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第41話
(24)
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「……南郷さんは、違いますよね」
「聞きようによっては、なかなか自惚れの強い言葉だな、先生。身近にいる男たちのほとんどが、自分に骨抜きになっていると自覚していないと出ない言葉だ」
「どうせぼくは、したたかで性悪ですから」
一瞬の間を置いて、南郷が快活な笑い声を上げる。こんな笑い方もできる男なのかと、和彦は驚嘆する。ずっと張り詰めていた空気がふっと緩むが、それもわずかな間だった。
なんの説明もないまま、車がコンビニの駐車場へと入る。
和彦は小さく声を洩らす。昨夜も立ち寄った場所だった。車を停めた南郷は肩越しにこちらを一瞥したあと、一人車を降りる。すると、待機していたらしい男たちが駆け寄ってきて、南郷に向けて深々と頭を下げた。第二遊撃隊の隊員だ。
和彦はウィンドーに顔を寄せて外の様子をうかがいながら、やっと状況を理解する。昨夜は、ここで隊員たちと別れて南郷と二人きりとなったが、今度は合流するのだ。
案の定、南郷は隊員の一人を伴って車に戻ってくる。ただし、南郷が乗り込んだのは助手席だった。
その理由を、車が再び走り出してから南郷が口にする。
「これから長嶺の本宅に向かうのに、俺が堂々と、あんたの隣に座っているわけにはいかないだろう。さすがに、自分の立場はわきまえている」
皮肉っぽい南郷の言葉を聞いて、和彦はそっと背後を振り返る。やはり護衛の車がついてきていた。しかも、二台。護衛にしては仰々しすぎると感じた次の瞬間、和彦は慌てて正面に向き直り、南郷の後ろ姿を凝視する。
まさかと思いつつも、己の持つ力を賢吾に対して誇示しようとしているのではないかと、ふと気になった。
和彦は、自分の格好を見下ろす。羽織ったコートの下は、南郷が着るために買っていたスウェットの上下だ。明らかにサイズの合っていない服を着た和彦を見て、賢吾が何も感じないはずはない。
自分の迂闊さをひたすら心の内で罵っているうちに、車は見慣れた住宅街へと入って行く。
心臓の鼓動が少しずつ速くなってくる。和彦は無意識のうちに詰めていた息をそっと吐き出し、おそるおそる前方をうかがう。本宅の建物が見えてきたところで、ふいに南郷が声を洩らした。
「驚いたな……」
本宅の前には数人の人影が立っていた。事前に連絡を受けた長嶺組の組員が、和彦を出迎えるために待っているのだろうと思ったが、すぐに、南郷が洩らした言葉の意味を理解する。
車が静かに停まる。南郷は素早く車を降りると、後部座席のドアを開けた。一斉に自分に向けられる男たちの視線を意識しながら、和彦はぎこちなくシートベルトを外す。車を降りると、目の前に賢吾が立っていた。
彫像のように整った顔に浮かぶ冷淡な感情を見て取り、身が竦む。憤怒の表情を向けられたほうがよほど気が楽だった。
このとき咄嗟に和彦が危惧したのは、賢吾が自分に対して呆れ、一切の関心を失ったのではないかということだ。何も言えず、ただ賢吾の顔を見つめてしまう。
スッと賢吾の手が肩にかかり、反射的に後ずさりそうになる。すると、痛いほど強く肩を掴まれ、引き寄せられた。
「おい、先生と荷物を頼む」
賢吾が声をかけると、背後に控えていた組員が一斉に動く。
車から和彦の荷物が運び出され、和彦は組員に促されて賢吾から離れる。早く門扉の中に入るよう言われたが、賢吾の様子が気になって振り返る。
賢吾が、南郷に歩み寄っていた。不穏なものを感じた和彦は足を止め、二人の男の行動を見守る。とてもではないが、声をかけられる雰囲気ではなかった。
賢吾と向き合った途端、直立不動で立っていた南郷が深々と頭を下げる。賢吾が頭を上げるよう声をかけると、従った南郷は今度は、両足の間をわずかに開き、腰の後ろに両手を回す。
次の瞬間、賢吾が拳を振り上げ、南郷の顔を殴りつけた。
肉を打つ鈍い音が和彦の耳にも届く。南郷はよろめきはしたものの、倒れ込むことはなく、賢吾の重い拳を顔で受け止めた。賢吾が力加減をしなかったことは、南郷の鼻から滴り落ちる血が証明している。
賢吾が他人に暴力を振るう光景を、和彦は初めて目にした。狡猾で残忍な大蛇の化身のような男として恐れてはいたが、暴力的な男だと思ったことは一度もない。和彦にそう思われることを忌避していたようですらあるぐらいだ。
その賢吾が、和彦が見ている前で南郷を殴った意味とは――。
「先生っ」
ふらりと二人のほうに歩み寄ろうとして、組員に低い声で制止される。半ば強引に門扉の内側に連れ込まれていた。
