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第39話
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思いがけない出来事に動揺する和彦とは対照的に、賢吾は悠然としていた。おそらく、和彦がシャワーを浴びていると知っていたのだろう。わずかに目を細め、舐め上げるように和彦の裸体を見つめてくる。
和彦は我に返ると、慌ててカゴに歩み寄り、用意されているバスタオルを取り上げて体を隠す。肌にはまだ、守光による愛撫の痕跡が残っているのだ。
「先生が起きたらすぐ知らせるよう、客間に立派な番犬を置いておいたはずなんだが――」
賢吾が普通に話しかけてきたことに内心で安堵しながら、和彦は素早く体を拭く。
「千尋なら、よく寝ていた。起こすのもかわいそうだから、そのままにしておいた」
「明け方までは、起きて先生の様子をうかがっていたんだぜ、あいつも」
「……それを知ってるってことは、あんたも、か……?」
返事のつもりか、賢吾は口元に薄い笑みを浮かべた。体を拭く手を思わず止めそうになったが、風邪を引くぞと賢吾に言われ、とりあえずスウェットの上下を着込む。すると、賢吾がバスタオルを取り上げ、まだしずくが落ちている髪を拭き始めた。
和彦は、タオルの隙間から賢吾の様子をうかがっていたが、沈黙に耐えきれず口を開く。
「あんたに黙ってた。父さんと会うことを。……結局、知られたけど」
「なんとなく、先生が俺に隠し事をしているのは察していた。いや、隠し事はいくつもあっただろうが、あまり性質のよくないものだ。鷹津に連れ去られた後から、どこか怯えたように俺を見ることがあったからな」
和彦が目を見開くと、バスタオルをカゴに放り込んだ賢吾が、乱れた髪を手櫛で整えてくる。その手つきはあくまで丁寧で優しく、無意識のうちに詰めていた息をぎこちなく吐き出す。
「――……あんたは、怖い。ずっとぼくを観察していたのか」
「強引に口を割らせたほうがよかったか? あいにく俺は、大事で可愛いオンナを痛めつける趣味はねーんだ」
黙っていたことを責められる覚悟はしていたが、いざとなると身が竦む。賢吾の指先が頬を掠めた瞬間、和彦はビクリと肩を震わせていた。途端に賢吾が苦笑いを浮かべる。
「誤解しているようだが、俺は別に、先生に対して怒ってはいない。昨夜の涙を見たら、何を考えていたのかすぐにわかった。うちの組に――、俺や千尋に迷惑をかけたくなかったんだろう。自分の家のことで。……優しいな、先生。そんなんだから、俺たちみたいな極道に付け込まれるんだ」
そう言う賢吾の口調が優しかった。ふいに嗚咽が洩れそうになった和彦は、ぐっと唇を引き結ぶ。シャワーを浴びる前に鏡で確認したが、顔色は青白いくせに、目は真っ赤なうえに瞼が腫れて、ひどい有り様だったのだ。また泣いてしまうと、目が開かなくなってしまいそうだ。
「ぼくは優しくない。……打算的なんだ。今の心地のいい場所をなくしたくない。何かとちやほやされるし、苦労もなくクリニックの経営者気分を味わわせてもらえる」
「たったそれだけのことで、先生の順風満帆だった人生を奪ったうえに、とんでもないリスクを背負わせているんだ。俺たちは、もっともっと先生に尽くしても、尽くし足りないぐらいだ」
ふと、昨夜の俊哉の発言を思い出していた。あの守光に尽くさせていたというものだが、俊哉に限ってウソをつくとは思えないし、またそうする必要がない。つまり、事実ということだ。
俊哉とはまったく違う人生を、俊哉によって歩まされてきたと思っていた和彦だが、本当にそうなのだろうかと、急に不安になる。長嶺の男と出会い、大事に扱われている現状は、計算でどうにかなるものではない。運命と呼んでいいはずだ。
賢吾に肩を抱かれるようにして脱衣場を出たところで、和彦はぼそぼそと告げた。
「――……ぼくはまだ、あんたに隠し事をしている」
賢吾が示してくれる優しさに、黙ってはいられなかった。すると大蛇の化身のような男が短く笑い声を洩らす。
「わかっている」
「どうしてあんたは、ぼくのことをなんでもわかるんだ」
「簡単だ。先生は隠し事をするのが下手だ。ついでに、ウソをつくのも。俺たちと知り合うまで、ずっと正直に生きてきたんだろうな」
「そんなこと……、ない。ずっと、隠し事をしてきた。ウソだって……」
「だったら、先生の周りにいた人間は、わかっていて、気づかないふりをしていたんだろう。必死に誤魔化す先生の姿は、なんとも言えない健気な風情がある」
ふざけているのかと思ったが、横目でうかがった賢吾は実にまじめな顔をしている。和彦は視線を伏せた。
