としては苦笑を洩らすしかないが、次に賢吾が発した言葉に、すぐに表情を引き締めることになる。
『それで、俺に打ち開ける気は?』
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