閉じた門扉の向こうで一体何が起こっているか気になるが、組員の手を振りほどくほどの力はない。和彦はおとなしく建物の中に入り、客間へと通される。
「聞きようによっては、なかなか自惚れの強い言葉だな、先生。身近にいる男たちのほとんどが、自分に骨抜きになっていると自覚していないと出ない言葉だ」
「どうせぼくは、したたかで性悪ですから」
一瞬の間を置いて、南郷が快活な笑い声を上げる。こんな笑い方もできる男なのかと、和彦は驚嘆する。ずっと張り詰めていた空気がふっと緩むが、それもわずかな間だった。
なんの説明もないまま、車がコンビニの駐車場へと入る。
和彦は小さく声を洩らす。昨夜も立ち寄った場所だった。車を停めた南郷は肩越しにこちらを一瞥したあと、一人車を降りる。すると、待機していたらしい男たちが駆け寄ってきて、南郷に向けて深々と頭を下げた。第二遊撃隊の隊員だ。
和彦はウィンドーに顔を寄せて外の様子をうかがいながら、やっと状況を理解する。昨夜は、ここで隊員たちと別れて南郷と二人きりとなったが、今度は合流するのだ。
案の定、南郷は隊員の一人を伴って車に戻ってくる。ただし、南郷が乗り込んだのは助手席だった。
その理由を、車が再び走り出してから南郷が口にする。
「これから長嶺の本宅に向かうのに、俺が堂々と、あんたの隣に座っているわけにはいかないだろう。さすがに、自分の立場はわきまえている」
皮肉っぽい南郷の言葉を聞いて、和彦はそっと背後を振り返る。やはり護衛の車がついてきていた。しかも、二台。護衛にしては仰々しすぎると感じた次の瞬間、和彦は慌てて正面に向き直り、南郷の後ろ姿を凝視する。
まさかと思いつつも、己の持つ力を賢吾に対して誇示しようとしているのではないかと、ふと気になった。
和彦は、自分の格好を見下ろす。羽織ったコートの下は、南郷が着るために買っていたスウェットの上下だ。明らかにサイズの合っていない服を着た和彦を見て、賢吾が何も感じないはずはない。
自分の迂闊さをひたすら心の内で罵っているうちに、車は見慣れた住宅街へと入って行く。
心臓の鼓動が少しずつ速くなってくる。和彦は無意識のうちに詰めていた息をそっと吐き出し、おそるおそる前方をうかがう。本宅の建物が見えてきたところで、ふいに南郷が声を洩らした。
「驚いたな……」
本宅の前には数人の人影が立っていた。事前に連絡を受けた長嶺組の組員が、和彦を出迎えるために待っているのだろうと思ったが、すぐに、南郷が洩らした言葉の意味を理解する。
車が静かに停まる。南郷は素早く車を降りると、後部座席のドアを開けた。一斉に自分に向けられる男たちの視線を意識しながら、和彦はぎこちなくシートベルトを外す。車を降りると、目の前に賢吾が立っていた。
彫像のように整った顔に浮かぶ冷淡な感情を見て取り、身が竦む。憤怒の表情を向けられたほうがよほど気が楽だった。
このとき咄嗟に和彦が危惧したのは、賢吾が自分に対して呆れ、一切の関心を失ったのではないかということだ。何も言えず、ただ賢吾の顔を見つめてしまう。
スッと賢吾の手が肩にかかり、反射的に後ずさりそうになる。すると、痛いほど強く肩を掴まれ、引き寄せられた。
「おい、先生と荷物を頼む」
賢吾が声をかけると、背後に控えていた組員が一斉に動く。
車から和彦の荷物が運び出され、和彦は組員に促されて賢吾から離れる。早く門扉の中に入るよう言われたが、賢吾の様子が気になって振り返る。
賢吾が、南郷に歩み寄っていた。不穏なものを感じた和彦は足を止め、二人の男の行動を見守る。とてもではないが、声をかけられる雰囲気ではなかった。
賢吾と向き合った途端、直立不動で立っていた南郷が深々と頭を下げる。賢吾が頭を上げるよう声をかけると、従った南郷は今度は、両足の間をわずかに開き、腰の後ろに両手を回す。
次の瞬間、賢吾が拳を振り上げ、南郷の顔を殴りつけた。
肉を打つ鈍い音が和彦の耳にも届く。南郷はよろめきはしたものの、倒れ込むことはなく、賢吾の重い拳を顔で受け止めた。賢吾が力加減をしなかったことは、南郷の鼻から滴り落ちる血が証明している。
賢吾が他人に暴力を振るう光景を、和彦は初めて目にした。狡猾で残忍な大蛇の化身のような男として恐れてはいたが、暴力的な男だと思ったことは一度もない。和彦にそう思われることを忌避していたようですらあるぐらいだ。
その賢吾が、和彦が見ている前で南郷を殴った意味とは――。
「先生っ」
ふらりと二人のほうに歩み寄ろうとして、組員に低い声で制止される。半ば強引に門扉の内側に連れ込まれていた。
閉じた門扉の向こうで一体何が起こっているか気になるが、組員の手を振りほどくほどの力はない。和彦はおとなしく建物の中に入り、客間へと通される。
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