「……本当に隠したいことは、隠しているという意識すらなくなる。……父さんと話すまで、思い出しもしなかった」
和彦は我に返ると、慌ててカゴに歩み寄り、用意されているバスタオルを取り上げて体を隠す。肌にはまだ、守光による愛撫の痕跡が残っているのだ。
「先生が起きたらすぐ知らせるよう、客間に立派な番犬を置いておいたはずなんだが――」
賢吾が普通に話しかけてきたことに内心で安堵しながら、和彦は素早く体を拭く。
「千尋なら、よく寝ていた。起こすのもかわいそうだから、そのままにしておいた」
「明け方までは、起きて先生の様子をうかがっていたんだぜ、あいつも」
「……それを知ってるってことは、あんたも、か……?」
返事のつもりか、賢吾は口元に薄い笑みを浮かべた。体を拭く手を思わず止めそうになったが、風邪を引くぞと賢吾に言われ、とりあえずスウェットの上下を着込む。すると、賢吾がバスタオルを取り上げ、まだしずくが落ちている髪を拭き始めた。
和彦は、タオルの隙間から賢吾の様子をうかがっていたが、沈黙に耐えきれず口を開く。
「あんたに黙ってた。父さんと会うことを。……結局、知られたけど」
「なんとなく、先生が俺に隠し事をしているのは察していた。いや、隠し事はいくつもあっただろうが、あまり性質のよくないものだ。鷹津に連れ去られた後から、どこか怯えたように俺を見ることがあったからな」
和彦が目を見開くと、バスタオルをカゴに放り込んだ賢吾が、乱れた髪を手櫛で整えてくる。その手つきはあくまで丁寧で優しく、無意識のうちに詰めていた息をぎこちなく吐き出す。
「――……あんたは、怖い。ずっとぼくを観察していたのか」
「強引に口を割らせたほうがよかったか? あいにく俺は、大事で可愛いオンナを痛めつける趣味はねーんだ」
黙っていたことを責められる覚悟はしていたが、いざとなると身が竦む。賢吾の指先が頬を掠めた瞬間、和彦はビクリと肩を震わせていた。途端に賢吾が苦笑いを浮かべる。
「誤解しているようだが、俺は別に、先生に対して怒ってはいない。昨夜の涙を見たら、何を考えていたのかすぐにわかった。うちの組に――、俺や千尋に迷惑をかけたくなかったんだろう。自分の家のことで。……優しいな、先生。そんなんだから、俺たちみたいな極道に付け込まれるんだ」
そう言う賢吾の口調が優しかった。ふいに嗚咽が洩れそうになった和彦は、ぐっと唇を引き結ぶ。シャワーを浴びる前に鏡で確認したが、顔色は青白いくせに、目は真っ赤なうえに瞼が腫れて、ひどい有り様だったのだ。また泣いてしまうと、目が開かなくなってしまいそうだ。
「ぼくは優しくない。……打算的なんだ。今の心地のいい場所をなくしたくない。何かとちやほやされるし、苦労もなくクリニックの経営者気分を味わわせてもらえる」
「たったそれだけのことで、先生の順風満帆だった人生を奪ったうえに、とんでもないリスクを背負わせているんだ。俺たちは、もっともっと先生に尽くしても、尽くし足りないぐらいだ」
ふと、昨夜の俊哉の発言を思い出していた。あの守光に尽くさせていたというものだが、俊哉に限ってウソをつくとは思えないし、またそうする必要がない。つまり、事実ということだ。
俊哉とはまったく違う人生を、俊哉によって歩まされてきたと思っていた和彦だが、本当にそうなのだろうかと、急に不安になる。長嶺の男と出会い、大事に扱われている現状は、計算でどうにかなるものではない。運命と呼んでいいはずだ。
賢吾に肩を抱かれるようにして脱衣場を出たところで、和彦はぼそぼそと告げた。
「――……ぼくはまだ、あんたに隠し事をしている」
賢吾が示してくれる優しさに、黙ってはいられなかった。すると大蛇の化身のような男が短く笑い声を洩らす。
「わかっている」
「どうしてあんたは、ぼくのことをなんでもわかるんだ」
「簡単だ。先生は隠し事をするのが下手だ。ついでに、ウソをつくのも。俺たちと知り合うまで、ずっと正直に生きてきたんだろうな」
「そんなこと……、ない。ずっと、隠し事をしてきた。ウソだって……」
「だったら、先生の周りにいた人間は、わかっていて、気づかないふりをしていたんだろう。必死に誤魔化す先生の姿は、なんとも言えない健気な風情がある」
ふざけているのかと思ったが、横目でうかがった賢吾は実にまじめな顔をしている。和彦は視線を伏せた。
「……本当に隠したいことは、隠しているという意識すらなくなる。……父さんと話すまで、思い出しもしなかった」
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