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第41話
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ワイシャツの上から南郷の脇腹に触れさせられた。指先で感じるのは硬い腹筋の感触だが、姿が隠れている百足の蠢きが伝わってくるようで、和彦は顔を強張らせる。
耳元に顔を寄せた南郷がひそっと囁きかけてきた。
「忘れるなよ、先生。あんたが可愛がった刺青の姿を」
体が離れてほっと息をつく間もなく、玄関まで連れて行かれる。
急いでいるというのは本当らしく、コートに袖を通す和彦をその場に置いて、南郷は慌ただしく二階へと駆け上がっていき、すぐに戻ってきた。片手には和彦のスーツが入ったゴミ袋を、もう一方の手には南郷自身のジャケットを掴んでいる。
車を停めてある庭に出ると、早朝の冷たい空気に和彦は大きく身を震わせる。コートの前を掻き合わせながら、昨夜はよくわからなかった庭の光景を改めて目にする。どの遊具も塗装が剥げているだけではなく、壊れかけてボロボロだ。昨夜は気づかなかったがかつては花壇だったらしいものもあるが、もちろん荒れている。
「――経営者は、この庭でくたばったそうだ」
車のロックを解除した南郷が、さらりと物騒なことを言う。軽く目を見開いた和彦に対して、南郷は皮肉っぽく唇の端を動かした。
「昨夜は、あんたが気味悪がるだろうから言わなかったんだ。ここで焼身自殺があったってことは。買い手がなかなか見つからないのは、そのせいだ。縁起が悪いからな」
そんな場所を南郷は隠れ家として使っているのかと、和彦はうすら寒いものを感じた。
南郷が車を庭の外へと移動させるのを待ってから、和彦は後部座席に乗り込む。入れ替わりに車を降りた南郷は鉄門扉を閉め、鎖を巻きつけていく。その様子を眺めていた和彦は、鉄門扉越しに庭へと視線を遣り、すぐに背ける。
かつての経営者の話は、あえて和彦の耳に入れなくてもよかったものだ。それでもあえて話したのは――南郷の性癖だとしか思えなかった。和彦がどんな反応を示すか、観察したかったのだろう。
急速に車内が暖房によって暖められていく中、居心地の悪さを覚えた和彦はシートの上で身じろぐ。その拍子に、ポケットに入れたままの携帯電話の存在を思い出した。
ポケットに手を突っ込み、携帯電話をそっと指先でまさぐる。本宅に着く前に連絡を入れておくべきなのだろうが、昨夜から勇気は潰えたままで、正直今は、逃げ出したいほど怖かった。
賢吾に話さなければならないことがありすぎて。
どうしてこんなことになったのかと自問しながら、和彦はポケットから手を出した。
昨夜のうちに南郷がコンビニで買っておいたというパンは、二、三口食べるだけで精一杯だった。事前に言われていた通り、道中にあった自販機で缶コーヒーを買ってもらったが、いつもなら甘すぎて持て余しそうな味が疲れ切った体には合っていたのか、あっという間に飲み干してしまった。
和彦は、ウィンドーの外を流れる景色を眺める。車内は静かで、程よい暖かさもあってスウッと眠気が押し寄せてきて、そのたびに目を擦る。南郷に気を抜いた姿を悟られたくなかったのだが、無駄な足掻きだったらしい。
「先生、眠いなら遠慮なく寝てくれ」
南郷からかけられた言葉に、パッと手を下ろす。
「いえ……」
「いくら俺でも、車の中であんたを襲ったりしない」
肩を震わせて笑い南郷の後ろ姿を睨みつけた和彦だが、あることがふと気になり、問いかけずにはいられなかった。
「――……これから長嶺の本宅に行くのに、怖くないんですか?」
「昨夜も似たようなことを聞いてきたな。そういう質問は、あんた自身の臆病さの表れの気がする」
和彦は一度口ごもったあと、小声で応じる。
「誰だってわかるでしょう。ぼくが臆病なんてことは」
「その臆病さが、愛しくて堪らないんだろうな、長嶺組長は」
「……ぼくは、怖いです。今度こそ、あの人に切り捨てられるかもしれないと思ったら」
「それは杞憂ってものだな。長嶺組長は、何があってもあんたを手放したりはしない。そんなことをするぐらいなら、多分、自分の手であんたを縊り殺すことを選ぶだろう。俺の知っている長嶺の男は、執着の鬼そのものだ。目的のためなら、手段を選ばない。欲しいものは必ず手に入れる。そうやって手に入れたものは、なんとしても他人に奪われまいとする」
南郷が語る『長嶺の男』とは、賢吾と守光のどちらなのだろうかと思った。どちらだとしても、和彦にとって怖い存在であることに違いはないのだが。
「そう自分を卑下しなくても、あんたは臆病なだけじゃなく、十分したたかで性悪だ。怖い男たちと渡り合える程度には。それもまた、長嶺組長――いや、長嶺の男たちには堪らなく魅力なんだろう。それ以外の男にとっても」
