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第41話
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ムキになって反論する間に冷めてしまいそうで、和彦は黙って、温かなタオルに顔を埋める。心地よさに小さく吐息が洩れていた。
「そのまま聞いてくれ、先生。――あんたをこれから、長嶺の本宅まで送り届けることになった」
タオルからわずかに顔を上げると、南郷はあごに手を当て、やけに神妙な顔をしていた。
「本宅、ですか……」
「あんたをゆっくり休ませて、昼頃にでもマンションに送る予定だったんだが、どうやら本部のほうで騒動になっているらしくてな。早く戻ってこいと命令された」
「南郷さんに命令って、会長が――」
「総和会の組織体系がまだピンときてないだろうが、あそこで、俺に命令できる人間はいくらでもいる。普段は何かと大目に見てもらって好き勝手しているが、さすがに長嶺組を本気で怒らせるような事態となったら、話は別だ。ケジメをつけるために指を何本か落とせと言われても、逆らえない」
南郷の話に、和彦は顔を強張らせる。騒動の原因が、自分の行動にあることを嫌というほど自覚しているからだ。大事になると薄々わかっていながら、長嶺組に連絡を入れることなく一晩所在をくらませ、しかも南郷と一緒だったと知り、長嶺組――というより賢吾の怒りは、和彦にも向くかもしれない。
「……総和会には、どこにいるか知らせてなかったんですか?」
「知らせたら、どこからか長嶺組にも伝わって、あんたは数時間とここにいられなかったはずだ。俺は案外、義理堅い男なんだ。まあ、誰にも邪魔されたくなかったというのもあるが」
別に、南郷に感謝しようという気持ちは湧かなかった。ただ、自分のせいで南郷が、総和会で危うい立場に追いやられるかもしれないということに、わずかながら申し訳なさを覚える。
そんな感情の揺れが顔に出たのか、南郷がニヤリと唇を歪めた。
「優しいな、先生。そんなことだから、悪い男たちに付け込まれるんだ。それともあえて、そういう隙を見せているのかな」
返事の代わりに咳をすると、すぐに表情を引き締めた南郷は、和彦がテーブルの上に置いたスーツ一式を、無造作にゴミ袋に突っ込み始める。
「何してるんですかっ」
「バッグがないんだ。車に運び込むのに不便だから、我慢してくれ」
「でも、着て帰るものが……」
和彦がぽつりと洩らした言葉に南郷が、何を言っているんだという顔をする。
「服なら着てるじゃないか、先生。どうせ、ここから長嶺の本宅まで、まっすぐ帰るんだ。そのスウェットで十分だ。あっ、朝メシは車の中で済ませてくれ。道中、自販機で熱いコーヒーを買えばいいだろう」
一方的に告げた南郷が差し出してきたのは、コートだった。つまり、スウェットの上から羽織れというのだ。今は南郷に逆らえる状況ではないと、和彦はベッドを下りてコートを受け取る。
南郷が、和彦の寝床を片付け始める。自分がやると声をかけようとしたが、新たなゴミ袋に、丸めた毛布を突っ込む光景を目にする。その毛布が昨夜何に使われたか気づいて、顔が熱くなる。
毛布と折り畳みベッドを抱えて、南郷が隣の部屋へと向かう。その隙に和彦は、一階へと下りた。
背の低い下駄箱の上にコートを置くと、寒さに身を強張らせながらシャワー室に入る。濡れタオルで拭ったとはいえ、湯できちんと顔を洗いたかった。何より、口をすすぎたい。
ふいに、南郷の汗の味と、舐めた百足の感触が舌の上に蘇る。ザワッと全身に鳥肌が立ち、慌てて和彦はシャワーのコックを捻る。
湯の温度を調節していて、背後に気配を感じた。驚いて振り返ると、南郷がタオルを手にシャワー室の前に立っていた。
「――ちょっと目を離すと、あんたはふらふらと勝手に動く。落ち着きのない子供みたいだって言われたことはないか?」
「ないです」
「だとしたら、俺以外の男にはお行儀よくしているってことか」
癇に障る言い方に、眼差しを鋭くする。南郷が軽くあごをしゃくり、まるで見張られているような状況で和彦は口をすすぎ、顔を洗う。
湯を止めて、南郷が差し出してきたタオルを受け取ろうとしたが、寸前で躱される。からかわれていると思った和彦は、南郷を無視してシャワー室を出たが、すぐに肩を掴まれて壁に押さえ付けられた。
「先生、俺が拭いてやるよ」
濡れた頬にタオルが触れる。獲物をいたぶるような傲慢さは、昨日までと同じだ。だが和彦は、南郷という男に対して、昨日まではなかった感覚を抱いていた。それは決して、親近感などという穏やかなものではなく、だからといって嫌悪感というほど激しいものではない。
