血と束縛と

北川とも

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第37話

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 ここ最近目にしたさまざまな情景が、まるでスライド上映されるように、取り留めもなく頭の中を通りすぎていく。眠りたいのに、覗き込んでしまう。疎ましくて頭を振ったつもりだが、たっぷり蜜を含んだように体は重い。夢の中で夢を見ているような、不思議な感じだ。
 いつの間にか情景は、和彦の記憶にないものに変わっていた。いや、唐突に古い記憶に飛んだのだ。
 傷んだ部屋の光景と、けたたましい蝉の声。懐かしい、とまず率直に思ったあと、ざらついた感触に頭の中を掻き回されているような、ひどく不快な気分になった。
 これは和彦にとって、嫌な記憶なのだ。
 見たくないし、新たな記憶として上書きしたくない。夢の中で和彦は抗うが、見えない力に抑えつけられ、顔を背けることはできない。
 泣き出しそうになる和彦に、傍らから声がかけられる。三田村のハスキーな声ではなかった。穏やかで優しく、しかし、ぞっとするような冷たさを秘めた声――。
 父親である俊哉の声だ。
『――これは、父さんとお前だけの秘密だ。誰にも言うな。いい子なら、父さんとの約束は守れるな?』
 自分がなんと答えたのか、和彦には思い出せなかった。古い記憶は、まるで虫が食ったように、ところどころに穴が開き、欠落している。
 とにかく、俊哉の望む答えだったらしく、抱き上げられた。間近で見た俊哉は笑っていた。幼心に、その表情に安堵した記憶はあるが、大人である今の和彦にとっては、ただ不安を掻き立てられる。俊哉のこの表情は、あまりに〈不穏〉だ。
 ビクッと大きく体が震え、急に息苦しくなる。切迫した感情の嵐に呑み込まれそうになり、夢の中でもがいていた。
「先生っ」
 強く肩を掴まれるとともに、鋭い口調で呼ばれる。ハッとした和彦は、自分の顔を覗き込む三田村に気づいた。
 顔を強張らせ、瞬きもしないまま、ひたすら三田村を見上げる。深い闇の底に沈み込む寸前で、救いの手に引き上げられた気分だった。一方の三田村は、即座に和彦の異変に気づいた。
「先生、ゆっくり息をするんだ。それに、瞬きも」
 険しい顔をした三田村に軽く頬を叩かれ、大きく息を吸い込む。その拍子に瞬きを数回繰り返すと、ようやく三田村はほっとした表情となった。
 すぐには状況が理解できず、和彦は困惑する。
「ぼくは、どうしたんだ……?」
「……眠っていたと思ったら、急に呻き出した。不自然に体を強張らせて」
 三田村の言葉に、ぎこちなく苦笑を洩らす。
「寝ぼけていたんだな」
「――目を開けたままだった。どこを見ているのかわからない目をして、瞬きもしていなかったんだ」
 こんなことは初めてだと、三田村は続けた。ただ気遣わしげな眼差しを向けられ、和彦はのろのろと額に手をやる。寸前まで見ていた夢――記憶を辿ろうとしてやめた。
「怖い夢を見たんだ……」
「どんな夢だ?」
「……内容は覚えてないけど、とにかく、怖い夢……」
 そう答えた次の瞬間、和彦は込み上げてきた苦々しさをぐっと堪える。三田村にまた隠し事をしてしまったという、罪悪感の苦さだ。
 三田村の指が、汗で湿った髪をそっと梳いてくる。和彦はおずおずと体の力を抜くと、深呼吸をする。そして、三田村の手を掴むと、自分から頬をすり寄せた。

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