最後に付け加えられた言葉に、ザワザワと心が波立つ。
耳元に顔を寄せた南郷がひそっと囁きかけてきた。
「忘れるなよ、先生。あんたが可愛がった刺青の姿を」
体が離れてほっと息をつく間もなく、玄関まで連れて行かれる。
急いでいるというのは本当らしく、コートに袖を通す和彦をその場に置いて、南郷は慌ただしく二階へと駆け上がっていき、すぐに戻ってきた。片手には和彦のスーツが入ったゴミ袋を、もう一方の手には南郷自身のジャケットを掴んでいる。
車を停めてある庭に出ると、早朝の冷たい空気に和彦は大きく身を震わせる。コートの前を掻き合わせながら、昨夜はよくわからなかった庭の光景を改めて目にする。どの遊具も塗装が剥げているだけではなく、壊れかけてボロボロだ。昨夜は気づかなかったがかつては花壇だったらしいものもあるが、もちろん荒れている。
「――経営者は、この庭でくたばったそうだ」
車のロックを解除した南郷が、さらりと物騒なことを言う。軽く目を見開いた和彦に対して、南郷は皮肉っぽく唇の端を動かした。
「昨夜は、あんたが気味悪がるだろうから言わなかったんだ。ここで焼身自殺があったってことは。買い手がなかなか見つからないのは、そのせいだ。縁起が悪いからな」
そんな場所を南郷は隠れ家として使っているのかと、和彦はうすら寒いものを感じた。
南郷が車を庭の外へと移動させるのを待ってから、和彦は後部座席に乗り込む。入れ替わりに車を降りた南郷は鉄門扉を閉め、鎖を巻きつけていく。その様子を眺めていた和彦は、鉄門扉越しに庭へと視線を遣り、すぐに背ける。
かつての経営者の話は、あえて和彦の耳に入れなくてもよかったものだ。それでもあえて話したのは――南郷の性癖だとしか思えなかった。和彦がどんな反応を示すか、観察したかったのだろう。
急速に車内が暖房によって暖められていく中、居心地の悪さを覚えた和彦はシートの上で身じろぐ。その拍子に、ポケットに入れたままの携帯電話の存在を思い出した。
ポケットに手を突っ込み、携帯電話をそっと指先でまさぐる。本宅に着く前に連絡を入れておくべきなのだろうが、昨夜から勇気は潰えたままで、正直今は、逃げ出したいほど怖かった。
賢吾に話さなければならないことがありすぎて。
どうしてこんなことになったのかと自問しながら、和彦はポケットから手を出した。
昨夜のうちに南郷がコンビニで買っておいたというパンは、二、三口食べるだけで精一杯だった。事前に言われていた通り、道中にあった自販機で缶コーヒーを買ってもらったが、いつもなら甘すぎて持て余しそうな味が疲れ切った体には合っていたのか、あっという間に飲み干してしまった。
和彦は、ウィンドーの外を流れる景色を眺める。車内は静かで、程よい暖かさもあってスウッと眠気が押し寄せてきて、そのたびに目を擦る。南郷に気を抜いた姿を悟られたくなかったのだが、無駄な足掻きだったらしい。
「先生、眠いなら遠慮なく寝てくれ」
南郷からかけられた言葉に、パッと手を下ろす。
「いえ……」
「いくら俺でも、車の中であんたを襲ったりしない」
肩を震わせて笑い南郷の後ろ姿を睨みつけた和彦だが、あることがふと気になり、問いかけずにはいられなかった。
「――……これから長嶺の本宅に行くのに、怖くないんですか?」
「昨夜も似たようなことを聞いてきたな。そういう質問は、あんた自身の臆病さの表れの気がする」
和彦は一度口ごもったあと、小声で応じる。
「誰だってわかるでしょう。ぼくが臆病なんてことは」
「その臆病さが、愛しくて堪らないんだろうな、長嶺組長は」
「……ぼくは、怖いです。今度こそ、あの人に切り捨てられるかもしれないと思ったら」
「それは杞憂ってものだな。長嶺組長は、何があってもあんたを手放したりはしない。そんなことをするぐらいなら、多分、自分の手であんたを縊り殺すことを選ぶだろう。俺の知っている長嶺の男は、執着の鬼そのものだ。目的のためなら、手段を選ばない。欲しいものは必ず手に入れる。そうやって手に入れたものは、なんとしても他人に奪われまいとする」
南郷が語る『長嶺の男』とは、賢吾と守光のどちらなのだろうかと思った。どちらだとしても、和彦にとって怖い存在であることに違いはないのだが。
「そう自分を卑下しなくても、あんたは臆病なだけじゃなく、十分したたかで性悪だ。怖い男たちと渡り合える程度には。それもまた、長嶺組長――いや、長嶺の男たちには堪らなく魅力なんだろう。それ以外の男にとっても」
最後に付け加えられた言葉に、ザワザワと心が波立つ。
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