丁寧に水気を拭われ、最後に前髪を掻き上げられたところで、和彦は肩にかかった手を押し退けようとしたが、反対に手を掴まれる。
「あっ……」
「そのまま聞いてくれ、先生。――あんたをこれから、長嶺の本宅まで送り届けることになった」
タオルからわずかに顔を上げると、南郷はあごに手を当て、やけに神妙な顔をしていた。
「本宅、ですか……」
「あんたをゆっくり休ませて、昼頃にでもマンションに送る予定だったんだが、どうやら本部のほうで騒動になっているらしくてな。早く戻ってこいと命令された」
「南郷さんに命令って、会長が――」
「総和会の組織体系がまだピンときてないだろうが、あそこで、俺に命令できる人間はいくらでもいる。普段は何かと大目に見てもらって好き勝手しているが、さすがに長嶺組を本気で怒らせるような事態となったら、話は別だ。ケジメをつけるために指を何本か落とせと言われても、逆らえない」
南郷の話に、和彦は顔を強張らせる。騒動の原因が、自分の行動にあることを嫌というほど自覚しているからだ。大事になると薄々わかっていながら、長嶺組に連絡を入れることなく一晩所在をくらませ、しかも南郷と一緒だったと知り、長嶺組――というより賢吾の怒りは、和彦にも向くかもしれない。
「……総和会には、どこにいるか知らせてなかったんですか?」
「知らせたら、どこからか長嶺組にも伝わって、あんたは数時間とここにいられなかったはずだ。俺は案外、義理堅い男なんだ。まあ、誰にも邪魔されたくなかったというのもあるが」
別に、南郷に感謝しようという気持ちは湧かなかった。ただ、自分のせいで南郷が、総和会で危うい立場に追いやられるかもしれないということに、わずかながら申し訳なさを覚える。
そんな感情の揺れが顔に出たのか、南郷がニヤリと唇を歪めた。
「優しいな、先生。そんなことだから、悪い男たちに付け込まれるんだ。それともあえて、そういう隙を見せているのかな」
返事の代わりに咳をすると、すぐに表情を引き締めた南郷は、和彦がテーブルの上に置いたスーツ一式を、無造作にゴミ袋に突っ込み始める。
「何してるんですかっ」
「バッグがないんだ。車に運び込むのに不便だから、我慢してくれ」
「でも、着て帰るものが……」
和彦がぽつりと洩らした言葉に南郷が、何を言っているんだという顔をする。
「服なら着てるじゃないか、先生。どうせ、ここから長嶺の本宅まで、まっすぐ帰るんだ。そのスウェットで十分だ。あっ、朝メシは車の中で済ませてくれ。道中、自販機で熱いコーヒーを買えばいいだろう」
一方的に告げた南郷が差し出してきたのは、コートだった。つまり、スウェットの上から羽織れというのだ。今は南郷に逆らえる状況ではないと、和彦はベッドを下りてコートを受け取る。
南郷が、和彦の寝床を片付け始める。自分がやると声をかけようとしたが、新たなゴミ袋に、丸めた毛布を突っ込む光景を目にする。その毛布が昨夜何に使われたか気づいて、顔が熱くなる。
毛布と折り畳みベッドを抱えて、南郷が隣の部屋へと向かう。その隙に和彦は、一階へと下りた。
背の低い下駄箱の上にコートを置くと、寒さに身を強張らせながらシャワー室に入る。濡れタオルで拭ったとはいえ、湯できちんと顔を洗いたかった。何より、口をすすぎたい。
ふいに、南郷の汗の味と、舐めた百足の感触が舌の上に蘇る。ザワッと全身に鳥肌が立ち、慌てて和彦はシャワーのコックを捻る。
湯の温度を調節していて、背後に気配を感じた。驚いて振り返ると、南郷がタオルを手にシャワー室の前に立っていた。
「――ちょっと目を離すと、あんたはふらふらと勝手に動く。落ち着きのない子供みたいだって言われたことはないか?」
「ないです」
「だとしたら、俺以外の男にはお行儀よくしているってことか」
癇に障る言い方に、眼差しを鋭くする。南郷が軽くあごをしゃくり、まるで見張られているような状況で和彦は口をすすぎ、顔を洗う。
湯を止めて、南郷が差し出してきたタオルを受け取ろうとしたが、寸前で躱される。からかわれていると思った和彦は、南郷を無視してシャワー室を出たが、すぐに肩を掴まれて壁に押さえ付けられた。
「先生、俺が拭いてやるよ」
濡れた頬にタオルが触れる。獲物をいたぶるような傲慢さは、昨日までと同じだ。だが和彦は、南郷という男に対して、昨日まではなかった感覚を抱いていた。それは決して、親近感などという穏やかなものではなく、だからといって嫌悪感というほど激しいものではない。
丁寧に水気を拭われ、最後に前髪を掻き上げられたところで、和彦は肩にかかった手を押し退けようとしたが、反対に手を掴まれる。
「あっ……」
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